表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/11

#001 リンゲル液

眩しさから目を開けると白い天井が最初に見えた。

ここはどこで私は何故ここにいるのか分からなかったが、暫くぼうっと無機質な天井を見ているとドアを開け白いナース服を着た女性が入ってきた。


「北原さん起きたんですね。体の調子はどうですか?」

そう言うとリンゲル液を確認したナースは北原春キタハラハルの脇に慣れた調子で体温計を挟んだ。


「痛い所はありますか?」

「いいえ」


一言答えるとピピピと三回体温計が鳴る。静かな病室に体温計の音はスーッと消えって行った。


「熱はないですね。この調子なら今日の午後には退院できそうですよ。お昼前に先生の診察がありますので」

「はい」


若いナースが出て行くと再び静かな空間に戻った。北原春はリンゲル液から入る得体の知れない液体が体内を駆け巡るように事の起こりを思い出した。


そして、ハルはぐるぐると竜巻のように消えていくトイレの排水のように吸い込まれながら記憶を一つ一つ整理しながら静かに窓から見える景色に目を移した。



―――――――――――――☆彡―――――――――――――


暑い夏である。耳障りなほどに喚くセミと、セメントから上る蜃気楼に見たくないものがチラつく。ハルは頭を更に下に垂らしてトボトボ駅に向かって歩いていた。


大学を卒業して、カカオ豆の輸入会社に就職した。単純にチョコレートが好きだったのもあるが、姉である、三月ミツキが甘いチョコレートが好きで、飽きず毎日食べていたのを見ていたせいか大学の掲示板にある社員募集用紙に今の会社が目についたからだ。Beautiful mademoiselle(ビューティフル マドモアゼル)通称B&Mと英語とフランス語が混ざって嘘くさい会社だったか、都内の中小企業で日本で遅れながらも、この先確実に伸びていく会社だったから我先にと願書を提出した。将来の給料明細も見越して願書を送り、見事入社を勝ち取ったが、そこは真っ黒でそれはそれは大きな嬢王蟻が統べる魔窟だった。自身の人生を達観している節がある春だが社会の厳しさに他の新入社員と同様に「辞めたい」という言葉が喉を通り過ぎないように無理やりねじ込んでいた。辞職して再び就職活動をしている暇は春には無かったし、どこに行っても変わらないのではないかと思ったので、半分意地で、もう半分は体の弱い姉の三月ミツキの入院費の為に我武者羅に働いた。


 北原春キタハラハルという女は世間一般では苦労人のうちに入るのだろう。過去を語ると誰もが「ご愁傷さま」と口を揃えて言いそうなものだ。20歳の夏、誰もが予想していなかった時期に、両親を亡くした。元々旅行好きの両親は姉の三月ミツキが大学を卒業して働き始めると「食わせる奴が一人減った」とがはがは笑った父は母を引き連れ、念願のカンボジア旅行に出かけた。家に噴水や流れるプールがあるような裕福な家庭ではないが、家族の時間は笑顔が絶えず穏やかで近所では仲良し家族と言われていた、そして、計画を立てて年に一度行ってきた旅行先での話を小さな子供に言い聞かせるように身振り手振りを交えながら聞かせてくれる父と母。そんな、優しい両親に甘えて、反発という言葉をしらない春は同じ年頃の子が良く言う「地元を出て東京に行く」という考えは端からないので地元の大学進学した。温かい両親の懐で子供のままでいる心地よさに気づかなかった春は、同時に父と母を亡くし痛みを伝える神経すらその機能を為さなくなっていた。

両親の死因は飛行機の胴体着陸で、炎上した飛行機から何とか脱出したが出血多量と内臓破裂である。父は着陸の際、激しい衝撃で内臓に骨が刺さり、足は複雑骨折、助かったとしても今後の人生は一生歩けない体だったようだ。母は、傷こそは他の搭乗員より少なかったが血液型が珍しい物だったようで、輸血が間に合わず亡くなったと聞かされた。100万人に1人という割合で日本でも数十人しか確認されていないボンベイ型(hh因子)という血液型で、日本でも珍しい血液型であるそれは、まだ発展途上国であるカンボジアで探すには困難を極めた。通常、予め血液バンクで自分の血液を少しづつ冷凍保存しないといけないのだが生涯健康だった母が自身の血液型を調べる機会など無かった為の不運な死因。


葬式の間、たくさんの人が来て北原姉妹に励ましの言葉を掛けてくれた。また、その人達は皆、両親の為に涙を流してくれたのが2人が確かに存在し彼らと心が繋がり関わり合ってきたことを強く感じさせた。心の痛みをなくした空っぽの春は、義務的に葬式を終え家に帰ると、やっぱり心はからからに乾いていた。「ご両親、残念だったね」と心配の声を掛けてくれる人達の言葉にも涙は出ず、両親の遺影を見ても「実の親なの?」「死因が飛行機って本当笑えない」と意味もない疑問と思案ばかりが頭の中に並べられる。いたはずの二人分の空間に誰もいないせいか隙間風を通して目を覚まさせる。春は、乾いた喉を潤すべくリビングのドアノブに手をかけると淡く差す月光の中、姉は声を殺して一人で泣いていた。暗闇で背中を丸めて静かに泣く姉の姿に鼻の奥が辛くなって目じりから涙が流れ落ちた。


「遠い旅行に行っちゃたんだよ~二人でさあ。どっかで、愚痴言いながら笑ってるさ」


そう言ってから「私がいるじゃん」と笑って、春を元気づけてくれた姉の三月(ミツキ)の弱い部分を見た春は、いつまでも三月は『お姉ちゃん』としての立場と責任を忘れず春の姉でいてくれた事に涙が出たのだ。春も、溢れて止まらない涙で枕を濡らし、その日は眠れぬ夜を過した。

両親が背負っていた社会での建前と義務を同時に1人で背負った三月は先の見えない不安と両親をあっけなく亡くした悲しみで泣いていたのだと今なら分かる。


両親が死んだからといって世間はそんなに甘くなかった。じっとしていても1円たりともお金を貰えるわけではない。同情だって長く人達の心に留まってくれるわけでもなく、時間が経過していくにつれ薄れて刃となって北原姉妹を切り付ける。そこの見えない底穴に沈んだ気持ちは浮上することなく、地に足がつかない状態で春は大学での勉強に集中し、講義が終わるとアルバイトをして明け方に家に帰るの繰り返し。都内に就職していた姉の三月は辞表を出し、春を一人にするのは心配だといって地元に戻って再就職した。春は、貸与型奨学金タイヨガタショウガクキンを申し込みたいと三月にパンフレットを渡したが、頑として駄目と言って聞かなかった。理由は、奨学金は借金と一緒で大学を出て毎月借金返済する毎日なんて苦痛でしかないからだという。両親が死んでいつまでも甘えていてはいけないという春なりの決意を理解してくれない三月と大学の学費で何度も喧嘩したが最後は春が折れて、学費は両親の保険金で出すという事で決着がついた。しかし、こっそりと春のアルバイト代で学費を半分程出していた。両親の保険金の半分は貯めて、姉の結婚資金に回したいと思ったからだ。しかし、何が間違っていたのか私が卒業する頃になると、姉の三月は体調を壊すことが多くなった。


そして、春が魔窟の巣であるB&Mに入社が決まると姉の胸にガンが見つかった。


乳癌だった。


また、自分を置いて家族がいなくなってしまう事が怖かった。


「先生言ってたんだよ~見つけたのが早いから、す~ぐ良くなるってさ~」

乾いた唇から出る言葉はいつも春を元気づける言葉ばかりで、三月は春の前では自分を可哀想な人にしない。帰り側には、抗がん剤で髪の毛は抜けやせ細った顔色の悪い三月はそれでも笑顔で春に笑いかけた。暗い部屋で泣いていた三月を知っているから、今も無理しているということは分かっている。だから、三月の笑顔のために無我夢中で働いて、会社から試作品の高級チョコを持って病院に行き上司や先輩の愚痴を吐いては俗世での出来事を過去の父のように話す。しかし、1年が経つと春の頑張りと姉の辛抱し反比例して右胸のがん細胞は左の胸に転移していた。それでも、姉は笑って「へっちゃらだよ~こんなのに姉ちゃんは負けんよ~!」と言った。


その日、社員証を置いて来たのを思い出し病棟に戻り姉の個室のドアを開けようとしたら、中から泣く声が聞こえた。


「痛いよ…痛いよ…死にたくないよ」


どうして私なのか、どうしてこんなに痛いのかという矛先か定まってない怒りを誰にぶつけるわけでもなく、ただ悲しい泣き声だった。春は、また姉の涙をドアを隔てて耳で聞く事しか出来ないもどかしさから、胸が締め付けられて息を上手く吸えなかった。

この時、きっとドアを開け放ち姉を抱きしめてあげたら違う結果になっていたんじゃないかと何度も、何度も思う。病気に苦しむヒロインは抱きしめられ励まされる事で、それに打ち勝ち真実のハッピーエンドを迎えるが、現実でそんな事は有り得ないし、姉の涙を流す姿に駆け寄って「死んだりしない」なんていう最も残酷な励ましの言葉なんて掛けてあげられない。体が大きくなると素直さは泣きなり難しく絡み合ったプライドという物がそうさせるのだから。


何でこんなに頑張って働いてるのに良い事がないの?何で、嫌いな上司に罵声を浴びせられながら仕事続けてるのに一向に元気にならないの?と姉に対しての憎いという感情と姉の弱い姿をこれ以上見たくないと言う複雑に混ざり合った感情が春を支配した。


そして、春の27歳の誕生日に三月は両親を追うように亡くなった。左胸に転移して、左胸を全摘出した後に右胸に再発し、右胸も全摘出したが、三月を呪うように腸に転移した。三月の体はすでにぼろぼろで手術に耐えられる体ではなかった。両親が死んですぐ北原姉妹は血液検査をした事があった。結果は姉妹揃って、ボンベイ型(ho型)の血液型を持っていた。hh型より更に珍しく輸血が難しい血液型で、幸い姉の手術の日取りが決まると妹の春から事前に少しずつ輸血用の血液を採取していた。しかし、結局は死んでしまった。何もしてあげられなかったという罪悪感だけが春の内を支配している。


(姉は私を憎んでいたのだろうか。)


きっとこの先、春は自分の誕生日が来る度に姉の三月を思い出すだろう。


(自分を助けられなかった私をお姉ちゃんは大層恨んだだろう。)


「ねえ!春~。見て見て!桜だよ。春にぴったりの花!私、この季節って大好きなの。桜が咲くから」

誕生日になると、そう言って満開の桜に負けない笑顔を向けた姉と背中を丸めて泣く姉、痛いと泣く姉を思い出してしまうだろう。



―――――――――――――☆彡―――――――――――――


夏が来て桜の花は緑の葉っぱで夏の色に変わっている。


「鬱陶しい」


暑さが鬱陶しい。ゆらゆらと体を揺らして歩く春をすれ違う人は皆避けて行く。三日連続で徹夜した顔は目の全体が窪んでその周りには隈が覆っていた。人間としての清潔さを保つ為に家にはシャワーを浴びに帰ってはいたが、今日やっと休む時間が出来た春は明け方、家に一度帰り2時間の仮眠を取った後シャワーを浴びるて、また黒いスーツを身に着け会社へ行くべく最寄駅へ向かった。


駅のベンチに座って待っていると会社の最寄り駅に向かう電車のドアが開いた。ムワッと押し寄せる車内の熱気に吐き気がしたが、これを逃したら会社に遅れてしまうので仕方なく、後ろの会社員に押されながらも電車に乗り込む。

力なくつり革を掴んで電車の窓から差す光の眩しさに目を細めると前に座っている人が手に持っていた本に目が行った。


『悲しく笑う人』


(いやだな。本当。)


春は目をギュッと閉じてつり革を掴む手を強めた。この本は姉が好きだった大人向けの童話だ。世界の違う男女の恋物語。結ばれることのない二人はそれでも笑うのだと姉は言った。しかし、童話という夢物語が好きではない春は姉が病室まで持って大事そうに何度も読んでいた童話を読む事はしなかった。今の会社に入った理由も、普段の生活でのちょっとしたことが姉の生きてきた証、姉との大切な思い出。それと同時に今の春にはグチュグチュに熟れたトマトのように膿んだ傷を抉ってくる。


体に力を入れていると、お腹がチクチクと痛くなっていた。潰されるかのようなその痛みのせいで、呼吸が苦しくなるが迷惑になると思った春は、なるべく息を深く吐かないように浅く静かに吸い続けている。

空気の悪い満員電車での女性の香水の匂いと男性の汗の匂いが混ざり夏のごみ置き場の匂いになっていることは誰もが感じていることだろう。春の吐き気は酷くなる一方で徹夜を手伝って青白い顔と背中には冷汗が伝った。


(あ、駄目かも。痛い。)


手の力が少し緩むのと同時に踏ん張っていた足の力も一緒に緩んでしまった。

倒れていく春の体を誰かが抱きとめた。


痛みで頭を垂らしてお腹を押さえていて相手の顔は見ていないが、頑丈で大きな胸だった。男だと思ったが腕を振りほどく力もないし、力を完全に抜いた大人の女性を同性が支えるには無理があるので逆に体格のいい男で安心したのもある。男に体を預けるとその広い胸板からスーッと通るペパーミントの良い香りがした。

荒い息をする春を支えた男は「道を開けてください。すみません」そう言って電車から降りた。


電車から降りると電車の中より熱い空気が私を包み込むが、車内よりさらりとした空気を肺に吸い込んだ。春は向こう側のホームに夏の暑さで揺らめく熱気にピンク色のワンピースを着た姉を透かし見た。


「お、ねえちゃ・・・」


(笑わないでよ。強がらないでよ。)


伸ばした腕は蜃気楼に届く事なくさらりと桜が儚く散って行くように消えて行った。


春はそのまま気を失った。


―――――――――――――――――☆彡――――――――――――――――


医師からは過労と生理不順だと説明された。姉が亡くなり家にいる事が億劫になると同僚や部下、上司に頼まれる仕事に全てyesと答えていた。今の会社に情もなければ無駄な人間関係を築きたくないと思った春と同じように他の社員も春を良く仕事をする働きアリと思っている。しかし、春の体は耐えられなかったようだ。仕事をしていないと自分の生きる意味を失ってしまうようだったので私生活に関してはわざと疎いという素振りを見せていた。


生理はもう半年も来ていなかったが、今日の酷いお腹の痛みは生理痛だった。一か月前に同じ部署の同僚と冷や奴をつまみながらお酒を飲んで、何となく生理が来てないと言うと彼女は大きな目を更に大きく見開き「早く病院にいきなさい」と怒ったのだ。将来、子供が産めなくなると春を脅し、春はその脅しが効いたのか翌日病院に予約を入れた。結果からすると生理が来たのは女性として自分がまだ役に立つ事が分かったのは良い事だが、タイミングは最悪だった。生理不順を訴え病院から薬を処方して貰って飲んでいたのだが寝不足と重なり、逆刃刀だったそれは刃がないにもかかわらず十分な威力で春に攻撃した。半年ぶりの生理痛は今まで感じたことのない痛みだった。


救急搬送に耐えない都内の病院は過労と生理不順という病名では二日も三日も居座ってほしくないようで診察を受ける際、医師は酷く冷たい態度でカルテを数枚めくると午後には退院してもいいと言った。一応、後から問題が起こらないように、家での安静を約束できるならである付け加えた。正直な所、体はもう少し休息したいと叫びまくっているが、今はまだ一人で静かな空間にいたくなかったので仕事に行く気満々だ。後ろにいたナースが私の考えを読んで「絶対安静ですよ」強めに言い放った。


分かりましたと機械的に答え、私は荷物をまとめ退院の手続きをしにカウンターに行くと支払いが終わっていると言われた。


「あの、私まだ支払ってないんですけど…」

「ああ。お支払いは救急車で一緒に来た彼氏さんがしていきましたよ」


目のしわを濃くして笑うその人は春に向けた暖かな視線を残したまま下の資料に戻した。


不思議な気持ちになった。


今時、素性も知らない人の入院費を支払う化石のような優男(ヤサオトコ)がまだ存在するなんて。


大きな胸板とペパーミントの香りを持つ男だという情報しか私にはないので、お金を返すこともできないこの状況に溜息を一息吐いた。暫く悩んだが、知らないものは知らない。お金払いのいい男が代わりに出してくれたと思いこの事は頭の片隅に追いやった。


病院から出ると、やっぱり暑かった。携帯の電話履歴が会社からの着信と部下からの着信でいっぱいだった。それはそうだろう。一日無断欠勤したのだから。こういう時に、家族がいない寂しさを最も感じる。恋人でもいたら別なのだが、まどろっこしい恋人ごっこは面倒だと思うのが先に来てしまう。


怒られる事を覚悟して、上司に電話をかける。


「もしもし、北原です」

『君か!今まで何をしていたんだ!私があれ程大事なプレゼンだと言っただろ。早く資料をまとめて持ってこい。今すぐだ!!』

「はい。申し訳ありませんでした」

『まったく!困るよ。君は何年会社にいるんだね』

「申し訳ありません。先方からの商品説明の資料は部下の中田が持っていると思いますので…」

『それは、昨日貰ったよ。後は君が作っているプレゼンの資料だけだ。明日が勝負だって言うのに君は!!』

「申し訳ありません。急いで向かいます」


電話を切り鞄に戻そうとすると、肩をトントンと軽く叩かれたので振り向いた。


背の高い上品なスーツを着た男が立っていた。暑さを感じさせない冷たい印象の顔立ちは女子高校生が見たら「うわっ!!ちょーイケメンじゃん!」と言いそうだ。


「医者に、安静と言われませんでしたか?」

「…はい?」

「今、貴方は会社に行くところですか?」

「ええ。そうですが…何か」

「失礼」


その男は私が右手に持っていた携帯を奪った。


「ちょ…何してるんですか!返して!」

右手を伸ばし携帯に手を伸ばすと、右手首を掴まれ冷やりとした大きな手にびっくりして相手の手を剥そうとするがビクともしない。


「もしもし。先ほどの北原の婚約者です。北原は、体調がすぐれない為、病院に入院しております。今日から三日は出社できないと思いますので部下に病院まで資料取りに来させてください。」

『なっ…どいうk』


男は要件を伝えると電話を切ってしまった。


「何してるんですか!?」

「それはこちらが聞きたい事だが」

「はい!?人の携帯を奪って、挙句の果ては上司に勝手に電話する人がどこにいますか!?」

「ここにいるが」


(何この人。ふざけてんの?頭おかしいんじゃないの。)


「なんなんですか本当…」

暑さかはたまた、過労に伴う貧血のせいか、体の力が抜けてきて最後の方は段々と声が小さくなっていた。


神田カンダです」

「はい?」


俯いていた顔をあげ男を見ると笑いもせず、淡々とそう答えた。


「名前です。神田優(カンダユウ)

「・・・」


(名前なんて聞いてないっての。本当になんなのこのイケメン。顔はイケメンなのに全くもって常識知らずで、会話が噛みあわないじゃないか。)


春は落ち着いて彼の話を聞く事にした。


「それで、神田優さんはどちら様で、どうして私の携帯を勝手に取ったりしたんですか」


多少、声のトーンが低くなったがこの状況で怒鳴り散らさないだけ褒めてもらいたい。


「あなたの一時的保護者としての責任です」

「私は貴方に保護者になって貰った事ありませんし、婚約者になった覚えもありません」


(あーーイライラする。イケメンだからって全部許されると思うなよヤサ男。)


「もう、結構です。これ以上話しても意味がないように見受けられます。さようなら」


今度こそ、男から携帯を引ったくりバックの中に突っ込んだ。


代わりに支払いをしてくれるような優男(ヤサオトコ)がいるって言うのに、この男は何なの?優男じゃなくてヤサ男ね。これじゃあ、上司に何て言われるか…本当最悪。


すると、ベンチに座っていたサングラスの男が立ち上がった。


「へえ~君、仮にも命の恩人にその態度って淑女としても底辺だね~」

「はぁあ?!」


(今度は何!?)


サングラスの男は私の前に立つとそれを取って、私に言い放った。


「君がいうヤサ男は実は優男(ヤサオトコ)だったりするんだよね」

「なっ…」


男は、すっと目を細めて面白いものを見たというふうに春を見た


(あれ?私口に出してたかな?)


心の中で言っていたと思っていたが口に出ていたようだ。


「何その吃驚した顔。面白いね。ぶつぶつ言ってればそりゃあ聞こえるよ」


(最悪だ。)


「君」

後ろからヤサ男の声が聞こえて体が固まった。


「ひっ⁉」


彼は走って春を追いかけてくると、両腕を腰に回した。


「ジッとしていろ」


(ひええええ!?)


春が考えていた大事にはならなかったが、腰を見るとヤサ男が着ていた背広が腰に巻かれていた。何故このようなものを自分に巻いたのか分からず、後ろを振り向くと彼は春の目をジッとみて無言のままだ。表情が豊かな方ではないようだが、きょとんとした感じで私が睨んでいる理由が分からないらしい。


このサングラス男の言ってる命の恩人もヤサ男の行動も理由(ワケ)がわからなかった。


「な…なんなんですか…。」


身長の高い2人に囲まれまるで囚われた宇宙人だ。宇宙人の気持ちはきっと今の春と同じだろう。私は二人の男を交互に見て最終的にヤサ男の視線に囚われ睨めっこをした。


彼はゴホンと一度咳払いをして「誤解しないでくれ」と言うと私の耳元に彼の口が近づいた。


「スカート。血がついてる」

「ひぇっ?」


間抜けな言葉がポロッと口から出るとヤサ男の言葉を理解するのに数秒かかった。


(最悪だ。最悪だ。最悪だ!!!!畜生。このまま死んでしまいたい。)




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ