最終話
「じゃあ結局、天野さんの手の平の上だったってことですか?」
アユミの淹れた紅茶はアールグレイ。
…今のぐったりした気分には最適だ。
カップを口に付けて、ため息を止める。
「家令の天野は俺たちの反発も計算済みなんだろう。そうじゃなきゃ、わざわざ相手を十萌にはしない。
オカマだが、実質…屋敷執事のNo2だからな」
最も信頼の置ける執事を選ぶのは当然だ。
情報管理がしやすくなるし……天野が十萌を鬱陶しくてこっちによこしたというのも考えられなくないが。
「僕としては早く松方さんを見つけて、屋敷にお迎えしたいです」
「ああ……松方の実家はもぬけの殻だったしな。まずは捜索からだ」
松方は姿を消していた。
最初は何らかの事件にでも関わったのかと緊張が走ったが、単純に旅行か何かで外出しているだけのようだ。
「……アユミ」
でも俺は松方に戻ってほしい気持ちと、このままでも構わない気持ちがある。
「はい?」
アユミの細い首が優しく傾げられる。
あれから修行を積んでいるのに、相変わらず白くて女みたいだ。
「……着替えを、手伝え」
俺の言葉にその黒い瞳が揺れる。微かに唾を飲む音。はい、と頷いたアユミ。
そのまま黙って薔薇園から屋敷に入る。俺の部屋の扉に重い鍵をかけ、カーテンを閉めた。
「………」
するすると羽織っていた上着を下に落としていく。緊張と嫌悪感が額に汗を滲ませるのが分かる。
でももう後戻りはできない。
アユミには知ってほしかった。
……する。
身を守る布地はない。
アユミが息を飲む音が聞こえる。
「目を背けても、いいぞ。
気分のいいものじゃないだろ」
俺の背中には、肩から腰まで伸びる“刀傷”がある。
この傷は、もう顔も覚えていない母親から受けたものだ。
「まだ疼く…。夜になるとな、思い出すんだ」
記憶は鮮明。一生かけても褪せることはない。
母親の顔は闇に消えて思い出せないが、
握られた刀が月に煌めいていく情景と受けた痛みは…消えない。
この傷を父親には見せられない。刀傷を見れば、母親の太刀筋だと気付かれてしまうから。
「俺が堪えればいいだけだ、このくらい」
「では僕も堪えます」
振り返る。
アユミは毅然とした視線を向けた。
「アキラ様を守れるように僕ももっと強く賢くなります。
松方さんがそうしてきたように。
…まだまだ及びもつきませんが、きっと強くなりますよ」
アユミは笑う。
柔らかく安心させるように。
松方には確かに及ばない。だが、それ以上にアユミのことを信頼できた。
それはこいつの笑顔が嫌味なくらい優しいから。
「……ふん、まずは十萌に勝ってからそういう事は言うんだな」
「う…精進します……」
こん、と閉めた扉をノックされる。
「イチャついてるトコ悪いけど、旦那様の到着よん」
十萌の声。どうやらまた勝手に屋敷に入り込んだらしい。
「あ、ありがとうございます!
アキラ様、早く着替えないと天野さんに怒られますよ」
「…ったく、面倒くさい…」
今日は父との食事会。
どういう風の吹き回しなのか、食事をしようと持ちかけられた。
アユミは嬉しそうに張り切っているが、どこか照れ臭い。
「さ、行くぞ。アユミ」
「はい、アキラ様」




