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3話

「なんだかここ一週間ほど楽しそうですね、坊っちゃん」


いつものように寝具を脱ぐと、松方が少し嬉しそうにそう言った。

アユミの稽古メニューについて、松方に相談したのがそんなに嬉しいのだろうか。

俺がそう聞くと、はいと頷く。


「以前は、あまり坊っちゃんから私に話をしていただくことなど無かったですから」


「そうか?」


「アユミくんのおかげですよ。

坊っちゃん、少しは彼に感謝しなければなりませんね」


シャツの袖に腕を通しながら、苦笑する。

しゃくだが、それは確かだ。

屋敷での繰り返しの毎日が、アユミが来てから、毎日違うように感じる。

勉強もあいつに教える為だから真剣に取り組んだし、夕食の前の稽古は一日の楽しみになった。


俺のネクタイを締め、軽く髪にくしを入れる松方。


「アユミくんは覚えがいいので、教え甲斐があるでしょう。

昨日拝見した稽古では、もう立派に型をこなしていましたし」


「型の順番くらい早々に覚えてくれなければ困る。まだ足運びが駄目だ。あれじゃワルツだよ」


思い出して、くくくと笑う。

そんな俺をまた嬉しそうに見る。

松方にうながされ、部屋を出た。


「ちなみに、坊っちゃん」


綺麗に磨かれたいつもの廊下を歩き、長テーブルのある広間に入る。

席に着いた俺に、松方は小さく呟いた。


「私、本日で最後のお勤めになりました」


手が止まる。

思わず後ろに控えている松方を振り返った。


「な、…アユミの教育が終わるまでって…」


「旦那様のご意向です。

昨晩、旦那様に仕えている執事からお電話がありまして…でもアユミくんは覚えがいいですから。

後を任してももう大丈夫でしょう」


かたん、と皿の触れる音がやけに響く。


――なんだよそれ…。


俺の屋敷の事など知りもせず、勝手に松方を解雇した父が、腹立たしかった。

それに、普段のままの松方の態度にも腹が立つ。


松方はずっと、俺が子供の頃から一緒だ。

十三を迎えて父の屋敷ではなく、この屋敷を与えられてからもここに仕えてくれた。


それも、父の意向だったからか?


「松方…お前、それを承知したのか?」


席を立ち、彼の肩を掴む。

食事を運んできたアユミが慌てて俺を止めた。


「アキラ様、なにを!」


「るせぇっ!松方!

答えろ!お前は、俺から…」


「坊っちゃん」


困ったように、軽く笑う松方。

そんな顔もいつもの表情だ。


「私は旦那様の執事なのですよ…もうお暇を頂いてしまいましたが。

幼子の頃より、旦那様から坊っちゃんのお世話を任されて、この松方、今まで幸せでございました」


「…………くそっ!!」


食器の割れる音。

構わず、そのまま自分の部屋へ戻った。

整えられたベッドに顔を埋める。


親同然の松方と離れる悲しさ。

父の言葉にあらがえない悔しさ。

松方本人は実際どうしようもできない。

どうせ父のことだ。松方のことなど名簿でしか覚えてないだろう。俺の事や松方に対しての感謝など、感じるはずがない。


「悔しくても…俺の父だからな」


だから松方はアユミに感謝しろと言ったのだろう。最後の言葉に、という心配りに決まっている。

松方らしい。


「アキラ様…」


扉の向こうからアユミの声がした。力の無い声。

おそらく、アユミも松方から解雇の件を聞かされたのだろう。


「アキラ様。入りますよ」


遠慮がちに部屋に入る足音。

俺は扉に背を向けて、窓の外を眺めていた。


「コックの萩原はぎわらさんが嘆いてましたよ。

朝食、召しあがってください」


きし、とベッドが揺れる。

アユミを見ると、俺と同じように窓の外に目をやっていた。

その目は少し潤んでいる。泣いたのかもしれない。


「…俺はこれで一人になる」


乾いた笑い。泣きたくなるのを堪える。


「……一人になるのか…」


両手を握り締めて、堪えている俺にアユミはそっと手を乗せた。


「僕を傍に置いてください。アキラ様」


俺は顔を上げる。アユミが横に座っていた。


「まだ紅茶くらいしか満足に淹れられませんけれど、これからきっとお役に立てます」


苦笑した俺に、アユミも笑う。

手が暖かい。


…一人じゃないから。


朝食を食べようと腰を上げた俺に、耳元で呟く。


「それに、僕…案があるんです」



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