貝切
「…まだ歩くのか?」
林の中にある山道を登ってきた一行は、まだ朝露に葉が濡れているうちから歩き出していた。
永久は立ち止まって、木々の間から見える人里を眺めながら、鼻まである頭巾の布を緩めて呼吸を整えていると、前を歩く兄弟が自分の名前を呼んでいた。
馬鹿みたいに跳ねながら呼ぶ翊鎖は、松が死んだ時に自分よりも多く泣いてくれた。
優しく笑いながら待つ翊羽は、何も出来なかった永久の代わりに、いろいろとやってくれた。
享年26歳。
己が願う死に方さえも出来なかった男の最期は、あまりにも怒りが募るものでしかなかった。
松の体は何十年かけて毒に侵され、籐桐の土地から離れて数日後に、松は土の上に倒れた。
青白く生気を失った顔、うつ伏せだった松を抱き抱えて見た時、言葉を失った。
もう二度と動かない瞼、息を吸わない鼻、言葉を発さない唇。
怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて、ただ松の顔を見つめることしか出来なかった。
それからはあまりにもたんたんとしていて、翊羽が松を埋める時も、自分の目から涙が出ることはなかった。
大声で泣いている翊鎖を隣にしても、松は生きているんだと思えてならなかった。
「永久!!」
翊鎖の声の方へ振り返ると、先ほどより森に入った場所で座って休んでいた。
「早く来いよ!火消しちまうぞ!」
「火の周りで騒ぐなよ、翊鎖。お前の動きで消える!」
騒ぐ二人のそばに寄って、真ん中で燃える火の周りに、三人で胡座をかいて座った。
「何してたんだ?」
長かった髪を切り、耳に掛かるぐらいまでになった翊羽に聞かれたが、永久は首を振って返した。
「本当に、何があってもお前は変わらねえな」
「翊鎖、止めろ」
「松さんが死んじまったってのに、涙一つ流さねんだからよ」
真っ赤に燃える火から視線を外し、両手を擦り合わせながら唇を尖らせる翊鎖んい顔を向けると、相手は首を傾げて見返してきた。
「俺達の名前は、松さんが付けてくれたんだ。剣術も、黒水隊に誘ってくれたのも松さんだった」
翊鎖の話を強い眼差しと一緒に聞きながら、永久は無意識のうちに口元の布を上に上げていた。
「俺達なんかよりも、永久の方が松さんとの付き合いが長いんだよな」
穏やかに微笑む翊羽は、火を眺めながら呟いた。
「…先を急ごうぜ。どうせ永久は何も感じちゃあいねえんだから」
火の後始末を終えて山道を進むと、そこはもう一人の仲間がいる『貝切』という場所に着いた。
「まずは『鶴霧』という人を探さないと」
「えらい別嬪って言ってたから、女だよな?」
「知ってる。こっち」
永久は頭の布を目深に、鼻の布を更に上げて顔を用心深く隠すと、大通りの道をづかづかと進み始めた。
入り組んだ道を迷わず歩いていた永久は、ある料亭の入り口で止まり、翊羽の方を見た。
「ここにいるのか?」
彼の問いに頷いて答えた永久は、一歩下がって、翊羽に場所を譲った。
「それで、松殿は旅の途中でお亡くなりになられたと…」
店の奥に通された三人は、座敷の上で女将の鶴霧に全てを話した。
彼女は驚くほど美しい女性だった。
透き通った肌、通った鼻に薄く紅色の唇、目は丸く大きく、強い目をしていた。
「この文を渡すのが指名なのですが、相手が分からず…」
翊羽は籐桐から預かった文を鶴霧に差し出すと、彼女はその手紙を迷うことなく開けて中を確認した。
「松殿、ご自分が死ぬことが分かってらしたのね」
納得したような彼女の言葉を理解出来ずにいると、鶴霧は手紙を三人の方へ渡して姿勢を正すと、艶やかな唇を開いた。
「松殿が死んだ今、黒水隊 隊長:風蔵 翊羽殿、隊員:風蔵 翊鎖殿、木下 永久殿、我々、雷蔵、鶴霧ともによろしくお願い致します」
畳に手をついて頭を下げる鶴霧の行動に、翊羽は驚いて、思わず後ろに下がってしまった。
「兄貴が隊長?風蔵 翊鎖って?」
「松殿が御三方にお与えになさった姓でございましょう」
「すみません、仰ってる意味が分かりません」
翊羽の言葉に、鶴霧は頷いて美しく微笑むと、たんたんと話始めた。
木下 松(26)ー男
翊羽、翊鎖、永久に名を与えた人物。
茶色髪の毛を短髪にしており、煙草をこよなく愛する男で、子供と女には全く興味が無かった。
小さい頃に両親を殺され、松自身も色んな場所でたらい回しにされて育った。
永久は途中に雇われた家にいて、二人はそこから抜け出し、たった二人で生きてきた。
鶴霧(?)ー女
漆黒に染まった長い髪を、毛先の方だけで束ねた髪型をしている。
白く透き通った肌を持ち、唇や頬には紅を差したように赤く染まった美しく容姿を持つ。
働いている料亭で雷蔵と出会い、松との連絡も雷蔵を通して行っていた。