始まりの終わり
『全ての準備が揃ったら、町外れの道場で待っていろ。夜には俺もそっち行くから』
松に言われた通り、町外れの道場に入って数時間、日も落ちて肌寒くなっても松は姿を現れなかった。
「寒くなってきたな。もう道場として使ってないみたいだけど、何か暖をとれる物でも探そうか」
「我慢できるよ。それに、人がいた形跡を微塵でも残さないように言われてきたじゃねえか」
灯り一つない真っ暗闇に変わった部屋の中で、まるっきり膝を抱えて座る翊鎖の姿をされて言われても、説得力はないが言ってることには一理あった。
「確かにそうだな。松さんもそろそろ来るだろうし…」
首に巻いている布を鼻まで引き上げて、細やかながらも寒さを凌いでいると、普通の人間では気がつかないくらい小さく、道場の引き戸が開けられた音がした。
「二人いる。俺らを殺しに来た奴らかな?」
「静かに、この部屋の戸から目を離すな」
戦闘態勢に切り替えた兄弟は、近付くと足跡に耳を済まし、いつでも切り掛かれるようにして、闇の中に身を沈めて待った。
ガラリと戸が開いた瞬間、刃と刃がぶつかる甲高い音が響いた。
翊羽はその足取りが松であることに気がついていた。
松は信用できない人間に背中を向けないはずなのだが、あまりにも一緒にいる人間の歩き方が普通では考えられないほどに用心深かった為、気がついていない翊鎖と同様に緊張の糸を切らさないでいた。
部屋に入って人相を改めてからでも遅くはないと悟ったのだが、翊鎖は二人げ誰とも考えずに刀を抜いて切り掛かってしまった。
翊鎖は素早く、どんな場面であろうとも音を立てて襲ったことはない。
それなのに、相手の人間は松の前に出て、刀の刃をかち搗ち合わせている。
「翊鎖!止めろ!!」
「永久!下がれ!!」
松は永久と呼ばれる頭巾を被った者を、翊羽は弟を押さえ付けて二人を離そうとするが、なかなか諦めを知らないため、翊羽が二つの頭に拳骨を落として、やっとの事で刀を納めさせた。
特に何も見ようともせずに襲いかかった翊鎖には思いっきりぶん殴った為、二人を見て笑い転げていた松に落ち着きが戻った時はまだ、頭を抱えてうずくまっていた。
「ほら、挨拶しろ。永久」
月明かりで見える、松の後ろで静かに座っていた藍色に白く露芝模様が施された頭巾の青年らしき者が、翊羽に向けて小さく会釈をした。
「翊羽といいます。こっちは弟の翊鎖」
部屋に入ってからの永久の行動は大人しく、唯一分かる目からの印象から、松を強く慕っているのが感じられる。
「永久、お前少しは話せよ。これからずっと一緒に旅すんだからよ」
「本当に愛想のねえやつだな」
翊羽の後ろで蹲っていたはずの翊鎖が前に出てきて、永久の前で胡座をかいて座ってしまった。
「これから俺達は仲間としてやって行くんだろ?だったら、その頭巾脱いで素顔を晒すのが普通じゃあねえのかよ」
「…」
永久の大きく切れ長の目は翊鎖を見つめるだけで、何の感情も感じることも出来なかった。
「脱げ、永久」
いつもと変わりない優しげの表情を浮かべたまま、松は口調だけ鋭く言葉を吐いた。
無表情な目を大人しく伏せた永久は、頭巾の口元を外し、ゆっくりとした動作で頭巾を全て外した。
青白く光る部屋に中、真っ白く浮かび上がる肌、薄赤く染まった整った唇、小さく通った鼻筋、切れ長で大きな目に掛かるかぐらいのバラついた前髪に、後ろで結ばれた長い黒髪。
とても美しかった。
中性的な顔立ちではあるものの、そこには気品と艶が滲んでいる。
「…満足か?」
紅でも差したらまるっきり女に変わる薄い唇を動かして話す姿は、現実とは思えない。
翊羽は視線を逸らし、翊鎖は溺れたように見入った後、我に返ったように永久を睨みつけた。
「男か?女か?」
「好きなように捉えて貰って構わない。大抵の人間は男として接してくるが…」
頭巾を被り直しながら答える姿は、先ほどまでの距離がなく、今なら肩を組めるほどに近しく感じられた。
「よろしくな。永久」
「こちらこそ」
翊羽の言葉に永久が優しく微笑んで返すと、松が立ち上がって、まだ若い青年達を見下ろして言った。
「これから、籐桐殿から預けられた文を届けに『貝切』へ向かう。そこにもう一人の俺達の仲間が待っている。えらい、べっぴんだから心しとけよ」
ニヤリと企んだような笑みを浮かべた松は、数日後の昼、貝切へと向かう際に、突然土の上に倒れた。