お叱り頂きましょう
どうも。ご無沙汰しております。
海底のコラムニスト、提灯鮟鱇でございます。
コラムニストって響き、カッコイイですね!
最近、ニュースを見ていると、やれ教師が盗撮だ、やれ教師が傷害罪だとか、教育者の不祥事がやけに目につきますね。
昔はこういった事はあまり聞かなかったのですが、今となっては毎日のように目にする話題ではないでしょうか。
とりわけ体罰に対する扱いは、昔よりも一層デリケートになっている気がします。
と、思いつつも教師の方も正しい「叱り方」をわかっていないような気もします。
ということで、今日は「叱る事」にフォーカスを置きつつ、私の過去の体験を交えて語りましょうか。
先に断っておきますが、かなり主観的な話になります。
「叱る」ってのは非常に重要ですよね。
「褒める」の向かいにあるコイツですが、このツートップを並べて人間を諭すということが教育なんじゃないかと、無教育な提灯鮟鱇は思うのです。
ただ「叱る」と言っても、方法が問題ですよね。
頭ごなしに上からギャーギャー言っては大人の威厳がありませんし、単にデカい声でビビらせて反省を促すなんてのは動物レベルですし……
正座させて頭を冷やさせるなんてのは、ちょっと意味を感じません。
でも、「口で言ってわからないなら拳骨」みたいのも一概に非難されるべきではないとも思うのです。
私、提灯鮟鱇の場合。
中学の頃からよく先生に叱られていました。
ワルとか問題児ではなかったですが、学校では明るく楽しく過ごしていたわけです。
でも、何か悪いことがあると「提灯! お前か!」みたいなポジションになっていました。
何故でしょうね?
まあそれはいいんですが、よく叱られる私はいろんな先生の出方を研究したものです。
頭ごなしにガーガー言ってくる先生がいらっしゃいました。
普段は面白い先生ですが、こういう時は生徒の言い分を聞いてくれません。
もちろん大人には大人の理論があって、生徒には生徒の言い訳があります。
私も出来た人間ではないですから、一方的にガミガミやられるとカチンと来るわけです。
特に思春期の気難しい時期でしたので、うまく感情をコントロールできないってのもあると思います。
でも、ここで先生に食ってかかりますと引くに引けなくなり大変になります。
火に火をぶつけても大きくなる一方で、消火などできません。
まあ大人を言い負かすのは難しいですからね。
なのでこの時は奥歯を噛みながら「はい。すみませんでした」と先生の気が済むまで謝るしかありません。
しかし、重要なのは「教育できたか」ですよね。
先も言いましたが、「叱る」というのはとても重要です。
ですので、ここは叱った後の生徒の心の具合を見てみましょう。
当然、泣き寝入りしたので「先公め。覚えてろ」となります。
言い分を聞いてくれる余地も無ければ、誰でもそうなりますよね。
叱った側は叱ったというより「有無を言わさず言い負かした」だけなのですから。
これではいけないような気がします。
もう一人のトリッキーな先生を紹介しましょう。
普段は無口で気難しそうな顔をしている筋骨隆々な男性教諭。
デカい声は出しませんが、雰囲気はめちゃくちゃ怖い先生です。
さて、その先生は美術の先生だったんですが、私は美術室の油彩用の筆で遊んでいてポキリと折ってしまいました。
教室はしーんとなり、先生が「おい提灯、こっち来い」と低い声で言いました。
ガクブルです。
私と一緒に遊んでいた友人は「が、頑張れ」的な目線だけを送ってきます。
先生に呼ばれ、準備室に通されました。
そしたらその先生、何て言ったと思います?
「いいか。痛そうなフリしろよ?」
「え?」
その瞬間です。
先生が大きく手を振りかぶり……バチンッとデカい音の一本締めをしたではありませんか。
ん? 何故?
私は訳もわからずぽかんとしていたんですが、先生は「ほら。ほっぺに手を当てろ。その手、一分は離すなよ」と言っております。
その表情はどこか楽しそうで、普段はあまり見ない顔でした。
言われる通りに頬に手を当てながら、私は準備室から出て教室に入ったのですが、その瞬間全てを悟りました。
クラス中が青ざめた顔で私を見ているではありませんか!
「だ、大丈夫か!?」なんと言ってくるヤツもおります。
ああ、そう言うことか!
私は頬に当てた手を離さないまま席に着きました。
「痛かった?」とか聞かれましたが「いや、全く」としか返せません。
そこに先生が遅れて入ってきて、何事も無かったように美術の作業が始まったんですが、私は思いましたね。
この先生を裏切るわけにはいかないな、と。
要はキャラを作ってたんですね、先生は。
最初から怖キャラなら馬鹿をしでかす生徒も少なくなるだろうし、こういう風にトリッキーな牽制も出来ます。
そして、不思議と私自身も反省をするという。
実際に叱られたわけでも無いのに。
なんでしょうかね、本当はぶたれるはずが、この程度で済んだので「ありがたいな」とでも思ったのでしょうか。
一分間手を当てっぱなしだった頬は見事に赤くなっています。
こりゃ凄い。
こういう先生は巧みですよね。
結果的には良かったかもしれませんが、これは叱るのとは違いますね。
もう一人行きましょう。
彼は浅黒い肌が特徴の長身おじさん体育教師です。
この人は普段から凄く面白い先生で、多くの生徒に慕われています。
私も個人的には好きだったんですが、この先生、よく叩くんです。
まあそんなのはいいんですが。
提灯がまた悪事を働いた!(バレーボールを蹴って蛍光灯を割った)
さて、私は「ヤバい! どうしよう!」と焦っています。
この時、まだ反省の色はありませんね。
さあ、浅黒おじさんがやってきました。
彼はよく叩きます。
過去に何度か張り手を喰らった時がありました。
彼は今笑顔です。
私に対峙すると更にニコっと微笑みました。
「まあ気にすんなよ」と言うセリフが出てくるとでも思ったのでしょうか、提灯鮟鱇は笑顔を見て安堵した瞬間。
高速の張り手が飛んできました。シュッて。
不意打ち気味に飛んできたのでジャストミートです。
よろけたところで、先生は何も言わずに帰って行きました。
なんだったんでしょう。
張り手オンリーとか意味深すぎるだろ。と思いました。
その後、居たたまれなくなって破片を掃除してると、先生が新しい蛍光灯を持って戻ってきました。
そして先生は私の手で蛍光灯を付け替えさせました。
脚立に上らせ「お前がやったんだから、お前がつけろ」と。
その際、下でしっかり私の上る脚立を支えていてくれました。
先生は「ボール蹴ったらどうなるかわかるだろう」と一言だけ、責めるでもなく呆れるでも無く普通の感じで言いました。
今、三人の先生のパターンを上げましたが、今考えると「叱る」のが最も上手いと思ったのは体育教師じゃないかなと。
いきなり張り手でしたが、最後はしっかりわからせてくれた感じがありました。
もちろん、私自身もボールを蹴ったらどうなるかなど予想出来たのですが、なにぶん子供でしたから。
わかってても注意散漫、あるいは興が乗ってとか色々ありますよね。
当たり前のことを守れなかったというだけです。
一々言わなくてもわかります。
わかりますが、叱る側は言わなくてはいけません。
でもガミガミ怒鳴り散らす必要もない。
ならば、一々言うことじゃ無いことは一々言わずに、でも馬鹿なことをした分は張り手で清算と、単純明快な決算システムを採用すればよい。
美術の先生は、結果的には解決でしたかが面と向かってって感じじゃないので、叱られたというよりも狸に化かされた感があります。
足らず者の私を叱ってくれた方は、他にもたくさんおりますが、あまり長くなりすぎるのもよろしくないので、こんなもんにしときましょうか。
うーん。
叱るって難しいんですね。
叱る事の目的ってのは、そもそも叱られる側の反省とか学習にあるわけですからね。
説教文句を聞いて、自分の中て「おれが悪かった。今度から気をつけよう」とならなきゃ意味がないのです。
「おもしろくねぇ先公だ」なんて思われたら、本末転倒です。
叱る方も叱られる側も疲れるので、効率よくやりたいですよね。
よく「同じ視線で話すことが大切」とか言いますが、私は必要ないように思います。
基本的スタンスとして、叱る方は正しいという前提と、叱る事の出来る立場にいるんですから、上から目線で然るべきでしょう。
ただ、その位置からどうやって心に訴えかけるのかっていうのが難しいのでしょうね。
特に「叱る」という行為が必要な人って、未熟な人の事ですから、その人を常日頃からよく理解してないとなりません。
理解するということは、常日頃から関わりあってないといけないと思うのです。
つまり、うまく叱れないというのは、日頃からそいつと希薄な人間関係であるという原因があると思うのです。
金八さんのような先生は、常に一人一人を見ていますよね。
要は、そういう事なのかな、と無教養な深海魚は思ったのですな。
あはーん?
長くなったので、今日はここまで!