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リアルを求めて

 私はゲームが好きじゃない。

 ここで指すゲームとは、もっぱらテレビゲームの事だ。いや、オンラインゲームも加えておこう。


 ここで誤解の無いように言っておきたい事が一つ。

 私はゲームが好きな人を批判する気も、説教する気も無い。

 むしろゲームは「我々の娯楽文化を支える極めて重要な存在だ」と考えているくらいだ。

 

 ただ自分がゲームに現を抜かしているのが、嫌いなのだ。

 ゲームをしている自分が好きじゃないというわけだ。


 では、私はなぜゲームが好きじゃないか、と言うと理由は単純明快である。


 楽しいからだ。


 何故楽しいのに好きじゃないのか。


 これは私の時間に対する考え方が影響している。

 楽しいとハマってしまう。

 ハマってしまえば、10時間も50時間もプレイしても物足りないものだ。

 私はこれが世界一危険な事だと思うのだ。

 当たり前のようにゲームをプレイして、楽しんで、新しいゲームが出れば買い、自分の時間を注ぎ込む。

 これはよく考えなくてはならない悪性循環だと思うのだ。

 

 誤解の無いように繰り返し言うが、ゲーム好きな人に偏見は無い。

 ゲームを悪く言っているように聞こえるかも知れないが、そういうつもりは無い。

 気にしないで欲しい。

 私の親友にもゲーマーはいる。

 宣教師でもあるまいし、価値観を他の人に押しつけるのは好きじゃないのだ。



 私たち人間は裸で生まれ、裸で死んでいく。

 生まれる時、私たちは唯一時間という財産をもらう。

 この世に生を受け、友人を得て、旅をして、何かを得て、老いていく。


 その過程で、歓喜し、苦悩し、感動し、絶望し、憤怒し、そして朝がまた来て、むくりと起き上がり、水を飲み、鏡を見ればありのままの自分がいる。

 時に疲れた顔で、時に元気な顔で、ありのままの自分がいる。


 そしてその時に気づくだろう。

 自分は何も持っていないと。

 持っている財産は時間だけであると。


 ピカピカの靴も、かっこいい洋服も、楽しい仲間も、本も絵も、死んだ時には持っていけないのだ。

 勿論、ゲームも。

 じゃあ死んだ時に持って行けるのは何だろう?


 記憶?

 思い出?


 多分、その類いだと思う。

 だから私は、狭い部屋に籠ってピコピコカチャカチャなんてやりたくないのだ。

 

 砂漠に行きたい。

 砂漠の夜、満月を見ながらギターを弾きたい。

 素敵なメロディーが作れそうな気がするから。


 雪山に登りたい。

 真っ白な世界の上で、その上の世界を見たい。

 自然の壮大さを肌で感じれる気がするから。


 色んな人と会ってみたい。

 彼らの価値観を人生に取り込んでみたい。

 新しい世界の扉が開く気がするから。


 漠然であるが、そんな風に思うのだ。



 私は人の手の上で踊らされるのが嫌いである。

 あれは、とある狩のゲームをしている時だ。

 私は気付いた。

 どんなにいい素材の防具を作ろうと、所詮はバーチャル世界の出来事であり、これによって自分が得られる事は、ちっぽけな満足感のみ。

 ああ、私は唯一の財産をこんな風に使っていいのだろうか?

 私が死んだ時、閻魔大王に「おれ⚪︎⚪︎装備全部揃えました!」とか「勲章コンプは当然で、とりあえずひと財産築きました(ゲームで)」とかは言うのだろうか?

 まあ元々熱狂的なゲーマーではない。


 そろそろゲーム会社の手の中で踊るのは辞めよう。

 未練は無い。


「ゲームの主人公」が成長することは、決して「私」が成長する事じゃないのだ。

 

 RPGなんて特にそうだと思う。

「主人公のレベル」が上げっても「私」のレベルは上がらない。

 人生の足踏みである気がした。

 

 世界はひどい速度で発展するのに、私はその中にいないのだ。

 置いてけぼりだ。


 即刻、ソフトを抜き取るとゴミ箱に放り込んだ。

 そしてギターを弾いた。


 当時、私の持っていた唯一のアウトプットの手段である。

 一晩中弾いた。

 何かを表現したかったんだろう。

 結局、何も出来なかったが。


 アウトプットは重要だ。

 いつも自分に正直になれないこの時代、何かにおいて自分を表現できる場所やツールが必要だ。

 小説でも演劇でも楽器でもスポーツでも。

 自分の内なる感情をアウトプット出来るものがあれば、ガス抜きが出来るのだと思う。


 次の日からは、大学の授業を真面目に聞き出した。

 自分の中で大きな革命があった。

 その甲斐あってか、後半の成績は全てAだった。

 何てこともない。

 大変な事なんてしてない。

 ただ自分が少しだけ変わっただけだ。


『足踏みはもうしない』

 こう思っただけだ。


 それからは私は人生とは何なのか考える事にした。

 想像力と感性が収縮しては膨張を繰り返す感覚。

 今日と言う日は明日への準備であり、そのまま繰り返す日々の流れは全て私の最後の日への準備なのかもしれない。

 濁流の中で、自分を表現し、疲れたら充電して、また歩き出す。

 なりたい自分になる。


 私の生きる「この時代」の空気を感じ、少しだけ立ち止まり、タバコを吸うのだ。

 青白い煙はゆらゆらと空に登り、空気に溶けていく。

 そしてまた考える。


 海のように広く。

 海のように深く。


 私の提灯の明かりにみんな集まってくるような、そんな人になりたい。


 だから今日も二本の足で地面に立ち、前へ進む。

 人生が終わるその日まで。

 こうして人生の豊かさは増していくのだと私は思うのだ。


ゲームって楽しいですよね!

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