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ほらまた。

している本人すら気付かないその指の動き。

男の人の指のくせにしなやかに長くて細くて、少し骨ばったそれは、見えない夢を奏で続けている。



夕暮れの教室。

誰もいない。

彼だけが、ただ日直の仕事が長引いただけの私をああやって律儀に待っていて。

左手で顎に手を付いて、自分の席に座ったままぼんやりと外を眺めている。

右手は音の出ない机の上を滑らかに舞う。

まるでピアノを奏でるように。

それは彼の癖で、それに気付いたのは最近だった。

けれど彼はまったくそんなことには気付いてもいない。

本人の知らない癖。

本能が叫んでいるんだ、きっと。

廊下からその姿を眺める。

何の色も映らないその瞳には、何か明るいものが見えているのかな。

それとも、トンネルみたいに長く続く絶望しか見えないんだろうか。

私は、気持ちを奮い立たせて扉を開け、教室に入った。


「お待たせ」

「……ああ、帰ろーぜ」

「うん」


ひと呼吸ずれた返事。

私に気が付くと、さっきまでの顔なんてまったく見せない。

努めて明るく振舞おうとする。

そういうフリが上手くなると余計に悲壮に見えるよ、新平(しんぺい)



彼は夢を失った。

一生かけて追い続けるはずだったものを、ある日を境に彼は自分自身で手放したの。

未練なんてあるに決まってる。

でも彼はそんなこと言ったりしない。

そして。

きっとこのままいけば、彼はずっと私のそばにいてくれる。

そう思うから、私も何も言わない。

言ってあげない。


あの事故以来、私たちはそれまでと同じように見えてそうはいられない。

私はそれまで自分の全てだったものを失った。

私の右手中指は、世界を感じられない。

棘が刺さる痛みも、机の表面をなぞったときのざらつきも、水の冷たさも、みんなみんな失った。

だから、流れるように鍵盤の上を踊っていたあの頃はもう2度と戻らない。

彼はそれを自分のせいだと思い込んでいる。

あのときそうしてしまったのは自分なのだと。

だからまだ動くその指を自分で封印した。

いつでも私の望みを受け入れてくれるようになった。

それは彼なりの罪滅ぼし。

そうすることで全て失う辛さを自分も味わって。


でもね、新平。

私は自分でそうしたんだよ。

あなたが手に入るなら、あなたの心を振り向かせられるなら、輝かしい未来なんていらなかった。

ピアノ以外に何も目に入らないなんて、堪えられなかった。

だってこんなにそばにいるのに。

気付いて欲しかった、私の気持ちに。


「さすがに寒くなってきたな」

「うん」

「大丈夫か?ほら、これ」

「……ありがと」


校舎から出た途端に秋の嵐。

落ち葉が渦を巻いて舞い上がっていった。

赤黒い雲が私の心みたいで怖かった。

さりげなくかけてくれた学ランにはまだ彼の温もりが残っていて、泣きそうになる。

自分で望んだはずなのに、時々その無条件な優しさがとても辛くなる。

彼に傷つけられたフリをして本当は私の方が彼を傷つけている。

そんなことあの事故のときには全部分かっていたはずなのに、今更良心が疼く。

彼を手に入れるために、そういう弱いところが出ないように心を鉄のように固く冷やして。

どんなに彼が辛そうでも、情けなんてかけないの。

かけたが最後、新平は行ってしまうから。

それなのにどうしてこんな風にうっかり顔を出すのかな、臆病な私は。

こうやって帰るのももう2年になるのに、どうしてただひたすら家路に着くことしか出来ないでいるの。

本当に欲しいなら、手を伸ばさなくちゃならない。

どんなことをしてでも、掴み取らなきゃいけない。

私はズルをして自分の未来を失う代わりに、望む全てを手に入れられる手はずを整えた。

……どうして、今更。

失望から立ち上がった幼馴染を演じるのが上手くなったでしょう?

もしかしたら私こそ悲壮に見えているのかもしれない。


「なぁ、沙矢華(さやか)は高校どこ受けんの?」

「え……知りたい?」

「……あぁ」


またひと呼吸ずれる返事。

その目が本当は知りたくないって言ってる。

もう私から離れたいって言ってる。

私は気付かれないように息を吐いた。

ダメだよ。

放してあげない。

再び鉄の仮面を被る。


「ねぇ、教えてあげるから一緒の高校行こうね」

「……そうだな」


息苦しさなんて気付かないフリはいくらでも出来るもの。

その目を見たって何とも思わないんだから。

それくらいの強さは持てるはずよ。

だって私は、鉄を被ったあの日に、彼の未来も背負ったの。

彼の未来を奪ったのはこの私。

お互いに傷つけて、傷つけられて。

めちゃくちゃにして、がんじがらめにしておかなければ育てられない私の恋。

その花は、狂ったように咲いている。

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