第二話
お茶の時間が終える頃、今夜泊まる部屋が、用意出来たと、女将が直々(じきじき)に教えてくれた。早速、その部屋へ、一行は向かった。
2階にある割と広い4人部屋のそこは、外見と同じ白壁で、奥の窓際に木製の素朴な茶色の寝台が4つと、扉から入って直ぐの右側には、大人が二人分位の幅の、同じく木製の箪笥、部屋の真ん中に、これも木製の丸いテーブル1つと、お揃いの椅子が、4つ配置されていた。
テーブルには、白い布が買掛けられ、中央に薄桃色の、可憐な花が一輪、彩りを添え、寝台とテーブルの間には、仕切用のベージュの衝立が、申し訳なさそうに立っている。
床は毛足の短い、薄緑の絨毯が引いてあった。寒いこの地方では、一般的な家庭にある物で、綿の様な植物から出来ていて、この地方で取れる物だった。
高級な物と違い、柔らかさはあまり無いが、暖かさは、かなりの物であった。
通された部屋で、各々荷物を置き、着ていた厚手の物を少し薄手の、春先用の物に着替えた。ここから先は、暫く平地になる為だ。
山より暖かい平地を進み、然もこれから向かう神殿は、ここより南に位置している。
「オーガ様、くれぐれも薄手の物を、御召しにならないで下さいね。」
先に釘を刺されたリシェアオーガだったが、神殿で渡された旅用の丈夫な薄手を、既に手にしていた。 それに気が付いたフェリスは、早々に取り換え、今の季節の物を手渡した。
油断も隙も無い行動に、他の二人は苦笑していたが、この二人の遣り取りは、見てて楽しいものだった。
「オーガの周りの人間は、苦労してるんだな。」
笑い交じりの声で、アルフェルトに言われたが、特に苦労していないと答えていた。
向こうの世界では、どの布が、どの季節の物か把握していたので、今みたいな遣り取りはなかったのだ。只、着飾る時は、かなり時間が掛ったな…と、リシェアオーガは思い出していた。
リシェアオーガの周りにいる者達皆が寄って集って、力い~っぱい彼を飾ろうとするので、大変だったのだ。
これは、リシェアオーガの素材の良いさが、原因でもある。
本人、まるで自覚無しだが………。
着替えが終わった所で、一行は地図を広げ、今後の行程の確認をした。
最初の神殿・イリエカ神殿は、この村から南、馬で2日程かかる場所にあった。村からの街道沿いに進めば、着く場所であったが、そこまでは平地、然も草原を走る事となる。
途中には3つの村と2つの町があり、何処で休憩と一晩の宿を取るか、話し合っていた。
この世界の地理を全く以て知らないリシェアオーガは、只3人の話を、地図を見ながら聞いているだけだった。
主に主権を取っているのは、地理に一番詳しいアルフェルトで、合間合間で、ルシェルドとフェリスの意見が挟まれた。
「イリエカ神殿には誰か、神が降臨しているの?」
行程の確認が終盤に近い頃、ぼそりと、リシェアオーガが質問をした。
「確か…月神であるイリーシア様が、いらっしゃいます。」
「月神?光神では無く??」
「光神って?それは一体、何なんなの?」
アルフェルトから返された問いへ、リシェアオーガの代わりとばかりにフェリスが、月神と太陽神を合わせた役割の神だと答えた。それを聞いて、凄いと声を出すアルフェルト。
反対にリシェアオーガの方は、光が月と太陽に分かれている事で、二人もいたら大変だろうと口に出してしまっていた。
彼の疑問に、そうでも無いとルシェルドが教えてくれた。元から2人なので、問題は無いと。
なら、良いと言うリシェアオーガ。
向こうの世界では1人だから、自分がそう思ってしまうのかと、納得した。
「神が降臨している神殿は、かなりの数があります。取り敢えず近い所から、訪問しようと思っています。オーガ様もこの世界の神々に、御尋ねになりたい事が御有りでしょうから。」
フェリスに言われて、無言で頷くリシェアオーガ。
そう彼には、この世界の神々に尋ねたい事があった。特に【巫女に選ばれた理由】は、最たるものだった。
話が一段落すると、アルフェルトがリシェアオーガに話しかけた。
「だけど…オーガのさっきの口調、あれ、物凄く落差が激しいけど…普段から?」
アルフェルトの問いに、リシェアオーガは首を横に振った。
「これは…普通の民人として、接している時に使ってるんだ。普段は、初対面の時の方。
…油断すると、戻りそうであれ、だけど…。」
神官のフェリスが傍にいるので、気を付けてはいるのだが、油断すると戻りそうになると、少々困り顔で付足した。
身近にいてくれるのは、嬉しい事だけど…心配でもあった。
フェリス神官が、傍に居なければ良いのか?と言うアルフェルトへ、それは嫌だと即答する。
「始終、此奴とだけ一緒は、絶~対嫌だ。気が滅入る。
フェリスとアルが、一緒の方が良い。」
神であるルシェルドを指さして、”此奴”と称するリシェアオーガに、アルフェルトは苦笑してたが、当の指さされた本人は、然もあらんと言う顔をしていた。
何せリシェアオーガは、これでも一応、【生贄の巫女】である。
だが、気が滅入るとまで言われるとは、かなり嫌われていると思った。
実際は、そんなに嫌ってはいないのだが、常に自嘲を交えて、自ら【破壊神】と名乗る神に、後ろ向き過ぎると嫌気が差していただけであった。
他にも理由があったが、それは何れ、話る事となろう。
雑談が入り混じりながらの、ルートの確認が終わる頃には、日が傾きだしていた。窓から射す夕暮れの光に、リシェアオーガは目を向けた。
何処にいても変わらないそれは、光溢れる時が終わり、静寂なる闇の時の始まりを告げる為の、一段と美しい光景を奏でていた。それに誘われ、窓辺に近寄るリシェアオーガ。
沈みゆく太陽の美しさに魅せられ、暫し、それを優しい目で見つめていた。アルフェルトとルシェルドは、その姿に見惚れ、声を失くしていた。
この姿を久し振りに見たのであろうフェリスは、懐かしくもあり、喜んだ瞳で彼を見ていた。
そして、心の中で、リシェアオーガと再び会えた事に感謝していた。
もう二度、自分の世界へ帰れない覚悟をしていたフェリスは、再度、リシェアオーガに会える事が出来るなど、思っていなかったのだ。
それ故に彼の心は、今、喜びに満ち溢れていた。
然も、傍にいる事を望まれた、先程の言葉で余計に…。
やがて夕日が沈み切り、闇が深まって来た。それに従い、ゆっくりと変化している物があった。
「オーガ、そ・その髪と目…どうしたのってか、どういう、仕組みなの??」
アルフェルトに指摘され、漸く、自分の髪と瞳の色の変化に気付いた。
太陽の様に煌めく輝きを持つ金髪から、月光の様に仄かな輝きを持つ銀髪へ…瞳も昼の青空から、夜の闇空へ…。
普段の、当たり前の変化だったが、彼の言葉でリシェアオーガは、髪と瞳の色の固定をするのを忘れていた事に気が付いたのだ。
「これは、向こうの世界では【光髪】と【空の瞳】言って、生まれながらにして、光の神の恩恵を受けている証の、一つなんだ。色の固定をするのをすっかり、忘れていた…。」
「へ~ぇ、凄いもんだな。それに綺麗だ。そうでしょう、ルシェルド様。」
「ああ、美しい物だな。」
「ですが、此方には存在しない物なので、普段は御隠しになった方が宜しいかと。」
そうだねと言いつつ、リシェアオーガは、髪と瞳を昼間の金髪と青色に戻した。
そんな芸当も出来るのかと、アルフェルトが驚いていたが、フェリスが出来無い人もいると、返答していた。向こうでも、”髪色を固定する能力(?)”を保有する、光髪と空の瞳の持ち主が稀だと告げた。多くは光の神に頼んで、色の固定を行う場合が多かったのだ。
「…お前は…本当に、不思議な人間だな…。今までの巫女達と…まるで違う。」
ルシェルドの言葉に、当たり前だと答えるリシェアオーガ。
そう、彼の本性は、彼女等と全く異なるもの、違って当たり前だったのだ。
今、この本性を知る者は、彼の世界の【神官】であるフェリスしかいない。
他に知り得る者は、亡くなった今までの巫女達の、魂のみであろう。
まあ、存在していればの話だが…。
夕食の時間になったらしく、女将が2階の、一行の部屋にやって来た。
「アルフ坊、夕食はどうするんだい?」
扉を叩く音の後、開かれたそこから聞こえた言葉に、アルフェルトは今から行くと告げた。
夕食と聞いて、リシェアオーガは嫌~な予感がした。
その予感を感じながら、彼等は食事の出来る、先刻お茶を飲んだ場所に向かった。
全員が空いているテーブルに着くと、料理が運ばれて来た。
山で採れる山菜の盛り合わせと山鳥と思われる肉の香草焼き、川魚の煮物と山菜と香草のスープ…等々。
只…リシェアオーガの、目の前に置かれた料理の量が…尋常ではなかった。
女将の心付けで沢山盛られた料理は、フェリスの2・3倍位ある代物である。然もそれらは、リシェアオーガの嫌な予感が的中した事を告げる。
そう言えば、お茶の時『もっと食べなきゃ、大きくなれないよ。』と、言われた事を彼は思い出していた。
今目の前にある量は、その所為だと気付いたが、如何考えても、リシェアオーガには過ぎた量だった。食べ切れない量を前にして、打開策を考える。そして……
「アル~~~、手伝って~~~、オレ、こんなに、食べらんないよ~~。」
アルフェルトが子供扱いしている事を利用して、上目使い&甘えた声──リシェアオーガはその心算──で訴えった。仕方無いな~と笑い、アルフェルトが助け舟を出してくれた。
その様子にルシェルドも、リシェアオーガの料理を減らしてくれる。
フェリスも少し手伝ってくれたので、何とか、アルフェルトの出された量と同じ位になった。それでもフェリスの1.5倍はあったのだが。
問題は、残った量を完食する事だった。
普段、少量──フェリスの半分の量以下──しか、食べないリシェアオーガにとって、この量でもかなり多い。観念して、食べ始めるが…やはり食べ切れない。
そんな様子を見兼ねてか、ルシェルドが再び手伝った。
彼の食べっぷりを見て、リシェアオーガは心配そうに質問をした。
「ルシェルド様…そんなに食されて、大丈夫なのですか?」
彼の手助けを見ながら、一応敬語でリシェアオーガが尋ねると、大丈夫だと余裕の顔で返答され、尋ねた本人は、ちょっと複雑な気分になった。普通の体格であるあの体の何処に、これだけの量が入るのか、不思議に思ったからだ。
じ~っと見ていると、顔を上げたルシェルドが、如何したと尋ねてきた。
「…あの…何処に、そんな量の食べ物が入るのかと…。」
「??腹だと思うが…? まあ、別に食べなくても済むのだが…。
食べる時は、結構な量を食べるな。」
底無しなのかと考え、自分達と随分違うのだなとも思ったリシェアオーガだったが、今の敵は目の前の食物…。それを集中して食べ切るまでが、今のリシェアオーガに課せられた戦いだった。
悪戦苦闘の末、勝利した事は言うまでもないが………。