第八話
父親の気配が、変わったのを見計らって、リーナと呼ばれた少女は、父親を見つめた。
「お父様。」
呼ばれて頷くジェスクの懐から、少女は離れる。まだ、父親の腕の中にいる片方とも、無言の会話をしたかのように頷き合い、その顔をこちらの神々に向けた。
先程とは全く異なる厳しい瞳で、こちらの神々を見つめる少女に、彼等は不覚にも怯んでしまった。
「初めまして、私は向こうの神々の一人、リルナリーナと申します。
ここに居る貴方々ですね。私が祝福した人間達を、勝手にこちらへ招き、見殺しにしたのは。」
突き付けられた真実に、誰一人声を上げられなかった。目の前の美しい少女が実は、向こうの世界の神、然も、自分達が生贄の巫女として選ぶ人間に、祝福を与えていた者と名乗ったからだ。
勿論、異議を申し立てる者は出ない。
何故なら、彼女が纏う神気が、あの腕輪にあった気配と全く同じだったのだ。
怒りの籠った瞳で見つめながら、リルナリーナは後を続ける。
「それに飽きたらず、今度は私の双子の兄弟、半身であるリシェアオーガを巫女とするなど…私達の世界を馬鹿にしているのですか?
それとも、私達の世界の崩壊を、望んでいるのですか?」
「…崩壊だ…なんて…。」
先程、エルシアに反発していた者から、声が上がったが、リルナリーナの怒りは全く静まらない。
「リシェアオーガは、私達の世界の戦の神、
謂わば、向こうの世界の守護神である身です。
その神を、私達の世界から無断で切り離したという事は、そういう事です。」
真実を話し、集まっている神々へ厳しい視線を送りながら、続きを言い放つ。
「それに加えて、私達兄弟は、命さえも二人で分け合って、生きている者であり、片方との繋がりが切れると、生きられないのです。
貴方々は、私の命も、蔑にしたのですよ。」
「…我等の世界の安定には…替えられない。」
彼等の力無い反論へ、リルナリーナは痛恨の一撃をお見舞いする。
「まず、それが間違っています。
他の世界を犠牲にしてまで、自らの世界の安定を望む…、貴方々は、そんな事をして嬉しいのですか?それは、傲慢ではないのですか?
それと、こちらの禁忌ですが…これこそ、間違いの全てではないのですか?
頼っている異世界の事を知らないなんて、無礼にも程があります。」
多数の質問返しの攻撃(?)に、彼等は怯みつつも、未だリシェアオーガの事を、神と認めようとしない。
「だが…今回の巫女も、貴女が祝福した人間なのでは…。」
「ありません。この腕輪の事を言っているなら、間違いです。
これは祝福の腕輪ではなく、私とリシェアオーガを繋ぐ、謂わば生命の金環です。
…そんな事も気付けないなんて…神としても失格なのでは?」
自らの左にある金の腕輪を見せながら、リルナリーナは言い放つ。彼女が溜息を吐き、うんざりとした様子を見て、今度はリシェアオーガが父親を見た。
「父上。」
真剣な眼差しを向ける我が子に、ジェスクは頷き、その腕を解き懐から離す。
父親から離れ、双子の兄弟であるリルナリーナの隣に、歩み寄ったリシェアオーガは、その肩に触れた。
「オーガ…。」
呼びかけに頷き、リシェアオーガは、自らの神気を完全に解き放つ。
ルシェルドと似通ったそれに、こちらの神々は驚愕した。
「我が名はリシェアオーガ。向こうの世界の守護神・戦の神であると同時に、血塗られた破壊の神でもある。」
告げられた名に、彼等は押し黙った。金色の目は、厳しく彼等を見つめ、そこに怒りを宿していた。
「我が、破壊神にならなかった事に、感謝するが良い。
此方の世界に我が神官がいた事、以前の巫女の召喚で巻き添いになった、我が世界の人間がいた事、我が神官が慈しみ育てた、此の世界の人間達がいた事、其れ等の事柄があった故、我は破壊神にならなかった。」
こちらに向こうの世界の人々がいたからこそ、何もしなかったと彼は告げる。そして、こちらの世界の住人の事も告げた。
「我が母に仕えし者達と同じ、此の世界の大地の精霊達も、我が母と同じ此の世界の大地の神も、我が破壊神にならなかった理由でもある。
彼等の優しき、温かき心があったからこそ、我は、此方の世界を壊す事を止め、護る事にした。」
この二つ事柄は、リシェアオーガが破壊の神に成らなかった理由であったが、破壊神と言う言葉に、こちらの神々は更に驚愕した。
その様子を見たリシェアオーガは、一番強烈な言葉を発した。
「だが、もし、彼等を蔑にするのなら、我は即座に、此の世界を無に帰す。
無論、心優しき者達は、我が世界に避難させて…だがな。」
事実と本音を交えた脅迫擬きを、不敵な笑みを湛えながら、言い放ったリシェアオーガに、彼等は愕然とした。辺りの、驚愕と呆然が支配した雰囲気の中、控えめに扉を叩く者がいた。
「失礼します。」
そう言って、丁度良いタイミングで、フェリスとティルザ、アルフェルトが入って来た。
ティルザとアルフェルトを連れて、入室してきたフェリスは、今朝まで着ていた、向こうの世界の神官の正装を身に着けている。
基本の白い地は変わらず、先程の服で縁取っていた光色の組み紐は無く、替わりに長い四角の袖の両面と上着の前後の裾には、大きく光の長龍の刺繍が施されてあった。額には小さな金色の輝石の長龍と、首元を飾っている長龍は、蜷局を巻き正面を向いて、睨みを効かせていて、腰にも同じく長龍の輝石細工の帯と共に、あの短剣が存在を主張している。
フェリスは、同じく金色の光の龍の文様を身に纏っている、リシェアオーガの許に歩み寄り、こちらの神々に判り易い様、この世界での最敬礼を、リシェアオーガに向かって行った。
静まり返った中での、元大神官の最敬礼…それは彼が、向こうの世界の、唯一仕える神だけに捧げるものだという事を、ここの神々は知っている。
「ファムエリシル・リュージェ・ルシアラム・フェリス。
良くぞ、この世界でも、我が子、ファムエリシル・リュージェ・ルシム・リシェアオーガに、仕えてくれた。感謝する。」
「勿体無い御言葉です、ジェスリム・ルシム・ジェスク様。
私の方こそ不謹慎なれど、この世界で我が神・リシェアオーガ様と再会し、再び仕えられる事に喜び、感謝しております。」
体制を変え、向こうの世界の普通の敬礼──両膝を折り、指を伸ばした両手を胸の上で交差して、お辞儀をする──をしながら、フェリスはジェスクに答える。
「フェリス、不謹慎では無いぞ。唯一の神に仕える者なら、当たり前だ。
我が子も、良い神官を持ったものだな。」
嬉しそうに言うジェスクと、全くだと同意するクリフラール。
当然の事ながら、リシェアオーガは、フェリスを誇らしげに見つめている。
信頼し合う神と神官…その光景を、カルミラとルシェルドは、暖かい目で見守っていた。ふと、ルシェルドが、こちらの神々に向き直り、言葉を発する。
「今回の私の巫女…いや、もう元巫女だな、リシェアオーガに何か、言いたい事はあるのか?」
無言になった彼等は、首を横に振るばかりだった。エルシア達の言っていた事が、偽る事の無い真実だと、やっと判ったのだ。
まあ、百聞は一見にしかずであった。
こちらの神々の了承を、確認したルシェルドは、ジェスクとクリフラールの前に赴き、跪いた。
「御初に、御目に掛ります。この世界の神の一人、ルシェルドと言います。
この度の一件、私とこの世界の安定の為とは言え、そちらの世界に、最大なる御迷惑を御掛けした事を、御詫び申し上げます。
この償いは、如何様にでも、この身に申し付け下さい。」
「ルシェルド殿…だったな。立ちなさい。」
ジェスクに促され、立ち上がったルシェルドの前に、彼は近付き、その両肩に己の両手を置く。
「如何様にでも…と言われたな。」
「はい。」
「ならば、向こうの世界の、初めの七神の一人として、そなたに命じる。
その命を徹して、この世界を護れ。シーラエムル・ルシム・ルシェルド、守護神・ルシェルドと為り、この世界を護る事が、そなたへの罰だ。」
思わぬ命令に、ルシェルドは驚いたが、ジェスクの微笑に、リシェアオーガとの血の繋がりを垣間見た。同じ事を考える親子に感謝し、微笑みながら告げる。
「その罰、御受けします。
この身が果てるまで、この世界を護る事を誓います。」
胸に手を当て、深々と頭を垂れたルシェルドに、一層微笑みながらジェスクは、任せたぞとその肩を叩き、言葉を続ける。
「ああ、ついでに、リシェアを教師として、残して置こう。そなたは守護神として、まだ未熟故、その方が良いだろう。」
「父上、私には、他にやる事がありますが…。」
一応反論をするリシェアオーガに、ジェスクは何かを悟った言葉を返す。
「生誕祭か…一か月半程、先だな。
半月程こちらで指導をした後、一旦帰って、祭りの準備をすれば良い。
今年は特別にするのだろう。その為の他の雑用は、私達に任せなさい。
そうすれば、後一か月の間で、そなた達が残り全てを準備出来ると思うが…。」
気掛かりだった祭りの事を言われ、ある程度の準備を、他の神々へ任せられる事を知った、リシェアオーガは、もう一つの気掛かりを父親へ告げる。
「判りました。それと、今回の件で、巻き込まれた者の中に、存命する者がいる事が判ったので、詳細をナサに、尋ねて貰えませんか?
半月では無理かもしれませんが、出来れば彼等の中で、我等の世界への帰還を望む者は、元の世界に帰してやりたいのです。」
判ったとジェスクは答え、もう一人の我が子であるリルナリーナの方を向く。
「お父様。私は暫く、オーガと一緒にいますわ。
まだ安定仕切っていないし、オーガが無茶しないとは限らないので…ね。」
頼んだぞと、言うジェスクに、はいと、微笑を添え、リルナリーナは答える。
向こうの神々の遣り取りを見守る、こちらの神々を、再びジェスクは見据えた。
「忘れる所だったな。こちらの神々への罰は、我等の世界で、最も知識の豊富な知の神・カーシェイクから、直々の講義を受ける事だ。
我等の世界の事を、知って貰わねばならぬが、それだけでは罰にならない故、説教のおまけを付けてやろう。
正座という物を、しながらの説教だ。良いな。」
さり気無く、向こうで厳しい罰を言い渡すジェスクに、クリフラールも便乗して、言葉を付け添えた。
「禁忌なら、気にしないで良いよ。
こっちでも監視して、何も起こらない様にしてあげるからね。
それと、リシェ、フレィから伝言だ。『私の騎士をよろしくね~♪』だってよ。
折角だから、ここで大ぴらにやってやれよ~。」
こちらの神々への言葉と共に、リシェアオーガへの伝言を告げ、じゃあと、軽く手を挙げ、クリフラールは姿を消した。
ジェスクの方は、双子を再び抱き締め、また来ると言い残して去っていた。




