第四話
翌日、目の覚めたリシェアオーガは、自分の髪を撫でる者がいる事に気が付いた。
普段なら、直ぐに気付く筈の行為だったが、それを行っている少女の気配を、全く感じなかった。
その為、誰がしているか、リシェアオーガは直ぐに判った。
「…リーナ、何時、此処に来た?」
呼ばれた少女は、クスと軽く笑い、夕べにと答える。
長い金の髪を床に広げ、白く清楚な、細身のドレスを着た少女…。
リシェアオーガとそっくりの女性らしい顔立ちと、優しい眼差しを持つ、澄み切った空を思わせる青の瞳、女性らしい体つき…。
身に纏う服は、腰部分で金色の細い帯が二重に巻き付き、膨らんだ長い袖の手首部分と、右首の襟部分には、白薔薇を模した腕輪と飾りがあり、ドレスの裾部分には透かし模様で、白い薔薇と白い百合が、艶やかに縁を飾っている。
そして、左腕には、リシェアオーガと同じ金色の腕輪…二人を繋ぐ証のそれが、輝いている。
「リルナリーナ様…如何して、此処に?」
「ここと向こうが、完全に繋がったのよ。
私はオーガの事が心配だったから、お父様達より先に、様子を見に来たの。」
そう言って、周りを確認した彼女は、フェリスとティルザの姿を捉えた。
「でも、良かった…フェリが無事で居てくれたから、オーガは無茶をしないで済んだのね。ティルも、オーガの手助けをしてくれて、有難う。」
柔らかな、優しく女性らしい澄んだ声が、部屋に響く。リルナリーナの言葉に、フェリスとティルザが、勿体無い御言葉ですと、同時に答えた。
そんな折に、扉から叩く音が聞こえ、フェリスが表を確認しに行った。
そこには、落胆した表情のアルフェルトと、レイナルがいた。フェリスの服装に、一層落胆を深めたアルフェルトの代わりに、レイナルが話し掛ける。
「フェリス様…いえ、フェリス師匠、御時間、宜しいですか?」
彼等の声が聞こえたリシェアオーガは、彼等を部屋に招き入れた。
部屋に入ったアルフェルトとレイナルは、リシェアオーガの傍に、見知ったような感じを受ける、見知らぬ少女が座っているのに、気が付いた。
美しいその少女は、優しい微笑を湛え、彼等を見つめる。
「初めまして、私はリルナリーナ、
リルナリーナ・ルシム・リュージェ・エレルニアラムエシルといいます。
アルフェルトとレイナル…でしたね、リシェアオーガが、お世話になりました。」
軽くお辞儀をし、リルナリーナと名乗った少女は、自分達の名を知っていた。何故と、彼等は思ったが、彼女の続けた言葉で判った。
「あ…御免なさいね。私とオーガは、意識と言うか、心が繋がっているの。その関係で、オーガが見聞きした事をそのまま、私も見聞き出来るの。
だから、ここでオーガの身に起こった一部始終を、私は知ってるのよ。
オーガが、繋がりを制限しなければ…ね。」
微笑みながら、驚愕の事実を伝えるリルナリーナへ、リシェアオーガは、思い付いた推測を口にする。
「…リーナ、もしかして…父上達にも…。」
「ええ、包み隠さず、伝えたわ♪
人間風に言うと、実況放映って、言うのかしら?」
彼女の返答に、リシェアオーガは頭を抱えた。
この分だと、絶対に乗り込んでくる神が、想像出来たのだ。
歯止め役の神が止められるのなら、事態はましであろうが…今回は、止められる見込みが無い。怒りの余り、乗り込んでくる事が目に見えている。
「…ルシェルド達も、災難だな…。」
「自業自得でしょう。知らなかったじゃあ、済ませないから。」
さり気無く、怒りの籠ったリルナリーナの言葉に、リシェアオーガも苦笑する。自身の祝福した者を、無断で奪われたのだから、然も有りえん状態である。
彼等の遣り取りを見ながら、アルフェルトは溜息を吐いた。
フェリスが、向こうの世界へ帰る事がはっきりと確信出来た上で、自分でも如何して良いか、判らなくなったのだ。
アルフェルトの様子に、気付いたリシェアオーガが、彼に声を掛ける。
「アル、随分落胆している様だが、そんなにフェリと離れるのが、辛いか?」
的を得た言葉で、アルフェルトは無言になり、俯いた。そんな彼を横目で見て、レイナルが言葉を返す。
「オーガ殿…いえ、リシェアオーガ様。
その様な言い方は、あまり感心出来ませんよ。」
「ああ、済まない、レイナル。
アルはもう、フェリに会えないと思っているのだろう?だが、それは可能だ。」
「えっ?」
「この世界と向こうの世界は、完全に繋げる。
勿論、人間は許可制で、行き来出来る様になる筈だ。道の整備にそう、時間の掛る物では無いしな。」
リシェアオーガの言葉に、こちらの騎士達は驚く。
リシェアオーガが、神である事を思いだしたアルフェルトは、彼に問った。
「リシェア…オーガ…様。本当に?」
「ああ、まあ、アルは特別になるから、もっと簡単に行き来出来るだろう。
まだそなたに、剣の指南をし尽していないからな。」
「…それって…。」
「もう少し鍛錬をしないと、レイナルにも追い付けないだろう。
故に、我が直々に指南しようと…。」
「じゃあなくて、特別って、一体何ですか?」
アルフェルトの言葉に、少し考えた様子を見せたリシェアオーガが、返答した。
「言って於いた方が、良いか。ルシェルドからは既に許可を得ているが、そなたに受ける気があるのか、尋ねていないからな。
まあ、普通、受ける気が無くても、強引に授ける物でもあるのだが……
……一応、聞いて於く。
アルフェルト・リカエラ。我が祝福を、受ける気が有るか?」
「え…そ…れって・・・」
「我の…異世界の戦神の祝福を、その身に受ける気は有るのか?」
正式な名を呼ばれ、聞かされた言葉に、アルフェルトは驚いた。ティルザが一時的に受けた物を、自分が受ける事となるとは、思わなかったのだ。
困惑しているアルフェルトの背中を、レイナルが思いっきり叩く。叩かれたアルフェルトは、レイナルに文句を言ったが、彼はさらっと躱し、こう告げた。
「向こうの世界の神の祝福なんて、滅多に得られないぞ。
この際、受けておけ。他の騎士達にも、大きな顔が出来るし…な。」
珍しく、砕けた口調のレイナルに、アルフェルトは我に返った。兄弟子の頃の懐かしい口調、それが我に返らせてくれたのだ。
「…リシェアオーガ・ルシム・リー…じゃなかった、……ええっと……、ファムエリシル・リュージェ・ルシム・リシェアオーガ様。
私で宜しければ、その儀、御受け致します。」
真面目に答えたアルフェルトに、リシェアオーガは吹き出した。儀式と言うほど、畏まっていないと告げると、アルフェルトは目を丸くする。
「まあ、儀式にしたがる神官もいるが、普通は、そんなに畏まった物で無く、極簡単な物だ。神が気に入れば施す、そんな物だ。」
「……そんなに、簡単な物なの…?」
脱力して言うアルフェルトに、リルナリーナが追い打ちを掛ける。
「簡単よ。でも、中々得られない物なの。
貴方の様に、神々に気に入られる人間って、かなり少ないから。」
微笑みながら、再び、驚愕の事実を告げるリルナリーナへ、視線が集まった。
リシェアオーガとは違い、優しそうな微笑で、辛辣な事を言いのける彼女は、やはり彼の半身・双子神と言える。
似ていない様で似ているこの双神は、この世界のある意味、厄災かもしれない。
憂いが晴れたアルフェルトとレイナルは、食事を必要とするフェリスとティルザと共に、食堂へ向かった。
目立つという理由でフェリスの服は、袖と上着にある光の長龍の文様の代わりに、光色の組み紐があしらってある、略式の物に替えての行動であった。
リシェアオーガとリルナリーナは、彼と同じ理由で同行を拒否し、部屋に残った。まあ、如何せん、黙って立っていれば美形で通る兄弟故、当然の行動でもある。
然も片方は、こちらに来ている事を知られていないとなると、余計だった。
アルフィートの方も一応聖獣なので、余り食事を必要としないが、ラナル達が気になると言って、そちらの方へ向かった。
留まった部屋で、二人だけになった双子の兄弟は、窓際の壁に寄り掛り、穏やかな時間を送っていた。
「リーナ、向こうにいなくて、大丈夫か?」
「大丈夫よ。事が終っているけど、実況放映かしら?は続いてるから。」
その言葉で、彼女が水鏡を用いていて、これを流している事に気付いた。
ふっと、大きな溜息を洩らし、抜かりないなと呟く。
「だって…一刻も早く、オーガの傍に、行きたかったんだもの。
フェリがいたから、オーガは少し安定気味だっただけで、オーガと私が、かなり不安定になっているの、判ってたから。
もう、お互いが傍にいないと、駄目って、気付いていたし…。
それに、オーガの不安定さの原因が、私との繋がりの欠如と、この世界のお莫迦さん達の所為なのは、確信出来てたの。
勿論、この事を含めて、お父様には言っておいたから、オーガにお叱りはないと思うけど………随分心配されていたわ。」
リシェアオーガの右肩に寄り添い、繋がりの証しの金環がある手を繋いで、リルナリーナは淡々と答える。そうか、とリシェアオーガは短く返し、リルナリーナの頭に己がそれを預けた。
しっかりと握られた手と密着した体から、リルナリーナの纏う気がリシェアオーガのそれに触れ、リシェアオーガの纏う気がリルナリーナのそれに触れる。
気配が混ざり合う中、彼等はお互いの意識を、心を、一つにする。
母の胎内で一緒だった二人は、こうして意識と心を繋ぐ事によって、お互いの安定を保っていた。
向こうの世界では、二人のいる場所が離れていても、常に意識と心は繋がっていた。そして、何時もなら世界を隔てても、お互いの腕輪を通して繋がってはいた。
だが今回は、世界が閉じていたお蔭で、繋がりが薄く、お互いが不安定にならざる負えなかった。
死を覚悟した断絶故に、新たに世界が繋がった今、本人達の繋がりを更に、強めざる負えなくなっていたのだ。直接の…手と手の触れ合いを以てして、行われる安定が必須。
そこまで彼等は、不安定になっていたのだ。
従者達が其々の理由で退出し、静寂に満たされた部屋の中で、瞳を閉じ、無言で佇む双子の許に、招かざる客が来訪した。




