第三話
一方、ティルザの方は、主である姫のリリアリーナが、その場に無言で佇んでいた。彼女は、ギェラムト姉弟とリシェアオーガの会話が終わるまで、待っていたのだ。
恐らく憧れのルシフの王に、声を掛けたかったのだろう。会話が終わり次第、リシェアオーガの許へ、ティルザを従えて来た。
『お久しぶりです。ルシフの王・オルガ様…
いえ、今は、リシェアオーガ様ですね。』
貴婦人特有のお辞儀をし、リリアリーナは、リシェアオーガに話し掛ける。ティルザは黙って姫の後ろに控え、事の顛末を見定めようとする。
「久しいな、リリア。
…大きくなったな。騎士を従え、王族としても、成長したのだな。確か、最初で最後の邂逅が…5歳の時か。」
『はい、リシェア様も、お変わりなく…少々、羨ましいですが。』
優しい微笑を浮かべ、昔を語るリシェアオーガに対して、はにかむ様な微笑を添えた彼女は、リシェアオーガと再会の挨拶をする。
『実は、リシェア様にお願いがありまして、ここに残りました。』
「リリアの御願い…か。何だ?」
優しい微笑を浮かべたまま、半身の愛し子に尋ねる。
『ティルザを…私に仕えてくれた騎士を…お預けしたいのです。』
「姫!それは・・・!!」
ティルザの叫びに、リリアリーナは振り向き、彼に向かって言葉を掛けた。
『ティルザ。今の貴方は、私の騎士としての使命を終えています。
ですから、私の後を、この方にお願いするのです。』
彼女の言葉に騎士は諦めたような、気落ちした声を出す。
「姫…私は、用無しなのですか?」
『いいえ、貴方は、私を護るという使命を、全うしました。
ですから、あの時より貴方は、私の騎士として死に、新しく生を得たのです。』
姫の言葉にティルザは、言葉を失くし、呆然としたままその場で動けなくなった。ずっと、主である姫を護れなかった自責の念が、今の言葉で完全に覆されたのだ。
彼女はティルザの態度に気付き、そのまま言葉を続ける。
『ティルザ…貴方はもう、私の事で自分を責めないでね。新しく生を得た貴方は、リシェア様の許で、私の分まで、この方のお力になって…。
お願い。』
珍しい元主からの、無理のないお願いに、ティルザは聞かない訳に行かなかった。
「…姫の御願いじゃあ…断れませんね。
判りました。新たに主を見つけるまでですが、オーガ様の御力になりましょう。
…リシェアオーガ様、宜しいですか?」
ティルザの決心に、リシェアオーガは頷く。それを見て、安心したリリアリーナ姫は、他の巫女と同じくリシェアオーガの腕輪に戻った。
事の次第の一部始終見ていた、こちらの神々、特にエルシアは、リシェアオーガが向こうの世界の神と、認めざる負えなかった。
巫女達に向ける、慈悲の籠った微笑みと眼差し…今まで厳しい顔しか、見た事の無いエルシアにとって、それは驚愕の物だった。
神の慈愛の表情…それが現れたリシェアオーガの姿は、神がそこに降臨しているとしか思えない。この為、無意識に、エルシアの口から言葉が漏れる。
「リシェアオーガ、今までの数々の無礼、申し訳ない。
知らないとはいえ、失礼ばかり働いていた。
フェリスにも、申し訳ない事をした。自身の仕える神を、目の前で蔑まされるとは、気分の良いものではないだろう。」
エルシアの、心からの初めての謝罪に、リシェアオーガ無言で頷く。フェリスもリシェアオーガに続いて、向こうの世界の、普通の敬礼をした。
「エルシア様。判って頂けて、嬉しいです。
向こうの世界の私達、唯一の神に仕える神官は、自ら望んだ神に仕える事を、誇りにしています。勿論、多く神に仕える神官達も…同様です。
この事は、此方の世界の神官と神殿騎士、聖騎士と同じなのです。神仕える彼等の想いも、判って頂けた様で…嬉しいです。」
「そうだな。レイナルも、同じ事を言っていた…。」
エルシアの聖騎士の事を言われたフェリスは、己の伝えたい事を再び口にする。
「レイナル様…、いえ、レインは、私の愛弟子です。如何か、宜しく御願いします。
ルシェルド様、アルフェの事を、宜しく御願いします。」
判ったと、両者から、短い答えが帰って来た。
それを確認したリシェアオーガが、ルシェルドに近付き、自らの剣から紋章を取り、差し出す。
「預かり物を返して於く。
我はもう、そなたの聖騎士では無い。無論、巫女でも無い訳だが…。」
渡された紋章を受け取り、ルシェルドは、溜息を吐いた。これでリシェアオーガとの繋がりは、完全に無くなったと言えよう。
そうだなと、残念そうに言う彼に、リシェアオーガはその外套を引っ張った。
「少し屈んでくれ、手が届かない。」
如何せん、背の高さが違い過ぎるルシェルドとリシェアオーガでは、手の届く範囲が違う。ルシェルドが立った状態では、リシェアオーガの手は彼の胸に届くか届かないかの位置である。
リシェアオーガの言う通りにルシェルドが屈むと、元巫女は彼の外套から紋章を取り去り、紅い紋章の留め具の代わりに、新たな留め具を付けた。
金色の龍の留め具…イリューシカの街で彼が、お土産と称して買った物だった。
買った時に黒ずんでいたそれは、リシェアオーガの手で、元の金色の輝きを取り戻し、瞳の青を一段と引き立てている。
新たに留められた金具を、ルシェルドは指で触れた。
そこにはリシェアオーガの、力強い気が感じ取れる。
「此処の紋章を真似してみた。
まあ、その留め具は市販の物だが、我の象徴の神龍だった故、我の気を宿らせた。この市販品も、中々の出来だと思うが…如何だ?」
「…良い出来だと思う…。」
「時間があれば、一から作って渡せるのだが、今は無理だ。
間に合わせになるが、渡して於く。近い内に、新しい物を作って渡す心算だ。
…この紅い紋章は、今のそのなたには似合わない故に…な。」
破壊神では無いと、断言したリシェアオーガが、ルシェルドに新たな紋章として、金色の龍を贈った。
北の地方で、手練れの騎士達が好んで付ける金の龍の文様…それは今の、守護神としてのルシェルドに相応しいと、リシェアオーガは思ったのだ。
「…リシェアオーガ…オーガと、お揃いか…。」
「我と御揃いは、嫌か?ルシェルド。」
「いいや、嫌じゃあない。寧ろ嬉しい…だな。」
傍から見れば、蕩ける様な微笑を浮かべたルシェルドは、リシェアオーガから貰った金具を、愛おしそうに指でなぞる。その様子に、エルシアは頭を抱え、ウォルトアは引きつった笑みを浮かべていた。
珍しいルシェルドの、惚気た笑みを目の当たりにして、毒気を抜かれた様だ。
そんなルシェルドの右腕を、リシェアオーガが掴んだ。そして、貴人に対して騎士が行う様に、その手の甲に口付けをする。
『我、ファムエリシル・リュージェ・ルシム・リシェアオーガは、今此処に、この世界の、シーラエムル・ルシム・ルシェルドの誕生を祝福する。』
告げられた言葉・言霊に、ルシェルドはおろか、エルシア、ウォルトアも驚き、エルシアが、その言葉の意味を尋ねる。
「リシェアオーガ、それは向こうの神聖語か?意味は何だ?」
「シーラエムル・ルシムは、神聖語で守護神の事だ。
我がそう呼ばれる場合は、間に母と父の名が入り、シーラエムル・リュージェ・ルシム・リシェアオーガとなる。」
滅多に呼ばれない名前だが…と言うリシェアオーガに、彼の役目がどの様な物か、エルシアは理解した。
カルミラ達が言っていた、神々の収拾の重要性がやっと判ったのだ。
「ウォルトア、皆の収拾をすぐに行う。それと、リシェアオーガに頼みがある。」
「何だ?」
「先程のルシェルドの祝福を、こちらの神々の前で、やって欲しいんだ。
ルシェルドが名実ともに、破壊神から守護神になった事を、認めさせる為に。」
エルシアの言葉に、承諾して頷くリシェアオーガだったが、祝福と聞いて、ふと、過った事をルシェルドに伝えた。
「ルシェルド、そなたに聞きたい事がある。」
「…何だ?」
「アルに…アルフェルトに、我が祝福を、与えて良いか?」
「アルフェルトに…か?何故、私に断りを入れるのだ?」
「アルは、此方の世界の人間で、ルシェルドの神殿の騎士故、我が祝福を与えるには、そなたの承諾が必要と思ったのだが…違うのか?
向こうでは、他の神と関わりの有る者なら、事前にその神から、祝福を与える為の承諾を得るのが、当たり前だ。その為、尋ねたのだが…。」
納得したルシェルドから、リシェアオーガは、アルフェルトの祝福の件の承諾を得た。
そう言えばと、ウォルトアがティルザの左腕を見る。
そこには既に、腕輪が無く、疑問に思ったウォルトアは、リシェアオーガに問った。
「ティルザの腕輪が、ないんだけど…如何した?」
「ティルザは、炎の神・フレィリーの剣の担い手、即ち、炎の神の騎士の為、彼女の承諾無しで他の神は祝福が出来無い。故に、一時的の祝福だった。
その方が、あ奴等の壊滅の為の手数を増やせると思って…な。」
「そうなんだ…。残念だったな。」
神の祝福を受ける事が、容易で無い事を歴代の巫女達で、彼等は知っていた。しかし、ウォルトアに同情されたティルザは、落胆の様子を見せなかった。
不思議に思ったウォルトアが、ティルザに問うが、秘密ですと、意味深な言葉が帰って来る。後で判りますよという、付足されたティルザの言葉にウォルトアは、それならと納得した。
お休みの言葉を告げ、彼等は、リシェアオーガ達の部屋から退出した。
再び静けさが戻った部屋で、向こうの世界の住人達が、束の間の休息を取った。翌日には、騒ぎが大きくなると判っていたので、珍しくリシェアオーガも眠っている。
その寝姿を、静かに見つめる者がいた。
気が付いたアルフィートは、その人物に声を掛けようとしたが、人差し指を口に当てられ、静かにするよう、指示を受けた。
白いその人物は、リシェアオーガの傍に座り、見守るかのように佇んでいた。
優しくリシェアオーガの髪を撫でる、少女の様な女性…彼女は、リシェアオーガの服の月光の銀龍全てが、太陽の黄金龍に変り、彼が目覚めるまで、そうしていた。
※補足:ティルザの姫の名前・リリアリーナですが、リルナリーナに因んで、二文字違いとなっています。
親御さんの、愛と美の神の様に美しくなって欲しいという、願望が籠っている代物です。
実際、リルナリーナに気に入られ、更に美しくなっていますよ~。(既に亡き人、幽霊さんですが。)




