第二話
アルフィートに凭れ掛かり、思いっ切り寛いだ様子のリシェアオーガを見て、ルシェルドは再び謝罪した。
「リシェアオーガ、休んでいる処、無理を言って済まない。
エルが如何しても、尋ねたいと言って、聞かなかった。」
「明日でも良いのに~ね。エルシアも、融通が利かないんだから。
で、騒がせて、御免なさいね。」
「構わない。
其処の馬鹿にも、言って於かなければならないのなら、早い方が良いだろう。」
「…おい、態度が今まで以上に、デカいんだけど…。」
エルシアの言葉でフェリスが反応し、一層、不機嫌な顔をかの神へ向ける。向けられた憤怒と軽蔑の眼差しに、一瞬怯んだが、一応神である為、睨み返す。
フェリスの様子に気付いたリシェアオーガは、フェリスに事の次第を任せた。
「エルシアの聞きたい事は、我の事だろう。なら、フェリスに任せる。
…暫し休む。」
一つ、大きな欠伸をしたリシェアオーガは、体を完全にアルフィートに預け、その瞳を閉じた。彼の態度で、エルシアの怒りは増したが、フェリスがオーガを護るかの如く、行く手を阻んだ。
「エルシア様には、言っておきたい事が、沢山あります。
それは勿論、オーガ様…いえ、リシェアオーガ様の事です。」
話の口火を切った神官は、今まで心の中に、押し止めていた文句を言い始める。
「これ以上、我が神を蔑む事は、御止め下さい。
リシェアオーガ様に仕える者として、大変不愉快です。その言動も行動も無礼過ぎるので、出来れば正して頂きたいものです。
我が神は自らの役目上、常に平穏で御過ごし出来無い御方です。その短い平穏な時間を、こんな無駄な事で減らすなど、言語道断です。
もう我が神の手を、煩わせないで頂きたいのです。」
既に隠す必要が無くなった為、リシェアオーガを自分の仕える神として扱うフェリスを、エルシアは只見つめていた。目の前の神官の言葉で頭の中が混乱し、視線を動かす事すら、出来なくなっていたのだ。
そんな中、フェリスの言葉は、まだ続いていた。
「それと、これは私からの苦言ですが、向こうの世界を守護される御方が、こんな…強いから、美しいからと言うくだらない理由で、然も、喪われる巫女としての召喚なぞ、して頂きたくなかった。
ルシェルド様がもう、巫女を必要とされないので、喪う心配は無くなりましたが、それが判るまで、私は…。」
言葉に詰まったフェリスを、何かが包み込んだ。
銀色の糸が彼の肩に掛り、細い腕が力強く、その体に回される。
「フェリ…、ファムエリシル・リュージェ・ルシアラム・フェリス…我が神官よ。
もう良い。こんな馬鹿を相手に、意見を述べるのは、時間の無駄だ。」
眠っていた筈の、リシェアオーガの辛辣な言葉に、エルシアは絶句した。
知った事実もそうだったが、リシェアオーガの言葉も、かなりの打撃を与えたのだ。
ファムエリシル・リュージェ・ルシアラム・フェリス…。
リシェアオーガの名乗った名前が、リシェアオーガ・ルシム・リュージェ・ファムエリシル、向こう風に言うと、ファムエリシル・リュージェ・ルシム・リシェアオーガ。
つまり、彼等の名に、一致する言葉があるのだ。ルシムとルシアラムの違いは、エルシアには判らなかったが、一目で血族でないと判る、彼等の姿と態度…。
人間である彼等に、何故、支従関係があるのか…。
この世界には、王族と神官にそれは無い。
エルシアの可愛そうなお頭は、混乱の極み状態にあり、リシェアオーガの【我が神官】という言葉が、耳に入らなかった。そんなエルシアの事など、お構いなしに、リシェアオーガとフェリスの会話は、続けられている。
「判りました、リシェアオーガ様。騒がしくして、申し訳ございません。」
「いや、良い、フェリ。…エルシアには、言って於きたい事がある。
此処にいる我が神官と我が従者に、何ら害をなすのなら、我が許さぬ。」
混乱の最中にあるエルシアへ向けられた、リシェアオーガの厳しい金色の瞳に、彼は気迫負けした。強い怒りが籠った双眸は、真っ直ぐに己を見つめ、偽る事の無い神気を、更に大きく感じさせる。
漸く、たった一つの答えに辿り着いたエルシアは、ゴクリと息を呑んで、やっとの思いで言葉を綴る。
それ程、リシェアオーガの纏う気が強く、恐ろしかったのだ。
そう、黙らされたあの時の様に。
「嘘だろ…それとも…騙した…のか?」
「嘘でも、騙してもいない。最初から名乗っている。
自ら二つ名、リシェアオーガ・ルシム・ファムアリエ。
フェリスから本来の呼び名、リシェアオーガ・ルシム・リュージェ・ファムエリシル。
どちらも我が世界の神聖語で、我を示す。
破壊の神・リシェアオーガと、戦の神・リシェアオーガだ。」
「は…破壊神…だと。」
エルシアの言葉で、直ぐにフェリスは、厳しい声で反論する。
「エルシア様。我が神は、破壊の神ではございません。
向こうの世界の守護神、戦の神にあらせられます。決して、御間違えない様に。」
フェリスの言葉を聞いても、未だ信じきれないエルシアの目に、リシェアオーガの袖口が映った。黒い袖口には、フェリスの肩にある飾りと同じ、銀色の…龍と呼ばれる幻獣の装飾…。
そして、自分を厳しい視線で、見つめる銀色の瞳。
「光色の…龍……」
エルシアは思わず、この言葉を口にした。
それに反応したフェリスが、自らの肩の留め具に手を添え、説明をする。
「この龍は、オーガ様…いえ、リシェア様を現すものです。
神龍の王・黄金と菁銀の光龍…リシェア様の、もう一つの御姿です。」
「もう一つの…って、リシェアオーガ殿って、龍にもなれるの?!」
「龍の姿にもなれるが、本来の姿では無い。
その為、著しく力を消耗する。元々龍の姿の神龍達とは、違うのでな。
神龍の王として目覚める前に、神としての役目を受けた故、龍の姿は本来の姿になりえない。龍は…神龍は、神々の僕であるから…な。」
ウォルトアの問いかけに、リシェアオーガは素直に答える。
そう、彼が本来の姿といえる今の姿から、神龍の王として光龍の姿になる時には、自身の力を著しく消耗する。
神としての役目と、神龍の王の役目を兼任する彼にとって、余り芳しくない事であったのだ。
その為、自らの役目を重視する余り、その姿を取る事は滅多に無い。
力の消耗は、いざと言う時、必要最低限の行動までもが、出来無くなる故に…。
神龍と言う言葉に、エルシアは首を傾げた。
後で説明すると、ルシェルドが耳打ちしていた。
「という事は、これって、リシェアオーガ殿の正式な服なわけ?」
まだ、興奮冷めやらぬウォルトアの質問に、リシェアオーガは答える。
「これはルシム・ラムザ・シアエリエすなわち、神龍の王の正式な服だ。
神としての服は、かなり浮世離れしているから、此方にした。」
「浮世離れ??ええっ、そんなに変なの?」
「装飾が多過ぎるのです。リシェア様に係わらず、向こうの神々の正装は、装飾が多く、華美な物が主になります。ですから、リシェア様も、此方になされたのだと思います。」
「簡素な物にすると、威厳が損なわれると言われる故に…な。」
あれは簡素過ぎなので、当たり前ですと言うフェリスの突込みで、ルシェルドは、その簡素な服がどの様な物か、想像出来た。
動きやすさ、着心地重視で、装飾無しの質素な物。
リシェアオーガらしい物であろうが、周りには、そこらにいる只の庶民の少年にしか、見えないだろう。
実際の所、その通りなのだが…。
ルシェルドの姿で思い出したのか、リシェアオーガがフェリスから離れた。
「ルシェルド、今までの巫女達が、そなたと話したがっているのだが…
……会うか?」
告げられた言葉に、ルシェルドは躊躇したが、彼女等の言葉を、受け止める覚悟を決めた。例え、恨み言であろうと、それを語らせる原因を作った自分の、彼女達への償いと思ったのだ。
エルシアとウォルトアは蒼褪めたが、当の本人が頷いた事によって、静かに傍観する事に決めたらしい。
ルシェルドの承諾を受けて、リシェアオーガは言霊を綴る。
『我と半身を結ぶ腕輪に、宿りし者達よ。
今一度、浮世の姿を映し、此処に出でよ。』
唱え終ると、リシェアオーガの右腕にある腕輪から、大量の白い霧が出て来て、人の姿に変化した。
歴代の巫女の魂…あの女から引き剥がされた時は、形の定まらない白い影だった物が、若干透けているものの、今、はっきりと、その生前の姿を現したのだ。
十何人いるであろうか、彼女達の姿に、ルシェルドは、息を呑んだ。
聞かされるであろう悪態に、覚悟を新たにした。
…が、彼女達の顔は、全て穏やかであった。
『『ルシェルド様。御久し振りです。御体はもう、宜しいのですか?』』
聞こえた第一声に、ルシェルドはおろか、エルシア、ウォルトアまで驚いた。聞かされるであろう、恨み辛みとは反対の言葉が、彼女達から聞こえたからだ。
「お前達は…私を恨んでいないのか…?」
『『はい、御恨みなど、一切しておりません。私達は寧ろ、感謝しております。
貴方様に愛され、愛した事に、恨み等ございません。
私達は、リルナリーナ様の祝福を受けた者。愛に生き、愛に死ぬのが、自らに定められた運命の一つ。
ですから、貴方様には感謝をしても、御恨み致しません。』』
意外な言葉に、ルシェルドは、何も言えなくなった。その様子に、リシェアオーガが声を掛ける。
「リーナの祝福を受けた者は、愛情深き者が多い。
嫉妬より愛する事を優先とし、愛する者の幸せを願う。
故に、そなたへの恨み等は無い。そのなたの心配の方が、先に立つ。」
「…リシェア…オーガ…。」
「故に彼女達は、ルシェルドに会いたがった。
自分の愛した神が、幸せであるのか、確かめたかった。」
リシェアオーガの言葉に彼女達は頷き、ルシェルドに微笑み掛けた。
彼女達の、生前と変わりない微笑に、ルシェルドは答える。
「私は、大丈夫だ。
リシェアオーガのお蔭で、これからは生贄の巫女を必要としない。
だから…もう、憂いはない。」
微笑を返しながら言う、ルシェルドに、巫女達も安心したらしい。リシェアオーガに声を掛け、彼が掲げた腕輪の中に還って行った。
そんな中、二人の巫女が、未だここに留まっていた。留まった巫女に、エルシアとウォルトアは身構えたが、リシェアオーガは、その名を口にした。
「リリアリーナ・フォールライア・シエアノ・グラン・マレーリア。
そして、クレスフィア・ファムレ・ギェラムト。
そなた達の会いたい者に、会うが良い。」
微笑みながら言う、リシェアオーガの呼び掛けで、二人の巫女がその顔を上げた。
その途端、フェリスとティルザの声がする。
「姫!」
「…あ…姉上…」
驚く二人に、彼女等は、自分を呼んだ者の前に移動して、慈しむ様に微笑み、彼等と話し出す。
『フェリ…ごめんなさいね。あなたを、巻き込んでしまって…。
辛かったでしょう?』
亡き姉の魂の、労いの言葉に、フェリスは微笑みながら返事をする。
「いいえ、姉上。確かに、残された時は、辛い事もありましたが、私は大丈夫です。
今は、リシェアオーガ様の御傍に、戻れましたから。」
フェリスの返事と共に、リシェアオーガも己の心内を、クレスフィアへ暴露した。
「フィア、不謹慎だが…我は、フェリが巻き込まれた事に、感謝している。
フェリがこの世界にいなければ、我は完全な破壊神に、成り下がっていただろうからな。…怒りの余り、召喚されたその日にこの世界を壊し、我が世界に戻っていた事であろう。
この世界の優しき住人達を、無下にして…な。」
リシェアオーガの言葉を受けて、クレスフィアは驚いた様子で、彼へ話し掛ける。
『リシェアオーガ様。
…そこまで、弟を必要として、いらっしゃったとは、思いませんでした。』
意外だと言う感じの、彼女からの声に、彼は真剣な眼差しで応じる。
「フェリ…フェリスは、大切な我が神官。
我の怒りは、我等の世界の神々以外で、七神の神官と我が神官、ルシフの民人でなければ収められない。
只、それだけだ。
だが、それ故に我は、傍にいる事を切に望む。」
『リシェアオーガ様、有難うございます。これで、…弟の苦労は報われます。
…自ら望んで仕えた神から、傍にいる事を望まれるのなら…。』
深々と頭を垂れ、フェリスの姉は、弟に別れを告げる。
一言リシェアオーガに、弟を頼みますと、言い残して…。




