第五話
宛がわれた自室に着いたリシェアオーガは、後を追って来た、フェリスとティルザに振り返った。
「フェリス、ティルザ…」
「一人にしろって、命令は、聞けませんぜぇ。」
「ええ、私も、聞きませんよ。」
違うと、リシェアオーガは、彼等の即答に否定しする。
「我は今、そなた達が傍にいる事を望む。
…我の世界の者…我が神官と、我が仮の従者よ。」
頷く二人に、安堵の微笑を浮かべたリシェアオーガは、自らの剣と竪琴を呼び、その傍らに座す。竪琴を再びフェリスに渡し、弾く様に頼んだ。
フェリスが弾いたのは、あちらの世界の詩。
大地の神と光の神の夫婦を湛える詩と、その夫婦に関する、謂わば馴初めの詩。
美と愛の神や知の神、生命の神を讃える詩。向こうの世界の神の纏わる、ありとあらゆる詩を、フェリスは、奏で、詠う。
オーガは、その心地よい咏声に耳を傾け、ゆっくりと瞳を閉じる。ティルザも、扉の横に座って、その詩を聞き惚れている。
トントンと軽く扉を叩く音がして、詩が中断されるまで、それは続いた。
無粋にも中断したのは、ファンレムとルシェルドだった。
「リシェアオーガ、御免。馬鹿兄が、酷い事をした。」
涙ぐんで謝罪するファンレムへ、リシェアオーガは無表情で手招きをした。
きょとんとして、行くと横に座る様、指示される。
それにして従い、リシェアオーガの横に座ると、今度はルシェルドが謝罪した。
「知らない事とはいえ、お前には酷い事をした。
巫女になる事で、自分の愛している世界が滅ぶなど、怒るのも当然だ。」
「謝ることは無い、ルシェルドとファンレムは、何も悪くない。
悪いと思われるは考え無しのファンレムと、そなた達の禁忌だ。だが、召喚された以上、我は両方の世界を救いたい。この世界にも、愛着が湧いているのでな。
ルシェルドを安定する方法は…他にあると思う。」
リシェアオーガは、自分が自分である以上、別に方法があると思っている。
巫女である事を利用した方法と、もう一つ。
…それを実行に移すまで、成功するか判らない。
その事を確かめる為、今度はルシェルドを手招き、自分の目の前に座る様、指示して、その手を取る。
何かを確かめる様に目を閉じて集中し、推測した通りの答えを導き出した。
「ルシェルド、
そなたは自らの力を否定する余り、無くなれば良いと思っていないか?」
「ああ、思っている。」
「故に無意識で、自らの力を消している。それが、そなたの現状だ。
それ故力が無くなると、飢えが意識を支配し、新たなる糧を求める。」
意外な言葉にルシェルドは驚き、目を見張った。一度も考えた事の無い自らの事を、リシェアオーガが語ったのだ。
真実かと問うと、リシェアオーガは頷き、話を続けた。
「今までの糧では、何百年かの周期で、満たされた力が完全に無くなる。自然に回復して補う力より、消す力の方が、強く大きい為だ。
一つ、言える事は、ルシェルド、自らの力を否定するな。
この力は、この世界を護る為に使える物。いざという時に、それが無いのでは、如何する事も出来無い。」
リシェアオーガの言う事は、ルシェルドの心の中にゆっくりと浸透して行く。
壊す力を護る力と言う、リシェアオーガ。
その強い眼差しには、一片の曇りもなかった。
今まで自分を利用しようとする輩は、澄んだ瞳など持たなかった。邪な心が見え隠れして、瞳に、それが曇った形で、現れるからだ。
信じてみたいと、思った。
巫女を喰わない方法があるのなら、その方が良い。
意を決して、リシェアオーガに問うと、試してみると呟いた。
ルシェルドの意思が勝ったようで、無意識の力の消去は無くなっている。それを確認すると、リシェアオーガは、繋がっている手を通して、自らの力を送る。
流れ込んでくる力で、ルシェルドは驚いていたが、リシェアオーガは、予想以上の結果に喜んでいた。
「如何やら、我の力との相性は良いらしいな。良く馴染んでいる。
…若しかして、美と愛の神・リルナリーナの守護を受けた者が、そなたの巫女になるのは、これと関係があるのかもしれない。」
力を分け与えながら、しみじみと語るリシェアオーガは、今までの経緯と自分の考え、そして、向こうの事実を教える。
「ルシェルドの持つ力は、かの神のそれとは異なる物だが、巫女になる女性は必ず、かの神の祝福を受けた者。恐らくは、かの神を通じて、ルシェルドと同じ力を持つ、神の力を得ているのだろう。
同じ力を持つ神と美と愛の神は、双子神であり、常に繋がっている。まあ、リルナリーナ神の双神の祝福は、女性に受け難い物でもある。」
「受け難いもの?」
女性に受け難い、神々の祝福があると、初めて聞いたルシェルドは、それを復唱する。
これに、リシェアオーガが頷き、答える。
「かの神は、戦の神。
故に祝福は女性より、男性の方が圧倒的に多い。武器を扱う女性は少ない為だ。
逆に美と愛の神の方は、女性が多い。
美しいと思われたい男性は、少ない為にな。」
言えて妙な事を、リシェアオーガは告げる。今までに男の巫女などいない。
だから、リシェアオーガの初見に、あれ程、周りが騒いだのだ。
実際の処、リシェアオーガは男でも女でもある訳だから、特に問題は無いが。
不意に、ルシェルドがリシェアオーガの手を離した。手から流れてくる力を取り過ぎたと、思ったからだ。如何したと、聞くリシェアオーガに、体は、大丈夫かと聞き返す。
すると、笑みを零し、あれ位は何とも無いと、返してきた。
「我は力を否定していないし、此処は大地の気に溢れている。
その気を糧に、幾らでも、自らの力を増やす事が出来る。」
本当は先程の結界の破壊して、その力を取り込む事もしたのだが、余計な事を説明しなくて済む様に、それは言わないで置いた。
再びルシェルドの手を取ると、リシェアオーガは力の譲渡を再開する。
そして、自らの休息を取る為、ある程度で止めた。
思った通り力の器は大きく、一度では満載にならなかった。それを見越しての行動だったが、あまりにも力が馴染むので、与え過ぎないように気を付けた。
「…不思議なものだな。リシェアオーガの力が、私に馴染んでいるなど。」
「我の力は質的に、ルシェルドのそれと、似ている。護る為の破壊なら、良くやる。
………先日の闇の様に。」
先日の闇と聞いて、ファレルアが、きょとんとして、リシェアオーガとルシェルドを見る。
知らないファレルアに、ルシェルドが詳しく説明した。
間々に、フェリスの説明も入り、ファレルアにも判り易かったようだ。一方、同じ事をカルミラが、自室で双子の兄・ファンレムにしていた。お説教ついでの話だったらしい。
まあ、自業自得と言っても過言で無い…。
「そう言えばファレルアは、カルミラの説教を聞いているのでは、なかったのか?」
リシェアオーガの問いに、馬鹿の方が先になって、お咎め無しになったと、告げる。そうか、良かったなとリシェアオーガが言って、ファレルアの頭を撫でると、彼は少し嬉しそうな顔をした。
随分懐いたなと、ルシェルドは思った。ファレルアが、こんなに懐くのは、ルシェルドとイリーシア、カルミラと、後、片手で足りる程であった。
尊敬しているルシェルドに似ているという理由でも、こんなに懐きはしない。
ファレルアを一個人として認め、あの兄と一纏めにしない事が、懐いた最大の理由であろう。ついでに大嫌いな兄を、あれ程痛めつけたのも、起因している様だ。
それに関しては、カルミラにも言える事だった。
カルミラが初見で、ファンレムを完全に足蹴にした事は、この世界の神々の中でも有名だ。それ以来、ファンレムはカルミラを恐れ、お願いと言う命令に従う。
逆にファレルアは、カルミラに懐き、その素直さが気に入られている。
本当に姿と中身の似ていない、双子であった。
二度目のノックの音が、リシェアオーガ達の部屋に響いた。失礼しますと言って、入ってきたのは、レイナルとアルフェルトだった。
「お腹、空いていない?」
先程のリシェアオーガを、畏れた様子も無いアルフェルトとレイナルの態度に、リシェアオーガとティルザは安堵する。リシェアオーガの怒りは、神も畏れるものだったので、少し心配だったのだ。
まあ、向けられた相手では無いので、左程堪えてはないだろうが、ティルザに言わせると、間近で見ると、大迫力だったそうだ。
フェリスは、アルフェルトがそんな事で、態度を変えるようには育てていなかった。
師匠ならではの事、弟子達の性格は御見通しである。
アルフェルトの言葉に、そう言えば、夕飯の時間ですねと、フェリスが反応した。如何しますかと、リシェアオーガに尋ねる前に、レイナルが告げる。
「カルミラ様から、お食事をご一緒しましょうと、お誘いがありました。
皆さん、如何なされますか?」
騎士としての態度で聞く、レイナルに全員が頷き、カルミラの部屋に向かった。
部屋に着き、扉を開けると突然、ファンレムが土下座をした。
「大変、申し訳ありませんでした。
私が浅はかな考えで、貴女を巫女として選出して、ご迷惑を掛けました。」
驚いたオーガは、ファンレムを指差して、呆れて言った。
「カルミラ、これは何だ?」
「一応、何処かの国の、最上級の謝り方だそうですよ。
ファンレム、誠意が足りないみたいですね。もう一度しなさい。」
「申し訳ありませんでした。」
土下座の事は知っていたが、頭を絨毯へ擦り付ける様にして、それを行っているファンレムを、リシェアオーガは怒りのあまり、思わず踏み付ける。
「痛て~、何すんだよ。」
「力一杯殴りたい気分だが、これで我慢して於く。有難く思え。」
怒りは御最もですと、そこにいた全員が思った。
ついでにと、言わんばかりに、辛辣な嫌味が、ファレルアから告げられる。
「馬鹿ファンレム、永遠にそうやって、新しく作る結界の中にいろ。
誰にも迷惑が掛らない。」
「それは、良い意見ですね。早速、やりますか?」
「…結界なら、私も造ろうか?
触れれば消去される物なら、多分、出来るだろう。」
是非と、追い打ちをかける神々に、ファンレムは、御慈悲を~と訴えていた。
如何やら、良い玩具になっている様だ。
しかし、誰も、助け船を出そうとはしない。身から出た錆で、仕方の無い事だからだ。
向こうの世界と、こちらの世界の危機を思うと、この扱いは…軽い方だった。
後に、これよりもっと厳しい扱いを、受ける事になる輩を目の前にするとは、こちらの騎士達も、ルシェルドも思わなかった。




