第二話
何時間経ったのであろう、暗く岩に囲まれた部屋で、リシェアオーガは目覚めた。
辺りを見回すと、普通の部屋では無く、地下牢の様であった。
『不覚だった。あんな香で、意識を失うとは。
咄嗟に無効にしたが、間に合わなかった。』
少々香が効いてしまった様で、数時間だけ眠っていたらしい。
後遺症らしき物は無く、意識もはっきりしていたが、如何せん、目の前にある格子が目障りだった。かなり強い炎の気を持つ格子と周りの壁に、結界の有を感じていた。
「予定より、お早いお目覚めで…、聖騎士殿。」
先程の騎士を従え、紅い髪の青年がリシェアオーガの前に現れる。
平然としている彼に、おやっと首を傾げる。
あの香は目覚めた後、後遺症として頭痛が残る物で数時間もの間、身動一つ出来無い程悩まされる筈だった。しかし、眼の前の巫女は、普通に自分達を見据えている。
頭痛で顔を顰める事無く、只、厳しい瞳をこちらに向けているのだ。青年は一瞬不思議に思ったが、見つめられている瞳に、薬の効かない理由は如何でも良くなる。
真っ直ぐに見つめている瞳と、凛とした姿をを見て、美しいと紅い髪の青年は思った。あの馬鹿が選んだにしては趣味の良い、数段に美しい巫女だと。
「私に何か用ですか?」
形の良い唇から発せられる厳しい声も、透き通っていて、美しく耳に響く。
少年と言っても過言で無い、低さの声だが、巫女である以上、女性であると彼は思っていた。まあ、抱きかかえた時、少々胸が残念で仕方が無かったが。
「手荒い真似をした。申し訳ない。」
青年は普段の様と同じく、簡素に言葉を伝えると、答えを貰えない事を悟った巫女は、次に何者と聞いてきた。
「ルシェリカ・アレウドの者だ。」
「嘘を吐かない方が、宜しいのでは?」
「…嘘とは、どういう意味ですか?ルシェルドの聖騎士殿…いや、巫女殿。」
驚愕するかと思いきや、巫女・リシェアオーガは、平然と見据えたままだった。
紅の髪の青年は、胆の座っている巫女と思ったが、同時に物分りの悪い、弱い頭の持ち主の可能性も考えていた。しかし、前者である事は、直ぐに判った。
「私が、巫女と知っているのか…ならば話は早い。
嘘だと言ったのは、そなたの気だ。奴等の様に邪な気が一切無く、寧ろ清浄な、炎の気を感じる。…この世界の炎神殿。」
口調を変え、不敵な笑いと、的確な正解を出したリシェアオーガに、紅の髪の青年は驚く。しかし、もう一度、この巫女には、驚かされる事になる。
「私を護ろうとした様だが…それは無意味だ。
ルシェリカ・アレウドは、私の獲物。決して、取り逃がす事はしない。
邪魔立てはするな。」
ルシェリカ・アレウドを獲物と称したリシェアオーガは、一層に厳しい眼差しで青年を見る。その一睨みで、青年はおろか、後ろに控えていた聖騎士だあろう者まで、怯えを隠せなかった。
その怯えの所為か、紅い髪の青年は、普段の言葉使いに戻っていた。
「巫女殿…。あれを貴女は、獲物と称する。
だが、あれは、一筋縄ではいかぬ喰わせ者。年若き貴女の手には、負えない。」
「…見た目で判断する事は、神のする事では無い。元々私は、邪な輩を葬る者だ。
故に、あれは私の獲物…いや、私でなければ倒せない。」
ルシェリカ・アレウドを許しはしないと、暗に告げたリシェアオーガに、青年は溜息を吐く。彼は彼なりの考えがあり、巫女をここに招いた。
だが、当の巫女は、争いの中心に身を置こうとする考えを、持っていた。
相容れぬ双方の考えだった。
「幾ら、そう主張しても、そこからは出られない。
我が張った結界がある限り、貴女はここに留まる。これは容易に破れぬ結界であり、少しでも貴方がこの炎に触れれば、これが御身を傷づけてしまう。
故に、迂闊に動かない方が良い。でないと……ルシェルドが悲しむ……。」
やはり、ルシェルドの為か…と、リシェアオーガは気が付いていた。
ここの神々は、人間よりルシェルドに好意的であり、時には腫れ物に触るよう、扱う感じを受けていた。だが、そう言われて、大人しくしているリシェアオーガでは無い。
寧ろ、その逆で、不必要な束縛は必ず破る。
騒動を外から見ず、巻き込まれて最善の答えを出すが、彼の信条である。
鉄格子に掛けられた、炎の結界を見つめる。
彼にとって、この程度の結界は、問題が無かった。腰にある筈の剣は奪われていたが、呼べる事は出来たし、自らが神龍の王である事にも起因している。
すっと、自らの手を、青年と自分を阻む格子に向ける。青年が止めようとするが、それより早く、炎はリシェアオーガを包もうと、その触手を伸ばした…かに見えた。
炎は、リシェアオーガに纏わり付くのみで、その身を焼こうとはしない。
まるで、リシェアオーガに、じゃれている様にも見える。
リシェアオーガは、ティルザの作った炎の結界と同じように、一言、【解除】と呟く。すると、あの時と同じく、結界は綺麗に消え去った。
「私に炎、光、闇、水、風、大地の結界は無意味だ。
精霊を友とする、神龍であり、その王であるが故に。」
神龍と言う言葉で、不思議そうな表情を青年は浮かべたが、見事に解かれた結界を目の前にして驚き、頭が真っ白になって言葉を無くす。
真っ白になった頭を回転させる為、青年が冷静さを取り戻そうとした時、彼等の後ろから大きな音がした。扉らしきものが、強引に破壊されたような音と共に、数人の足音が響いて来る。こちらに向かってくる音に、青年と聖騎士は身構えた。
リシェアオーガは近付いてくる者を、無表情の顔で待っていた。
「ファレ、これは如何いう事だ。」
リシェアオーガにとっても、聞き覚えのある低い声が、牢中に響く。ファレと呼ばれた紅の青年は、重い溜息を吐き、声の持ち主と向かい合う。
「ルシェルド…何故、こんなに早く、貴方がここに来た?」
「ファレこそ、何故、私の巫女を攫った。」
ルシェルドとファレは、お互いの問いに答えず、無言で睨みあっている。その静寂を、辺りの気を探っていたリシェアオーガが破る。
「アルフ。ルシェルドを案内して来たのは、そなただろう。カルミラも一緒らしいな。」
「当りです~、さっすがリシェア様♪
カルミラ様は、外でエセオシーオとラナルと共に、待っておられますよ。
…そんな処は、貴方に相応しくありません。さっさと出ましょう。」
そう言って、睨みあっている二人の横を通り過ぎたアルフィートは、リシェアオーガの檻の前に来ていた。
あまりにも素早い行動だったので、誰にも止められなかったのだ。
アルフから差し出された手に、自らのそれを乗せ、鉄格子をすり抜けて見せる。
全て無くす事も、破壊する事も出来たが、説明するのが面倒臭いので止めた。
…こちらの説明の方が面倒だとは思うのだが、言えない事柄を誤魔化さねばならなかったので、この方法にしたらしい。
どちらにしろ、器用且つ、奇妙である事には変わりがなかった…。
リシェアオーガの脱出に、唖然としたルシェルドとファレだったが、何事も無かった様にリシェアオーガは、ルシェルドの傍に来た。その姿に安堵したルシェルドは、そっとリシェアオーガの腰に手を回し、自らに寄り添わせる為に引き寄せる。
「心配かけたようだな。済まない。」
素っ気いないリシェアオーガの謝罪に、微笑で答え、再びファレと向き合う。
二人の様子に毒気を抜かれたが、ファレは、直ぐに真面目な顔を向けた。
「悪戯が過ぎる。我が巫女に何事も無かったから、良かったものの、もし、巫女であるリシェアオーガに害をなせば、お前でも無傷で済まさないぞ。」
「ルシェルド、それは違うぞ。この者は、我に害を為す気は無い。
ルシェリカ・アレウドから、護ろうとして、ここに連れて来ただけだ。
…只、我が、護られるだけの存在では無かったのが、誤算だった。」
大人しくしていないぞ、という意味を含めた言葉は、両者に正しく伝わったらしい。
苦笑して、納得するルシェルドと、跋悪そうに眼をそらすファレ。
あまり表情の出ないファレだったが、眼の前の巫女には形無しだった。不思議な存在だとファレは思い、久し振りに見るルシェルドの優しい笑顔で、少しだけ微笑を浮かべる。
「先走った事をした。申し訳ない。そして、改めて。
初めまして、巫女殿。我が名はファレルア、察しの通り、この世界の炎神だ。」
自ら謝罪し、挨拶と自己紹介をした主に倣い、聖騎士も名乗りを上げた。
「こちらも改めて、ご挨拶させて頂きます。初めて、お目にかかります。巫女様。
ファレルア様の騎士を任されている、クレオリアと申します。
こちらも手荒い事をして、申し訳ございません。」
「御初に、御目に掛る。
我が名は、リシェアオーガ。彼方では、神龍王と言う役目の者だ。
不本意ながら、巫女として召喚されて、迷惑している。」
リシェアオーガの、本音ダダ漏れの自己紹介に、アルフィートは吹き出していた。
本音を言い過ぎでしょうと、小声で言うが、耳を貸さないとは判っている。
それでこそ、自分の主であるリシェアオーガ様と思いつつ、こんな陰気な所は早く出ましょうと、アルフィートも本音を漏らしていた。
気付いたルシェルドが、ファレルアとその騎士にも外に出るよう促し、彼等は地下牢から外庭に出た。彼等への詳しい説明は、全て後回となった。
劃して、リシェアオーガの誘拐劇は、呆気無く終わりを告げた。
しかしこの後、ファレルアにとって、頭のいた事が待ち受けているとは、想像出来なかった。




