第三話
着替えを終えて、自分に与えられた部屋へ戻った、リシェアオーガは、再びあの青年騎士と対面した。
「オーガ様。改めて、御紹介します。
彼は、私付きの神官騎士で、ここの神官騎士団の副隊長を任されている、アルフェルトと言います。これから、オーガ様と共に、行動して貰う予定です。」
「初めまして、巫女様。アルフェルトと申します。
今後とも、宜しくお願いします。」
騎士特有の、優雅な挨拶──手の指を真っ直ぐ伸ばした右手を、左肩の辺りに置き、深々と頭を下げる──で、アルフェルトは、リシェアオーガにお辞儀をした。
「リシェアオーガだ。巫女という呼び名は、此処での大義名分でしかない。
…私には、全く無用のものだがな。まあ、何はともあれ、宜しく頼む。」
リシェアオーガの言い方で、再びアルフェルトは、目を丸くした。まるで王族か、何かの態度で喋る彼に、どう対応して良いか、判らなかった。
「この御方は何時も、この様な感じですので、あまり気にしなくて良いですよ。…如いて言えば、私と対応する時と同じで、良いでしょう。」
苦笑を交じりでフェリスが、アルフェルトに告げると、納得した様に彼は頷いた。
そして、再びリシェアオーガに目を向けると、じっくりと観察するかの様に、見回していた。自分より背が低い上に年若く、華奢に見えるリシェアオーガの姿で、ふと疑問を感じたらしい。
「フェリス様、巫女様…いえ、リシェアオーガ様の護衛は、良いのですか?」
「必要は、ありませんよ。」
「必要無い。」
「…いらぬと、思うが…。」
その場にいた三者から、同じ様な答えが、同時に返ってきた。
不思議に思ったアルフェルトが、言葉を続けようとした時、リシェアオーガは、異世界から持って来た皮袋を開け、一振りの剣を彼に投げ渡した。
色は燻した金色で、彼が見た事の無い、不思議な動物の文様があり、所々、宝石で装飾された物だった。一見、宝剣のように思えるその中振りの剣は、外見に似ず、ずっしりと重みがあり、使い込まれた感があった。
「それは、私の剣だ。これでまだ疑うなら、腕試しでもしてみるか?」
不敵な微笑みを浮かべながら、リシェアオーガは言い放った。挑発されていると、アルフェルトは気が付いたが、好奇心の方が先立つ。
目の前の人物がどの位の腕前か、騎士としては知りたい。
結果、無意識で、リシェアオーガの提案に頷いてしまい、フェリスに怒られてしまった。
「大丈夫です。リシェアオーガ様には、怪我をさせません。」
と、自信たっぷりに言い放つ彼へ、フェリスは強く反論した。
「私が心配しているのは、貴方の方です。
くれぐれも怪我をしないように、気を付けて下さい。」
神官の言葉を聞いて、呆気に取られたアルフェルトだったが、かの神官は、巫女であるリシェアオーガにも注意を促した。
「オーガ様も、オーガ様です。退屈だからと、面白がって、アルフェを挑発しないで下さい。」
ばれたか、という様子で、悪戯な笑みを浮かべたリシェアオーガから、ルシェルドは目を外せなかった。初めて見るこの表情に、釘付けになっていたのだ。
…こんな表情も出来るのかと、感心していた。
そういえば、初対面からオーガの、自分に対する表情は、厳しい物でしかなかった。
まあ、『生贄の巫女』として、対面しているのだから、無理もなかろう。
しかし、本当はこの仏頂面に、別の意味も含まれていたのだが…。
部屋の中では、到底出来無い腕試しの為、彼等は場所を、神官騎士の訓練場へ移す事となった。そこは、神殿の裏庭にある建物で、朝昼晩問わず、誰かが鍛錬をしている場所だった。
常に人目があるので、彼等は、リシェアオーガ身柄を【ルシェルド神が、遠見で見つけ出した騎士見習い】とした。
ついでに、この神殿の神官騎団副隊長であるアルフェルトが、その資質を見極めるという、口実まで作り上げた。
「まあ、神官騎士が、聖騎士の資質を見極める事は、異例の事になるので、周りが騒がしくなりそうですが。」
そう付け足すアルフェルトに、仕方が無いだろとリシェアオーガは、さらっと答えた。
自分が蒔いた種だし、それ位の我慢はするつもりであった。
部屋の外に出ると、妙に騒がしい感じを受けた。
人間のざわめきでは無く、精霊のざわめきの様な物…。
この世界にも、精霊が存在している事を、リシェアオーガは、フェリスから聞いた。自分の世界と、あまり変わらないそれらが、ここでは、こんなに騒がしいのかと。
だが、事実は違った。ルシェルド曰く、【巫女が降臨したから】だそうだ。
精霊の達が、落ち着きを失くした事で、巫女が降臨した事を知らしめていたらしい。その為、ルシェルドが、騎士を求める口実も出来た。
【降臨した巫女を捜す旅に出る】故、自分を護衛する聖騎士を求めたと。
神殿内の神官には、巫女がここに降臨したと言わない様、厳戒令が施してあったので、これに関しても問題が無い。
巫女の身柄が、危険に晒されるのを防ぐ為の、それであった。と同時に、巫女は一つ所に留まる事は、出来無いらしい。
これもまた【危険】という、二文字が理由だった。…生贄の巫女だから、危険なのは、当たり前だろうと、言ったリシェアオーガに、それと別の危険があると、ルシェルドは告げた。
巫女の存在を亡くそうとする輩がいる事、ルシェルド以外の存在に巫女が殺されると、彼の力が暴走する事、そして、それを望む者がいる事を。
その最たる者が、【世界に仇為す者】とも、【破壊神を祀る破滅の輩】とも称される、ルシェリカ・アレウドという輩だと、フェリスに教えられた。
「…敵が多いのか…。」
「そういう事になる。」
「面白くなりそうだ。」
「オーガ様、程々にして下さいね。」
リシェアオーガの言葉に、驚いたルシェルドとアルフェルトは、それを諌めたフェリスを、そのままの表情で見つめた。溜息交じりのフェリスの言葉は、いかにリシェアオーガとの付き合いが、長いかを感じさせた。只、彼等がどういう間柄か、二人は何となく、恐ろしくて聞けなかった。
ちなみに、この会話は、訓練場に行きながらの、神官お手製・簡単小結界の中で行われた。
だ~れも、聞こえないのを良い事に、言いたい放題&質問放題であったのは、言までも無い。
この間に、リシェアオーガを呼び捨てにする事と、リシェアオーガの口調を正す事、フェリスとアルフェルトの、リシェアオーガへの、態度の取り決めも行われた。
準備万端整ったところで、4人は訓練場に着いた。
裏庭の、少し神殿から離れた石造りの、やや苔むしった建物が、訓練場であった。
神殿より少々小さく、円形状の屋根を持つ屋内訓練場と、同じ大きさで隣接し、円形状の壁で隔てられた野外訓練場の、両方の訓練場が存在する。
「とりあえず、天気がいいから、屋外で始めようか?」
訓練場に着くや否や、アルフェルトがリシェアオーガに告げる。彼は頷いて、アルフェルトの後を付いて行った。
彼等を見送ったフェリスとルシェルドは、その様子が見える所へ、移動を始めた。
数十歩、歩いただろうか、アルフェルトに、同僚らしき筋肉質の男が声を掛ける。
「おや~、アルフじゃあないか?今日は、どうした??……後ろは、新人か?」
「ああ、ライジュか、ルシェルド様のお目に適った者だ。
これから、ルシェルド様に仕えられる程の剣の腕前か、試すんだ。
お前も見に来るか?」
「ほう、お前直々に試すとあっちゃあ、見に行かないと損だな。」
こんな会話が、行く先々で交わされる。完全に見世物だな…と、リシェアオーガは思った。
仕方無い事だけに、無言で後を歩き、アルフェルト達の遣り取りを見ている。流石に副隊長だけあって、人望がある遣り取りが、あちらこちらで見受けられた。
大人しく、付いて歩くリシェアオーガに対しても、「頑張れよ~。」と声が掛ったり、その体格を心配する声も上がる。
騎士達の気さくな雰囲気に、リシェアオーガは何時しか微笑んでいた。…何人かは、その微笑に魅せられていたようだが…。
野外訓練場には、隣の屋内訓練場と隔てる壁に、ちょっとした観覧席が設けたあった。そこは各々が、訓練の様子を確認する目的で、作られた物だった。その場所のほぼ中央部分へ、フェリスとルシェルドが座わると、周りに他の神官騎士が詰め寄り、今か今かと、リシェアオーガ達の手合わせが始まるのを待ち構えている。
「ルシェルド様、今度の新人は、貴方が見つけられたとか?」
神官騎士の一人が、彼に声を掛けた。ルシェルドより背が高く体もがっしりとして、日焼けした肌の、いかにも剣士ですと、言わんばかりの体格の男性…。
先程、アルフェルトに声を掛けていた、ライジュと呼ばれる者だった。
肩に届く寸前まで伸びた、癖の強い硬い金髪で、愛嬌たっぷりの茶色の目は、目の前で繰り広げられるであろう、手合わせの期待に満ちている。
「ああ、巫女を捜すのに、護衛が必要だったからな。
ここの騎士では、面が割れてる故、まだ騎士になっていない者で、腕の良い剣士を捜していた。」
「で、あの新人ですか…。大丈夫ですか?
あのアルフェルト相手で、怪我をしない奴はいないのに。」
「大丈夫ですよ。寧ろ私は、アルフェの方が心配です。」
ルシェルドの片側からした声に、ライジュは視線を移した。そこには、この世界では珍しい、薄緑色の髪が覗いていた。その髪の色と、アルフェルトの事を【アルフェ】と呼ぶ唯一の人物に、ライジュは反論する。
「お言葉ですが、フェリス神官様。
ご自分に仕える騎士の、身を案じるのは良いのですが、ルシェルド様のお目に適った騎士を、蔑にするのは頂けませんね。」
「蔑にしてはいませんよ。残念ながら、アルフェの実力では、あの御方の足元にも及びません。寧ろ、あの御方が誤って、アルフェを傷付けない様に願います。」
先程ライジュが出会ったのは、アルフェルトより小柄で、体格も左程良く無い、華奢な部類に入る人物…。彼が、この神殿で1・2を争う腕のアルフェルトより、実力があるとは思えない。が、目の前の神官は、新人の方が強いと告げる。
俄かに、信じがたい言葉を聞いたライジュは、目を見張って、神官を見つめた。
冗談を言っている様には、見えない神官に、聞こえるか如何かの、溜息交じりの呟きを吐いた。
「本当に…そうだと良いのですが…。」
神殿騎士の隊長の、不安交じりの言葉は、風に乗り、この野外訓練場の喧噪に溶け込んでいった。