第三話
「イリーシア様は、こちらでしょうか?」
またもや、扉の外で声がして、エルシアが、そうだと返答すると、案内の神官らしい者が、一人の人物を連れて入室してきた。
深い緑のストレートの髪を、肩より少し下位まで伸ばし、優しい光を湛える双眸は、広き大地を思わせる茶色をしていた。
一瞬、女性と見間違うような、美しい顔であったが、男性らしい雄々しさも垣間見えた。
背格好はエルシアより、やや低めで体格も、それ程がっちりしていない、如いて言えば、文に秀でている者ではないかと、想像できる御仁であった。
服装は、新芽を思わせる萌葱色の長衣に、深緑の丈の長い上着で、それには、菜の花色の蔦の様な装飾が施してあり、胸辺りの、紋章があろう位置には、大樹と花を象った物が様々な色を使って、表現されていた。
エルシアの姿を見つけた、その男性は、彼に声を掛けた。
「お久し振りですね、エルシア。
今日は、イリーシアのお見舞いに来たのですが…元気になったようで、何よりです。」
少し高めの男性の声が、その人物から聞こえた。優しい声色は、耳に馴染み易かった。
「…カルゥか…。お前まで、来るか…。」
「おや、ルシェルドも一緒ですか?お見舞い…ではなさそうですが、そちらの……イリーシアとご一緒にいる方は、巫女殿ですね。
初めまして、こちらで大地を司っている、カルミラと申します。」
「…初めて、御目に掛る…。」
一目で見抜いた彼に、リシェアオーガは、警戒を顕にし、名を告げる事を躊躇した。リシェアオーガの様子に気付いたカルミラは、事の次第を彼へ告げた。
「いえね、微かですが、貴女から大地の気配がしてるので、私が祝福していない者ならば、向こうの世界の大地だと推察しました。
それに今は、ルシェルドが不安定な時期に値するので、貴女が巫女だと思ったのですよ。」
「何時もながら、鋭いな~。」
「貴方が鈍いだけですよ。エルシア。」
見事なボケ突込みにフェリス達も苦笑し、リシェアオーガも事情を知って警戒を解いて、リシェアオーガと名を告げた。
しかし、エルシアだけは、カルミラがリシェアオーガから、大地の気配がするといった事を、疑問に思った。
この巫女は、光神の恩恵を持つ者、大地の恩恵を持っているとは、聞いていなかったからだ。
「これから、大地の気配がするんだ?」
「はい、しますよ。…でも、これ呼ばわりとは。エルシア、女性に対して、酷い言い草ですね。」
「これで十分だ。しかし、断言したな~。
一応、光神の恩恵は受けてるって聞いたけど、地神の恩恵も受けてるのか?」
「それェ、ちょっと、違うんじゃあねェかなァ?」
ティルザの横やりに、二人の神の視線が集まった。
「リシェアオーガ様は、シアエリエ・ラムザ・ルシムだろう?
シアエリエ・ラムザ・ルシムはさあァ、精霊と同格の神龍と精霊そのものに、好かれてんの。闇、光、大地、風、水、炎の神龍とその精霊にさァ。
だから、いろんな気配を感じんのォ」
ティルザの言葉を受け、カルミラは納得し、今度は彼の事をも告げる。
「そうですか…巫女殿は、神龍とかいう方々と精霊達に、好意を持たれているのですね。ああ、それなら、納得しますよ。
確かに巫女殿から、水や他の気配もしますしね。
…ところで君は?炎の気配がありますが…この世界の者ではないようですね?」
ティルザから炎の気配がする事に、リシェアオーガとルシェルド、エルシア以外が驚く。
彼等だけが、その理由を知っているらしい。その理由は話されなかったが、別の事をエルシアが、カルミラに教える。
「そいつの名は、ティルザ。随分前に、巻き込まれて来た輩だよ。
ついでに言うと、騎士の格好をしている巫女の、従者になったみたいだけど。」
「おや?今回の巫女殿は、剣を使えるのですか?それは、頼もしい限りですね。
然も従者を従えるとは、何とも勇ましい。」
「褒め言葉と取って、良いのか?」
「勿論ですよ。美しい巫女殿。」
褒め言葉になっていないと、周囲の者は心の中で突っ込んでいたが、リシェアオーガを始め、フェリスとティルザもそう取ったらしい。
じっと、リシェアオーガを見つめるカルミラに、何かと、リシェアオーガは問った。
すると彼は、真っ直ぐな視線を向けたままで答えた。
「いえね、今回の巫女殿は、本当にお美しい。
私でさえ、ルシェルドが羨ましく思いますよ。」
「中身が、残念だがね。」
エルシアの茶々でフェリスが、そんな事はないと反論した。だが、エルシアも負けていなかった。
「神をう敬う気がない、態度が横柄…これのどこが、残念でないと?」
「リシェアオーガ様は崇高で、他の誰よりも、慈悲深い御方です。
何も御知りにならない貴方に、そう言われる筋合いはございません。エルシア様、貴方は、この御方の何を、御判りになっておられるのですか?」
「フェリス。」
珍しく声を荒げ、更に反論を続けようとしているフェリスに、リシェアオーガは静かにその名を呼び、止めた。
この先、フェリスが続けようとする言葉は、今、告げる事の出来ない物だったのだ。
自分が止めたフェリスの代わりに、エルシアへ忠告した。
「エルシア、そなたが我の事を如何思おうと、構わない。だが、それを他の者に、特にフェリスに聞かせるのは、止めて欲しい。
かの神官は、我にとって大切な友故、これ以上、我の事で心痛を増やしたくない。」
フェリスの事を思い、告げられる言葉にエルシアは、リシェアオーガへ驚きの眼を向ける。
彼の様子を見ながら、リシェアオーガは先を続ける。
「昨日言った様に、我は神々を敬っていない訳では無い。我が敬うのは、我の世界の神々のみであり、この世界の神々は、敬う対象では無いだけだ。
その事を胆に銘じて於け。」
「エルシア、貴方の負けですね。
彼女の敬う神は、この世界の私達ではなく、彼女の世界の神々なのは、仕方が無い事ですよ。それに…強引に、こちらに引き込んで敬えなんて、言えませんしね。」
リシェアオーガの突き放した様な断言と、カルミラの援護に、エルシアは言葉を無くした。
そう、リシェアオーガは強制的に、こちらの世界に引き込まれたのであって、彼女の意思で、ここに来た訳では無い。然も、彼女の置かれた状況を、全く無視して…である。
この為、ここの神に対して怒る事はあっても、感謝する事は無いのだ。
それだけ向こうの世界の、神の祝福を受けた者は、恵まれていると言えよう。
「すまん、軽率だった。」
「リシェアお兄様、エルシアお兄様を許してやって下さい。
こんな軽率で、頭の悪い方ですが、私にとって、大切な兄なの。」
エルシアとイリーシアの謝罪に、リシェアオーガは答える。
「エルシア、イリーシアに感謝しろ。
お前だけの謝罪ならば、無視をする心算だったが、心優しい妹のお願いを、聞かぬ訳にはいかぬからな。」
有難うと言うと同時に、再びイリーシアが、リシェアオーガへ抱き付く。
その様子を見て、カルミラは微笑みながら呟いた。
「何時の間に、愛称でのお兄様ですか?随分と懐かれましたね。
………全く持って、羨ましい限りですね。」
「???カルミラも、お兄様って呼んでほしいの?」
「イリーシアが呼んでくれるのであれば、嬉しいですよ。」
呼んであげるとイリーシアが、微笑みながら答えると、エルシアが反論しかけた。
だが、イリーシアの潤んだ眼での、上目使い攻撃に合い、否定出来無かった。
この遣り取りを見て、妹には勝てない兄と言うのは、何処でもいるのだと、リシェアオーガは思った。
自分自身も、本当の妹のお願いには弱い。
それが危険を共わない物、度を過ぎた我儘でなければ尚更、聞かない事は無かった。
元の世界に帰ったら、暫くは傍を離れないであろう、妹達に思いを馳せていた。
恐らく、双子の片割れも一緒だろうが…それよりも家族が、リシェアオーガを傍に置きたがるだろと、想像出来た。
『帰ったら、騒がしくなりそうだな。色々と…。』
エルシアとイリーシア、カルミラを見つめながら、そう、リシェアオーガは思った。
「ルシェルドがいるのなら、借りても良いですか?相談したい事があるのです。」
兄弟騒動(?)が一段落した頃、カルミラがエルシアとイリーシアに告げた。借りると言われた御仁は、やれやれと重い腰を上げた。
「ここでは何ですから、場所を替えますね。」
「私の部屋で良いか?他の…巫女と大神官、その従者達も、一緒で構わないか?」
「寧ろ、お願いします。
ああ、エルシアとイリーシアは、来ないで下さいね。例の件ですから。」
【例の件】という言葉に、太陽と月の兄弟は、何の事か推測出来たらしい。
自分達の手に余る事と判っていたらしく、大人しく、この部屋に残る。
そして、カルミラを伴い、彼等ルシェルド一行は、本来の主の部屋に戻ったのであった。
ルシェルドが宛がわれた部屋は、ルシェーネ神殿の彼の部屋と、変わりがなかった。
只、壁が黒い石作りで無く、黒紅色の壁紙で、家具が少し華奢な作りな点が違う。
ここの部屋に初めて入ったリシェアオーガの、開口一発がこれだった。
「相変わらず、黒々しいな。まるで、闇の中だ。」
「…私を示す色が、黒紅だからな。ま、私は、これで安心出来る。
破壊神には、お似合いだろう。」
それに答えるかの様、自傷気味に呟くルシェルドに、リシェアオーガは、すっと目を細め、無表情に近い顔で告げた。
「確かに闇は、安らぎを与える。だが、お前のそれは、陰鬱に、孤独に、身を置こうとしているとしか見えない。そんな状況に身を置いて、楽しいか?」
怒りを内に秘めたような言葉に、ルシェルドは反論する。
「光神とやらの、恩恵を受けてる者には、判らないだろうな…。私は、光の中より闇の中、誰もいない方が良い…。」
「誰も傷付ない、そして、自らも傷付かない為か。」
リシェアオーガの意外な言葉に、ルシェルドは驚いた。的確に自分の考えを、言い当てられたからだ。
細めた瞳を開け、厳しい眼差しでオーガは続ける。
「我が、光のみの者だと、思うたか? シアエリエ・ラムザ・ルシムになるには、一度、穢れた、悪しき闇に、この身を置く。そこから聖なる闇と、聖なる光に戻れたものが、真のシアエリエ・ラムザ・ルシムと、名乗れるのだ。
それ故、我の内には闇もある。」
リシェアオーガの言葉を受け、カルミラが感心した様に話し掛ける。
「聖なる闇と光ですか…。感慨深い物ですね。」
「そうか?彼方では、当たり前の事だが。若しかして、此処の闇は、穢れた物なのか?」
カルミラから、感慨深いと言われたリシェアオーガは、つい質問をしていた。
いいえと、簡素に答えが返ってきたが、聖なる闇と認識している者は、少ないとも告げた。
「…まあ、大体の人間は、穢れた物と認識している。私と同属なものとして…な。」
ルシェルドの返答を聞き、リシェアオーガは、疑問に思った事を口にする。
「この世界には、闇神は存在しないのか?」
「いますけど、滅多に姿を見せませんよ。
自らの姿を見て、人々が恐れを抱くと思っているので。…そんな事はないのに、思慮深い方です。」
ルシェルドの代わりに、カルミラが答え、それにリシェアオーガは納得した。
慈悲深いのだなと、彼が呟くと、そうとも言えますねと、カルミラが告げた。
何処の世界でも、闇神は慈悲深き、優しき神なのだなとリシェアオーガは思った。
この世界の闇神と向こうの世界の闇神、姿形、生まれ方、生き方は違えど、心は同じなのだなと。
只、リシェアオーガの処の闇神…闇の神は、良く人々に姿を現し、その美しい姿で、優しい声を聞かせていたが。




