第二話
「ルシェルド、離せ。」
リシェアオーガの冷淡な声で、我に返ったルシェルドは、ゆっくりと彼を放した。
少し落胆した表情を浮かべるルシェルドに、リシェアオーガは真っ直ぐ向き合う。その表情は、今までと変わらない、厳しい物であった。
相当嫌われているな…と、ルシェルドとエルシアは思った。
「…照れてるの?」
アルフェルトの爆弾発言に、一同は冷や汗を垂らしたが、言われた当の本人は、何の事とばかりに、きょとんとしていた。
「アル、何の事を言っているのか判らぬが、今のは保護者の、過保護の抱擁では無いのか?」
誤魔化すかの如く、言い放ったリシェアオーガに、エルシアは、がっくりと肩を下げた。
レイナルと彼の配下の者も、不憫な者を見つめる様にリシェアオーガを見た。
フェリスは平常通り、微笑みながらリシェアオーガを見つめ、ティルザは、溜息交じりで横を向いていた。
この二人、リシェアオーガの言う真実を、知っているらしい態度だったが、リシェアオーガに注目が集まったお蔭で、誰も気付かなかった。
「エルシア様。ここにおられる巫女様の、護衛をすれば宜しいのですか?」
真面目に確認をするレイナルに、エルシアは頷いた。
「レイナルはこれの…いや、こいつらの監視及び、護衛かな?取りあえず共に行動して、騒ぎに巻き込まれ…違うな、騒ぎを起こさない様に、注意してほしい。」
「御意。」
「で、ハインツとバールンは、残って俺の護衛。で、レイナルの代わりが来たら、そいつと一緒に、俺の護衛な。」
「「御意。」」
サクサクと、指示を与えるエルシア(しりめ)を後目に、リシェアオーガは盛大な溜息を吐いた。人数が増えて、目立つ事を懸念しての事だ。
目立って、敵が近寄り易くなるのは良い、只、護るべき者が増える事は、戦力的に痛い所だった。腕が立つのは判るが…如何せん、正体の見えぬ敵故、どの位の力が必要か、計れないのだ。
そんなリシェアオーガに気付いた、アルフェルトが声を掛けた。
「オーガ様、レイナルの剣の腕は、大したものですよ。私でさえ、3本に1・2本取れれば、良い方ですから。」
「レイナル様の腕は、私も保証しますよ。
ティルザさんも、そこそこの腕を持っていますし。」
「そこそこじゃねェ、結構だァ!」
「と、本人も申告されている事ですし…ね。
御一人で抱え込まなくても、宜しいのでは無いのですか?」
他ならぬフェリスの進言に、リシェアオーガは安心して頷いた。
「まあ、アンタの神龍達には、負けるけど、任せてほしいねェ。」
不敵な笑いを浮かべて、ティルザも告げた。
神龍と言う単語に、レイナルは頭を傾げたが、フェリスが簡単な説明をしたようだ。適任者に説明されて、納得したレイナルは、リシェアオーガに向かい、片膝を折って彼の右手を取り、宣言した。
「我が神の命により、一時の物ですが、貴女の剣となり、盾となりましょう。
我が力を、存分にお使いください。」
貴婦人に対する礼らしく、取られた手の甲に軽く、口付けをされた。
まあ、リシェアオーガには、日常の物であったので、全く取り乱す事無く、言葉を告げる。
「レイナルとやら、短い間だと思うが、宜しく頼む。」
向けられた言葉にレイナルは、一瞬目を見開いたが、直ぐに何時もの微笑に戻った。
「承知しました。貴女のご期待に沿える様、頑張ります。」
「ああ、レイナル。言い忘れたが、それは向こうでの身分が、王族らしいから、今の言葉使いが普通みたいだ。 普段との落差に…慣れろな。」
「判りました。エルシア様。」
「この御方の本来の名は、リシェアオーガ・ルシム・リュージェ・ファムエリシル様です。ルシム・フェムアリエは、本来の名では無く、仇名とでも思って下さい。」
フェリスの断言に、リシェアオーガは再び苦笑した。
この神官は、あくまでリシェアオーガを、ルシム・リュージェ・ファムエリシルと扱うようだ。
ルシム・フェムアリエと言う名を、絶対に使わせたくない本心が、見え見えであった。
そこが彼の良い所だと、判っているのだが…それが嬉しくもあり、感謝もしていた。
この異世界で、自分が狂わずにいられるのは、フェリスのお蔭。
そう、リシェアオーガは、自覚をしていた。
レイナルの同行が決まり、彼等を別室に控えさせ、エルシアがリシェアオーガに質問した。
「お前…巫女の自覚がないだろう?」
「自覚?押し付けられた役目に、自覚なぞ、出来る訳が無い。
我は我。故に、元々の役目以外、関係無い。」
エルシアの呆れた物言いを、リシェアオーガはバッサリと切って捨てた。
頭を抱えたエルシアは、負けじと続けた。
「だ~か~ら、ルシェルドの巫女って事は、こいつの…「エル!!」」
ルシェルドの怒りを込めた叫び声に、エルシアの言葉は消された。だが、リシェアオーガには、続くであろう言葉が、推測出来ていた。
リシェアオーガは、ふぅと、溜息を吐いて、その言葉の続きを続けた。
「此奴の想い人になる…で良いのか?エルシア。…我は、御免こうむる事だが。」
「おいおい、仮にも、神の想い人だぞ。光栄に思わないのか?」
「思わぬ。残念だが、我には返す想いが無い故、無駄にしかならぬ。」
「?!」
「オーガって、恋をした事、ないの?」
リシェアオーガの返答で、無言になる一同と、素直に質問で返すアルフェルト。
無いと即答すると、勿体無いと帰ってくる。
それに苦笑しながら、リシェアオーガは、再び言葉を綴った。
「唯一、一人を愛する感情は、我に無い。多くを愛する事が出来ても…な。故に、羨ましくもある。」
視線をルシェルドに向け、ふと、自虐の微笑みを浮かべた。
「知らないだけじゃあないのか? まあ、恋してみれば判る筈…。」
エルシアの反論に、フェリス、リシェアオーガ、ティルザの向こう世界の、三者三様の返答が返ってきた。
「無理でしょうね。」
「無理だ。」
「シアエリエ・ラムザ・ルシムじゃあ…ナ。必要ないもんなァ。」
ティルザの、【必要ない】との言い草に、エルシアとルシェルドが眉を潜めた。
「おい、ティルザ。仮にも従者なら、その言い方は失礼じゃあないのか?」
「適切だ。それは、我に必要無い感情だ。
本来、両方の性を持つ者が、片方の性を求める事は稀だ。然もティルザが言う様に、我は【シアエリエ・ラムザ・ルシム】という役目を持つ。
一代限りの役目の為、血族による後継はしない。協力者が必要でも、家庭を持つ相方は必要無い。
故に、元々恋愛感情は、一欠けらも我に無いのだ。」
ティルザの援護をするかの様、リシェアオーガから伝えられた言葉に、彼等は無言になった。
今までの巫女は、ルシェルドの想いを知り、不安ながらも、受け入れていたようだ。
だが、今回の巫女は、想いを受け入れる事を、はっきりと断った。いや、完全に否定したのだ。
だが…と続けようとするエルシアに、無駄だの意味を込めて、リシェアオーガは首を振った。
リシェアオーガには判っていた。
何年、何十年掛ろうと、彼には恋愛感情と言う物が、生まれて来ない。
そう、今までも、これからも……。
恋愛感情が無いと告げられたルシェルドは、衝撃を受けたが、眼の前の巫女を想う気持ちを自覚してしまった。
自分を想ってくれなくても良い、傍にいて欲しいという感情と、何時かはリシェアオーガを、自らの行動──捕食──で、失ってしまうと言う不安。
然も、本人は帰るつもりでいるので、捕食しなくても、何れは離れていく。
その前に、自分だけのものにしたいと思う反面、してはいけないと、叱咤する自分もいる。
考え込んでいるルシェルドの髪に、ふと、風が触れた。
顔を上げると、リシェアオーガの青い瞳が、ルシェルドを覗き込んでいた。
深く青い瞳が憂いを映しながら、無言で見つめている。
「済まない。だが、知らせずには、いられなかった。」
「…想う事は、許されるのか?」
「想いは、誰にも止められない。だが、我が受取る事は無い。只、それだけだ。
辛い事を強いてしまうが、我に如何する事も出来無い。」
「最初は、誰でも、そう思うんだよ。だから…「無駄だ。」」
エルシアの助言を、リシェアオーガは、再びバッサリと切り捨てた。これ以上、意見を言い合っても結論は出無いと、強制的に話を終わらせたのだ。
一瞬だが、リシェアオーガの見せた迫力に、エルシアは黙らされた。
人間の王族でも垣間見無いそれは、リシェアオーガの正体を曖昧にさせてしまった。
何者かと、問う声も出せないエルシアに、ティルザはご愁傷様と、心の中で手を合わせていた。
この短い間でティルザが、何度も経験したそれは、ここの神にも有効だった様だ。
緊張に満ちた部屋に、突然小さな音が響いた。
入り口から聞こえるその音は、如何やら、扉を叩く音らしい。
控えめなそれに続き、女性の声も聞こえてきた。
「エルシア様。ルシェルド様。
イリーシア様を、お連れ致しました。宜しいでしょうか?」
「…入れ。」
侍女らしい声に、未だ動けないエルシアの代わり、ルシェルドが答えると、侍女を伴って入って来たイリーシアが、リシェアオーガを見つけ、直ぐにその傍へ走り寄ってきた。
「リシェアお兄様 ♥」
そう言って、リシェアオーガの右腕にしがみ付いたイリーシアは、実兄であるエルシアの事など、お構いなしだった。明るい声、利発そうな行動が、彼女の本来の姿の様である。
イリーシアの態度に驚いたエルシアは、やっと硬直(?)から解放された。そして、妹の、リシェアオーガへの懐き振りに、目を見張った。
「イリーシア、何時の間に…って、リシェアお兄様?!お姉様じゃなくて??」
「ええ、両方の性別を持っているのなら、こちらでも構わないでしょう?
エルシアお兄様。」
「そうだが…じゃあなくて、何時の間に、そんな呼び方に?」
「夕べ、心配なさって、お見舞いに来てくれたの。その時、妹さんに私が似ているって聞いて、お寂しそうだったから、そう、お呼びしたの。」
「妹の代わりって訳ね…。本人は…嫌がっていないな~。」
イリーシアに微笑みかけ、優しく頭を撫でているリシェアオーガを見て、エルシアは脱力し、反論を断念した。仄々とした光景に、周りは癒されている様だ。
まあ、背格好と瞳の色だけ見れば、兄弟と言っても違和感ない二人であった。




