第七話
「賑やかな街ですわね。色々なお店もあって、楽しみですわ。」
女性の言葉と仕草で、女性らしい行動をするリシェアオーガに、アルフェルトは苦笑した。良く、ここまで、なり切れるものだと感心している。
連れの態度に我関せずと、色々な店を物色していたリシェアオーガだったが、ふと、ある店の前で立ち止まった。店と言うより露店ではあったが、様々な宝飾品が並べられてあり、その一つに、リシェアオーガの目が留まった。
大いに黒ずんでいるが、金色の輝きを持つそれは、リシェアオーガが最も好む、長龍の文様の留め具であった。
それは透かし細工で出来ていて、龍の目には青い小さな石が嵌められ、龍の周りは蔦を模した装飾が施された、かなり精密な作りの物だった。
「おや、お嬢さん、お目が高いね。
それは昔、名のある騎士が、持っていたっていう代物だよ。かなり古いもんだが、良い品だよ。」
店員らしき、年老いた女性に声を掛けられ、リシェアオーガはそれを手に取った。
何も念が残っていないのを確認し、彼女は老女に値段を聞いた。
「そうだね~、綺麗なお嬢さんが、彼氏にあげる品なら、100銀貨位かね。」
「…高くて手が出ないわ。もう少し、安くならないの?せめて、その半値位とか。」
値段交渉を始めるオーガに、アルフェルトは再び苦笑した。世間知らずの王族──エルシア断定──が、する事では無い。らしくないな~と思いながら、その様子を黙って見ていた。
「むむむ、では80銀貨で、如何かね?」
「……無理……」
「70でどうかね?」
「やっぱり…無理だわ。…諦めて、他を当たる事にするわ。」
言う終わるや否や、リシェアオーガは商品を置き、踵を返して、露店から立ち去ろうとした。
「判った、判った。お嬢さんには、負けたよ。40銀貨にするよ。」
お手上げのポーズをとり、露店の店主は敗北を認める。
その声にリシェアオーガは振り返り、先程の商品を手に取った。神殿から出る時に持たされた、お財布用の桃色の皮袋を服の奥から出し、40銀貨(10銀貨を4つ)を払った。
お金の種類と価値は、出かける前に自ら頼んで、アルフェルトから教わっている。
残ったのは、1金貨と50銀貨、10銀貨が1個づつと1銀貨と50銅貨が3枚だった。
見て回った露店での食べ物が殆ど、銅貨で賄える事から、この買い物は、かなり高価な物だとリシェアオーガは判っていた。
しかし、何故か、如何しても手に入れたかったのだ。
「良い買い物をしましたね。…リシェア姉様。」
フェリスの声に振り向き、「姉さん」と訂正しつつ、リシェアオーガは微笑んだ。彼等は一応、兄弟の真似をしているので、それらしく振舞っていた。
しかし、フェリスは、様付けが癖になっているので、如何しても、さん付けが難しいようだった。
「でも、どうするんだい?これ?」
アルフェルトの問いに、リシェアオーガは、お土産よと答えた。
彼女の手の中のそれは、何故か、金色に輝いていた。
その後、あちらこちらの店を回り、食べ物や飾り物を物色している内に、何時しか辺りは、薄暗くなっていった。
辺りの店も閉店支度を始め、彼等も、そろそろ神殿に帰ろうと話していた。
この時ふと、視線を感じたリシェアオーガは、その方向に目だけを向ける。
刺すような強い視線を放っていたのは、一人の男だった。
建物が連立しているその間に、身を隠すように佇んでいる男…。
遠目で判る限り、流れの剣士の様な服装で青紫の目、20代半ばの若い男だった。
深く被ったフードの奥から、殺気に満ちた視線を、リシェアオーガへ送り続けている男に、うんざりしたした彼女は、その男に向かって突進した。
彼女の行動に驚いた男は、後ろを向き走り出したが、ロングスカートを穿いているにも関わらず、リシェアオーガの方が足は早く、直ぐに追い着かれてしまった。
「私に、何か用ですか?」
作り笑いを張り付けたリシェアオーガの問いに、男は何も答えず、只…目の前の彼女を凝視していた。彼女の周りにいた筈の、フェリスとアルフェルトの姿は無い。
走り出したオーガに追い付けず、撒かれた状態になったらしい。
男は、彼女の周りに誰もいないのを確認したのか、笑いと共に言い放った。
「お嬢さん、いんや、ルシェルドの騎士さんよォ。
お供も、得物もない状態で追ってくるなんざァ、無謀ってもんだぜェ。しかも、こんだけの美人さんじゃア、余計に物騒だァ。」
そう言い終わるのが早いか、男は剣をリシェアオーガに向けた。
彼女も、スカートの中に隠していた短剣で応じたが、如何せん武器の威力の違いで、押され気味になっていた。加えて強度も悪かったらしく、3・4度刃を合わせただけで、短剣の刃がへし折れてしまったのだ。
舌打ちと共に、無理だったか…の呟きが、リシェアオーガから漏れる。
その呟きを聞こえた男から、再び言葉が紡がれた。
「アンタには、恨みがないが、あのクソ神には、恨みが思いっ切りあるんだァ。
まあ、あのクソ神に選ばれたアンタの運が、悪かったと諦めてくれよォ。」
言葉と共に振り下ろされた剣は、リシェアオーガの体を貫く…筈だったが、大きな棒状の物に阻まれた。
それは、リシェアオーガの剣だった。
何時の間にか、彼等の目の前に現れた剣は、しっかりと布に包まれていたが、受け止めた衝撃で布は破れ、剣の鞘の装飾が男の目に晒された。
「な・いつの間に…って、こ・れ・は…。」
絶句する男をリシェアオーガは、力任せに壁へ弾き飛ばした。その衝撃で男のフードは外れ、自身が持つ肩までの紅い髪を晒した。
起こった出来事に驚く男の目の前で、彼女は破れた布から剣を出した。
この世界で想像上の生き物である龍が、装飾されている鞘は、男の更なる驚愕の根源として映る。
「如何した?この剣を見て、臆したか?」
不敵な笑みと共に、吐き出された言葉で、男は首を振り、自らの気合を正したようだった。
「何で…アンタが、その剣を持っている?その剣は…この世界の物ではない筈…。」
「この剣が、何を意味するか、知っているのか?」
鞘に収まったままの、剣先を相手へ向けたリシェアオーガの問いに、剣先にいる男は、ゴクリと喉を鳴らし、声を震わせながら答えた。
「言い伝えでは…神龍を統べる者の剣だと…聞いた…。本物は初めて見た…ってかァ、それ、本物かァ?」
「ルシム・ラムザ・シアエリエと言えば、判るか?」
「?!…まさか、本物!!いや、でも…。」
「私も、この世界に召喚された。来たばかりだかな。」
リシェアオーガの言葉に、男は混乱していた。
この世界に来るという事は、例の巫女か、巻き込まれた者かのどちらかであった。
男は目の前の人物を、女性に扮しているが、男性と思っていた。しかし、ルシム・ラムザ・シアエリエとなると…。
「アンタ…もしかして、両生体なのか?」
「さあな。そういうお前は、向こうの世界の者か?」
頷く男にリシェアオーガは、納得した。男が【ルシェルドに恨みがある】と言っていた理由は、何と無く推測出来た。
恐らく身近な者が巫女に選ばれ、フェリスと同じく巻き込まれて、ここに来たのであろう。
そして、その巫女が…ルシェルドに喰われて……死んだ。
「オーガ様!!」
思いを巡らせていたオーガの耳に、フェリスの呼び声が届いた。振り返ると、逸れた筈のフェリスとアルフェルトが、息を切らせて立っていた。
大勢いる人ごみの中での人探しは、困難を極めていたので、この短時間で探せるものではなかったが、フェリスの持つ金環が、彼女の居場所を教えたのだろう。
2人が目にしたものは、ここにある筈の無い剣を持って、立っているリシェアオーガと、言葉を失くして、彼女の剣先に蹲っている男だった。
「剣を呼ばれたのですか?」
フェリスの言葉に頷き、再び男に目を移した。
「フェリス、此奴に会った事があるか?」
男を剣で示して、リシェアオーガはフェリスに問った。
彼女に近付き、示された男を見入るフェリス。
男の姿…肩までの長さで夕日の様に紅い髪と、やや吊り気味の、夜明け前の空の様な青紫の瞳、割と整った顔、体付きは無駄の無い筋肉で、かなりの細身、頬の扱け具合からして、あまり栄養が行き渡っていない様にも見えた。
フェリスは、記憶を引き出すように考え耽り、やっと思い当たったらしい。
「ティルザ…さん?貴方なのですか?」
「な~んだ、神官殿か…この世界の神に、へつらう様になったんだな~。」
「いいえ、私は帰依などしていません。私の敬うのは、唯一、一人の神のみです。
この事に一切、変わりありません。」
「…さっきは、ここの神官の服を着てたじゃアないかァ。」
「形だけです。 ルシェルド様にも、許可を頂いています。」
「あの、クソ神にか…!!」
ルシェルドの名を聞いて怒りを顕にし、フェリスに襲いかかろうとする男に、リシェアオーガは、鞘に入ったままの剣で一撃を食らわせた。
リシェアオーガにしては軽~い一撃だったのだが、男にとっては痛~い一撃だった。
打たれた頭を押さえ、男は叫んだ
「何をする?!」
「大馬鹿者。フェリスを傷つける事は、この私が許さぬ。」
真正面から見据え、怒りに満ちた厳しい目を向けるリシェアオーガに、男は怯んだ。恐怖という表情に彩られ、訳も判らずに男は震えていた。本能から来る、怯えだと気付かずに…。
リシェアオーガの言葉に、フェリスは勿体無いと呟き、その場に跪いた。
この世界の神官が取る敬礼では無く、心の奥底に眠らせていた慣れ親しんだいや、体に染みついたと言うべき礼を取っていた。
左膝を付き、左手の握り拳を胸に当て、右手の先を地面に付け、頭を垂れる姿は、リシェアオーガ達の世界での、最敬礼の仕方であった。
アルフェルトには、この敬礼にどんな意味があるのか、判らなかったが、男には判ったらしい。
「…本物の…ルシム・ラムザ・シアエリエ…。」
自らの震えが、畏怖からの物だと判った男は、小さな呟きを漏らした。それを聞きつけたフェリスは、顔を上げ、片膝をついたままニッコリと微笑み、リシェアオーガは頷いた。
「で、この人をどうするの?」
一人、蚊帳の外に、追いやられていたアルフェルトから、リシェアオーガ達に質問が向けられた。
「…そうだな。陰で、こそこそ付き纏われも鬱陶しい故、同行して貰うか。」
「あのクソ神と一緒にいるのは、御免だ!!」
リシェアオーガの答えに、男・ティルザは反論するが、彼女は、その反論を見事に両断した。
「お前の意見は、聞いていない。然し、同行を拒むのであれば、それなりの方法を取らざる負えないが…良いのか?」
「…オイ、強制かよォ。」
「そうだ。何も知らなかったとは言え、お前は私の命を狙った。その罰だ。」
そう言ってリシェアオーガは、自らの右人差し指に小さな傷を付け、そこから流れ出た血をティルザの額に塗りつけた。
そして、指を額に触れさせたまま、呪文の様な言葉・言霊を綴る。
『我、ルシム・ラムザ・シアエリエの名において、汝、我の傍を離れる事を許ざず。我の傍で、共にいる事を命ずる。』
リシェアオーガが言い終ると共に、ティルザの額から紅い色は消え去り、何事も無かった様になっていた。
「な・何をするんだァ!!」
「…罰を与えると、言った筈だ。まあ、私の傍を離れなければ、何事も無い物だが…。」
ニヤリと、不敵な微笑みを浮かべるリシェアオーガに、ティルザは戦慄した。自分が刃を向けた人物が、途轍もない相手だと、悟ったのだ。
ちなみに、傍を離れると如何なるか、彼が身を持って知るのは、ほんの少し先の事となる。
まあ、自分が蒔いた種ではあるのだが。
こうして、ティルザを拉致して神殿に帰った3人は、門前で引き留められたが、新たに従者を雇ったと言って、彼を神殿へ連れ込む事に成功した。
リシェアオーガの剣は、彼女のスカートの中に何とか隠され、ティルザは、リシェアオーガの呪詛(?)によって、始終黙らされていた。




