第五話「記憶の中」
視つけたのは、僕たち三人と小春先生、そして夕鵺先生の五人だった。
いつもの時間になっても陽斗が来なかった。それで、昨日の件もあるからと、永久の病室に行ったのだ。
そこで変わり果てた二人を視つけた。
永久はベッドの上で、陽斗はそのベッドに寄り掛かるようにして冷たくなっていた。
誰かに殺されていたことは明白だった。――永久は誰かと争ったように着衣が乱れていたし、陽斗は首もとに小さな火傷の跡があった。スタンガンの跡だろう。
死因は――首を絞められたことによる窒息死。
小春先生が複雑な表情で、二人の遺体を調べあげる。
僕は嫌に冷静だった。――いや、冷静というよりは現実を把握していないだけだ。何処か遠くに僕の意識があって、この出来事を眺めているような――つまり現実味がないのだ。
しかし、世廉と導茉は違った。
「世廉ちゃん...... 何で......何で」
「............」
導茉は世廉の胸に顔を埋めて哭きじゃくっていた。
導茉の言葉に何も答えない世廉――いや、答えられない世廉は呆然とした様子でただただ泪を流していた。
「何で死んじゃうの?! 陽斗くんも永久くんも......みんな死ななければいいのに! ずっと生き続けていればみんな幸せなのに......」
『生』に固執している導茉は叫ぶように言って、また声を上げて哭き出した。
「さあ、三人ともここから出るんだ。――これから沢山の人が来るから。もしかしたら、君たちの話を聴くこともあるかもしれないからね」
夕鵺先生の口調――いつもと変わらない口調に苛立ちを覚える。
「なんでそんな普通にしてられるんだよ!! 僕らは大切な友達が殺されていたんだぞ!!」
思わず、怒鳴ってしまった。
一瞬の間を置いて、夕鵺先生が言った。
「じゃあ訊くけど、君たちは今さら、この二人に何ができると言うんだい?」
冷たい声だった。
僕は動けなくなった。
いつもの表情で言葉遣いで、声だけが冷えきっていた。
「そ、それは......」
言葉が出てこない僕を無視して、夕鵺先生は世廉と導茉を連れて病室を出た。
二人は形こそ違えど、正気を失っていた。僕たちの声も聴こえていないようだった。
去り際、夕鵺先生に小春先生が
「ちょっと、言い過ぎなんじゃないの?」
と、鋭い口調で言う。
「ボクは事実を言ったまでなんだぜ。死人を前にしてボーッとしてたって生き返らない。何をしたって無駄だ。だったら、違うことをするほうが賢明なんだぜ」
――違うこと?
――僕が陽斗と永久にできること。
――それは。
――忘れないことだ。
二人の人生を僕が視て、絶対に忘れない。それが僕ができる精一杯だ。
僕は陽斗の遺体に駆け寄った。
まだ眠っているように視える。「騙されたな、碑弥夜!」と言って、子供っぽい笑顔と共に目を醒ましそうな、そんな感じがする。
でも、もう陽斗は目を醒ますことはないのだ。
そう思うと、突然泪が止まらなくなった。
泪をそのままに、手袋を外す。
「ちょっと、碑弥夜くん。何を......」
小春先生が慌てたように言った。
僕はそれを無視して、冷たい陽斗の手を強く握った。
陽斗の記憶が――人生が流れ込んでくる。
最初は幼児期の記憶だろうか。
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「ねえねえ、今おじいちゃんがいたよ」
四、五歳であろう陽斗が母親にそう言った。
すると、陽斗の母は怪訝な顔をして、
「何言ってるの? おじいちゃんは死んじゃったのよ」
――死んじゃった?
――うん。確かにそんな話を聴いたけどさ。
――本当にいるんだよ。
陽斗は困惑していた。
「だってだって、本当にいたんだよ。玄関にいるもん」
母親は困ったような表情を浮かべて、玄関に向かった。
「ほら、いないじゃない」
――え?!
――いるじゃん。ちゃんと。
陽斗には心配そうな表情で、こちらを視ている祖父がはっきりと視ていた。
――いるのに、いない。いや、いないのに、いるのか?
――どうなってるんだ?
陽斗はますます困惑した。
母親が行ってしまった後、陽斗は祖父の元へ駆け寄った。
「おじいちゃん。どうしたの?」
祖父は何も答えなかった。
「おじいちゃん。おじいちゃんってば!」
その時、玄関の扉が開いて、父親が入ってきた。
「ただいま。お、どうしたんだ、陽斗」
「......うわっ!」
陽斗は思わず声を上げた。
父の輪郭と、祖父の輪郭が重なってぼやけていたのだ。
「どうした?」
「......い、いや。なんでもないよ」
そのとき陽斗は子供ながらに気付いた。
――俺には視えてはいけないものが視えているだ。
――俺は他の人とは違う。異常なんだ。
――隠さなきゃいけない。
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僕は陽斗の記憶を視ながら、小さく溜め息をついた。これほど長時間、記憶を視るのは初めてだった。
頭の中では陽斗の記憶が流れ続けていた。
それからの陽斗は『能力』をひた隠しにして、日常生活を過ごしていた。
しかし、沢山の幽霊を視て、その幽霊の想いにうちひしがれたり、他人と違うものが視てしまう自分自身を畏怖していた。
だからこそ、自身の『能力』が周囲にバレないように、無理に明るく生活した。自分自身が『能力』を意識しないように、眼帯をした。
『普通』の人達と『普通』に過ごすためには、自分の『能力』はないものとして扱わなくてはいけかった。
しかし、陽斗はそれを理解しつつも納得はできかった。自分で出した回答なのだか、それに違和感を感じていた。
記憶の中で、陽斗は高校生になった。
自分が出るかもしれないと思い、記憶に集中する。
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陽斗は小高い丘のてっぺんに立っていた。
そして、満開の桜の木を視ていた。
いや――陽斗は違うものを視ていた。眼帯はつけていない。
木の前には一人の女性がいた。――女性の幽霊が。
女性は悲しそうな表情で想いを吐露していた。
幽霊の中には、陽斗の祖父のように想いを表情で表現する者や、この女性のように声として表情する者もいた。しかし、その声は陽斗が幽霊の姿を認識していないと聴こえない。つまり、眼帯をつけていると、幽霊の声も聴こえないのだ。
彼女の境遇をまとめると、その女性はある男性に捨てられ、自殺したらしかった。
しかし、その男性のことが忘れられず、彼との思い出の場所である桜の木にいるんだと言った。
陽斗はその話を聴いて「助けたい」と強く思った。
しかし、助ける方法はわからない。
誰かに訊くという手段はあるが、陽斗の『能力』が周囲にバレてしまうし、相手にすらしてもらえないだろう。そう陽斗は思った。
陽斗にできることは毎日女性のところに行って、彼女の話を聴くことだけだった。
――苦しんでるのに、悲しんでいるのに。
――俺は何も出来ない。
そんな自責の日々を繰り返していたある日。高校からの帰り道にある人に声をかけられた。
「ねえ、君『普通』の人と違うよね」
その人は――小春先生だった。
当然のことだが、いきなりそんなことを言ってきた小春先生を陽斗は警戒した。
「......何ですか、急に。それに、誰です?」
「ああ、ごめんなさいね。私は里見小春。ここの孤児院で先生をやってるの」
そう言って、小春先生は『浅葱園』の正門を指差した。
「君、いつもあの丘の上で何してるの?」
『浅葱園』からはあの丘が視えるのか。陽斗はそう思った。
「え? ......な、何もしてませんよ」
咄嗟に誤魔化す。
「私、知ってるのよ」
小春先生が言った。
陽斗は耳鳴りを覚えた。
――きぃぃぃぃぃん。
――そうか。この人は全部知っているのか......
陽斗はしらを切るを諦めた。
「そうですよ。......僕は、幽霊が、視えています」
それを聴いた小春先生は嬉しそうに笑った。
「ありがと。ちゃんと話してくれて。......実は、この孤児院には君と同じように色々な『能力』を持った人たちがいるの」
「『能力』?」
――俺と同じような人がいる?
「それで、なかなか他の人とは馴染めないみたいで......」
――馴染めない? 俺と同じだ。
「あの! その人たちに会ってみたいんですけど」
すると小春先生は手を叩いて言った。
「本当に? ありがとう。本当は『会ってほしい』っていうのは私から提案するつもりだったんだけど。君が進んで言ってくれるとは、感激よ」
――もしかしたら、仲良くできるかもしれない。本当の意味で。
陽斗は希望を見出だしていた。
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僕はまた溜め息をついた。
やはり、ある程度休憩を入れないと、記憶が不明瞭になる時がある。
今までの記憶を視て、気付くことがあった。
陽斗は永久に幽霊を助ける方法を執拗に訊いていた。その原因の一つはその丘の上の幽霊だったのだ。
さらに、気になることがあった。
陽斗は小春先生にあっさりと『能力』のことを自白した。
しかし、小春先生が陽斗の『能力』を知っている確証は何処にもないのだ。
しかし、陽斗は正直過ぎるところがあったし、小春先生の誘導尋問にまんまと引っ掛かったとも言えるかもしれない。
しばらくは『浅葱園』での思い出が流れてきた。
それを視て、陽斗とは親友だったと再認識した。陽斗は僕を信頼してくれてした。僕も陽斗を信頼していた。
でも時々、僕の軽口が陽斗を傷つけていたこともあった。
――陽斗、ごめんな。
謝ってどうにかなるものではないが、謝るしかなかった。
さらにしばらくすると、昨日の幽霊の件の記憶が流れてきた。
陽斗の言っていた通り、精神病棟に消えた幽霊は深い悲しみを顔に刻んでいた。
そして、今日の早朝。
陽斗は孤児院からまた、壊れている電子ロックの扉を通って、永久の元へ向かっていた。
意識をこれまで以上に集中する。
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陽斗は永久の病室の前にいた。
「入ってきて構わない」
陽斗は驚いた。扉が開いていなかったからだ。
「なんだ、私に用があるんじゃないのか。ないのなら、すぐに帰ってくれ。そこにいられると気が散る」
扉の向こう側から聴こえる声に苛立ちが含まれていたので、陽斗はあわてて扉を開ける。
「入るなら早く入ればいいものを。time is money という言葉を知らないのか」
「......ご、ごめん」
十歳に簡単に謝っている自分がいて、陽斗は自嘲する。
「なんの用だ? ――まあ、察しはつくが」
「あの――精神病棟に消えた幽霊は誰なんだ? 当たりはつくって言ってただろ。それに、どうやったら彼女は救われるんだ?」
「質問を幾つも投げ掛けるな。――まあ、お前はそういう愚直さのある人間だからしょうがないか」
「お前はそういう勿体ぶった喋り方をやめるべきだな。time is money じゃないのかよ」
陽斗は苛立ちを覚えていた。
「言ってくれるじゃないか。そういう性格は嫌いじゃない。しかしな、私にとっては長時間話すことも対象の内面を外が出る可能性が高いから、そういう意味では価値があると言える」
「早く答えろよ!!」
陽斗は叫んだ。
「それが人にものを頼む態度か?」
相変わらず淡々とした口調で永久は言った。
「......お、お願いします」
埒があかないから丁寧に言ったが、十歳に敬語を使っている自分を陽斗はまた自嘲した。
「それでいい。――その幽霊は恐らく、前に言った自殺した新人類だ」
「じゃあ、彼女は何を望んでるんだ? 自分を自殺に追いやった人間を殺すことか?」
「なんでそんなに短絡的なんだ? まさかお前は幽霊は皆誰かを祟ろうとしてるなんて愚か者の考えを持っているんじゃないだろうな?」
陽斗はハッとした。確かに短絡的だった、と思った。
「じゃあ、なんで?」
「彼女の人格を視たことがある」
永久はそう切り出した。
「――彼女は慈愛に満ちていた。復讐などを望むはずがない。彼女の幽霊が抱いているのは言わば『心配』だ」
「『心配』? 誰に対する、何の心配だよ」
「他の新人類が迫害を受けるかもしれないという『心配』だ」
「じゃあ、何で彼女は『浅葱園』に現れるんだ? 今までの経験上、幽霊はその想いに関わる場所に現れるんだぞ」
その問いに永久は人を小馬鹿にしたような表情で言った。
「そこまで幽霊に対して分析ができてるなら、わかるだろう」
永久は一呼吸置いて、続けた。
「彼女を自殺に追いやった人間は――」
そこまで言って、永久は言葉を切った。
「どうしたんだよ!」
永久の目が見開かれた。視線は陽斗の――
――後ろ?
陽斗は振り返った。
そして、
陽斗の意識は暗転した。
陽斗が最後に視たのは
白衣だった――
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
突然切れた陽斗の記憶。
僕は息が止まった思いだった。
多分、振り返り際にスタンガンを受けたのだろう。
そして、殺された――
僕は何度目かの溜め息をついた。
しかし、あの白衣――陽斗が最後に視たもの。
頭の中を一閃が駆ける。
あれは、犯人の手がかりだ!
でも、永久の記憶にはもっと手がかりがあるかもしれない。永久は犯人の顔を視ていたに違いない。
僕はそう思い、永久の遺体に近づいた。
「はーい。碑弥夜くん、おしまいよ」
小春先生が後ろから言ってきた。
「......で、でも」
「永久くんの記憶は君には耐えられない。やめておきなさい」
僕は耳鳴りを感じた。
――きぃぃぃぃぃん。
――そうか。なら、やめておこう。
――だって、小春先生が言うんだから。
二人を殺した犯人の手がかり――それは、白衣。
犯人を必ず見つけ出すと僕は、陽斗と永久に誓った。