第四話「一人目」
「あ、あっ......の...」
驚いて、言葉が続かない。ただ、心臓を無造作に鷲掴みにされたような感覚を覚えた。
「あれれ、そんなに驚いた?」
僕たちに声をかけた男は軽薄そうな口調でそう言いながら、頭を掻いた。そして、続ける。
「そんなに驚かせるつもりは無かったんだけどなぁ。でさ、何してるの?」
どう答えるべきだろうか。嘘を吐くか、本当を伝えるか。
一時の沈黙。そして男が口を開く。
「あ、いやいや、言いたくないなら、言う必要はないよ。――秘密を持つことも必要だと思うぜ」
そういうことならと、僕は小さく頷いた。
男は何故か真っ黒なサングラスをかけていた。長身で白衣を崩して着ている。
「いつから僕たちの後ろに?」
今まで黙っていた世廉が男に訊く。
「んー、そこの女の子が『怖かったよぉ』って言ってた時から、かな」
突然、話に自分が出てきた導茉はビクッと身を震わせる。
「全然気づかなかった......」
陽斗が警戒心を含んだ声で言った。
「まあ、ボクは影が薄いって言われるからね」
この人の口調は嘘を吐いているのか、真実を語っているのかの判断ができない。サングラスをかけているのもその一因だろう。
「それより、ここには山姥がいるんだぜ。都会の山姥は環境の不適合で凶暴化してるらしいよ」
「や、山姥!?」
導茉がまた半泣きになる。
「そうそう、気をつけないと食べられ――」
男がいいかけた時、陽斗が「あっ...」と声を洩らした。
「ん? もしかしてキミも山姥が怖いのかい?」
「誰が、山姥だって?」
そう声がして、男の背後から手が出てきた。
その手は男に綺麗にヘッドロックを決めた。
「もう一度、訊くわ。誰が山姥だって?」
男の後ろにいたのは、僕たちを担当している里見小春先生だった。
「...参った、参った。勘弁して下さいよ」
「ふん。夕鵺、私を馬鹿にすると痛い目に遭うわよ」
「わかりました。これからは陰口だけにします」
「それを言ったら意味ないでしょ!」
そう言って、小春先生は夕鵺と呼ばれた男の鳩尾に鋭いパンチを入れる。
呻いている夕鵺さんを無視して、先生は僕たちの方を視る。
「――で、君たちは何をしてるのかな?」
先生は普段は優しいが、怒ると怖い。男性にヘッドロックとパンチを入れるほどだ。
嘘をつくべきではない。
そのことを四人全員が悟ったようだった。
正直に事情を話す。幽霊のこと、電子ロックを破壊したこと、などだ。
幽霊のことを話した時に、小春先生の顔が一瞬曇ったのが気になった。
一通り話した結果、僕たちはこっぴどく説教され、一週間のトイレ掃除のペナルティーを課せられた。
そして、六人で孤児院側の棟に戻ることになった。
「そういえばさ」
夕鵺さんが口を開いた。
「自己紹介がまだだったね。――ボクは朝比奈夕鵺。よろしくね」
「こいつは、一応孤児院の職員だから。まだ経験が浅いから私と一緒に行動してるのよ」
小春先生が捕捉する。
「でも、小春さんもやっと仕事に慣れたところですよね」
夕鵺先生が悪戯っぽく笑った。
確かに、小春先生もここに配属されて一年も経っていない。でも、小春先生は優秀という話を聴いたから、教育係としてはピッタリかもしれない。
「だったら何で、あっち側の資料室にいたの?」
導茉が不思議そうに訊く。
あっち側とは精神病棟のことだろう。
確かに、精神病棟に二人がいたのは少し不自然だ。
小春先生の顔が曇る。「あ、えっと......」と言葉に詰まる。
「なんかあるんすか?」
陽斗がさらに訊く。
「いや、気にしないで、なんにもないわ」
小春先生があわてたように言った。
突然、耳鳴りがした。
――きぃぃぃぃぃん。
小春先生の表情――曇っていた表情――が気にならなくなった。むしろ、普通の表情に視えてきた。
気にすることはないのだ。
だって、小春先生が「なんにもない」って言ったのだから。
精神病棟の廊下を歩いていると、一つだけ、扉の開いている病室があった。
「先生、何であの部屋の扉開いてるんですか」
陽斗が訊く。
「えっ? 何?」
「はい? ごめんねー。もう一回言って」
小春先生と夕鵺さんの二人が反応した。
「あ、小春先生に訊いたんです」
「あらら、そうだったか。でもさ、ボクも一応キミたちの『先生』なんだぜ」
「そうだよ。覚えておいてね。――で、何を訊いたの?」
小春先生が陽斗に訊き返す。
その時、ちょうどその部屋の前を通った。
「いや、この部屋、何で扉が開いて――」
陽斗が言いかけた時、その部屋の中から声がした。
「――いつもと違う人間がこの病棟に入った気配がしたからだ」
聴こえてきた声に違和感があった。何かがずれているような、違和感。
声の高さでみれば、少年のような感じがする。だけど、口調や声の雰囲気から老成した感じがしたのだ。
「永久くん。気づいてたの?」
小春先生が部屋の中に向けて、言った。
「まあな。部屋に入ってきてくれないか。気配の正体に会わせてほしい。――あと、永久『くん』と呼ばないでくれ」
「あなたは十歳でしょ」
小春先生が苦笑しながら言う。
十歳?! この声で?
「君たち、入ってきて」
小春先生に促されて、僕たちは部屋に入った。
病室の中は、また異様な光景だった。
病室の中も嫌な白で統一されていた。しかし、異様なのはそれだけでない。
本が山積みされていた。
山積みは比喩というよりは視たままを表現しただけだ。
病室の至るところを壁を覆い隠す量の本が文字通り『山積み』されているのだ。
「うわぁ...... 本がいっぱい...」
導茉が感嘆の声を上げる。
「あなたが永久くん?」
世廉がベッドの上に座っている少年に訊ねた。
ベッドに目を向ける。そこには少年がいた。しかし、その雰囲気はまるで老紳士のようだった。
「ああ。私は八神永久だ。――それにしても君も私を『くん』をつけて呼ぶのか」
「あ......気を悪くしたならごめんなさい。――だって男の子みたいだし......」
「容姿だけで人を判断するのは頂けないな。大人の姿をして心が子供のような人間がいるだろう。私はいわばその逆だ」
容姿が十歳の少年に怒られている世廉を視ていると、なんだかとても滑稽だった。
よく、大人びた子供を『ませている』と言うが、永久はその比ではない。姿と声を気にしなければ完全に大人だ。
「それより、君たちは全員能力を持っているだろう」
永久が落ち着いた声で言った。その声は訊いているというより、確認しているようだった。
「え......は、はい」
僕は答えたが、困惑していた。
「なんでわかった?」
陽斗が怪訝そうに訊く。
導茉も不思議そうな顔をしている。
「私も能力――というよりは『病気』を患っていてね」
「『病気』?」
世廉がますますわからない、という表情をする。
「永久は、『視た生物のステータスを解析して覚える』ことができるの。例えば、永久が世廉を視た時、世廉の身長などを見極めることができるのよ。さらに身長だけじゃなく、人格や知能、そして世廉に『能力』があることもわかるの」
小春先生が説明する。
「それって、すごい『能力』じゃないか」
陽斗が驚いたことが視てとれる。
「いや、私は覚えることはできるが忘れることができないんだ。もし、私がこの精神病棟から生物が沢山いる外の世界にでたら、情報の量が多すぎて私の脳が崩壊する恐れがある」
「それで『病気』か......」
陽斗がやるせないという表情で言った。
つまり、この少年にとっては外の世界にでることは死ぬことなのだ。
「だから、病室で本を読むことしかやることがないのだよ。まあ、その本も中々の量になってしまったが」
永久が苦笑して言う。
僕は山積みになっている本を視た。
各分野の専門書から小説まで様々な種類の本があった。特に多いのは神話についての本だろうか。
「神話が多いね」
僕は思ったままを口にした。
「まあな」
「神様を信じてるの?」
導茉が永久に訊く。
「私は信じていない。読んでいるのは単純に面白いからだ」
「じゃあ、神様はいないと思ってるの?」
さらに導茉が訊く。
「神は信じる人間には存在する。逆に言えば、信じない人間には存在しない。そもそも神とは希望だ。偶像だからこそ人々はすがることができる。形あるものは不完全だからな。私は希望を抱く必要がない。つまり、神を信じる理由がない。信じる理由がないのだから、私に神はいない。」
ポカンとする導茉。
僕も呆気にとられていた。
これが十歳の思考だろうか。にわかに信じられない。
「噂通りのご講義だね」
夕鵺先生が拍手しながら言う。
「君は......朝比奈夕鵺だな。褒められていると受けとっておこう」
「いやいや、褒める気はないさ。ボクの質問に答えてもらうために持ち上げただけだよ」
夕鵺先生は時々、相手を怒らせることを敢えて言う。しかし、永久は至って冷静に
「質問?」
と訊いた。
「ああ。神が偶像でしかないってのは賛成だ。じゃあさ、この世で頂点に君臨する生物は人間でいいのかな?
永久は少し考えて、話し始めた。
「神は神話で七日間でこの世界を創ったと言われている。とすれば、七日間で滅ぼすこともできるだろう。しかし、それは人間もできる。核とか言う馬鹿げた兵器による戦争起きれば、最悪七日間もかからずに世界は滅ぶだろう。そして、他の生物にはそれはできない。つまり、破壊だけを言えば神に最も近いのは人間だ」
「なるほどねぇ」
「ただし、ホモ・サピエンスが頂点に立てる理由は個体数が異常に多いからだ」
「と、言うと?」
夕鵺先生ではなく、小春先生が訊いた。
病室にいる全員が永久の話に引き込まれていた。
「個体数の問題さえクリアできれば、頂点に立てる生物がいる」
「それは、何?」
「進化した人類だ」
......進化した人類?
「そんな人がいるんですか?」
「ああ、確かにいる。そいつを視たことがある。――しかし、彼女は自殺した」
「え? どうして?」
世廉が声を上げる。
「人間は自分たちと違う存在に幾らでも残酷になれる。彼女は本来下等である人間たちに長期的に精神的、肉体的にダメージを受けたのだ。――人間は自分たちが頂点でなくなるのを恐れて、進化した人類を殺した」
人間は時に身勝手だ、そう思った。
沈黙。
重い、沈黙。
しばらくして口を開いたのは小春先生だった。
「永久くん、今日はここまで。さ、君たちも帰るわよ」
そう言った直後、今まで黙っていた陽斗が声を上げた。
「なあ、永久。お前、幽霊を信じるか?」
「ちょっと、陽斗。もう戻る――」
小春先生がたしなめる。
しかし、小春先生の声を無視して永久は話し始めた。
「君の『能力』は幽霊が視えるというものだったな。――『能力』は偽りではない。ということは幽霊はいるのだろう」
「だったら、幽霊を助けることはできるか?」
「助ける?」
初めて、永久が怪訝な表情をした。
「ああ。この病棟に幽霊がいるんだ。その幽霊は悲しそうな顔をしてた。そいつを助けたいんだ」
「......断言はできないな。だか、幽霊とは人間の想いの塊のような感じがする。ならば、その想いを果たすことができれば、助けたことになるんじゃないか」
陽斗はハッとする。
「そうか! 幽霊の想いを遂げるか...... ありがとう!」
「ちなみに、視たことはないが、その幽霊が誰なのか、そして何を願っているかは当はつくぞ」
永久の言葉に陽斗は目を見開く。
「本当か!! 教えてくれ」
「はいはい。陽斗、もう時間も遅いから続きは明日にしなさい」
小春先生が陽斗に言う。
「だって――」
「みんな待ってるのよ!」
小春先生がいつになく強く言うと陽斗は渋々「わかった......」と納得した。
永久はその光景を意味深な眼差しで視ていた。
何もかもを視透かすような瞳で。
そして、僕たちは孤児院棟に戻った。
「あ、そうそう。世廉と碑弥夜」
電子ロックの扉を通ってから、小春先生が僕たちに向けて言った。
「はい?」
「何ですか?」
「実は......二人には来月ぐらいにこの『浅葱園』を『卒業』してもらうわ」
え?
唐突な言葉に困惑する。
卒業?
「ええ。出てからはそれぞれの『能力』が役に立つ職場を提供するから。つまりは一人立ちね」
話が一方的すぎて、理解が追いつかない。
「よかったな! 二人とも!」
「一人立ちかぁ、頑張ってね」
陽斗と導茉も喜んでいる。祝ってくれる。
「あ、ありがとうございます」
一応、僕は言った。続けて、世廉も同じことを言った。
なんだか、実感が湧かない。
世廉も同じようだ。ポカンとしている。
結局、その日は先生たちや孤児院の友達に祝福を受けた。もう泪している人もいた。頑張れよ、と声をかけてくれる人もいた。
実感のない僕たちは、ろくな返答ができなかった。
もうすぐ嫌でも実感するだろう。その時、しっかりとみんなにお礼を言おう。
そう思いながら、眠りについた。
そして、次の日。
精神病棟で。
永久と陽斗が。
何者かに殺された。