第三話「扉の向こう」
「おい、碑深夜。置いてくぞ」
「......悪い悪い」
陽斗が探検だと言ったからか、何となく廊下を見回していた。
この『浅葱園』を上から視ると『H』の形をしている。ただし、縦の線の部分が太い歪な『H』だ。
右の縦の線にあたる部分は、僕たちが暮らしている孤児院だ。
左の縦の線にあたる部分は、鬱などの人が入院している精神病棟になる。
そして、横の線にあたる部分が二つの棟を繋ぐ通路になっている。ほとんどの人はここを通ることはできない。導茉が言っていた通り、電子ロックで施錠された扉があるのだ。その暗証番号を知る人間は数少ない。
「ねぇねぇ」
「どうしたの。導茉」
世廉が導茉に訊く。
「この絵、すごい上手じゃない?」
確かに、綺麗な風景画だ。描いている景色は夕日をバックにした『浅葱園』だった。
しかも、この絵は何かの賞を受賞しているようだった。
「なあ、この絵の作者名視てみろよ」
「作者?」
そこには、『小羽世廉』とあった。
「うわぁ! すごい、これ世廉ちゃんが描いたんだ!」
「絵、得意なんだな。知らなかった」
僕は思ったままの感想を口にした。
当の世廉は、顔を真っ赤にしていた。
「もしかして、世廉照れてんの?」
陽斗が茶化す。
「ち、違うよ。あ、暑いだけよ」
「世廉ちゃん、今涼しいぐらいだよ。熱あるの?」
導茉が本当に心配そうに言った。
「ね、熱なんかないよ。ただ――」
「照れてるだけ、だろ?」
陽斗の追撃が世廉を追い詰める。
流石に、世廉が哀れになったので助け船をだす。
「陽斗、その辺にしとけよ」
真っ赤のまま、俯く世廉。どうやら、褒められ慣れていないようだ。
廊下の壁には世廉の絵以外にも、園児のたくさんの絵が貼られていた。題材は果物だったり、アニメのキャラクターだったり、作者の友達だったりしている。
そんな風景をみて、
昔通ってた保育園もこんな感じだったな。
と、まだ両親がいた頃を思い出した。
同時に――
僕の両親は何を想い、僕を捨てたのだろうか。
そんな疑問が僕の頭の中を支配した。答えなんてわかるはずもないのに。
僕はその疑問を振り払うために、目を瞑り、小さく首を振った。
「碑深夜くん、大丈夫? 何処か痛いの? しるまが治してあげようか?」
導茉が僕の顔を覗き込んできた。
「いや、大丈夫だよ」
「ねえ、碑深夜。見回りの先生だよ」
世廉が僕を視て言う。
世廉が言いたいことがわかった。
職員が見回りをした記憶を僕の『能力』で覗けば、次いつ、目的の場所に来るかを予想できるはずだ。
目的の場所である、電子ロックの場所は近づくだけで叱られることもある。近づくのは誰にもバレないほうがいい。
手袋を脱ぐ。小走りで見回りの職員に近づく。
「あっ」
「うあっ」
わざとぶつかる。そして僕は尻餅をつく。
「大丈夫かい?」
職員が僕に言う。
わざとらしい気がしたのだが、特に疑問は抱いていないようだった。
「は、はい。すいません。前視てなくて」
「気にしなくていい。でも走るのはよろしくないな」
そう言って、職員は未だに倒れている僕に手を差し伸べた。もちろん素手だ。
「は、はい。すいませんでした」
そう言いながら、職員の手を握った。
職員の記憶が僕の頭に流れ込んできた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
職員は電子ロックのある廊下を歩いていた。
電子ロックを職員の視界が捉える。
近づき、施錠されているかを確認する。
「よし、大丈夫だな」
職員は踵を返し、歩き出した。
しばらく歩いていていると、僕が小走りで近づいて来た。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
意識を職員の記憶から逸らす。必要なことはわかった。
「廊下は走らないこと、いいな」
そう言い残して、職員は見回りを再開した。
遠くで様子を伺っていた三人が駆け寄ってくる。
「どうだった?」
世廉が訊いてくる。
「大丈夫だ。ついさっきに電子ロックを確認してた」
直前の記憶というものは、忘却が全くなく、鮮明なままなのですぐに知ることができるのだ。
「あんた今、幽霊視えてるの?」
世廉が今度は陽斗に質問する。多少、苛立ちを含んだ口調だ。
「まだだ。でもこの前視たのも、電子ロックの扉のところだしな」
陽斗は言いながら、右目の眼帯に触れた。
陽斗は右目に眼帯をつけている。本人曰く、想いの塊である幽霊はその想いが強ければ強いほど、目に負担がかかるため片目を眼帯でおおっているのだと言う。でも、眼帯姿を少し格好いいと思ってもいるようだ。
廊下を見回しながら歩いていると、あることに気づいた。
もうすぐで、電子ロックがあるところに着くのだが、近づくにつれて廊下の装飾や絵などか少なくなってきているのだ。
まるで、人が電子ロックのところに近づかないようにしているようだった。
廊下を折れ曲がる。遠くに電子ロックが付いた扉が視えた。
しかし、陽斗には違うものが視えているようだった。
「あ、いるぞ。幽霊だ」
「ほんと?」
導茉が僕にしがみつく。
「何でこんなところにいるのかしら」
「確かに」
僕は世廉の言葉に同意する。
「さあな。でも、何か理由があることは確かだ。――あ、扉の向こうに消えていきやがった」
「いなくなったの?」
「らしいよ」
視えていない幽霊を怯える導茉に僕は言う。
「なあ、扉の向こうに行ったってことは、精神病棟の方にあの幽霊がいる原因があるんじゃないか?―― 行ってみようぜ」
「何言ってるの? 導茉怖がってるじゃない」
世廉の言ってることは正しい。無理にこれ以上行く必要もないし、電子ロックがあるから進むこともできないのだ。
「でもよ、あの幽霊、何か悲しい顔してたんだよ」
陽斗のその言葉に導茉が反応する。
「え、じゃあ、その幽霊さんは、苦しんでるの?」
「かもな」
陽斗が言う。
「だったら、しるま助ける! ――行こ、陽斗くん」
急にやる気を出した導茉は、陽斗を引っ張って行きながら、電子ロックの方を歩いていった。
「お、おい。電子ロックがあるんだから、通れないんだぞ」
僕が二人に言う。
しかし、陽斗は
「何言ってるんだよ。電子ロックなんて、世廉の『能力』で壊せるだろ」
と、無茶苦茶なことを言い出した。
「頼む。世廉、やってくれよ」
「え、でも......」
「俺ら『友達』だろ。頼むよ」
陽斗の言葉に世廉はハッとした表情になる。
「そうだ......『友達』なんだ...私たち......」
小さい声でそう呟いて、世廉は電子ロックの方へ歩いていった。
「お、おい! まずいって......」
「私、陽斗と『友達』でいたいから!」
何言ってるんだ......?
その時、前に視た世廉の記憶を思い出した。
ああ......そうか。そういうことか。
『あの経験』があるから、世廉は『友達』に固執するのだ。そして、思い詰めた末、自分を傷付ける、という行動にはしるのだ。世廉の体には自傷の傷がいくつもある。導茉が治せるのに、それも頑なに断っている。
そんな世廉の説得を、僕は諦めた。
「碑深夜くん、誰か来ないか視ていて」
導茉がやけに用心深いことを言う。
僕は導茉の言う通り、廊下の様子を窺うことにした。
廊下には誰もいない。
しばらくすると、三人のいる方から「バチッ」という音がいた。
僕は三人に駆け寄る。
「壊したのか?」
「ああ」
陽斗が短く答えた。
電子ロックの小さな画面には「ERROR」と表示されていた。
これで先生たちに見つかれば、必ず説教だ。
「あ、扉が開くよ!」
導茉が不用心に扉を大きく開けた。
「やば......」
僕たちは導茉を引っ張って、扉の陰になるところに身を隠した。
数十秒経っても、誰も来ない。
「......大丈夫みたいだな」
僕たちは陽斗の言葉に頷き、扉を向こう側、精神病棟に足を踏み入れた。
「............」
「............」
「............」
「............」
僕たちは言葉を失った。
精神病棟は真っ白だった。気味が悪いぐらい真っ白だった。
しかも、白の質が異様だった。
精神病棟の白は光沢や艶が一切なかった。
しかし、汚れているわけでもない。
ただただ、無機質でのっぺりとした白が廊下を覆っていた。壁には装飾など一つもない。
「なにこれ......気味が悪いわ」
やっと言葉を発したのは世廉だった。
「しるま、この白綺麗じゃないって思う」
導茉の言う通りだった。とても嫌な白だ。
「なあ、陽斗。幽霊、いるのか」
僕は陽斗に訊いた。あまり、ここに長居したくなかった。
「どっかに行っちまったみたいだな。探すか」
そう言って、陽斗は周りを見回した。すると突然、「あっ」と声を上げた。
「どうした?」
「あっち。人が向かってきてる」
陽斗が指差した方向には確かに、人がいた。そして言う通り、こっちに向かってきていた。
「こっちだ」
僕たちは足音をたてないように注意しながら移動し始めた。
廊下にある物陰に隠れるわけにはいかない。
走りながら、手当たり次第に鍵のかかっていない部屋を探すが、全て電子ロックがかかっていた。
「くそっ」
陽斗が吐き捨てる。
「ここ開いてる!」
世廉が言う。
僕たちはその部屋に飛び込んだ。
資料室のような部屋だった。僕たちは扉にある小さな窓から廊下の様子を視た。
少しすると、さっき視た職員(?)が通りすぎていった。
「ふぅ......」
僕は息を吐いた。何とかやり過ごしたようだ。
導茉なんか、半泣きだ。
「怖かったよぉ...」
「もう、大丈夫だ」
陽斗が導茉に言う。
すると、突然後ろから
「ねえ、君たち一体何をしてるのかな?」
声がした。