終末医療
最近、職場の雰囲気が悪い。
元々、澤井姫が喧嘩の火種であることが多いが、今回は遠嶋さんが吹っかけているらしい。
遠嶋さんは三カ月ほど前に新しく入ってきた職員である。男性。介護歴六年。仕事は巧い。
巧いが、それだけに妥協の利かない性格のようで、相手にも同じだけの技量を要請する。また、以前には老健に勤めていたということだが、そこでの仕事と、今の職場での仕事との違和感を感じているという。
それはそうだろう。
この施設は人生の墓場である。
これは字義通りの意味である。入居者である老人が怪我や病気になっても受診・入院をしない(家族が希望していないから)。家族から捨てられ、ケアマネからも介護部長からも看護師からも見捨てられ、要するに社会から見捨てられている。
これは、例えば別の施設であれば話は異なる。何かあればすぐに受診、必要があれば救急車を呼ぶ。
しかし、該施設ではそれをしない。
見殺し。
これが、ひとつの人間の末路である。
それが僕には我慢がならないのである。
自分でもおかしいとは思う。「人間なんて滅んでしまえ」と、平生から考えている僕などは殊に、そのような思考矛盾に陥ることがおかしい。
僕はいったい何を考えているのだろう。胸裡にもやもやとしたものが、とぐろを巻いている。俺は何がしたいのか? 何が言いたいのか?
介護士は医療行為はしない。というより、医療行為は禁止されている。それは医者および病院の役目である。では介護施設および介護士は何のために存在するのか? それは、老人の余生を安楽なものにするためである。医者であれば、暴れる患者がいれば身体拘束を行い薬物投与をする。しかし介護士はそれをしない。あくまでも「個人の尊厳」を尊重して相手をする。
介護士は(積極的には)治療をしない。出来ない。
食べ物・飲み物が摂取できなくなり、衰弱して徐々に死んでいくさまを眺めていることしか出来ないのである。極論すれば、これが終末医療である。
何が終末医療だ。






