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眼鏡男子の日常  作者: きり
第6章 戦う日常
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『嶋野さん! ……何で開かないんだ!』

 箱に額を打ち付け、力尽きた俺は、その場にしゃがみ込んだ。

《この箱が、お姉ちゃんを出してくれないんだ》

 俯いた視界の端に、足が見えた。

 顔を上げると、先程の少年が立っていた。

《お姉ちゃん、そこから出る事を怖がっているんだ》

 少年の言葉に、彼女を改めて見遣る。

 見開かれたその虚ろな眼差しからは、彼女の心の中を知る事は出来なかった。

 怖がっている?

『嶋野さん、聞こえているか! そこから出たくないのか?』

 膝を突き、彼女の顔をじっと見詰める。

 しかし感情の無い人形のように、微動だにしなかった。代わりに、箱が震え、小さくなった気がした。

 こいつぁ、いったい……。

《お姉ちゃん、出たいって、言ってるよ》

 横では、早く早く、と少年が地団駄を踏んで俺を急かしている。

 そうは言われてもだなぁ。

 開封口の無い箱から、どうやって出せばいいっていうんだ。

『嶋野さん、何とかそこから出て来れないか?』

 半ばやけくそ気味に尋ねてみる。

《お兄ちゃん、箱がお姉ちゃんを出してくれないんだってば!》

 さっきも言ったでしょ、と、呆れたように少年が言った。

《お兄ちゃん、出て来ても大丈夫だよね? 怖くなんてないよね?》

 彼の言葉に、大きく頷く。

『ああ。嶋野さん、怖くないよ。さあ、出て来るんだ』

 だが、俺の言葉が彼女の耳に届いたのか否か。

 その姿からは相変わらず判断がつかない。

 参った。八方塞がりかよ……。


 ――……ケテ。


 一瞬、空耳かと思った。

 しかしそれと同時に箱が振動し、再び小さくなった。

『嶋野さん! 嶋野さん! 頑張るんだ! そこから出て来るんだ!』


 ――デ……キ……ナ……イ。


 彼女の声が聞こえた。

 いや、声ではないだろう。

 これは彼女の心の叫び。

『怖がるな! 勇気を出すんだ! このまま死んでしまいたいのか!』

 ドン、と片手で箱を打つ。


 ――……死……ニ……タクナ……イ。


 虚ろな彼女の瞳から、一雫、涙が零れ落ちた。

 零れた涙が、箱にポトリと落ちた瞬間、箱が今までに無いくらい、激しく揺れた。と、同時に、その大きさが一気に縮まり始める。

 やばい!!

『うおおおおお!!』

 渾身の力を振り絞り、箱の角を両手で掴むとそれぞれ反対方向へと、引き裂こうと力を入れる。

《お姉ちゃん、頑張って! お姉ちゃんは独りじゃないよ!》

 横で少年が、箱を激しく叩いて嶋野さんに話し掛けている。

 メリッ――という、木が軋むような音が聞こえた。

 俺の指の先からは、血がにじみ出て来た。


 ――……生キ……タ……イ。


 彼女の声が俺に力を与えたのか、それとも箱が力尽きたのか……。

 メリメリという音と共に、箱が壊れた。

 中から、ぐったりと動かないままの嶋野さんを急いで両手で抱え出す。

 するとそれを合図とするかのように、視界が晴れた。石で出来た迷路のような場所に、俺達は立っていた。

《お兄ちゃん、急いで! 恐い人がやって来る!》

 少年の声を合図にするかのように、背後から地鳴りのような音が響いてきた。

 振り向くと、巨大な黒い影が怒号と共に迫って来ているのが分かった。

『ぼやぼやするなよ』

 抱いていた嶋野さんをそのまま肩に担ぎ上げると、片腕で少年の腰を抱き上げた。驚いている様子の彼を軽く無視して、走り出す。

《お兄ちゃん、ここを右!》

 迷路のように無数に続く道を少年の指図に従いながら駆け抜ける。生身の人間ではないであろう二人は、生身の人間であるかのようなずっしりとした重みがあった。

 俺、生身じゃねぇよなぁ。

 この状況下に於いて、そんな呑気な事を考えてしまう。

 それにしても重てぇのなんのって。

 二人の重みからか、短距離選手の定めなのか、はたまた単なる運動不足なのか……。俺自身、限界が近付いて来ているのを感じていた。

 どうするよ、俺!

《お兄ちゃん、あの角を左に曲がったら、出口は直ぐだよ》

『了解!』

 この面子に於いて、司令塔が少年と言うより幼児に近い彼だという事に、ふと気が付き苦笑する。

 まだ、笑えるくらいの余裕があるか。

 そう思うと、自然に顔が綻ぶ。

《お兄ちゃん、笑っている場合じゃないよ!》

『へいへい』

 笑っている俺を注意する彼に、益々笑いが込み上げる。

 い、いかん、いかんぞ、俺。ここは耐えるんだ。……笑いを。

 無理矢理しかめっ面をしつつ、足は自然に上がる。後少しだ。

 けど不思議だ。何故俺は、見ず知らずの少年の言う事を、こうも素直に信じるのだろう。

 そして言われるままに辿り着いた先には、光が溢れていた。

 暗闇とは反対に、眩し過ぎて前が見えない。目が痛い程だった。

『ここか?』

 誰とはなしに呟く。

 俺の腕の中で少年はそうだと答えた。

 しかし、チラリと見えた先には、映画やドキュメンタリー番組でしか見た事が無いような、足が竦みそうな断崖絶壁と言うに相応しい崖が見えた。

 き、気のせいだろうか?

 とは思っては見ても、目に見える恐怖に人間そうそう立ち向かえないものである。

《お兄ちゃん、何をしているの? 急がないと、恐い人に捕まっちゃうよ》

 腕の中で少年がもがく。

 いや、そうは言われてもだなぁ……。

 尚も躊躇していると、背後に巨大な影が差し迫っているのを感じた。

 どうするよ、俺。

 前方光と背後の影を何度も交互に見比べる。

《お兄ちゃん!》

 少年が叫んだのと、巨大な影がその手を嶋野さんに伸ばしたのと同時だった。

『クソッたれ!』

 俺は、二人を抱えたまま、光の中に飛び込んだのだった。



 嶋野さんの身体から外へ出た俺達が目にしたのは、風達が一斉に巨大な影を取り囲み、例の光る文字でその身体をがんじがらめにしている所だった。

 どうやら、俺達が外へ出たほんの僅か後に、(やつ)も出て来たらしい。

 これが、魔なのか?

 文字に縛られた魔は、この世の物とは思えない叫び声を上げ、徐々にその姿を縮めていった。最終的には、その身体は、人間の小柄な女性程になってしまった。

 桂氏が一人、一歩前へ出ると、その影に抱き付いた。

『残念だけど、君がいるべき場所は、違うんだよ』

 幼い子供に言い聞かせるような口調で言うと、影の肩に顔を埋め、力一杯抱き締めた。

 すると、徐々にではあるが、影が晴れ、その下から若い女性の姿が現れた。

 初め、苦悶の表情を浮かべていた彼女は、次第に穏やかな表情へと変化を遂げた。更に桂氏が、グッと腕に力を加えると、彼女は光に包まれ、硝子が弾けるかの如く、飛散した。

 最期の瞬間、涙を流し笑みを浮かべていた。

『さあ、もう一頑張り、行くよ!』

 桂氏の言葉を合図に、風達は再び行き場の無い霊達の方へとそれぞれが散って行った。まだ暫く、霊達を本来いるべき場所に導く仕事に掛かりそうだった。

 俺も腕に抱えていた二人をそっと地面に降ろした。

 嶋野さんは相変わらず気を失っているかのようにぐったりと横たわっている。

 しかし、傍らの少年は、意識はある物の苦しそうに荒い息を立てていた。まるで、必死に息を求めているかのようだった。

『おい、大丈夫か?』

 膝を突き、彼の肩を掴んで声を掛ける。

《僕は大丈夫。さっき首を絞められた時の事を思い出しちゃっただけだよ》

 そう言って、咳き込んだ。

 さっき首を絞められた? 俺の記憶にある限り、彼が誰かに――魔にすら首を絞められた筈はないのだが。

 俺が一人、首を捻っていると、息苦しさが治まったらしい少年が、少年がポツリと言った。

《僕、さっき死んじゃったんだ》

 衝撃的過ぎて、言葉を失った。

 確かに、明らかに人にあらざる彼は、生きているとは思えないが、何故か、死んでいるとも思えなかった。

《僕、本当は死んじゃったから、あの人達みたいに行かなきゃならない所があるんだ》

 と、霊達の方へ視線をくれた。

《でも、僕、道に迷っちゃって……。気が付いたら、ここにいたんだ》

 うっすらと目に涙を浮かべ、しかし、泣くまいと必死で我慢している少年の姿はいじらしく、気が付くと俺は黙って彼を力一杯抱き締めていた。

《もう、本当に行かなきゃ。僕……最後に会えたのがお兄ちゃんで良かった》

 彼は俺の腕から抜け出すと、そう言って笑った。


 ――……ル!


 微かに声がした。

 風達でもなく、逃げ惑う無数の霊体でもなく、ましてや嶋野さんや少年の物とは明らかに違う女性の声だった。


 ――目を覚ますんだ! ……タル!


 今度は、男性の声がした。

 先程の声は、空耳だったのかと自身の耳を疑う程微かな物だったが、今度の声はよりはっきりと鮮明に聞こえた。

《おと……うさん?》


 ――……タル! お願いだから、目を覚まして!


《お母さん!》

 少年は叫ぶと同時に泣き出した。

 先程まで見せていた様子とは変わり、年相応の幼さを見せて。

《お父さん、お母さん! 僕、ここだよ! ここにいるよ! 助けて! お願い!》

 泣き叫ぶ少年の姿を見るといてもたってもいられなくなる。

 けれど、悔しいかな、俺にはそんな力も無い訳で……。

 助けを求め、周囲を見回してみたが、誰一人として、俺達の様子に気付いた者はいなかった。

 くそ! 俺にはどうする事も出来ないのか!

 俺には、泣いている少年の身体をしっかりと抱き締め、宥める事しか出来なかった。

 抱いている少年が、泣き疲れ、スヤスヤと寝息を立てる頃、樹が傍に来た。

 未だに、少年の両親と思われる男女が少年を呼ぶ声がする。

 樹は直ぐ目の前で、空に向かって光の文字を描き始めた。文字を書き終わると、仕上げに二重丸で囲み、円と円の間に何やら模様のような物を記した。

 書き上げると、彼は俺を振り向き、顎をしゃくった。

 ……いや、だから何?

 一切話す気が無いらしい樹のスタンスにはある意味感動を覚えるが、意味が分からなければ意味が無い気がしないでもない。

 何時までも動こうとしない俺に、彼は舌打ちすると、俺の腕から少年を奪い取った。そして奪い取った少年を手にしたまま腕を伸ばすと、天に差し出すように持ち上げ、そしてそのまま空に描いた文字の中に、少年ごとゆっくりと手を潜らせた。

 するとどうだろう。文字を潜った瞬間から、潜った先の少年の身体が消えたのだ。後には樹の腕しか残らなかった。

 同時に、少年を呼ぶ男女の声も、ピタリと聞こえなくなった。

 ……これってどういう事なんだ? あの子はいったい何処へ行ってしまったんだ?

 疑問で一杯の俺は樹を見たが、当の樹は、物言いた気な様子でこちらを見るばかりだった。

 くそ! 少しは喋ってくれよ!

 焦る俺は、思わず死んだのか、というピント外れな質問を彼にぶつけた。

 すると彼は、少し微笑み、首を左右に振る。

『じゃあ、生き返ったのか?』

 と問うと、彼は大きく頷いた。

 特に根拠は無いのだが、彼の言いたい事は、信じられた。ほっとして、俺は自分の涙腺が緩むのを感じた。

 い、いかん。このままでは本気で泣いてしまいそうだ。何か別の事を考えなければ……。

 そう思い、下を向くと、足元には今尚ぐったりと横たわる嶋野さんの魂が、少し先には俺と彼女の肉体があった。周囲では風達が未だ彷徨える魂を相手に奮闘していた。

 あの魔は、どれ程までに罪の無い魂を操ろうとしていたのだろうかと、ふと溜め息が漏れた。

 樹は、そんな俺の目前に立つと、何故か指を一本伸ばした。

 え? おい、指を差すな、指を!

 等というツッコミを入れる間も無く、樹の伸ばした指が、俺の額に触れた。

 そして俺の意識は……途切れた。

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