人生は生きた年数じゃない
人間は、どんな時に本性が出るのだろう。
嬉しい時?
苦しい時?
どちらとも言えない。
どちらとも。
ただ、一つだけ思うことがある。
人は、普段とは違う状況に置かれた時。
特に、追い詰められた時にこそ、その人の本質が現れるのではないだろうか。
私は高校を卒業してから介護の仕事に就き、十年になる。
いろいろな人を見てきて、そう思うようになった。
++++
「また、お前か」
部屋に入るなり、お決まりの言葉が飛んできた。
いつものこと。
この人はこういう人。
私は自分に言い聞かせる。
「クソが来た! 来るなって言っただろう!」
吐き捨てるような言葉。
ここから始まるのは、よどみなく続く罵詈雑言だ。
彼は七十歳の男性だった。
一人暮らしをしていたが、近所のコンビニへ行く途中で倒れ、救急搬送された。
熱中症の治療が終わり、退院することになったものの、家族は迎えに来なかった。
過去に家族へDVを繰り返し、縁を切られていたからだ。
退院先を探している間に転倒し、足を骨折。
手術も難しく、寝たきりになった。
そして、私の働く施設にやってきた。
自由気ままな一人暮らしができなくなったからなのか。
それとも、もともとのDV気質が顔を出したのか。
彼は、すぐに暴言を吐くようになった。
特に、弱そうだと思った人間には容赦しない。
つまり、私だ。
「クソみたいな顔だ! よくそんなので生きてられる」
人生百年時代という。
まだ七十代。
されど七十代。
好き放題に暮らしてきた彼の身体は、すでにボロボロだった。
麻酔に耐えられないという理由で、手術も受けられなかった。
この先、彼はずっと寝たきりなのだろう。
思うように身体を動かせない。
痛みもある。
その苛立ちを、私への暴言で紛らわせているのだろうか。
「顔がダメだ! 身体も! 雰囲気がダメだ! お前の全部がダメだ!」
私への全否定。
何かを説明しようとしても、聞く耳を持たない。
「話も下手! ど素人め! ダメばかりだな!」
そのくせ、
「説明もできない馬鹿! お前はクビだ!」
とも言ってくる。
彼は経営者だったらしい。
自称、やり手社長。
その会社がどうなったのかは知らないが、「クビ」という言葉をよく使った。
もちろん、この施設の経営に関わっているわけではない。
私を解雇する権限など、あるはずもなかった。
それでも、暴言を聞き流しているだけでは仕事が終わらない。
何とかケアをしようとすると、
「触るな!!! 腐る! お前の汚い手で触るな! 俺は自分でできる!」
と怒鳴られる。
けれど、実際の彼は自分で歩くこともできず、ベッドの上で少し身体を動かせるだけだった。
同じ体勢でいるのは、かなりつらいはず。
身体の向きを変えなければ、褥瘡ができてしまう。
だから、ケアをしなければならない。
しかし、触れようとするだけで手が飛んでくる。
「殴るぞ!」
そう言って殴りかかってくる。
けれど、その手は空を切った。
「避けるな! 俺がマシな顔にしてやろうとしてるんだ!! お前の不細工な顔を……」
まだまだ続く。
いつもなら聞き流す言葉。
けれど、その日の私は、とうとう言い返してしまった。
「そうでしょう。かわいそうでしょ? かわいそうと思うなら、労ってください」
口調が皮肉めいていたことは認める。
仕事に私情を持ち込んではいけない。
そう思っていた。
それでも、度重なる暴言で、やるべきことが進まない。
時間も迫っている。
その苛立ちが、とうとう漏れ出てしまった。
彼の顔つきが変わった。
目がつり上がる。
「なんだと!!!!」
おかしなことに、自分がいつも口にしている言葉を返されただけで、彼は激怒した。
「死んでしまえ! お前なんか死んだ方がいい! この世にお前のような人間は必要ない! 人間のクズ! クズは死ね! 世の中のためにお前を殺してやる! 刃物を持ってこい!」
矛盾しかない。
殺すための刃物すら、自分では用意できない。
それなのに、私に命令して持ってこさせようとする。
そんなことを考えてしまう自分がいた。
こんな男と、同じ土俵に上がってしまった。
反省しかない。
高校を卒業して介護施設に就職した時、同級生には「やめときなよ」と言われた。
だけど、私はお祖父ちゃん、お祖母ちゃんが好きだった。
そのお友達も好きだった。
実際、働き始めて彼らが話す昔話も、同じ話が何度も繰り返されても、何度でも聞けた。
あるお祖母ちゃんの日記帳は、めくってもめくっても、毎ページが木曜日だった。
「キョウハ、モクヨービ。テンキハ ハレ。」
震える文字で、一生懸命に書かれていた。
それすらも、愛おしく思えた。
お祖母ちゃんが木曜日と言えば、否定はしない。
本当は月曜日でも、土曜日でも。
何曜日だっていい。
それが、その人に見えている世界なのだから。
そう思って、ずっと仕事をしてきた。
相手が怒っていても、言い返したいと思ったことはなかった。
それなのに、今日は、つい口から出てしまった。
どんな人でも、どんな状態でも、その人の話を聞く。
耳を傾ける。
そう習ってきたし、そう努めてきた。
それなのに、言い返してしまった。
怒ってしまった。
結局、そのままケアはできなかった。
私、何をやっているんだろう。
相手の言葉を真に受けて、ケアができないことになってしまった。
できなかったことを報告し、自分の反省点も含めて、同僚や上司、看護師にも相談した。
皆、慰めてくれた。
その言葉に、
「自分が悪いんです。私が至らなくて」
と答えた。
けれど、もう一人の私は、別の本心を訴えていた。
何で、あんなことを言われなくてはいけないのか。
どうして、ただ仕事をしているだけなのに、存在まで否定されなくてはいけないのだろう。
私は、特別な容姿をしているわけではない。
だからといって、容姿を貶されて気分がいいはずもなかった。
彼は、いつも容姿のことばかり言う。
それが、彼にとって最大級の罵倒なのだろう。
もしかしたら、彼自身も、かつて誰かからそういう扱いを受けたことがあったのかもしれない。
彼には彼なりの背景があるのだろう。
そういうことも考えなくてはいけない。
その人個人を理解して、ケアをする。
大切なことだと、わかっている。
だけど、現場には限界がある。
正直、限界があるのだ。
ニュースになるのは、介護士による暴力や虐待。
もちろん、それもあるのだろう。
だけど、私たち介護者も、日々、暴言や暴力にさらされている。
この施設でも、先輩は殴られて眼鏡が壊れた。
後輩は腕をつねられ、血が出ていた。
私も噛みつかれたことがある。
身体中、覚えのない青あざだらけ。
それでも、必要なことだからと、ケアをしてきた。
相手を怒らせずにケアをする。
感情を乱さず、平静に対応する。
それができないのは、私の修行が足りないからなのだろうか。
そう思う。
だけど、どうしてもモヤモヤが消えない。
だって、彼はそのままだ。
きっと、変わらない。
今日の午後には、またケアに行かなくてはならない。
明日も、明後日も。
これから、どうなっていくのだろう。
不安で仕方がなかった。
次は、平静に対応できるだろうか。
無理なのではないだろうか。
いつか、私も手を出してしまうのではないか。
だすつもりなくとも咄嗟に振り払った手が傷を与えてしまったら。
高齢者は骨粗鬆症を抱えていることも多い。
わずかな衝撃で骨が折れることだってある。
私も、ニュースに出る人間になってしまうのだろうか。
そんなことを考える日々だった。
今日は、何とか耐えられた。
次は?
そう思いながら、ケアに入って数日。
事態は、思いもしない方向へ進んだ。
彼の体調が急変し、再び病院へ戻ることになった。
そして、数週間後、亡くなったらしい。
上司の話では、彼は興奮が強く、鎮静効果のある薬が追加されたという。
それでも興奮は収まらず、薬を少しずつ調整していった。
うつらうつらと眠りかけながらも、罵倒を続ける彼。
そんな状態で食事をして、むせ込み、誤嚥性肺炎を起こしたらしい。
病院で治療を受けることになったものの、眠りかけていても点滴を自分で抜いてしまったり、暴れたりして、治療は難しかったという。
そして、空へ旅立ってしまった。
上司は、最後にこう言った。
「元々、身体の中がボロボロだったからね」
私が気に病まないように、気遣ってくれたのだろう。
「でも、最後の最後も、ご家族には拒否されてね」
亡骸の引き取りを拒否されたのだと、上司は続けた。
「生きている間のことが、最後に出るね」
深い言葉だった。
あっという間だったらしい。
嵐のように消えていった彼。
正直、安堵している自分もいた。
もう、あの暴言を聞かなくていい。
もう、あの恐怖を感じなくていい。
そう思ってしまう自分がいた。
彼の残された荷物を片づけていると、一枚の写真が出てきた。
家族の肖像。
妻と、娘が一人。
一緒に片づけていた職員が言った。
「娘さん、あなたに何か似てる」
写真の中の娘さんは、表情が強ばっていた。
だから、私に罵倒することで、娘さんと一緒にいるつもりだったのだろうか。
それとも、子どもの頃の娘さんに罵倒しているつもりだったのだろうか。
本当のことは、わからない。
彼のことは、忘れてしまおう。
覚えている必要はない。
そう思って記憶の片隅に追いやろうとした時、不意に、昔出会った一人の患者さんを思い出した。
こんな時、ふと思い出す患者さんがいる。
私がまだ駆け出しで、十代の終わりだった頃。
グループ内の病院に、看護助手として配属されていた。
高齢の患者さんが多い病院だった。
その中で、一人だけ異質な存在がいた。
二十八歳の彼だった。
看護師さんに、何の病気なのかと尋ねた。
癌だった。
すでに全身に転移していて、足も麻痺しているのだと教えてくれた。
彼は身体を思うように動かせず、生活のすべてをベッドの上で過ごしていた。
食事も、排泄も。
お祖父ちゃん、お祖母ちゃんのベッドなら余るくらいなのに、彼のベッドはキツキツだった。
いつも窮屈そうにしていた。
そんな狭い場所で、身体を拭いたり、できた傷の処置をしたり。
身体を動かせば、痛みが走る。
こちらが必要だと判断して行うことも、彼にとっては苦痛だったに違いない。
押し殺した声で、何度もつぶやいた。
「いてぇ……いってぇ……」
それでも、彼が私たちに暴力を振るったことはもちろん、暴言を吐いたことすらなかった。
ケアが終わると、いつも、
「ありがとうございます」
と、礼儀正しく言ってくれた。
家族もよく面会に来ていた。
ご家族も穏やかな人たちで、私たちにも礼儀正しかった。
面会の後、彼は笑いながら言った。
「こんなサプリ持ってきて……。意味ないのにな……」
そんな彼が、ある時、ぽつりとつぶやいた。
「俺の人生って……なんだったのかな……」
私は、何と返していいのかわからず、黙っていた。
今の私なら、何と返すだろう。
そんな彼の気持ちを思うと、今でもじんわりと涙が浮かんでしまう。
二十代。
私は、彼の年齢を追い越してしまった。
彼には、まだまだやりたいことがあったはずだ。
行きたい場所。
会いたい人。
やりたい仕事。
何でもやりたかったはずなのに。
それを、すべて我慢しなければならなかった。
諦めなければならなかった。
彼の心を思うと、今でも胸が痛む。
彼は、私たちに不平や不満をぶつけることがなかった。
いつも、私たちのことを気遣ってくれた。
廊下でスタッフが話していても、うるさいなんて言われたことはない。
それどころか、
「スタッフの皆が話しているのを聞くと、なんか元気が貰える気がする」
そう言ってくれた。
自分が一番大変なはずなのに。
いつでも、私たちを気遣ってくれた。
あれから十年。
今でも私は、彼に救われている。
返しきれなかった「ありがとう」の気持ち。
その思いを、今日も空に向かって返す。
人間は、生きた年数じゃない。
そう、彼が教えてくれた。
私に人間らしさと思いやりを教えてくれて、ありがとう。
私は、彼から言葉にできないほど、たくさんのものをもらった。
これから出会う誰かに、少しずつ返していけるように。
今日という日を、大切に生きていこうと思う。
chatgpt添削前の文も、おまけでつけます。
最終稿近いので、あまり変わらないかも。
人間は、どんな時に本性が出るのだろう。
嬉しい時?
苦しい時?
どちらとも言えない。
どちらとも。
ただ、一つだけ思うのは、人は、普段と違う時。
特に追い詰められた時にこそ、その人の本質が現れるんじゃないかな。
私。高校卒業してから、介護の仕事を始めて10年。
色んな人を見てきて、そう思うようになった。
++++
「また、お前か。」
部屋に入るなり、お決まりの言葉が始まった。
いつものこと。
この人はこういう人。
私は自分に言い聞かせる。
「クソが来た!来るなって言っただろう!」
吐き捨てるように言われる。
ここから始まるのは、暴言。
よどみなく続けられる。
罵詈雑言だ。
70歳男性。
一人暮らし。
近所のコンビニに行く途中で倒れて救急搬送。
熱中症と診断されて治療が終わってから退院する話になったけど家族は迎えに来なかった。
何故か?
過去に家族にDVを行い縁を切られているから。
退院先を探している間に転んでしまって、足を骨折。
寝たきりに。
そして、私の働く施設に流れ着いた。
それが彼のプロフィール。
自由気ままな一人暮らしが出来なくなったせいか、元々のDV気質が顔を出すせいか、彼は、すぐに暴言を吐く。
特に、弱そうと思った人間には容赦しない。
つまり、私。
「クソみたいな顔だ!良くそんなので生きてられる。」
人生100年時代という。
だから、まだ70代だ。
されど70代。
一人暮らしで好き放題してきた彼の身体はボロボロで。
麻酔に耐えられないからと手術をしてもらえなかった。
この先、彼はずっと寝たきりだ。
思うように自分の身体を動かせない。
身体も常に痛い。
その苛立ちを私への暴言で憂さ晴らししているのだろうか。
「顔がダメだ!身体も!雰囲気がダメだ!!お前の全部がダメだ!!!!」
私への全否定。
何かを説明しようとしても聞く耳を持たない。
「話も下手!ど素人め!ダメばかりだな!」
そのくせ、
「説明も出来ない馬鹿!お前はクビだ!」
とも言ってくる。
彼は、経営者だったらしい。
自称、やり手社長。
その会社はどうなったかわからないけども、クビと言う言葉も良く使った。
ちなみに、この施設の経営に絡んでいると言う訳ではないので、当然、解雇権利もない。
ただ暴言を聞いているだけでは仕事が終わらないので、何とかしようとするも、
「触るな!!!腐る!お前の汚い手で触るな!俺は自分で出来る!」
でも、実際の彼は、自分で歩くことも出来ず、ベッドの上で少し動く事が出来るだけ。
同じ体勢でいる事はかなり辛い。
本当は身体の向きも変えなくてはいけない。
褥瘡も出来てしまう。
だけども、触れようとするだけで手が出て来る。
「殴るぞ!」
そう言って殴りかかってくる。
だけども、それは空を切る。
「避けるな!俺がマシな顔にしてやろうとしてるんだ!!可哀相なお前の不細工な顔を・・・・」
まだまだ続く話。
いつもは聞き流す言葉。
その日の私はとうとう言ってしまった。
「そうでしょう。かわいそうでしょ?かわいそうと思うなら、労って下さい。」
口調が皮肉めいたことは認める。
仕事に私情を絡めてはいけない。
そうは思っていたけども、度重なり、やるべきことも出来ない。
時間も迫ってきている。
その苛立ちが漏れ出てしまった。
彼の顔つきが変わった。
目がつり上がる。
「なんだと!!!!」
おかしな事に、自分が言った売り文句を返しただけで彼は怒ったのだ。
「死んでしまえ!お前なんか死んだ方が良い。この世にお前のような人間は必要の無い!人間のくず!クズは死ね。世の中の為にお前を殺してやる。刃物を持って来い!」
全くもって可笑しなことだ。
矛盾しかない。
殺すのに使う刃物すら自分で用意はできないし、殺すという人間の命令を聞くはずもない。それすら理解できない。
こんな男と同じ土俵に上がってしまった。
反省しかない。
高卒で介護施設に就職した時は、同級生に止めときなって言われた。
だけど、私はお祖父ちゃん、お祖母ちゃんが好きだった。
彼らの話す昔話が好きだった。
その話が無限ループしても何度でも聞けた。
あるお祖母ちゃんの日記帳は捲っても捲っても、毎ページが木曜日。
「キョウハ、モクヨービ。テンキハ ハレ。」
一生懸命震える文字で書いてて、それすらも愛おしく思えた。
お祖母ちゃんが木曜日と言えば、否定はしない。
本当は月曜日でも土曜日でも。
何曜日でも良いんだ。
それがその人の見えてる世界なんだもの。
そう思って、ずっとやってきて、言われた事に、言い返したいなんて思ったことなかった。例え、怒っていたとしても。
だけど、今日は、つい口から出てしまった。
どんな人でどんな状態でも、その人の話を聞く。
耳を傾ける。
そう習ってきて、そう務めてきたのに、言い返してしまった。
怒ってしまったから、結局、そのままケアは出来なかった。
私、何やってるのかな。
真に受けて、ケアが出来ない事になっちゃって。
出来なかったことを報告。
自分の反省点も含めて。
同僚や、上司や、看護師にも。
皆、慰めてくれた。
慰めの言葉に、
「自分が悪いんです。私が至らなくて。」
そんな言葉を言いつつも、もう一人の私は別の本心を訴えていた。
何で、あんな事を言われなくてはいけないのか。
どうして、ただ仕事をしているだけなのに、存在を否定されなくてはいけないのだろう。
別に対した容姿ではないけども、だからと言って気分の良いものではない。
容姿の事ばかり言う彼。
それが、彼にとっての最大級の罵倒言葉なのだろう。
もしかしたら、彼はそういう扱いをされた事があったのかもしれない。
そういう背景はあるかもしれない。
そういうことも、考えなくてはならない。
その人個人を理解して、ケアをする。
大事だって、わかっている。
だけども、現場では限界がある。
正直限界がある。
ニュースに上がるのは、介護士による暴力・虐待。
もちろんそれもあるかもしれない。
だけども、私達、介護者は常に、暴言、暴力に晒されている。
この施設だって、先輩は、殴られて眼鏡が壊れた。
後輩は腕を抓られて血が出ていた。
私も噛みつかれた事もある。
体中、覚えが無い青あざだらけ。・・。
それでも、するべきだから、ケアをしてきた。
煽ってケアが出来ない状況にしてしまうなんて私の修行が足らない。
心を乱されてはいけない。
そう思うのだけども。
だけども。何だかモヤモヤが消えない。
だって、彼はそのままだ。
きっと変わらない。
今日の午後にはまたケアに行かなくてはいけない。
明日も、明後日も。
今後どうなっていくんだろう。
不安で仕方が無い。
私は、次には平静で対応できるだろうか。
無理じゃ無いだろうか。
いつか、私も手が出てしまうのじゃないか。
手が出て振り払ってしまったら。
当たり所が悪くて、骨折でもしたら。
高齢者は骨粗鬆症気味だ。
あっという間に骨が折れてしまう。
ニュースの人に私もなってしまうのだろうか。
心配で、憂鬱な日々。
今日は何とか耐えれた。
次は?
そう思って、ケアに入って数日。
事態は思いもしない方向へ。
彼の体調が急変して、また病院へ戻っていった。
そして、数週間で無くなってしまったらしい。
上司がいうには、興奮が強く、鎮静効果のある薬が追加処方された。
全然、効果が無いから少しずつ増やして、眠りかけながら罵倒し、食事をした彼は咽せて
誤嚥して、病院に行って、肺炎って診断された。
治療は、出来なかったらしい。
寝かけながらも、点滴を自分で抜いたり暴れたり。
治療が出来なくて・・・・。
空に旅立ってしまった。
上司は最後に、
「元々、身体の中がボロボロだったからね。」
と、私に言った。
私に気にしないようにという気遣いを感じた。
「でも、最後の最後も、ご家族には拒否されてね。」
亡骸の引き取りは拒否されたと上司は続けた。
「生きている間の事が、最後に出るね。」
深い言葉だった。
あっという間だったらしい。
嵐のように消えていった彼。
正直、安堵してしまう自分もいる。
彼の残された荷物を片づけながら、一枚の写真が出てきた。
家族の肖像。
妻と、娘一人。
一緒に片づけていた職員が言う。
「娘さん、あなたに何か似てる。」
だから、罵倒する時間だけでも一緒にいたかったのか。
それとも、子供の頃の娘さんに罵倒しているつもりだったのか。
娘さんの顔は写真の中で強ばっている。
私の中に、
彼の思い出は、別に無い。
忘れてしまおう。
覚えている必要はないこと。
記憶の片隅に消そうとして、代わりに、不意に、昔出会った一人の患者様の事を思い出した。
こういう時、ふと思い出す患者様。
私が本当に駆け出しで、10代ギリギリだった頃の事。
その時は、グループ内の病院に看護助手として配属されていた。
とはいえ、高齢者の多い病院だった。
その中で一人、28歳の彼は異質な存在だった。
看護師さんに何の病気かと聞くと、癌だと、もう全身に転移していて、足も麻痺していて、と、言われた。
もちろん身体は思うように動かせず、全てベッドの上。
食事はもちろん、排泄も。
お祖父ちゃん、お祖母ちゃんではベッドが余るくらいなのに、彼のベッドはキツキツで。
いつも窮屈そうにしていた。
そんな狭い所で、身体を拭いてあげたり、出来た傷の処置をしたり。
動けば痛みが走る。
そんな状態で、こちらが必要だと判断して行うことも、彼にとっては苦痛だったに違いない。
押し殺した声で、何度も。
「いてぇ・・・・いって・・」
と言っていた。
けれども、彼が私達に暴力を働いたことはもちろん、暴言すら無かった。
いつも、終わると
「ありがとうございます。」
と、礼儀正しく言ってくれた。
家族も良く、面会に来てくれた。
ご家族も穏やかな人達で、私達にも礼儀正しかった。
面会の後に、
「こんなサプリ持ってきて・・・。意味ないのにな・・・。」
なんて笑って。
最後には、
「俺の人生って・・なんだったのかな・・。」
そう呟いた。
私は、なんて返していいのかわからなくって黙っていた。
今の私はなんて返すだろう。
そんな彼の気持ちを思うと、今でもジンワリ涙が浮かんでしまう。
20代。
私は、彼の年を追い越してしまった。
まだまだ、彼はやりたい事があったはずだった。
行きたい所。会いたい人。仕事。
何でもやりたかったはずだった。
それを全て我慢した。
諦めた。
その彼の心を思うと胸が痛む。
彼は、私達に不平やら、不満やら言わなかった。
いつでも良いようにとってくれた。
私達の廊下での会話。
うるさい。
なんて言われたことがない。
「スタッフの皆が話しているのを聞くと、なんか元気が貰える気がする。」
なんて言ってくれた。
自分が一番大変なのに。
いつでも私達を気遣ってくれた。
10年経っても、今でも私は救われている。
返し切れ無かったありがとうの気持ち。
その思いを、今日も空に向かって返す。
人間は生きた年数じゃない。
そう感じる。
だから、私は、空に昇った彼に、今も感謝を捧げる。
私に人間らしさ。
思いやりを教えてくれてありがとう。
私は、彼から、言葉に出来ない沢山の物を頂いた。
これから、返していけるように日々を大事に生きていきたいと思う。




