追放されたのは世界の方でした。〜偽聖女に譲ったのは、死にゆく灰色の箱庭です。
宮殿で開かれた王立アカデミーの卒業パーティーでそれは始まりました。
その夜は、国の未来を担う若き貴族たちが、その輝かしい門出を祝い、愛と忠誠を誓い合う至高の夜のはずだったのです。
会場となるホールは、煌めく数千のクリスタルが連なるシャンデリアに照らされ、床の磨き上げられた大理石は、まるで鏡のように色とりどりのドレスの裾を映し出しています。壁際には季節の花々が咲き乱れ、芳醇な香りが漂っておりました。
壇上の玉座から、威厳に満ちたヴァルモント国の王がゆっくりと立ち上がり、金色の杯を掲げました。
「若き貴族たちよ。諸君の卒業を心から祝福しよう。この国の繁栄は、大いなる精霊の加護と、諸君ら次世代の絆によって支えられている。今宵は、その絆を深める良き夜とせよ。……乾杯!」
「乾杯!」
国王の穏やかな開会の辞と共に、華やかなオーケストラの演奏が始まりました。
給仕たちが黄金のトレイを運び、貴族たちやその親族たちは笑顔で語らっています。その光景は、誰もが疑わないまさに『美しく平和な王国』の象徴でした。
だが、その平穏は、一人の男の声によって無残に切り裂かれたのでした。
「――ローザライン・フォン・ローゼンブルグ! 前に出るがいい!」
音楽がピタリと止みました。
中央へ歩み出たのは、私の婚約者である第一王子ノエル・ド・ヴァルモント。整えられた眩い金髪と、深く澄んだ碧眼を持つ彼は、その端正な顔を歪め、一人の小柄な女性を抱き寄せていました。
寄り添っているのは、男爵令嬢のアリア・レイモンド様でしょうか。
ふわふわとしたピンク色の髪と、無邪気なリスのようにくりっとした瞳。彼女がその瞳に涙を溜めてノエル殿下を愛らしく見上げる様に、周囲の男たちは狂信的な正義感に突き動かされるのでしょう。
「ローザライン・フォン・ローゼンブルグ! 往々にして貴様の傲慢さには目をつぶってきたが、もはや限界だ。アリアに対する数々の非道……言い逃れはできまい!」
ノエル殿下の隣で、瞳に涙を浮かべたアリア様が彼を見上げていました。
「殿下……もう十分です。ローザライン様だって、きっと魔力不足でお心が荒んでいただけなのですわ……」
「アリア、君はどこまでお人好しなんだ! この女は、君の『聖女』としての立場を妬み、実力行使に出たのだぞ!」
その声に呼応するようにノエル殿下の背後には、騎士団長の息子ゼノス様や、宰相の息子リュカ様といった取り巻きの男子たちが、獲物を囲い込む猟犬のように控えているのです。
「殿下、慈悲など無用です! この女は公爵家の威光を笠に着て、我々を見下してきた!」
「殿下!騎士団長の息子である俺が証言します。彼女が放った刺客の剣筋、あれは公爵家の暗部そのものでした!」
ゼノス様が剣の柄を叩き、リュカ様が冷笑を浮かべている。他の取り巻きたちも騒ぎ立てております。
「おい、見ろよ。あの傲慢な女、まだあんなに平然と立っていやがる。」
「アリア様の無垢な心を傷つけた罪、反省すらしないのか!」
彼らがアリア様を祭り上げる理由。それは、彼女が持つ『聖女の光』にありました。
ノエル殿下の手を握るアリア様の指先から、微かに、けれど温かい黄金の光が溢れ出しています。
その光は、精霊の加護そのもののように周囲の空気を浄化し、傷ついた心を癒やす…
ように見えるのでしょう。
私のローゼンブルグ侯爵家には、代々この国の結界を維持する役目が与えられております。それは、この国が精霊の庇護無しでは枯れゆくさだめの大地にあるため。私も心臓の鼓動ひとつさえ祈りに捧げてきました。
しかし、その祈りは誰の目にも触れない強大すぎる力の奔流であり、普通の人間にはその存在すら知覚できないものです。
一方で、アリア様の放つ光は、人間にとって『見た目だけの光』でした。
アリア様が祈りを捧げれば、枯れかけた花が一瞬だけ咲き誇り、風邪に苦しむ病人が一時的に回復します。
それは、本来の聖女の力である浄化や永続的な加護ではなく、見た目だけを派手に見せる発光魔法と一時の活性化を組み合わせた、巧妙な仕掛けにすぎないのです。
しかし、私という完璧すぎる守護者への劣等感を抱いていたノエル殿下にとって、その偽りの光こそが、自らが守るべき『真実の聖女』の象徴となったのでしょう。
「アリアは、君とは違う! 彼女は自分の力を民のために使い、傷ついた人々を癒やし続けてきた! 君のような冷酷に振る舞う女とは違うのだ!」
ノエル殿下は、『アリア様の偽りの光』を信じ、婚約者である私を『疎ましい傲慢な悪役』へと仕立て上げることにしたようです。
「貴様は聖女であるアリアに対し、執拗な嫌がらせを繰り返した!アリアの聖歌を妨害し、彼女の清廉な魔力を汚そうとした罪……。さらには命まで狙ったとあっては、もはや侯爵令嬢の座など関係ない。貴様との婚約を破棄し、この国からの追放を命ずる!」
腰までの銀糸の髪を夜の帳のように流し、無言のまま感情を灯さない私の薄紫の瞳は、彼らにとって『反省のない悪役』に映ったことでしょう。
側近たちはニヤニヤと私を眺め、アリア様はノエル殿下の胸に顔を埋め、その隙間から私を嘲笑っています。
ノエル殿下の言葉に、周囲の貴族やその家族たちからひそやかなざわめきが生まれていました。
私はノエル殿下に尋ねました。
「アリア様が受けたという嫌がらせ。その現場を、殿下はご自身の目でご覧になりましたか? 証言者たちの言葉が、私を排除した後に得られる利権に基づいたものではないと断言できるのですか?」
ノエル殿下の眉がピクリと跳ね上がります。一瞬、彼の碧眼に迷いが生じるのが見えました。
彼は知っているはずなのです。私が幼い頃から、どれほどこの国の結界を維持するために心血を注いできたかを。私が嘘を嫌い、どれほど誇り高く生きてきたかを。
「殿下。今ならまだ、間に合います。この茶番を止め、真実を精霊の鏡に問い直しましょう。そうすれば、失われずに済むものがあります。」
「黙れッ!」
ノエル殿下の背後から、リュカ様が鋭い声を上げました。
「殿下、惑わされてはいけません! これこそが彼女の精神操作の魔術に違いありません! 彼女はこうして、自分こそが正しいと周囲を洗脳してきたのです!」
「そうだ! アリア様がこれほど傷ついているのに、まだ自分を正当化するのか!」
取り巻きたちの怒号が、ノエル殿下の背中を押し、彼の迷いは、一瞬で塗りつぶされました。
彼は、自分を立ててくれる『守るべき弱者であるアリア』を選び、自分を圧倒する『強すぎる正義である私』を切り捨てる快感に身を任せることにしたのでしょう。
「……なんだと? 笑わせるな!貴様のその偉そうな態度が、何よりも不愉快なのだ、ロゼ!」
ノエル殿下は壇上を激しく蹴って降りると、私の目の前まで詰め寄りました。
彼のその血走った眼には、私を抑えつけたいという暗い歓びが溢れていました。
「改めて言う!貴様との婚約を破棄し、国外追放を命ずる! 今この瞬間から、貴様はただの罪人だ!」
ノエル殿下の手が、私の肩を乱暴に掴みました。
「殿下。今一度、冷静にお考えください。」
「黙れ! この期に及んで往生際の悪い!」
ノエル殿下の怒声と共に、私の体は大理石の床へと叩きつけられました。
「アリアの前に跪き、地を舐めて悔い改めるがいい!」
「――っ!」
その衝撃に、会場にいた誰もが息を呑みました。
壇上の玉座からその光景を見ていた国王は、あまりの事態に立ち上がり、その厳格な面に驚愕と恐怖を浮かべました。隣に座る王妃は、扇を落とし、震える手で口元を押さえます。このふたりはよく知っているのです。ローゼンブルグ侯爵家がこの国の守護にどれほど不可欠な『鍵』であったかを。
しかし、こうなってしまうと、もはや止める術はありません。
「ノエル! 何ということを……!」
国王の制止さえも、ノエル殿下を煽り立てる取り巻きたちの歓声にかき消されてしまいました。
「よくやった、殿下! 偽聖女にふさわしい末路だ!」
周囲の貴族たちも、勝ち誇ったように笑っております。自分たちの娘や息子が、私の代わりに聖女の側近になれるという欲望が、彼らの目を曇らせていたのです。
しかし、その笑いは、突如として響き渡る大音量によりかき消されました。
――ゴォォォォォォォォン!!
それは鐘の音ではありません。
空間そのものが悲鳴を上げひび割れる音なのです。
そして、世界の歯車が逆回転を始めました。
「……ああ、壊れたわ。」
微笑みともに私の全身から、視界を焼き切るような七色の燐光が溢れ出します。
ノエル殿下が恐る恐る呟いています。
「……ロゼ? なんだ、その光は……」
『お父様。お母様。お兄様方。……もう、いいわ』
私の声は、もはや令嬢のそれではありません。宇宙の理を奏でるような、神聖な和音。
その瞬間、私の背後にいた『家族』たちの姿が、まばゆい光と共に弾け飛んだのです。
『――よかろう。我慢比べは、ここまでのようだ。汚らわしい人の子が。我らが主の肌に触れたその指、根元から焼き消してくれようか』
最初に動いたのは、父であったモノ。火の精霊王イグニウスです。
さきほどまで整えられたグレーの髪と深く刻まれた穏やかな目尻の皺で理想の父親を演じていた男の輪郭が、陽炎のように歪みました。
その髪は一瞬にして逆巻く白熱の業火へと変貌し、枯れた渋みのあった双眸は、太陽の核を閉じ込めたような黄金の輝きを放ち始め、背中からは一振りで国を灰に変える紅蓮の翼が四対、爆発するように現れました。
彼が低く息を吐くだけでホールの酸素が食い尽くされ、ノエル殿下の整えられた自慢の金髪が熱風に煽られてチリチリと焦げ始めました。
『あら、イグニウス。焼くなんて生温いわ。永遠に溶けない氷の牢獄で、その浅はかな魂ごと粉砕して差し上げましょう』
続いて、母であったモノ、水の精霊王アクエリアが微笑みながら優雅に宙を舞います。
侯爵夫人としての慎ましやかな夜会服は、原初の海そのものを織り上げたような、透明で底知れぬ深淵を湛えた水の衣へと変わりました。
光を透過する流体の蒼い髪は意思を持つ滝のように波打ち、その肌は最高級の真珠を磨き上げたような、白く透き通る清廉さを放ちます。瞳孔の代わりに底の見えない深海の渦が巻くその瞳で見つめられれば、魂ごと引きずり込まれる錯覚に陥るのです。
そして、長兄であった風の精霊王ゼピュロスが、軽やかに風を纏って笑っています。
人間時の軽薄そうな美男子という印象は、精悍で鋭利な神性へと昇華されました。彼の周囲には、目に見えるほどの真空の刃が数千本と旋回し、ホールの装飾を文字通り粉微塵に刻んでいくのです。
その姿はどこまでも軽やかで、流麗。しかし、ひとたび動けば音速を超え、すべてを切り裂く見えない死の化身となります。
『逃げ場はないよ。僕の風からは、たとえ神だって逃げられないんだから』
最後に、次兄であった土の精霊王ガイアスが、大理石の床に拳を叩きつけました。
寡黙な彼は、精霊の姿に戻ってもその沈黙を守ります。しかし、顕現したその姿は圧倒的な質量を誇る巨躯。そのたくましく屈強な肢体の一挙手一投足が、地震に等しい重圧を会場に叩きつけます。
彼が地を叩けば、逃げ惑う取り巻きの男子たちを飲み込む大地の檻が隆起し、絶対的な力で彼らを圧殺せんばかりに包囲しました。
『……沈め。土に還るのが、分不相応な夢を見た罰だ』
「ひ、ひいぃっ!? せ、精霊……王!? なぜ、四柱すべてが、ローゼンブルグ侯爵家に……っ!」
ノエル殿下は侯爵家の変わり果てた姿――荒ぶる精霊王たちを見上げて絶叫していました。
アリアはあまりの魔力圧に耐えきれず、泡を吹いて倒れ伏しています。
ホールに集う王家や貴族である彼らは侯爵家が精霊との繋がりを持っていることは知っておりましたが、まさか、彼らが精霊そのものであるとは知りませんでした。
しかし、彼らの本当の絶望は、その四柱の精霊王たちが一斉に地に膝を突き、深々と頭を垂れた瞬間に訪れました。
『我らが主……至高なる精霊女王』
四柱の精霊王が跪き、その中心で銀河の輝きを纏った私が立ち上がっています。その絶対的な神性を前に、王宮にいた者たちは、自分たちが『何』を敵に回したのかを本能で理解しました。
「ま、待て……ロゼ。いや、女王陛下……! 悪かった、すべてはノエルの無知ゆえだ!」
国王は、先ほどまでの威厳に満ちた姿とは似ても似つきぬほど無様に、喉が裂けんばかりの必死さで叫んでおります。彼の視線の先には、足元から『色彩』を奪われ、石像のように灰色に変貌しつつあるノエル殿下の姿がありました。
「謝罪する! 王位を退き、ローゼンブルグ侯爵家をこの国の統治者として迎えてもいい! 望むなら、ノエルの首を今ここで差し出しても構わん! だから……その『加護』を、彩りを、この国から奪わないでくれ!」
王妃もまた、震える手で私のドレスの裾に縋りつこうとしました。しかし、彼女が触れる前に、アクエリアの放つ冷気が氷の壁を作り、元親友である王妃の指先を無慈悲に弾き飛ばしました。
私は、ゆっくりと国王に視線を向けました。
七色の深淵を宿した瞳には、怒りも、憎しみも、ましてや未練などは欠片も存在しておりません。
『ヴァルモント王よ……あなた方は、精霊と交わした「誓約」の重さを忘れてしまったのですね』
私の声は、静寂に満ちたホールの隅々にまで、まるで神託のように響き渡ります。
『私たちが人の姿となりこの国を守護してきたのは、歴代の王たちが精霊への敬意を忘れなかったからです。しかし、あなたの息子は、私がこの国に与えてきた数多の加護を、あのアリアという娘の「安っぽい手品」と同類と履き違えました』
「それは……っ、ノエルが若さゆえの過ちを犯しただけで……!」
『若さゆえ、ですか? いいえ、王よ。それは傲慢という名の病です。……自分たちを活かしている「呼吸」さえも、自分たちの手柄だと信じ込んだ、救いがたい傲慢です』
私はホールにある大きな窓に視線を向けました。その瞬間、その窓はゼピュロスの風によって音もなく開け放たれました。外に広がる王都の夜景は、すでに星の光さえ失い、どろりと濁った灰色に染まり始めております。
「待ってくれ! 行かないでくれ、ロゼ……っ!」
国王の絶叫。かつて友であり侯爵であったイグニウスが、その面影を微塵も残さぬ黄金の瞳で、国王を一瞥しました。
『――不遜なり、人の王よ。我が主に縋るその汚れた手を、今すぐ焼き尽くさなかっただけ、慈悲だと思え。』
イグニウスが翼を羽ばたかせると、猛烈な熱波がホールを駆け抜け、国王の豪華なマントを瞬時に灰へと変えました。
私が一歩歩むごとに、その足元から色彩が消えていく。
赤は黒へ、金は灰色へ。
国王の金冠も、王妃の真珠も、貴族たちの着飾ったドレスも、すべてが煤けたような灰色に変貌していくのです。
私が国を去る背後で、かつての『精霊に愛された王国』は、光も、音も、命の気配さえも失ったモノクロームの墓標へと成り果てていきました。
終。
悪役令嬢モノを一度書いてみたいと思いました。
それっぽいものになってますでしょうか?




