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異世界警備員  作者: 桃馬 穂


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第8話:魔法通信装置『マジックコム』の開発「声を遠くへ、正しく」

 レザムーア王国の首都ケイルハーベン。北門へ続くメインストリートは、拡張工事の資材と、収穫祭を控えた香辛料や葡萄酒の樽を積んだ馬車でごった返していた。朝の光は城壁の端で粉々に砕け、石畳の目地に薄金色の筋を落とす。遠くで鐘がひと度鳴り、鳴き砂のような砂埃が薄く舞った。熱を帯び始めた空気に、獣の匂いと古びた石の匂いが混じり合う。


 慎吾シン・タナカ片側交互通行カタコウの最先端に立ち、流れの乱れを鋭い眼光で睨み続けていた。

(距離百二十メートル――。旗の視認だけでは、馬車の速度変化、御者の苛立ち、そして突発的なトラブルを同時に拾い切ることはできない。情報のリアルタイム性が、現場の物理的な限界を超えようとしている)


 慎吾の脳内にある「ガーディアン・システム」は、網膜上に冷徹な警告アラートを投影していた。今日の条件下での事故発生確率は一五%。それは「いつ惨事が起きてもおかしくない」という不吉な数字だ。 三日後には、都市開発局次官エリザベートが同行する、保守派貴族たちの査察が控えている。彼らは慎吾のような「余所者」が持ち込む新しい秩序を、隙あらば叩き潰そうと目を光らせている。もしここで『カタコウ』が崩壊し、一件でも衝突事故が起きれば、彼が命懸けで築き上げた安全基準は「現場を知らぬ素人の机上の空論」という烙印を押され、慎吾の居場所も、彼を信じるリオの未来も一瞬で消えてなくなる。


(また土壇場で、すべてを崩壊させるのか? あの会社が倒産した最終日……信じていたシステムが砂の城のように崩れ、誰も信じられなくなったあの日のように)


 胸の内側で、古傷のような鼓動が音を取り戻し、ドクンと嫌な熱を帯びる。呼吸が浅くなる。視界が僅かに狭窄する。それを押し留めるように、慎吾は一度だけ高く、広い空を仰いだ。薄雲の向こう、渡り鳥が鋭い線を引いていく。 届くべき声は、届くべき先へ――。その意志だけが、慎吾の震える膝を支えていた。


 ◇


 エルフの魔導士ルナ・スターライトの工房は、翳りを帯びた神秘的な青い光で満ちていた。天井の梁からは乾いた薬草が揺れ、棚には複雑な刻印入りの魔石が鎮座し、軒下には風鈴のように吊られた水晶柱が外気の魔力に反応して微かな音を立てている。空気は微かにセージの清涼感と、使い込まれた鉄の匂いが混ざっていた。


「ムセン……?」

 ルナが長い耳を僅かに揺らし、不思議そうに首を傾げる。

「声を、物理的な空気の震えではなく、目に見えない『波』として飛ばす――というのね?」


「はい。声を一度、魔力的な波に載せる。魔法側の言葉で言えば『共鳴』を搬送波キャリアにして、離れた石へ渡すんです」 慎吾は工房の作業台に広げられた古い羊皮紙に、簡潔だが力強い図を描き込んでいく。円の中に三角、その端に短い線――現世の論理ゲートを模した記号だ。

「ここを『門番』にして、ボタンを押している間だけ『話す』。離している間だけ『聞く』という一方通行の制御を行います。さらに、もし同時に二人以上が話そうとしたら、緊急停止の合図である『止め』だけを強制的に通す……。魔法陣の中に、特定の周波数以外を切り捨てるバンドパスフィルタの役割を持たせることは可能ですか?」


 ルナは薄い唇に細い指を当て、図面を食い入るように見つめ、思索の海に沈む。「理屈は分かるわ、シンさん。魔石の基準震に、あなたの声の『型』を重ねて増幅すれば、風や周囲の喧騒といった雑音は通りにくくなる。問題は魔力の消費量と、そして何より『標準化』ね。誰でも、どんな魔力レベルの人間でも、同じ手順で、同じ結果が出る装置……」


「それをやらなきゃ、現場の道具にはなれない。警備は属人的な技であってはならないんです」

 慎吾は強く頷き、工房の黒板の片隅に、自分自身に言い聞かせるように四行の鉄則を刻んだ。


 一、百メートル以上の距離で確実に届くこと。

 二、吹き荒れる風と工事の騒音に負けないこと。

 三、同時送話時は『止め』の指示を最優先すること。

 四、機器の誤作動時は「沈黙」に落ちること――叫び声で現場を乱さないこと。


「四番目が、実にあなたらしいわ、シンさん」

 ルナの透き通った目尻が、柔らかく弧を描く。

「名は、もう決めているの?」


「マジック・コミュニケーション。短く呼称して――マジックコム」


 その名は、工房の静謐な空気を震わせ、梁に当たって優しく跳ね返った。それは、この世界の「言葉」が、初めて「命を繋ぐための精密な情報」へと昇華した瞬間だった。


 ◇


 午後の陽光が修道院の古い倉庫に差し込み、そこが臨時の開発拠点となる。

 ドワーフの血を引く親方ガルフ・ストーンハンマーが、重厚な足音と共に木枠と革、そして特製の緩衝材を抱え込んで入ってきた。

「言われた通りだ、シン。手のひらに収まるサイズ、腰にしっかり固定できるクリップ付きの、質実剛健な革ケースだ。高所から落としても、暴れ馬に踏まれても中の石は割れねぇ。現場の道具ってのは、頑丈でなきゃ男が泣くからな」


 ルナは台座に据えた短い水晶柱に、魔力伝導率を極限まで高めた細い銅線を、祈りを捧げるように巻いていく。魔方陣の交点を銀の針で丁寧になぞり、青い紐でその絆を固く結ぶ。

「基準震、入れるわよ」

 水晶を指先で軽く叩くと、澄んだ高音が倉庫の梁を渡り、それに応えるように黒い魔石の表面に目に見えない波紋が静かに広がった。


「プレストーク・ボタン――。これが『親指の門番』だ」

 慎吾は木片のスイッチを押して離す、押して離すという動作を何度も繰り返す。その単純な反復の中に、確かな手応えを感じ取っていた。

「まずは『段一運用』として、三語限定で立ち上げる。使う言葉は三つだけ。『止め』『待て』『進め』。この三語を街に馴染ませ、揃えてから、次の段階へ増やす」


「三語だけで現場は回るのか?」ガルフが訝しげに鼻を鳴らすが、慎吾の瞳は真剣そのものだった。

「緊急時、パニックに陥った人間が瞬時に理解できるのは三語が限界です。三日間は、この『型』を徹底させる。その後、東西南北の地名詞、次に馬車や歩行者といった対象物――階段を一段ずつ上るように、言葉を解放していきます。ただし、どの段階においても『止め』の最優先原則は揺るぎません」


「階段を上るのね」ルナが楽しげに、そして誇らしげに言った。「では、最初の一歩を踏み出しましょう。――『止め』の声を」


 慎吾は深く、肺の奥まで息を吸い込み、短く、そして一点の迷いもなく発声した。 「止め」 水晶の内部で、細い糸のような蒼い光が走り、別卓に置かれた受話石が一拍置いて、確かに答えた。 『――トメ』


「……濁ってるな」ガルフが太い眉をしかめる。

「帯域が広すぎるわ。余計な共鳴を拾っている」 ルナは結晶の角度を髪の毛一本分の精度で合わせ、不要な残響を抜いていく。「もう一度、どうぞ」


「止め」

『止め』


 今度は、まるで隣で囁かれたかのように澄んでいた。空気が僅かに、そして劇的に軽くなったのを全員が感じた。


「待て」

『待て』

「進め」

『進め』


「三語限定、暫定合格だ」 慎吾はボタンから指を離し、自身の親指の腹に刻まれた小さなスイッチの跡を見つめた。その肉体に刻まれた小さな痛みと作法が、不安定な心を守る確かな「錨」のように感じられた。


 ◇


 深夜、ケイルハーベン。石畳は夜露を吸って妖しく光り、街灯のランタンは橙色の炎を微かに揺らしていた。収穫祭を前にした嵐の前の静けさの中、遠くで犬が一度だけ吠えた。

 北門の入り口に慎吾、そして百メートル以上離れた曲がり角の先にリオ。二つの孤独な点を結ぶ見えない「声の橋」を架ける。


「こちらシン。通信テスト。――リオ、聞こえるか?」


 一瞬の間を置き、寒夜の空気を割って、弟子の弾んだ声が返ってきた。

『――こちらリオ! 師匠、信じられません! まるで僕の耳のすぐ横に、師匠が立っているみたいです!』


 暗闇の中でガルフが腹の底から笑い声を上げた。

「はっ! 怒鳴り声を上げずに済む日が、本当に来やがったか! 魔法ってのは、こういう風に使われるのを待ってたのかもな!」


 慎吾は、かつて現世で初めて起業し、自社サーバーを起動させた夜の興奮を思い出していた。しかし、あの時のような独りよがりの高揚感ではない。掌には、ずっしりと重い「命の手応え」が宿っていた。

(この声の橋があれば、仲間の『危ない』という叫びを、〇・〇一秒早く届けることができる。これは単なる道具じゃない。現場の命を、バラバラだった個を一つに繋ぎ止める『秩序の根幹』だ)


 その後も、同時通話時の競合試験、厚い壁を隔てた際の感度、魔力切れ寸前の挙動。慎吾は妥協を一切許さず、システムを極限まで追い込んでいった。倉庫の壁に反響したノイズは、ルナの魔法陣が冷徹に切り落とした。百二十、百三十――距離を伸ばしても、リオの返事は真っ直ぐに、慎吾の心臓へと届き続けた。


 ◇


 翌日。北門通りには香草と焼き栗の香ばしい匂いが風に乗って漂っていた。屋台のミレーナは新作の蜂蜜パンを忙しなく並べ、巡回兵はいつもの苦情帳を脇に抱え、半信半疑の面持ちで様子を伺っている。

 慎吾、リオ、ミア――三人の腰には、ガルフが丹精込めて作った革ケース入りのマジックコムが、鈍い輝きを放っていた。


「北、止め」

『北、止め了解!』

「南、進め」

『南、進め了解!』


 現場に、あの大音量の怒鳴り声はもう響かない。馬車の鉄輪が石畳の窪みで立てる規則的な音だけが流れていく。一本の透明な「水の流れ」を制御しているかのような、完璧な静寂と秩序。

 不意に、一台の馬車が荷崩れの予兆を見せ、バランスを崩しかけた。

「――止め!」

 慎吾の鋭い声が、マジックコムを通じて同時に全員の耳へ届く。全誘導員が瞬時に、寸分の狂いもなく赤旗を垂直に静止させた。馬車は悲劇の数歩手前、まさに少年の背丈二つ分という至近距離で、ぴたりと止まった。

 母親が何度も何度も頭を下げ、救われた少年は、空に高く掲げられた赤い旗の形を見上げて息を呑んでいた。


「……同じ声が二ヶ所から同時に。不思議なこともあるもんだな」 驚く御者に、慎吾は短く、落ち着いた声で答えた。

「『約束の形』は、同じ声で届くものです」

 世界は言葉による説明よりも先に、この圧倒的な「形」によって安全を学習していく。


「報告をいたします」

 開発局補佐官ヴィオラが、興奮を隠せない様子で巻紙を掲げた。

「騒擾、一切なし。苦情帳、本日わずか一行。その内容は……『待ち時間が短くなったように感じた』。慎吾殿、これは文句ではありません。民草からの、精一杯の感謝ですな」


 巡回兵が、自分の持っている帳面を信じられないといった様子で見つめる。「……俺がこの仕事に就いてから、この帳面に感謝の言葉が書かれたのは初めてのことだ」


 ガルフは豪快に笑い、慎吾の肩が外れんばかりの勢いで叩いた。

「通りがまるで川みてぇだ。おいシン、これ、いつまで三語だけで通すんだ?」

「三日間は『段一』で固定です。型を街に馴染ませ、彼らの中に『待つことは安全である』という信頼を積み上げます。三日後の査察、その瞬間まで」


 ルナが隣で、消え入りそうな声で囁いた。「あなたの三つの柱――見える・止める・揃える。そこに、今日から『伝える』が入ったわね」

 慎吾は小さく笑みを浮かべた。

「ようやく……現場の『眼』が一つに繋がった気がします」


 ◇


 夕焼けは城壁を燃えるような桃色に染め、家々の屋根瓦の影を長く東へと伸ばしていく。撤収の後、黒板の「安全指標」の下に、誇らしげに新しい一行が書き加えられた。


 魔法通信:段一運用 初日成功。

 明日の目標:誤作動ゼロの継続。復唱速度をさらに〇・五拍短縮させる。


 慎吾は革ケースに刻まれた小さな擦り傷を、愛おしそうに指先でなぞった。かつての荒い呼吸はすでに整い、胸の奥に居座っていた重石は、昨日よりも幾分か軽い。

『押して話し、離して聞く』――この単純なリズムが、崩れかけた慎吾の心に寄り添い、確かな居場所を与えてくれていた。


(声が届く――それだけで、誰かの『待て』が孤独な拒絶ではなくなるんだ)


 夜風が僅かに冷たさを増した。ランタンの火が一度大きく揺れ、やがて安定する。遠く、街の鐘が二度鳴り響いた。 決戦の査察まで、あと三度。


 ◇


【届かない手紙(第8話)】


 大翔、咲良へ。


 お父さんは今日、こちらの世界で魔法を使った「無線機」を作りました。 名前は「マジックコム」と言います。遠くに離れていても、仲間の声がすぐそばにあるように聞こえる、魔法の道具です。


 この道具があれば、お父さんの仕事はもっとたくさんの人を守れるようになります。 離れた場所にいる仲間と「大丈夫だ」と声を掛け合えるだけで、こんなにも心が強くなれるのだと、お父さんは初めて知りました。


 大翔、咲良。君たちの声が聞きたいです。 お父さんはあの日、君たちが泣きながら僕を呼んでいる声を、本当は聞いていたのかもしれない。あの時、僕の手が君たちに届いていれば、君たちの誕生日に、あの「二つのケーキ」を一緒に食べて、君たちの笑い声を聞くことができたのに。


 お父さんは、この「マジックコム」を使って、こちらの世界の人たちの命を繋いでいきます。それは、いつか僕が、君たちの「おかえり」という声を聞くための、長い修行なのだと思っています。


 いつか必ず、僕の声が君たちに届く日が来ると信じて。

 お父さんは、明日も現場に立ちます。愛しているよ。


 約束は変わらない。ケーキは二つ。必ず帰る。


【第8話 完】


第8話:執筆後記「『伝える』という四枚目のピース」

第8話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。 今回は、物語の技術的ターニングポイントとなる魔法通信装置『マジックコム』の開発を描きました。


1. 異世界における「通信プロトコル」

慎吾が持ち込んだのは、単なる「便利な道具」ではありません。「誰が、いつ、何を話すべきか」という通信の秩序プロトコルです。 IT用語である「バンドパスフィルタ」や「ロジックゲート」といった概念を魔法に落とし込む工程は、慎吾の過去(IT経営者)と現在(警備員)が完全に融合した瞬間でもあります。あえて語彙を三語(止め・待て・進め)に絞る「引き算の美学」に、彼のプロ意識を込めました。


2. 職人たちの「三者会談」

慎吾の論理、ルナの魔法、そしてガルフ親方の質実剛健な革細工。 種族も技術体系も異なる三人が、一つの「安全」のために知恵を絞るシーンは、書いていて非常に熱が入りました。現場の道具は、スマートなだけでなく「馬車に踏まれても壊れない」という泥臭い強さが必要なのです。


3. 「孤独」を消すための声

第8話で、慎吾の掲げる警備の柱に「伝える(Communication)」が加わりました。 無線機は、単に情報を飛ばすだけの機械ではありません。遠く離れた場所で一人旗を振る仲間と「繋がっている」という実感を分かち合い、恐怖や孤独を打ち消すための「心の命綱」でもあります。それが慎吾自身のトラウマを癒やしていく過程も、今後の重要なテーマとなります。

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