第4話「仲間の信頼」
前日、多くの職人たちの前でパニック発作を起こして現場から逃げ出したシン・タナカ(田中慎吾)は、朝焼けがケイルハーベン市の石畳を淡く染める中、重い足取りで建設現場へ向かっていた。
(また笑われるんじゃないか。完璧な人間を装っていたのに、あんな醜態を晒してしまった)
胸中に渦巻く自己否定的思考は、彼の持病であるうつ症状の一部だった。警備員としての職業への誇りと、父親としての責任感だけが、彼を現場へ引き戻す強靭な杭だった。
現場に到着すると、ガルフ親方と、見習いのリオがすでに作業の準備を始めていた。慎吾は深く頭を下げた。
「親方、リオ、昨日はご心配とご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。」
リオはすぐに満面の笑みを浮かべた。「シンさん!大丈夫ですよ!親方も、今日は無理しないでいいって言ってましたから。」
ガルフは大きな顎鬚を撫でながら、ぶっきらぼうに言った。「お前は自分の病気のことを正直に話した。それで十分だ。だが、今日は無理をさせるつもりはない。隅で見ていろ。」
慎吾が現場の隅で静かに作業の様子を観察し始めると、他の職人たちも温かい言葉をかけてきた。
「シンさん、昨日は大丈夫でしたか?無理しないでくださいよ。」 「シンさんがいるだけで、現場が安全になってるんですから。俺たちは感謝してます。」
(僕がいても、迷惑じゃない……?)
彼らが軽蔑や好奇の目で見ていないことに、慎吾は驚き、そして安堵した。かつて現世で、精神的な持病が再就職の道を閉ざした際の屈辱感が、少しずつ洗い流されていくようだった。
その日のメイン作業は、全長10メートルにもなる巨大な魔石を吊り上げる作業だった。慎吾は腕を組み、据え付け直した魔力滑車とクレーンを見上げた。
「リオ、今日の合図は三種だけでいく。『上げ』『下げ』『止め』。迷ったら止める。止めは最優先。いいな。」
「はいっ!」リオ・ブライトウィングが旗を握り直す。
「運転手は視認できる位置を守って。死角に入ったら、旗じゃなく声でもいい。とにかく、迷うくらいなら止める。」
古株の石工が口笛を鳴らした。「親方ー、段取りはできてるぜ。昔は声一発でやってたもんだが。」
「終わらせる前に、帰る人間を終わらせるな」シンは短く返し、吊り具に指を這わせた。ロープの摩耗、当て木の位置、角部の保護を一つ一つ確認していく。
「口うるささは、紙の上で済ませます。現場は静かなほうがいい。」
シンはリオに視線を戻した。「最初に『停止』を使う練習から入るぞ。上げる前に止める。無駄じゃない。始め。」
リオが旗を水平にして叫ぶ。「止め!」
クレーンの運転手が合図を返す。
「よし。じゃあ、一丁目いく。合図。」
「上げ!」
ワイヤが鳴き、魔石がわずかに浮く。地面から二センチ。
「止め!」
地切り確認。慎吾はしゃがんで下を覗く。下の木片が一つ、想定外の位置に当たっていた。
「止め継続。木片、撤去。……よし、再開。」
石が膝の高さまで上がり、ガルフが指揮を執る巻き上げ作業が続いた。
その時、慎吾の脳内で、警備員の特殊能力である「ガーディアン・システム」の危険予知 Lv.MAXが、静かに、しかし明確に発動した。
(クレーンを固定している巻き上げロープが、魔石の角で摩耗している。3秒後に破断し、魔石が半径10メートル以内に落下する)
脳内に情報が論理的かつ簡潔に提示された瞬間、慎吾は考えるよりも早く動いた。
「ガルフ親方!巻き上げを止めろ!今すぐだ!」
ガルフは慎吾の声に驚き、反射的にクレーンを止めた。作業員たちが不審そうな目で慎吾を見たとき、彼の声が現場に響き渡った。
「ロープが摩耗しています!このまま巻き上げれば破断し、重量物が落下します!全員、魔石から10メートル以上離れて!」
「なんだと?ロープだと?」ガルフは慎吾の指差す先を見た。そこには、数本の魔獣の腱を編み込んだロープが、魔石の鋭利な角に触れて、すでに数本が切れかかっているのが見えた。
ガルフの顔から血の気が引いた。魔石の重さは500キロを超える。もし落下すれば、間違いなく死者が出る大事故だ。
「リオ!すぐに新しいロープを用意しろ!シン!お前はどうやって分かったんだ?」ガルフが問い詰めた。
慎吾は冷静に答えた。「警備員の観察力です。吊り下げ角度と魔石の形状、そしてロープの摩耗状況を瞬時に分析すれば、破断までの猶予が計算できます。」
(本当は危険予知が教えてくれたのだが。この世界の人間には、簡潔な論理で説明しなければならない。)
事故を回避したことで、職人たちはガルフの指示よりも、慎吾の判断を信頼し始めた。
古株の石工がぽつりと漏らす。
「……たいしたもんだ。今の止め、よく間に合ったな」
「止めてよかったから、間に合ったんです」シンは肩を落として笑った。
「間に合わなきゃ止める、じゃない。間に合わせるために止める。それが『止め最優先』です。」
作業員たちが頷き、空気が、少し軽くなる。慎吾の心には、警備員として培った能力が、この異世界でも人の命を守る価値があるという確信が芽生え始めていた。
夜。ガルフはいつものようにストーンブリュー(アルコール度数45度のドワーフの蒸留酒)を工房の奥にある居住スペースで慎吾に注いだ。
「お前がいなかったら、今日の作業は失敗どころか、葬式になっていたな」ガルフは重い口調で言った。
「親方の指揮があれば、僕がいなくても大丈夫ですよ」慎吾は遠慮がちに答えた。
ガルフは顔を上げた。
「そういう謙虚なところも、本当にドリンに似ている。」
慎吾はグラスを傾けかけた手を止めた。
「ドリンさん……親方の息子さんでしたね。」
「ああ。」
ガルフは静かに頷いた。
「ドリンは真面目で、責任感が強い男だった。お前と同じだ。自分のことより、仲間のことばかり考えて、時々、その責任の重さに潰されそうになってた。」
ガルフは工房の壁に掛けられた古い工具を見つめた。
「あいつは、俺に職人として認められたくて、無理をした。一人前になったら『父さんと酒を飲もう』と約束してくれたのに……」。
慎吾はグラスの中の琥珀色の液体を見つめた。故郷の子どもたちとの誕生日ケーキの約束。それは、彼にとって未履行の約束という、最も重い鎖だった。ドリンの未果の約束を聞き、慎吾は胸の奥で痛みが共鳴するのを感じた。
「シン、お前は自分を責めすぎるんじゃない」ガルフは優しく言った。「お前が人を守ろうと必死なのは、ドリンと同じだ。お前の弱さも、その切実な責任感から来ている。それを否定する必要はない。」
ガルフはグラスを高く掲げた。「お前は、この現場の光だ。お前という息子が、俺に希望を与えてくれた。」
慎吾は、ガルフの温かいまなざしに、現世で失った父性を感じていた。
(僕の父性を、異世界で見つけた。この父子の絆を、子どもたちにも伝えたい)
慎吾はストーンブリューを飲み干し、静かに頷いた。
「ありがとうございます、親方。」
夜が更け、現場の空気が収まった頃、ガルフが声を潜めた。
「明日からだ。現場の連中、ほとんどが『お前の止め』を信じるようになった。……安全の責任者、正式に名乗れ。」
慎吾は頷き、短く答えた。
「やります。」
胸の奥に、ひっそりと火が灯る。完璧ではない。発作も、弱さも、消えない。それでも、彼の「止め」は、今日、仲間の命を守り、信頼の言葉になった。
【届かない手紙:第4話】
大翔、咲良へ。
お父さんは今、こちらの世界で、あなたたちのことを思い出していました。お父さんは、僕を信じてくれる仲間を見つけました。ガルフ親方というドワーフの職人です。
親方は、僕が時々体調を崩しても、責めずに受け入れてくれました。そして、「弱さを知る者こそ、人を守れる」と教えてくれました。僕の弱さが、僕の存在意義を否定するものではないと、初めて認められた気がします。
僕は、この世界で警備員として、みんなの命を守ることで、少しずつ強くなっている気がします。
来週の大翔の誕生日が近づいていますね。あの時、君たちのために注文していたケーキを一緒に食べることができず、本当にごめんなさい。お父さんは毎日、あの日のことを思い出して、胸が張り裂けそうになります。
でも、その罪悪感が、僕を帰還へと突き動かす唯一の原動力です。お父さんは必ず帰ります。そして、あの日の約束を果たします。君たちが僕の一番の宝物だということを、忘れないでね。愛しているよ。
お父さんより
【第4話 完】
【作者からのお知らせ(桃馬穂より)】
いつも『異世界警備員』をお読みいただき、ありがとうございます。桃馬穂です。
第4話は、慎吾がプロの技と哲学で「仲間の信頼」を勝ち取る、再生物語において非常に重要な回となりました。特に、「止め最優先」の哲学で大惨事を回避したシーン、そしてガルフ親方との「親子の酒」で互いの心の傷(未履行の約束)が共鳴し合った場面は、私自身、書いていて胸が熱くなりました。
ガルフは慎吾に、亡き息子ドリンの面影と希望を見出し、慎吾はガルフに、現世で失った父性と無条件の受容を見出しました。この強固な父子の絆が、彼の異世界での活動の基盤となります。
しかし、慎吾の試練は終わりません。
次回、第5話「旗振りの意味」では、見習いリオへの指導が裏目に出て、「警備員のせいで事故が起きる」という、慎吾にとって最も恐ろしい事態が発生します。激しい自責の念にかられた慎吾は、再びパニック発作に襲われますが、その中でリオは警備員の仕事の本当の重さを学びます。
是非、ブックマークや評価★★★★★で、慎吾の「警備員の哲学」が異世界でどう花開くかを応援いただけますと幸いです!
次回:異世界警備員 第5話「旗振りの意味」にて、またお会いしましょう。
桃馬穂




