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異世界警備員  作者: 桃馬 穂


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第2話「新しい世界での出会い」

 全身の激痛と共に意識が回復したシン・タナカ(田中慎吾)は、全身から流れ出る冷や汗を感じながら、土埃が舞う石畳の上でゆっくりと身を起こした。

(身体が……軽い。享年三九歳で、借金と病で疲れ果てていたはずの肉体が、まるで二十七、八歳の、あの頃の活力を取り戻したようだ。全身の血管を、魔力ではなく、純粋なエネルギーが駆け巡っているのを感じる)

 肉体の再生は、神オルドの恩寵として完璧だった。現世での長年の疲労や通院で失われていた体力は、転生により完全に回復していた。しかし、身体的な回復とは裏腹に、彼の心の奥底には、うつ病とパニック障害という精神的な持病の影が、変わらぬ鉛の重さをもって残っていた。

(体は軽くなったのに、心は相変わらず重いな。この不安感は、新しい世界に来たから消えるわけじゃない。結局、僕はあの失敗の罪を、この心臓に刻み込まれた十字架として背負い続けるんだ)

 周囲を見渡すと、巨大な石組みの足場、魔力で動くクレーン、そして叫びながら働く人間や、がっしりした体躯のドワーフたち。土と汗、そして魔力石が摩擦で焼ける独特の匂い、そして言語の壁を超えた怒号と金槌の甲高い音が、彼の聴覚を激しく攻撃する。この制御不能の騒音と熱気こそが、彼の心を支配するパニック発作のトリガーとなりうるものだった。

 ここが神オルドに言われたレザムーア王国の首都、ケイルハーベン市の建設現場だと理解した。彼の脳内で、特殊能力「ガーディアン・システム」が、警告音もなく、静かに周囲の情報を収集・処理し始めていた。


 慎吾の目には、この異世界の建設現場が、あまりにも無秩序で危険に満ちていることが、論理的かつ冷徹に飛び込んできた。それは、「事故が起きる前提で動いている」状態だった。

(図面がない。作業員同士の連携もない。そして、あれは……)

 彼の目の前にあるのは、神殿の基礎となる巨大な石材を運搬するための足場だった。その足場は、経験則と伝承に依存した口伝による設計で作られており、構造計算の概念は存在していなかった。使用されている木材は太さも種類もまばらで、明らかに強度に不安がある。

 レザムーア王国の建築技術は、現世の中世後期からルネサンス初期レベルであり、「安全管理」という概念が、文化として完全に欠落している状態だった。

 高所作業: 職人たちは高所作業で命綱(安全ハーネス)を使用せず、平然と「信仰と経験」のみに頼って作業をしていた。

 重量物運搬: 重量物も手動クレーンと人力に頼っており、安全係数という概念がないため、頻繁にワイヤーが破断し、事故が常態化していた。

 保護具の欠如: 作業員はヘルメットはおろか、安全靴すら着用していない。「魔法で補強すれば大丈夫」という非論理的な迷信が、人命軽視の根拠になっていた。

(魔法は安全ではない。安全は科学であり、論理であり、手順だ。この無秩序は、かつて僕がIT企業を崩壊させた時と同じだ。個人の才能に頼り、システム化を怠った結果の混沌。これを見て、どうして不安にならないでいられる?)

 この無秩序な光景は、慎吾のプロとしての誇りを深く傷つけ、同時にパニック発作の予兆を、より強く彼の胸に広げた。彼は、この混沌を制御しなければ、彼の心の安全すら保てないと感じた。


 その時、一際大きな、岩が砕けるような怒鳴り声が響いた。がっしりした体格と、誇りのように立派な褐色の顎鬚を持つドワーフ、ガルフ・ストーンハンマー(五二歳)が、目の前でうずくまっていた慎吾を睨みつけていた。

「おい、そこの若造!何ボーッと突っ立ってる!貴族の暇つぶしか!ここは死ぬ覚悟がねぇ奴が来るところじゃねぇぞ!」

 ガルフの言葉は、この現場の命に対する価値観を端的に示していた。

 慎吾はすぐに立ち上がり、冷静に、足場を指差した。声には、自己の不安を打ち消すための厳格なプロの響きを込めた。

「すみません、親方。あの足場が危険に見えまして……荷重のバランスが、限界傾斜角度を超過しています。」

 ガルフは蔑むように鼻を鳴らした。

「はぁ?貴様、工学の学位でも持っているのか?素人が何を。足場は常に不安定なもんだ。それが職人の技術で補われる。事故は、職人としての成長の代償だ。口を挟むな!」

(職人の技術?成長の代償?これは技術ではない。これは確率論的な自殺だ。事故を不可避なものとして受け入れる、命の軽視という非論理的な信仰だ)

 慎吾の警備員としての「命を軽んじる行為こそが最大悪」という信念と、ガルフの「危険と隣り合わせでこそ最高の仕事ができる」という職人哲学が、火花を散らして衝突した。


 その衝突の刹那、慎吾は反射的に、ガルフの言葉を遮った。

「危ない!」

 彼の脳内で特殊能力「ガーディアン・システム」の危険予知 Lv.MAXが、現世でトラックの暴走を予測した時以上の、全身を貫くような強烈な警告として発動した。

『警告:足場崩壊、カウントダウン開始』

 脳裏に描かれた映像は、冷徹なデータ分析だった。

【システム解析】: 主要支持部材(ヒノキ材と魔法コンクリートの接合部)の劣化率は98.7%。 荷重分散の設計上の欠陥により、3.1秒後に継ぎ手が破断する。 【予測被害】: 崩壊予測範囲:半径15.2メートル。 即死確定者:1名(足場最下部のドワーフ作業員)。 重傷者:3名。

 この冷徹なデータが、彼のパニック発作の渦を瞬時に掻き消した。プロフェッショナルとしての「人命保護」という絶対的な指令だけが、脳内を支配した。

「ドワーフの親方、早く離れてください!」

 慎吾は言葉を発すると同時に、怒鳴るガルフの制止を振り切り、崩壊予測範囲の最も危険な位置にいた作業員二人を強く引っ張り、全力で押し出して避難させた。

 ガラガラガラ……ゴゴゴゴゴォッ!ドォンッ!

 彼の予知した通り、巨大な石材の重みに耐えきれなくなった足場は、凄まじい轟音と共に音を立てて崩壊した。砂埃と砕けた木材が舞い上がり、現場は一瞬にして静まり返った。避難させていなければ、確実に死者が出ていた大惨事だった。


 ガルフは驚愕に目を見開いたまま、崩れた足場と、その場に立っている慎吾を交互に見た。顎鬚のドワーフが、全身の威圧感を失い、ただの困惑した男になっていた。

「お前……どうして分かった?」ガルフの声は、純粋な驚きと、長年の経験が否定された戸惑いを含んでいた。

 慎吾は息を整え、真のチート能力の存在を隠し、現世での経験に基づいた説明をした。

「警備員の勘というか……危険を察知し、未然に排除するのが、現世での僕の仕事でしたから。」

「警備員?お前、名前は?」

「シン・タナカです。准男爵の地位を頂いておりますが、心はただの警備員です。よろしくお願いします。」

 ガルフは顎鬚を撫でながら、慎吾の能力が「職人の経験則」を凌駕する本物であると認識し始めた。

「この現場じゃ、月に二~三人は死ぬのが当たり前だ」ガルフは重い口調で言った。

 慎吾は愕然とした。現世で「人の命を預かっている」という責任感で自らを保っていた彼は、この異世界での命の軽視に、激しい怒りと燃えるような使命感を覚えた。

(事故が当たり前?冗談じゃない。僕が果たせなかったのは、たった一つの約束だ。それなのに、この世界では、毎月三つもの命が、非論理のせいで失われている)

 現世で交通誘導警備員として働いていた経験、そして「人の命を預かっている」という職業への誇りが、彼の心を突き動かした。それは、故郷の子どもたちに「父親として胸を張れる自分」を見せるための、最初の行動だった。

(僕は、この世界の人たちも守りたい。僕の警備員としてのスキルは、この世界でこそ人の命を救う価値がある。この仕事を全うすることが、あの二つのケーキの約束を果たすための、異世界での贖罪なのだ)

 この日、シンは、故郷への帰還という個人的な目標に加え、異世界の安全管理の変革という、最初の重い使命感に目覚めた。


 届かない手紙(第2話)

『大翔、咲良へ。』

『お父さんは今、レザムーア王国という不思議な場所にいます。見た目は若返り、身体は軽くなりましたが、心は相変わらず弱くて、時々不安になります。』

『この世界では、事故で人が死ぬのが「当たり前」だとされていました。その光景を見た時、お父さんは激しく怒りを感じました。この世界の人々は、命を守る論理ルールを知らないだけなのです。』

『僕は、こちらで警備員として働くことにしました。僕の持っている「危険予知」という力は、この世界でたくさんの人の命を救うことができると信じています。それが、お父さんの存在意義になるはずだから。』

『来週の君たちの誕生日を、一緒に祝うことができず、本当にごめんなさい。注文した二つの誕生日ケーキが君たちの元に届いた時、君たちがどんなに悲しむかと思うと、お父さんは心が張り裂けそうです。』

『でも、その未履行の約束こそが、お父さんを帰還へと突き動かす唯一の原動力です。お父さんは必ず、君たちとのケーキの約束を果たすために帰ります。愛しているよ。』

【第2話 完】


【作者からのお知らせ(桃馬穂より)】

いつも『異世界警備員』をお読みいただきありがとうございます。桃馬穂とうますいです。


第2話では、神の恩寵による「若返り」と、トラウマによる「心の重さ」という、慎吾の二面性が明らかになりました。そして、「事故が当たり前」という異世界の非論理的な現実が、彼に新たな使命を与えました。


プロとしての怒りと、子どもたちとの「二つのケーキの約束」が、彼を突き動かします。


次回、慎吾は強硬な職人であるガルフ親方に対し、具体的な安全システムの最初の提案を行います。そして、彼の最初の弟子となるリオとの運命的な出会いが待っています。彼の警備員哲学が、この無秩序な世界にどう浸透していくのか、ご期待ください。


もし、少しでも続きが気になりましたら、ブックマークや評価★★★★★をいただけますと、大変励みになります。


次回:異世界警備員 第3話「初めての発作と受容」にて、再びお会いしましょう。


桃馬穂とうますい

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