第8話【過去】春は、まだ遠く
ギルドマスターが目の前にあったジャーキーに手を伸ばし、口に運ぶ。
アリアナは横目でギルドマスターを見て、ジャーキーに手を伸ばした。
何を心配しているのか、ギルドマスターと同じものしか食べないらしい。
「好きなもん食えよ」
「えらいひとのまえでの食べ方、わからない……」
眉を寄せて、困った顔をしたアリアナが小声で呟いた。
エリオットが「気にせず好きなように食べるといいよ」と言っても「はい」と返事はするが、ギルドマスターが手を出したものにしか手をつかない。
そんなアリアナをみて、ギルドマスターは彼女の眼の前にあった強烈な甘さのヌガーを手に取った。彼は甘いものは苦手なのに、だ。
アリアナはまた真似をしてヌガーを口に運び、目を瞬かせた。
指先でギルドマスターの肘をつんつんとつつき、内緒話をするように彼の耳に顔を寄せた。
「これ、すごいね。おくちのなかがじゅわー! ってした」
「……甘ぇっていうんだよ。そういうのを」
「あめぇね。これ、すごいね」
そこで初めてアリアナは笑った。年相応の、可愛い笑みだった。
「ベンジャミン」
「持ち帰り用の袋を取ってきます」
エリオットが名前を呼ぶだけで意図を汲んでくれたらしい。大変優秀な従者である。
「それで、君はどうして傭兵になろうとしたのかな?」
「ブレメアりょうの、けんきゅうじょで、まりょくそくていをうけたのです」
「魔力測定?貴族学校入学後……十三歳の年で行うものじゃないのか?」
その言葉にアリアナはこてん、と首を傾げた。なにかおかしなこといってる?と言わんばかりの目だ。
「……?はい、12さいなので。もうすぐで13さいです」
思わずエリオットとベンジャミンは顔を見合わせた。自分と二歳しか変わらない。
年齢にしてはたどたどしい言葉遣い、年齢に見合わない痩せた身体、貴族の令嬢であるにも関わらず、教育を受けた気配がない。
これはまごうことなき「訳アリ」だ。それも想像していた以上に重い方の。
「ベンジャミン」
「パン粥……いや、食べやすくしたシチューをもらってきます」
アリアナの話をまとめるとこうだ。
アリアナは幼い頃から魔法の才能があった。
兄たちが必死で魔法の練習をしているのを見ていた。指先に炎ひとつ灯せない兄を尻目に、彼女が「そうであれ」と思ったら思ったとおりに出来た。
彼らに才能が無いのか、それとも自分が特別なのか……。判断するきっかけが「魔力測定」であった。
本来であれば、魔力測定は十三歳に貴族学校に入学した年に受ける。だが、マルコはアリアナを貴族学校に入学させる気はなかった。――アリアナに、そこまで金をかけてやる必要はないと判断したらしい。
しかし、貴族の子女は必ず自身の魔法について国に報告する義務がある。優秀な魔法使いを確保することは国力の確保にも繋がるからだ。
ブレメア領にある魔力研究所で魔力測定を受けたところ、計測器が振り切れるほどの優秀な結果を残した。
魔力研究所の職員たちは彼女の稀有な魔力の素質を認め、「彼女を帝都の魔力研究所へ送るべき」であるとマルコに進言した。
確実に帝都の魔力研究所の研究員になれる。それだけの素質があると認めたのだ。
仮に、彼女を帝都の研究員にした場合、賃金は保証されるが、ブレメア家を立て直すには少ない。
ブレメア家にとって「優秀な魔法使いがいる」というのは出世の足がかりとなるには弱い。優秀な当主であれば十分な足がかりとなるが、マルコにとって不幸なのは自分の貴族当主としての才覚の無さをはっきりと自覚していたことだ。
未来永劫とは言わずとも、少なくとも次代まで安定した「何か」がほしい。あとは金。金はいくらあっても足りない。……それを得る手段が、たとえそれが後ろ暗いことであったとしても。
マルコは研究者たちに金を渡して黙らせ、アリアナを「一番高く買って貰える先」を考え始めた。
彼が選んだのは、第二皇子派の高位貴族に彼女を売ることだった。
魔力というのは母親の遺伝が強く出る。
彼女が母体となり、子を三人産めば確実に一人は彼女の体質を受け継ぐことになるだろう。
彼女の今の年齢から考えて出産可能な年齢まで子を孕み続けたとして、そのうち何人が彼女の魔力を受け継ぐか――。そこまで想像してエリオットは思考を打ち切った。グロテスクな事になったからだ。
第二皇子派に恩も売れ、大金も手に入り、子どもができたら血の繋がりもできる――マルコにとって、それは完璧な計画だった。倫理や情?――そんなもの、得られるものの大きさに比べたら無意味に等しい。
倫理や情は彼に大金をもたらしてはくれないのだから。
彼女はいつ「出荷」されてもおかしくない状況となった。
闇夜に紛れてブレメア家から脱走し、傭兵ギルドの門を叩いたということだ。
「なるほど、君が家を出たい事情は理解した」
「よーへーに、なったら、国外に、でられるから、親もれんらくがつかない、だから、よーへーになろうと……」
「でもねえ、傭兵ってのはこの国の主要輸出産業だ。殿下、あなたならこの意味分かるでしょう」
「ああ……」
エリオットはそれだけ言って、少し考え込むことにした。
優秀な従者はエリオットの意図を把握して、会話で場を繋いでいてくれる。
厳しい環境で育てられた傭兵たちはこの国の外貨獲得に貢献している。貴重な鉱石や宝石と同等の価格で取引される、血の通った高額な輸出品。
傭兵業は綺麗な仕事だけではない。
人を殺すし、自分が殺される可能性だってある。
雇い主によっては善人や女の子ども関係なく殺さなければいけないことだってあるだろう。
ギルドマスターは選べる余地があるなら、幼い少女が人を殺すという経験をさせたくないのだろう。
それに、国外では「女だから」という理由だけで不愉快にあうかもしれない。
国内であれば守れるが、国外では「それがあった」ことすら気付けないかもしれないのだ。
『――話を聞いたんですが、素性を聞いてみたら“お貴族様”。――』
『……これはもう、騎士団の方で引き取ってもらった方が良いかと思いまして』
思えば、ギルドマスターの言い方は歯切れが悪かった。
おそらく、傭兵ギルドではアリアナを受け入れる余地がないのだ。
平民から構成される傭兵ギルドでは「貴族」であり「子ども」の彼女は間違いなく浮く。たとえ彼女がどんな優れた素質を持っていたとしても。
「貴族出身だから誰からも組んでもらえない」というのは彼女の明確な弱みだ。それを他の力で補えるようになるのは何年かかるだろうか。
『貴族出身の十二歳の女の子で、信頼できる仲間のいない傭兵』がどんな目に合うのか、想像するまでもない。
それまで多忙なギルドマスターが守り続け、他人の悪意から身を守る術を教えることは出来ない。
出る杭は必ず打たれる。
誰も信じられず、誰からも信じられず孤独に仕事をする。
どんなに彼女が強力な魔力を持ち合わせていようが、人は必ず無防備な瞬間が発生する。
その時に安心して背中を預けられる人間が居ない、それも輸出先――国外で。それは彼女にとっての不幸だ。
家にいる方が不幸なのか、傭兵になったほうが不幸なのかは分からない。
それならば、必ず部隊で動く騎士団に居たほうが良い。騎士団は軍人だ。必ず寮に入る必要があるし、国を守る任務の性質上、親兄弟の連絡も簡単には取れない。
エリオットの庇護下であれば「特別な任務についているため、連絡不可」とマルコからの連絡を一蹴できるだろう。
騎士団が動く仕事は、国が「国家のため」と選択したものだ。傭兵業よりも少しだけ救いがある。
誰かを殺しても、それは国のために必ずなるのだから。
それをわかったうえでギルドマスターは彼女を騎士団に連れてきたのだ。
(惜しいな)
もしも彼女が貴族学校で教育を受けた少女だったら――。この国で成人としてみなされる十六歳だったら、選択肢は無数にあっただろう。
魔法の使い方を知った状態だったなら、傭兵となる未来だってあったかもしれない。
いや、彼女が貴族学校に行っていたら、国が彼女を離さなかっただろう。
彼女に目をつけた誰かが、ブレメア家の当主に金を渡して黙らせ、自分の養子にしていた可能性だってある。
だが、現実として彼女は十二歳であり、未成年の彼女が取れる選択肢は、とても少ない。
傭兵ギルドでは受け入れることは出来ない、だが騎士団ではどうだろう。
騎士団の入団可能年齢は十三歳からだが、実際十三歳から入団する例はほぼない。
貴族はまず、十三歳で貴族学校に入学し、十六歳で卒業、場合によっては二年間追加で士官学校へ行く場合もある。その後、騎士団に入団となる。
過去の大戦でとにかく人手が必要で大幅に入団可能年齢を引き下げ、そこから問題が起こらなかったため放置されていた。
そんな理由から、騎士団は現在最年少は十五歳。エリオットである。
彼は特例で貴族学校に通いながら騎士団に籍を置いている。第三騎士団はエリオットのための騎士団だから、特例でそういうことができるのだ。
彼女の境遇は同情するが、傭兵ギルドと環境の悪さではそう変わらない。
そんなエリオットの迷いを感じたのか、アリアナが声を震わせて言った。
「おうじさま、……私は、うけいれてもらえなかったら国外に、にげるよ。……私を、うけいれてくれるところなら、どこだって行く。そこで……この国をほろぼせと言われたら、きっとやる」
アリアナはベンジャミンがお菓子を持ってくるのに使ったワゴンにそっと手を添えた。数秒もせずに、鉄製のワゴンが灰となって床に山を作る。
音もなくワゴンを破壊したことが不気味だった。
魔法を一つ見ただけで分かる。測定するまでもない。こんなの異常だ。
普通の魔法使いが同じことをしようと思ったら、魔法具や詠唱による補助や、大量の魔力を使う必要がある。
魔法の使い方は貴族学校で学ぶ。だが、眼の前の少女は学んだことがないのにそれだけの魔法をやってのけた。それこそ、「チリをはらった」くらいの労力で。
「わたしには、それができる」
これにはエリオットもベンジャミンもゾッとした。この少女が敵対国家にまわったら……そう想像せずにはいられなかった。
きっと彼女は建物だって、武器だって、今みたいに「チリを払った」くらいの労力で破壊することができるのだ。
(無機物にできる、ということは人にも出来るだろうし……)
うわぁ握手したくない相手。
そう思いつつも、エリオットは顔に出すことはせず、いつものように穏やかな笑みを顔に貼り付けたままを保った。
「でもここは、私が生まれた国。だから、できればここにいたい」
今度は、座って灰に手をかざした。
火事の時に灰が巻き上げられるように、ぶわりと上へ舞い上がった。そのまま立体的に「何か」を形作り、数秒後には金属製のワゴンが元どおりに再構築された。
「このままだと、おかたづけがたいへんだと思って」
破壊よりもはるかに難しい“再構築”を、表情一つ変えず、まるで息をするように。 エリオットとベンジャミンは、またしても背筋が寒くなるのを感じた。
これ以上ない脅し文句だ。母国に残りたいという必死の懇願にも聞こえるが、彼女の魔法を見せられた後では『お前らが私を保護しなければ、この力が近い将来敵に回るぞ』と言っているも同然だ。
春の訪れなんて穏やかで希望に溢れたものじゃない。
より近いのは――、名前を持たぬ化け物。
誰にも望まれず、誰にも理解されず、それでも生まれてしまった力。
祝福なんてものじゃない、災厄の方がよっぽど近い。
(さて、どうするか……)
彼女を騎士団で受け入れる、国外へ亡命させる。
この脅威をエリオットが振るうか、それとも知らないふりをして国外へ流出させるか。
……どちらを選んでもエリオットにはメリットがあった。




