外伝2 届かない手紙、あるいは届いた願い
夜の帳が落ちた帝城内のとある一室。
暖炉から漏れる光だけが、静かに揺れていた。
私は、その頼りない光のなかで、ひとりごとを書き残すように手紙を書いていた。
『ごめんなさい、アナスタシア』
そこまで書いてペンが止まった。
陛下が恋文と謝罪で詩歌集を六冊分出せたのって、実はすごい才能なんじゃないかな。
私は、届く宛のない手紙を書こうとして、その一行だけで止まってしまった。
『私は、あなたの望みを叶えられませんでした』
違う。まだ「叶えられなかった」と決まったわけじゃない。
そこまで書いて、くしゃくしゃにしてくずかごに投げた。
くずかごには既に似たような文言が書かれた失敗作がうず高く積もっていて、新しい手紙はその山から滑り落ちた。
はあ、と重いため息をついた。手紙を書くって、結構難しいかもしれない。
「何してるの?」
「――陛下!!」
心臓が止まるかと思った。
いつの間にか、陛下が私の部屋にいた。来客用のソファに座ってニヤニヤとこっちを見ていた。
……陛下の顔に「またくだらないことで悩んでるんでしょ」って書かれてる。悔しい。
でも、その目に浮かんでいたのは、軽蔑じゃなくて心配だった。
一体いつからいたんだろう。
陛下が帝都を破壊する騒動を起こしたあと、私は住まいを帝城に移していた。
まだ十三歳の私は成人をしていないからすぐに結婚することができない。
「余計な羽虫がつかないように」とっとと囲ってしまうことにしたらしい。
それは、陛下の「絶対に手放す気はない」という宣言も同義である。
陛下はくずかごから落ちた手紙を取り上げて中身を読んだ。
止める暇もなかった。
「アナスタシアへ?」
自分自身に書いてるの?とでも言いたげな視線が降ってきた。
勝手に手紙を読まれて恥ずかしさに固まる私を陛下が抱き上げた。
陛下は私を抱いたまま暖炉の前に腰を下ろし、そのまま膝の上に私を乗せた。
大きな毛布でふたりまとめて包み込み、逃がさないようにぎゅっと抱きしめられた。
この国はいつだって寒いから、ぎゅうは大歓迎だ。
どうやら食堂からパンを持ってきてくれたらしい。串に刺して、パンを直火で温め直す。
――その光景に、ふと懐かしい記憶がよみがえった。
まだ騎士だった頃、野営の火の番をしている時、こんなふうに夜食を食べたことがあった。
私は火のそばに寝転がりながら本を読んで干し肉を齧り、陛下はその隣で作戦資料をめくり、しきりに頭を捻っていた。
あの頃から色々変わってしまった。
陛下は皇子から皇帝陛下となった。髪の毛は黒く染まった。
私は死んで、騎士ではなく十三歳の少女になった。
それでも、こちらを見る青い瞳が……、皇子だった頃と同じ、その色だけは変わらなかった。
「私ではなく……元々、この身体の持ち主だったアナスタシアへ書いてました」
私が、アナスタシアの身体へ入った直後、彼女はこう願っていた。
『かぞくをかなしませるのだけはいやだ』
『だれか、生きたいとおもうほかのひとがわたしのからだをつかってかぞくをだいじにして、ながいきしてくれますように』
最期に他の人のために祈り、死んでしまった子。
今回の騒動で、私は陛下を庇った。あれはアナスタシアとしてじゃなく、前世で陛下の騎士としての反射で動いてしまった。
結果、腹に風穴が空いた。
コルデー家の面々は私の無事を喜んでくれた。
だけどその一方で、痛い思いを私がしたことに、ひどく悲しみ、傷ついていた。
彼女の最期の願いであった『家族を悲しませない』『家族を大事にする』『長生きする』――その三つを盛大に破ってしまった。
だから、謝りたかったのだ。
ごめんなさい、私はあなたに命を貰ったのに。願いを守れなかった。
でも、ごめんなさい以上の言葉が出てこない。
それ以上に何を言えば良いのか分からない。
結果として「ごめんなさい」だけが書かれた手紙が、くずかごに山を作る羽目になった。
陛下は私のそんな脈絡のない話にもただ静かに相槌を打ってくれた。
「家族にとっての幸せを考えると、この結婚も、アナスタシアの願いを破ることになってしまうんじゃないのかって分からなくなってしまって……」
コルデー領に住まう父と母は、アナスタシアを妃にしたいとは思わなかっただろう。
先代の皇后がそうであったように、国の象徴として生きるということは、何かがあった時に責任を取る役割だ。
民衆の恨みをその身に引き受け、死んでいく。特に私の両親の世代はその印象が強い。
妃になるよりも「コルデー領の近くで、アナスタシアを大事にしてくれる人と結婚してほしい」と願っていた、そう思う。
帝都の貴族学校に行くだけでも「遠くて心配だから」って反対されたし。
この結婚をすることが、家族の幸せにつながるのだろうか。
アナスタシアへの手紙を書いていただけなのに、いつのまにかそんなことまで考えるようになってしまった。
この結婚が正解なのか。分からなくなってしまった。
そんなことを漏らしたら陛下の雰囲気がぴくりと変わった。
「つまり君、今マリッジブルーになってるってこと?」
「う……そうなのかも、しれません」
温め直し終わったパンを口に運んだ。外側がサクッとしてて美味しい。
「死んだ人に謝ったって結局自己満足なんだよね」
「そんなこと――」
「だって……――僕さ、詩歌集の中で百回は謝ってたけど、コルデー領にいた頃、君に一回でも伝わってた?」
パンを食べる手が思わず止まった。
陛下は詩歌集の中で、何度もアリアナに謝っていた。後悔を告げていた。
それも「ごめんなさい」だけじゃない、多種多様なバリエーションで。
「伝わってたら『笑って殺しやがった』って思い込んだまま三年ちょいそのままでいるはずないよね。生まれ変わった時点で僕のところに馳せ参じるはずだもんね?」
ちょっと言葉にトゲを感じる気がする。
「だって君は、僕の騎士だ」
陛下の顔を見ていられなくて、思わず背けた。
「相手の生死にかかわらずさ、謝るって楽なんだよね。『ごめんなさい』……その一言で、謝らない自分よりもよっぽどまともに思える。謝ったことを免罪符に出来るからね」
顔を背けたことを罰するようにほっぺたをムニムニと突かれる。
さっきから言葉がざくざくと胸に突き刺さる。
「十三歳に言う言葉じゃないです」
「甘やかしてるつもりだったんだけど、ごめんね?」
言葉では謝ってるのに、全く謝ってる気がしていない。
私は子供らしくぶぅ、とむくれる。
「今日の陛下はいじわるです」
「死んでも執着し続けてた子から『結婚やめようかな……死者に申し訳ないから』って言われてる僕の気持ちを考えてみて?」
「……ごめんなさい」
「よろしい」
ぱちり、と暖炉の火が跳ねた音がやけに大きく聞こえる。
それくらい、静かな夜だ。
「仮にさ。この大陸で“アナスタシアを一番幸せにする大会”が開催されました。さて、誰が優勝すると思いますか?」
大会のネーミングセンスのゆるさに、思わずふは、と吐息で笑ってしまった。
笑った私をみて、陛下が不満げに言う。
「僕でしょ。どう考えても」
「参加者がいなくて不戦敗で優勝しそうですね。おめでとうございます」
「いーや、君の家族が参加するね。声圧が凄まじい姉、筋肉が正義の長男、主君より妹が大事なユリウス、茶化してくる兄二人 ……ていうか君の家族、全員僕に敵意ありすぎじゃない?」
「君のご両親からは『墓守皇帝』とか『陛下は墓石を皇后と定められておられるのかと』って嫌味を言われるしさ。皇帝イビリするって君の両親、本当にすごいね?」
「それ、なんて返したんですか?」
「『墓石にすがりついて泣いてた化け物だった僕を、言葉一つで人間に戻したのはおたくのお嬢さんですよ。素晴らしいお嬢さんを育てられましたね。お義父さんって呼んでもいいですか?』を皇帝らしく尊大に言ってやったよ。毒と皮肉を交えて、詩的にね」
私の頭の上に、陛下の顎がこつん、と乗った。動こうと思っても動けない。
「でもまあ、君が『家族を大事にしたい』って言うなら、僕も努力はするよ?”墓守皇帝”と呼ばれたって笑顔でお茶出して、大胸筋の話に愛想笑いするよ。しょーもないな……って思いながらも、君が笑っててくれるなら、まあ良いかって受け入れる」
陛下が喋るたびに、頭の上で顎が揺れて、小さな振動が伝わってくる。
くすぐったくて思わず笑ったら、悪戯っぽく歯をかちかちと鳴らされて――笑いが止まらなくなってしまった。
一通り戯れが済んで、少しの静寂のあと陛下が言った。
「ただし。『長生きする』だけは……マジで君のせいで難易度激ムズなんだよね」
心当たりがありすぎる。
「君が勝手に庇って、勝手に傷ついて、勝手に死にそうになる。君はもう騎士じゃないんだから大人しく守られていてくれる?」
「でも――」
言葉を封じるように陛下の三本の指で頬をムニムニと潰される。
「はい」以外の返事をしたら顔が潰されそうな、妙な「圧」を感じる。
「お返事は?」
「はい」
上官の命令は絶対である。思わず、素直に返事をした。
「別にさ、死んだ人間に手紙を書くなとは言わないよ。僕もそうだった。書くことで、どうにか人間としての形を保てた。もしかしたら、書いた手紙が国を救うことだってあるかもしれない」
実際に詩歌集で国を動かした人の言葉は重みが違う。
「でも、そればっかりにとらわれないでよ。今、君を大事に思っている、生きた人間にも目を向けてよ」
陛下は、もしかしたらちょっとさみしかったのかもしれない。
そういえばここ数日、ずっと思い悩んでアナスタシアにどうやって謝れば良いんだろうってことばっかり考えてたっけ。
そう思うと少しだけ申し訳無さを感じたので、背中を預ける体勢から、向き合う体勢に変えて、陛下の頭を優しく撫でた。
これは、都合のいい解釈かもしれない。
だけどアナスタシアの願いだった「家族を大事にして」という言葉に、これから新しく家族になる陛下のことも混ぜてもいいのかも。
アナスタシアだったら、そう願ってくれる……、そう思いたい。
私は陛下を撫でたまま、ポツリと呟きを落とした。
「今度は、陛下にお手紙書きますね。「だいすき」って」
「そう、期待しないで待ってるよ」
そんな言葉とは裏腹に、陛下は照れたように口角を緩ませる。
陛下は大型犬のように、目を瞑って大人しく撫でられていた。




