第6話【現在】悪夢、あるいは決意
夢を見た。これは夢だと確信できる夢だった。
生まれ変わってから何度も見ている夢だからだ。
これは、アリアナが死んだ時の夢だ。
小山ほどもある大きさのワームが、私を絞め殺そうとしている。
苦しい、辛い。痛い。早く死んでしまいたい。
『血液操作?気持ち悪い』
『あんなに強いのは何かずるしているに決まっている!』
『死んでくれてせいせいする』
苦しんでる私を見て、「誰か」が笑っている。殿下とか、同じ騎士団のみんなが。
アリアナのすぐそばにはアナスタシアが倒れている。彼女の顔は蒼白で、精巧に作られたビスクドールのように美しい。
口の端からは血が流れていて、生きているとは思えない様子だった。
ガラス細工をはめ込んだような目は恐怖に見開かれたまま動く様子を見せない。
見えない「誰か」が呟く。
『あの子はかわいそうね』
『どこも出かけられず』
『何も成し遂げられず』
『あの子がいるせいで家族はいつも悲しんでいる』
『不気味だよね。「あの日」から人が変わってしまったみたいだ!』
『かわいそう』『かわいそう』『なんて可哀想なアナスタシア!』
げらげらと死体の私たちにみんなが群がって笑っている。私はそれを上から見ていた。
いつもはこの光景を朝までずっと見続けていた。
早く終われ、目が覚めろ。誰か起こしにきて、私を助けてと祈る時間だった。
でも、今は違う。
今の私を支配するのは猛烈な「怒り」だ。
顔の周りで魔力に反応した髪の毛がふわふわと踊る。
ぶわりと体中で魔力を練る感覚が蘇る。コストなんて気にせず、魔力を最大出力で練り上げる。できると確信していた。
だってここは私の夢の中なんだもの!
「消えろ」
夢の中では血液操作が使えた。それも前世よりも派手に。
血の暴風雨とでも言うべき無数の血の礫が死んだ私たちと、殿下とワームを撃ち抜いた。
「アリアナはお前らなんかに可哀想って言われるような人間じゃない!」
横たわる残骸を踏みしめた。それが殿下の形をしていようとなかろうと関係ない。「これ」は私の敵だ。
「嘘つくんじゃねー! アナスタシアは! 家族に愛されてるんだ!!」
バキバキと足の裏を通じて感覚が伝わってくる感覚は、木屑を踏みしめたときに似ていた。
よく見てみれば、死体も、ワームも、殿下も、みんな木で出来たハリボテだった。私はもっと早くにこうするべきだったのだ。
「殿下をバカにするな!!」
血液操作は殿下が一緒に考えてくれた魔法だ。
『コストを極限まで抑えつつ、性能に優れた最高の魔法だね』と言ってくれた。その殿下が私の魔法を貶すわけがない。
殿下が私の魔法をバカにしていたなら、それは殿下じゃない、偽物だ。
どうして今までわからなかったんだろう。
恨みを込めてしつこいくらいに蹴り飛ばして、踏み潰して、跡形も残らないくらい粉々にしたらスッキリした。
ぜい、ぜい、と肩で息をする。額に汗が滲む。
やけに感触のはっきりしている夢だ。
何を怯えていたんだろう。アリアナは戦う女だ。
誰かに助けを求めるくらいなら自らの手で相手を倒す。跪かせる。殿下が傷つくくらいなら私が化け物と対峙する。
「血の守護騎士」と恐れられたのはそれくらい過激な女だ。どうして忘れていたんだろう。
頬を伝うのは汗か、涙かはわからない。
前世で私は凄絶な死を迎えた。
アリアナ・ブレメアは国のために英雄として死んだ。
笑われて殺されたのは事実だ。
殿下は笑った。あの時。
でもその後のことは事実じゃない。
私は死んでたから、本当は自分の死体を見ながらみんながゲラゲラ笑っていたのかなんてわからない。
あったかどうかわからないことを事実ということにして、悲劇の底に沈んで、トラウマを抱えこむのは違う。
アナスタシアは愛されていた。誰からも愛されていて、大切にされていた。
疎まれていたことなんて一度たりともない。
今日のお父様からたっぷりの愛情を受け取った私はそう確信していた。
アリアナはあのワームを確実に殺すために道連れとなった。それはいい。
騎士の立場では理解している。あの時はそれが最善だった。そうでもしなければこの国は滅んでいた。
何度考えたってそれは変わらない。
あの魔物を殺すには『アリアナがアホほどの魔力で魔物を拘束。大量の魔術師を集めて高出力の魔力でアリアナごと焼き殺す』が最適解だった。それ以外の方法は殿下が死ぬか、もっと大勢の犠牲が出ていた。
それでも、殿下に憧れていた一人の少女の立場としては理解できない、……というよりも、したくなかったのかもしれない。
国を救うために一人の部下を犠牲するという非道な判断を下せる冷徹さ、たった一人の犠牲以外は出さなかったその手腕。
「さすが殿下! 生粋の王族! うわああーーーかっこいいよぉーーーー!!」
現実では言えない言葉が口から叫びとなって漏れ出した。結局、殿下が好きなのだ。
前世で自分が死ぬ原因になった相手であろうと、殿下に対する好意は捨てられない。これはもう私という生き物の習性みたいなものである。
そこではた、と気づく。
「私、殿下に恋をしていたのね」
だからこんなにも悲しくて、やるせないのだ。
敬愛だけではない。名前をつけるとしたらそう――初恋だったのだ。
「初恋」と言葉にしたらストンと飲み込めた。そうか、私は殿下が好きだったんだ。
夢の中なのに頬が熱い。自覚したのがあまりにも遅い、初恋だ。
「社交界の笑いもの」である子爵家の娘と、皇族では身分が違いすぎる。だから自分で「敬愛」という一番手に取りやすい型に当てはめていたに過ぎなかった。
世界よりもアリアナを選んで欲しかったわけではない。
でも、アリアナは笑って殺されてそれで終わるような人間ではなかったはずだ。
私はただ、自分が死ぬときは殿下に泣いてほしかったのだ。
「惜しい人を亡くした」って。
ワームに一人で立ち向かったのだって、「好きな人に私の格好いいところを見てほしい」っていう俗っぽい感情からだ。たとえその先にあるのが死だとしても。
仮にあのまま生き残っていたとしても、魔力を使い果たしていたし、きっと長くは生きられなかっただろう。
死ぬ運命は変わらなかったのだ。襲いくる死が少し早くなっただけで。
殿下は最小限の犠牲で、最大限の結果を残した。
私がここで生きていること、それこそが騎士たちの守りたいものなのだから、彼らは守りたいものを守れたのだ。この国にとっては最善の選択肢を取れた。疑う余地もない。
アナスタシアにとっての幸せは、コルデー領で生きることだ。
でも、私は「何も知らずに生きること」が幸せだとは思わない。
あまりにも知りたいことが多すぎる。
どうして殿下は私を笑って殺したのか。
殿下は本当は私を憎んでいたのか。
アリアナを英雄として奉っておきながらもブレメア家を取り潰しにしたのは何故?
殿下は、いや、皇帝陛下は今、幸せに生きているのだろうか。
幸せでないなら、その元凶を絶ちにいきたい。
だってアリアナという人間は結局、殿下のことが好きで好きで仕方ない人間だから。
私が知りたいことを知るにはコルデー領は遠すぎる。
この悪夢を終わらせるには、真実をこの目で確かめるしかない。
――皇帝陛下になった彼に、会いに行こう。
全てはそれからだ。




