第55話【現在】ベンジャミンの演説、あるいは風の中の跳躍
「瞬間移動で安全な近くまで飛ぶぞ。陛下の近くに飛んで眼の前に瓦礫が飛んできたら避けられないからな」
「はい!」
元気よく返事をして、お兄様の背中に抱きついた。
お兄様は空中にある何かに指先で亀裂を作るような動きをした。
――出来た見えない裂け目を、くぐるように通り抜けた。
瞬間、ごうごうという激しい音が耳を貫く。移動したのだ、あの一瞬で。
すごい、扉をくぐったみたいに移動できるんだ。
感動したのはそこまでだった。
先ほどまでの「寒いかも」なんてものじゃない。猛烈な吹雪の中にいるようだ。
吹きすさぶ冷気が容赦なく肌が出ている箇所を削る。耳が痛くて取れそうだ。
何より、心臓が直接握られているかのような、違和感。
思わず胸に手をあてて、その場でうずくまりたくなる。
誰かが泣いている。怒っている。きっと、この騒動の中心で。
安全なはずの宮廷はもう存在しないのだ、怖くてお兄様の背中にぎゅ、と捕まった。
「帰るなら今だぞ」
「帰りません」
私の頑固な返答にお兄様はふぅ、とため息を落として覚悟を決めたようだった。
「舌を噛むなよ。走るぞ」
返事の代わりにこくこくと頷いた。
ここはどこかの離宮らしい。室内なのに、大寒波の中にいるみたいだ。
あちこちで建物が軋む音が聞こえる。「崩れるぞ」という悲鳴、あるいは警告のように聞こえた。
お兄様が向かい風の中を駆け抜ける、頬が空気でぶるぶると震えた。
眼の前に瓦礫、お兄様の身体よりも大きいそれが降り落ちる。
あ、これは、死んだ――。
「揺れるぞ」
そう言って私の身体は大きく傾いた。ほぼ、水平まで行ったと思う。激しい動きに首ががくんっ、と揺れる。
お兄様が長いおみ足で、空を切るように蹴った。
激しい音、一番近いのは大砲だと思う。――あれが、至近距離で鳴った。
降ってきたはずの瓦礫が粉砕された。文字通りの粉になった瓦礫がそのまま風に流されて背後へと飛んでいく。
細身で忘れそうになるけれど、この人は筋肉至上主義のコルデー家、その次男だった。
得意魔法が瞬間移動なのに、陛下の近衛騎士をやれているということ。
それは、身体能力が桁違いに高いという証拠だ。
「お兄様すごい! かっこいい!」
轟音を聞かされて頭がクラクラしたけど、それ以上にお兄様の格好良さを褒め称えたかった。
世界中の人に自慢したい、私のお兄様、世界で一番格好いいんだぞ!って!
お兄様は少し照れたようだった。おんぶされたままだったから、耳が赤く染まっているのだけ分かった。
台風の中心地に進めば進むほど、手足が削られるように痛い。
寒さのせいか、それとも充満する魔力のせいか、もう判断がつかない。
台風の中心と思われる部屋のすぐ外、廊下が重なって少し広くなった一角――吹き溜まりのような場所に、雪洞が作られていた。
ベンジャミンの氷雪魔法で作った即席の避難所なのだろう。ベンジャミンはこちらを見ると声を荒げた。
「ユリウス……!! お前!! なんてところにつれてきてんだ!」
「妹のお願いに勝てる兄がこの世に存在すると思わないでください」
お兄様が悪びれる様子もなくそう言い、私を先に雪洞へ入れてくれた。
入口は狭かったけれど、中は大人が立てるくらい広い。
中では騎士たちがみっちりとつまって、死んだ目で何かを書いていた。
その紙の一番上には「遺書」と書かれている。
葬式状態だ。空気が重いわけである。
この状況で唯一元気なベンジャミンがちょっとおかしいんだ。
中に入ってから、陛下がいるであろう部屋の中を見た。
陛下の凍てつくような冷たさの魔力が中に渦巻いている――魔力が濃すぎて中が見えない。
あの部屋の中は台風というより、怪物の口。今まで見た中で、一番近いのは「ナラカの口」だ。
部屋の中から吹く風が壁や天井を削るたび、恐ろしい音がした。本能的に、目を背けたいと思ってしまう。
冷気か、悪寒かは分からない。だけど見ているだけで身体に震えが走って、心がヤスリで削られるようだった。
あそこに入るやつは、馬鹿だ。自ら喰われに行くようなものだ。
でも、その化け物の口がじわじわと広がっていっている。あれが国を覆ったら、終わる。
何が起こった、とか聞きたかったけど、死にそうな顔の騎士たちを見ていたら一刻も時間が惜しかった。
「ベンジャミン様、私、陛下を止められます!」
「いや、逃げたほうが良い。誰にも止められない」
ここにいる騎士たちは既に陛下を止めようと試行錯誤した成れの果てらしい。
もはや誰も動く気力が無い程、疲弊していた。
「止められるのはアリアナ様くらいだ」
「そうだ、”血の守護騎士”様がいればなぁ」
口々に言う騎士たちに腹がたった。私が生前守ったのは腑抜けの騎士たちじゃない。
国のために命を賭して戦ってくれる同僚のために戦ったのだ。
騎士たちの顔を見たけど誰も知らない奴らだった。
アリアナが居たら……?
もし、私がまだ騎士だったら――
「え、眼の前で主君を馬鹿にされて、君たち指くわえてみてたの?へえ、そうなんだ。なんのための騎士なの?」
そのあと、陛下を馬鹿にしたやつと役に立たない騎士たちの首を全て切り落としてオブジェを作って陛下に捧げてた。
それで「どうですか?陛下?ちょっとは笑えますか?」って聞くんだ。
何も知らないくせに。
アリアナのこと、ただの英雄としての表面をなぞったくらいしか知らないくせに。
怒りを吐き出そうとしたら、吐息が無数の小さな氷の粒となってそのまま落下した。
この状況が続いたら、2000年以上続いたこの国は間違いなく滅びるだろう。
「私は部屋の中に突撃します。十三歳の美少女を死なせたくない人は援護してください」
「え、やめたほうが良いって」
「ユリウスも止めろよ」
その時、雪洞の入口近くに居たお兄様の顔面めがけて調度品のツボが吹っ飛んできた。
お兄様は裏拳でそれを破壊した。「ちょっとゴミが飛んできたかな」くらいのテンションで。
雪洞を揺らす破裂音の後に、ハラハラと、粉砕されたチリが雪洞に入り込む。
「妹の邪魔をするなら俺が相手になる」
大変頼りになる兄である。私をここに連れてきた時点で色々覚悟が決まったらしい。
「お前ら、亡霊に祈る時間は終わりだ!」
続いても大変頼りになるベンジャミンだ。自らを鼓舞するように、彼は立ち上ると声を出して叫んだ。
口を開くたびに大粒の雪が入る、そんな状況だったけれど、ベンジャミンは迷いなく演説を続けた。
「アリアナは死んだ。もういない!」
戦場を共に駆け、そして彼女の最期を見届けたベンジャミンの言葉に、騎士たちの背筋がぴしりと伸びる。
「戦場であいつは一度も泣かなかった。ナラカと戦ったときでさえ――笑ってた」
空気が変わった。
騎士たちの間に、信じがたいものを聞いた時のざわつきが走る。
それは尊敬でも感動でもない、衝撃だった。
人の生理的な反応である「恐怖」――それを掻き立てる化け物の前で笑う。明らかに異質だった。
「”化け物”だったよ。どう見たってな。でも――その”化け物”を生んだのは、国だ。俺達だ」
ベンジャミンの声は震えていた、寒さからか、あるいは――、「“ただの女の子”でいさせてはあげられなかった」という、彼なりの後悔だったのか。
「……で、今度は“死んだ化け物”の幻影にすがるつもりか?」
ちがう、しない、と騎士たちがボソボソと呟く。
「”血の守護騎士”を出して良いのは、言い訳するときじゃねぇ。奮い立つ時だけだ!」
先ほどまで死んだ目をしていた騎士たちの目に生気が戻る。
――思い出せ、アリアナへの畏怖と敬意を。
その想いのこもった演説が、心を揺らす。
「今お前らに求められてる役割は、たった一つ。アナスタシア嬢を、陛下のもとへ届ける。それだけだ!」
興奮で身体が震える。口角が自然と弧を描く。
ベンジャミンはただ毒を吐くだけが、育ちが良いだけが才能じゃない。
カリスマ性の塊のような陛下のそばにずっといたのだ。
陛下が不在の時でも、彼の代わりが出来るように。
「あの怪物の口に突っ込むより、よっぽどマシな任務だろうが!!」
そう言ってベンジャミンが親指でさしたのは、陛下がいる先の扉。
「それでも祈ってたい奴は、剣を捨てて春の国にでも亡命しろ! 亡霊にすがりたいなら、信仰国家にでも行っちまえ!」
その声は、闇夜を裂く一筋の光だった。
騎士たちの瞳に、生の炎が宿り始めていた。
「いいか――”血の守護騎士”が守った国を、今を生きる俺達が守るんだ!」
騎士たちの雄叫びが、鼓膜と雪洞を揺らした。
びゅうびゅうと吹きすさぶ風をかき鳴らすくらいの声量。
ナラカという、未曾有の怪物から守った血の守護騎士と同じように、俺達もこの国を守る。それを誇りに思う。
騎士たちの胸に新たな炎が灯った。
その炎は、大寒波でも消すことはできない。
「アナスタシア嬢!」
「はい!」
力強い声に、つい、前世の記憶で反射的に背筋が伸びてしまう。
「君じゃなきゃだめなんだな! 他のやつが行っても、だめなんだな?」
最後の確認、とでも言うようにベンジャミンが問いかける。
できればあんな場所に行かせたくない、と表情が語っていた。
「他の人が私を同じことをやっても処刑十割です!」
つい前世を思い出して、胸を張って背後で手を組み、彼と同じくらいの声量でキビキビと答えてしまう。
「君が行く場合は何割だ!」
「陛下の側にさえ行ければ成功八割、処刑二割です!」
「くそお、高ぇな! なら行って来い! 処刑はどんな手を使ってでも絶対回避してやる!!」
私は、コートをその場に脱ぎ捨てた。できるだけ身体を軽くしておきたかった。
露出している皮膚の表面だけ削られているような感覚だったのに、脱いだ今となっては全身がぶっとい針で刺され続けているようだった。寒いを通り越してもはや痛い。ガチガチと顎が震える。これは、あまりもたない。
「行ってきます!」
力強い応援を受けた私は、先の見えない地獄の口へ駆け出した。
「氷雪で壁を作るぞ!」
ベンジャミンの声が背後から聞こえた。
瞬間、左右から冷気が噴き出すように伸び、私の両脇に氷の壁が立ち上がる。
壁にぶつかった瓦礫や、折れた机の足がバキバキと砕ける音がした。
部屋の中へ一歩踏み出した瞬間、悲しい、苦しい、殺したい、憎い、孤独、――ありとあらゆるマイナスの感情が、全身に突き刺さった。
突き刺さった場所から黒い血が漏れ出す、そんな錯覚を覚えるほど、陛下の魔力が充満するこの空間はとても”痛い”。
パヴェル殿下と対峙したときのように、身体が重い。それでも、前に進む以外に道は無い。
吸い込んだ空気が、鼻から肺まで凍るように冷たい。
「結界です!」
その声とともに、身体を包むようにふわりと薄い膜が張った。
呼吸と、全身に走る痛みが楽になり、走るのが楽になった。
あんな啖呵を切ったのだから、私が途中で諦めるわけには行かない。
「風で援護するぞ!」
背後から騎士の声が聞こえた。
先ほどまで向かい風だったはずなのに、背中がふわりと押される気がした。
台風の目の中に、いつもの陛下の後ろ姿が見えた。
手を伸ばせば届く距離。そこまで近づいたところで、――私は、両足を踏み込んだ。
そして、ぴょいーん! と跳躍した。野山をかけるうさぎのように。
「陛下―――!!」
陛下に触れた瞬間、私の世界が止まった。
強制的にサイコメトリーが発動し、求めていないにもかかわらず、脳を焼くほどの情報量を無差別に送りつけてきた。
大量の虫が皮下の表面で這いずり回っているような、気が狂いそうな感覚。
全身に回った「それ」がぐちゅぐちゅと魔力を吸っていくのが分かった。
ナラカと戦った時と同じ、急速に魔力が吸われていく感覚。
私の意識は、抵抗する間もなく、陛下の記憶へと沈んでいく。




