第48話【現在】寝かしつけ作戦、あるいはその後
一通り恥ずかしがった後に部屋の扉を開けた瞬間、何かが襲いかかってきた――と思ったら、ユリウスお兄様だった。
全身を締めつけるような抱擁。息が詰まりそうなほど、強い。
「怖かったな、大丈夫だったか? どこも怪我はしていないか?」
抱きしめる手が、ほんの少し震えていた。
横目で見た顔は蒼白で、目には薄い涙の膜が張っていた。
ベンジャミンも来ていて、視線を合わせるようにしゃがんでくれた。
「大丈夫です。未遂です……心配かけてごめんなさい」
「今ならあいつの首を切り落とせる。――やるか?」
お兄様はそう言って、拳で首を切る動作をした。
その声には抑えきれない殺意が滲んでいた。
「はい」の「は」の字でも発した瞬間に本当に寝込みの陛下を殺しにいきそうな気配を感じる。
「お兄様の手が血で汚れたら、悲しいからやめてほしいです」
悲しそうな顔を作ってそう言えば、お兄様の体全体から出ていた殺意が消えた。陛下の私室が血で染まることはなさそうで一安心。
お兄様とベンジャミンの背後に大量の騎士たちが控えていた。
彼らの視線はどこか緊張していて、それでも誰一人として顔色を変えずに直立していた。
『「何か」あったら、たとえ刺し違えてでも』という気迫すら感じる。
……陛下は十三歳を手籠めにしても許される立場である。
むしろ皇帝陛下の夜伽に突撃するなんて、騎士たちの方が首を撥ねられてもおかしくない所業だ。
「何か」を起こさないために、こんなにたくさんの大人たちが動いてくれて、心配しててくれたんだ。
そう思うと胸が熱くなった。
ユリウスお兄様の腕から抜け出して、感謝を示すべく淑女の礼を取った。
「陛下は寝ました。爆睡です」
「寝た……!?陛下が!?」
そら人間誰だって毎日寝るでしょう。
でも、その反応からして陛下がどれほど長い間、休息を取っていないか察してしまった。
「大きな声を出したら起きちゃいます!」
しー、と人差し指を口の前に立てた。
お兄様とベンジャミンも同じように人差し指を口の前に立ててきた。
強面、無表情の二人がそういう仕草をするのが妙におかしかった。
「今のうちに逃げよう」
「位置情報魔法でどこにいてもバレます」
「アナ、腕の一本くらい無くても兄がどうにかする」
位置情報と盗聴魔法をかけられている右腕を、お兄様なら本気で切り落としかねない。
思わず自分の背後に両腕を持っていって、お兄様から見えないようにした。
「利き腕なのでやめてください」
「そこじゃない。……とりあえず、今日は客室に泊まってもらおう」
兄妹のどこかずれたやり取りにベンジャミンが突っ込む。
「陛下、起きた時に私が居ないほうがまずいんじゃないですか?」
「「それは……」」
二人の声がハモった。顔には「うわあ、確かに面倒くさそう」と書かれていた。
「私、寝ないで本でも読んでいますよ。陛下が起きるまで。ドアを開けていれば『なにもなかった』ことの証明にはならないですか?」
「それは願ってもないことだが……」
ベンジャミンが唸り、お兄様は難しい顔をしていた。
『陛下に休息を取ってほしい』『でもそのために妹を犠牲にはしたくない』『でも起きた時に不機嫌な陛下の相手をするのは嫌だな』の三つが書かれていた。
「っていうか、何があったんですか?」
一瞬の空白。言うのを躊躇しているようだった。
「大量の仕事があってだな……」
嘘じゃないけど、それだけじゃないな。
そう思ったので、勝手に当ててみることにした。
「陛下の婚約者候補として、断りづらいところから十三歳前後で発育の良い女の子が何人か紹介されました?特に茶髪で目が緑色の――」
ベンジャミンの顔が歪んだ。あげた特徴はどれもアナスタシアと一致する特徴だからだ。
「あとは、コルデー家に私宛の婚約申込みが大量に来てたり?」
ユリウスお兄様の顔に怒りの色が浮かんだ。
「皇帝過激派が『欲しければとっとと抱いちゃえば?』って煽ったり?」
二人が同時に「はー」とため息をついた。どうやら全部正解らしい。
そんな時に私が夜中、中庭で青春してたらイラッとするかもしれない……。
「ユリウス、お前の妹どうなってるんだ」
「俺の妹が賢すぎて怖いです」
どうやらピンポイントで全部正解だったようだ。
陛下が起きるまで、私は陛下の私室でゆっくりと待つことにした。
部屋には驚く程ものがなかった。大きなベッドと、書き物机と、クローゼットだけ。
趣味のものもない様子は、どれほど彼が国に尽くしてきているかを象徴している。
ベンジャミンはろうそくとマシュマロ入りのココア、それと本を大量に持ってきてくれた。コップから溢れそうなくらいマシュマロを入れてくれている。大盤振る舞いだ。
ベンジャミンが用意してくれた本は英雄譚、シリーズものの小説、国の歴史書、刺繍の図面集など、多種多様で時間を潰せるものばかりだ。さすがベンジャミンだ、本のチョイスにセンスと実利を感じる。
『対外交易白書』も入っていた。これはここ数年の輸出入の品目、相手国、割合などが網羅されている資料であり、国が毎年発行している白書だ。
公式に出しているものなので、私が見ても問題ない。
お兄様は私がお父様の跡を継いで交易商になりたいと思っているのを知っているはずなので、資料の中に入れてくれたのだろう。
革表紙に銀の箔押しがされた冊子を、ろうそくの近くで広げた。
アリアナが生きてた時は輸出産業のトップは「一位宝石、二位傭兵」そのあとはどんぐりの背くらべだった。毎年コロコロと変わる程度には後が詰まっている。
だけど、この数年で一躍その比率を伸ばしているものがある。
指先で文字をなぞって、小さく呟いた。
「二位 芸術……?」
三位には傭兵業が続き、あとは変わらずだんごの状態が続いている。
誰か有名な芸術家でも出てきたのかな。
でも傭兵業を上回るほどの芸術家だったらコルデー家に話が入ってこないはずがない。
いくら考えてもその場で答えは出なかったので、気分転換に別の本を読むことにした。




