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第43話【過去】頑張った騎士へのご褒美

 常温のワインのはずなのに、喉が焼けるように熱い。舌先に苦みとしびれが広がる。それら全てが胃に落ちていく。

 ワインが嫌いになりそうな味だ。顔をしかめるのを我慢する。


『”立派な騎士”は毒を飲んでも顔をしかめないのよ!』


 本当に言うかどうかは別として、エミリアの夢見がちな幻聴が聞こえてきた気がした。

 最後の一滴まで飲んでやった。グラスを逆さにしても一滴も落ちることはない。


「え、あ、――」


 給仕はどうするべきか、オロオロとした表情をしている。

 エリオットが飲む前に、隣の騎士が飲むなんて思ってもいなかったのだろう。

 そんな非常識な行い、するはずがないと思い込んでいたのだ。

 数々の功績を残しているアリアナでなければ決して許されない非礼だった。


 片頬だけを上げて、ベンジャミンを真似たようにニヒルに笑った。

 毒を飲んでもなお笑っている様は、さぞ不敵に見えるだろう。

 アリアナは胸元の徽章を見せつけるように、ぐいと胸を張った。

 じゃらり、とこれまでの功績を称える音が彼女を支えた。


「ああ……私宛ではなかったのですか?」

 さも、今気づきました、と言わんばかりに言ってやった。続いて、すぅ、と目を細める。


「てっきり――もらうはずだった「異民族」の討伐の報奨かと」


 どれだけ手柄を上げても叙爵の話は進まず、役に立たない徽章ばかりが増えていく。

 てめーらが反対してること分かってんだよ、と言外に今の宮廷のいびつな構造をにおわせた。


 その言葉に、周りがようやく気づいた。

『これが、若くしてこの国を守ってきた”血の守護騎士”なのか』と。


 ――さあ、恐れろ。

 “血の守護騎士”は主君の命令であれば喜んで共に恥をかく。

 “血の守護騎士”は主君のためなら毒を飲むことすら厭わない。狂った人間だ。

 この赤色の瞳を忘れるな。この赤は、先程の毒よりも強烈な毒だぞ。

 お前たちが私たちをこれ以上攻撃するなら一生忘れない。

 お前今住んでいる土地、その安寧を守っているのが誰なのか、いま一度思い出せ。

 万感の思いを込めて、周囲を睥睨した。


 誰もが毒を飲んでなお嘲笑うアリアナを、言葉を失ったように見つめていた。

 その中で、モーリスとエミリアの姿を見つける。

 エミリアはモーリスと腕を組み、宝石のような瞳を輝かせてこちらを見ていた。その目は「毒を飲んでも笑えるなんて、さすが私の騎士様ね!」と言っている。

 モーリスは礼儀正しい笑みを浮かべながらも、その目だけは鋭く細められていた。――「今すぐ吐き出せ」とアリアナの口に手を突っ込んで吐かせたい衝動を、必死に押し殺しているのが分かる。


 アリアナは最後に、第二皇子のアレクシスをとびきりの殺意を込めて睨んでやった。

 作戦に失敗したアレクシスは、射殺さんばかりの目で睨み返してきた。少なくとも彼はそういう気持ちだったと思うが、その目には濡れた犬のような哀愁がただよっていた。

 アレクシスの口元が「化け物め」と動いているのをアリアナは確かに見た。


(化け物、それでいい。殿下を守れるなら他人からどう思われようと構わない)


「味はともかく、印象に残ったワインでした。……報奨としては十分」


 アリアナはそう言ってエリオットの腰を抱き、ぐいと引き寄せて不穏に嗤ってやった。

 これ以上喋っていると舌先のしびれからバレてしまいそうで、出口へ向かう。

 二人が退出しようとすると、それを避けるように人混みが割れていった。

 エリオットだけは気づいていた。引き寄せた手が震えていることに。いつ倒れてもおかしくないから、支えが必要であるということに。



***


 二人はそのまま外の薔薇園へとやってきた。

 この国の季節は「肌寒い」「寒い」「クソ寒い」の三つしかない。そして、真冬の今は「クソ寒い」だ。

 薔薇園には膝丈ほどの雪が積もっていて、当然のことながらここに来るものは他にいない。

 皇帝陛下の即位が「クソ寒い」季節であることを恨んだ。もうちょっと暖かくなってから即位してくれればよかったのに、なんて無茶なことを思った。


 アリアナは薔薇園の隅で自分の口に手をつっこみ、そのまま飲んだワインを吐き出した。

 飲むときも辛かったけれど、吐く時はもっと辛い。逆流したワインと胃液が喉を焼いた。うまく吐けずに鼻からも出てしまってあまりの苦痛に悶絶した。

 こんな苦しい思いをエリオットにさせなくてよかった。


「アリアナ! なんてことをしたんだ!」

 エリオットがアリアナの背中を擦ってくれるが、腕を掴んでそのままぐいと後ろに押しやった。

「さすがに、ゲロってるところを見られるのは恥ずかしいです、殿下……」

 一応、アリアナは女である。先ほどまでの「立派な騎士」を演じている状態であれば言い方を考えたが、もう演技する必要もない。履く拷問器具――もとい十五センチのシークレットシューズを脱ぎ捨てた。

 その言葉にエリオットは気まずそうに固まった。

 舌がしびれてきてうまく喋れない。もつれて、絡まる舌を何とかまわして言葉にした。

「おみずくらはい」

 エリオットが慌てて中に水を取りに行くのが分かる。

 ワインは毒の他に、度数の違う数種類のアルコールが含まれていたようだ。

 そのためアルコールが回りやすく、悪酔いしやすい。


(殿下に、魔法使用の許可をもらおうか――)

 そして、血液操作で血中から毒とアルコールを除外しようとして――やめた。

 今、血液操作を使ったら不発か、暴走して血液の成分が全部消し飛ぶ気がした。下手したら舞踏会の会場が血で染まる。

 魔法は、感情が大きく乱れると使えないか、暴発する。

「かくあるべし」という意志の力が弱くなるからだ。

 魔法を使えなくさせることを見越してこの悪酔いする酒を用意したのだろう。本当に性格が悪い。


 くらくらする、眼の前が黒い点で埋まってふらふらする。

 雪を踏みしめる音がアリアナの背後から響く。エリオットが水を持ってきてくれたのだ。

 エリオットはわざわざ自分で毒見までしてみせた。立場が逆なんだよなあ、と思いながらもありがたく受け取った。

 そして、水を飲んでは口に指を突っ込んで吐くのを繰り返す。

 血と混じった赤紫色のワインが、雪を汚い赤色で染めた。


(この辺の生け垣だけ、次のシーズンは薔薇が生えなさそう)

 あるいは、豊作になるか。どちらにせよ、庭師に謝りたい。


 なんの毒が使われているかが分かっていれば血液操作か、治療魔法による解毒も出来るのだが――アリアナは残念ながら毒には詳しくない。

 そのため、飲んですぐに吐き出し、なるべく毒とアルコールを体内から排出するという方法を取ることしか今はできない。


 体の力も入らなくなってきて、眼の前が霞んできた――、ついに限界が来て、吐いたところとは別の場所に埋もれた。

 冷たい雪が、暴力的なアルコールで火照った身体をじわじわと鎮めてくれる。

 ずっと膝をついていたので、礼服のズボンがびっしょりと濡れている。

 世界がくるくると回っている。手足が自分の意志と関係なしに、痙攣するのを止められない。

「アリアナ、冷たくないの?大丈夫?」

『大丈夫です』そう言おうと思って、雪の中から顔をあげた。

 ……エリオットの背後で降る雪が、天使の羽のように見えた。

 月と夜空を背負う姿があまりに美しくて、アルコールの力ってすごいなあ、と思った。


(そういえば、さっき「私を見て」なんて大胆なこと言っちゃったな)

“今も殿下が私を見てくれている”、そんなことが嬉しくて、ふふ、としびれた頬で笑った。


 アリアナは普段酒を嗜まない。

 寒くて眠れない夜に度数の高い酒を飲み、ぽかぽかと気持ちいい状態で寝ることはあるが、酔った状態で人と話したのは初めての経験だ。

 アルコールを飲んだ状態で、自らを律する経験が無いのだ。

 何よりここ最近「完璧な騎士」の練習で疲れていて、ようやく胃の痛くなるような「恥を演じる」イベントが終わったのだ。

 疲労と度数の違うアルコール、毒殺未遂、そして“終わった”という安堵。

 お酒で酩酊するには条件があまりにも揃いすぎていた。


「”皇女殿下”――」


 アリアナはエリオットの頭を撫でるようにして優しく引き寄せ、耳元で悪戯に囁いた。

 金色の髪が、雪で白くまだらに染まっている。それがやけに可愛く思えた。

 こんな時、酔っ払って近くにいる人に甘えたくらいで、それを誰が責めるというのだろう。


「こういう時って、膝枕するんですよ」


 数秒の沈黙の後に、アリアナの頭は何か柔らかいような、硬いようなものの上に置かれた。

 膝枕にしては少し骨ばってるけど、雪よりはずっと温かかった。


(……そういえばこの人、男だったな。)


 硬い膝に頬を預けながら、今更なことを思った。



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