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第40話【過去】ハイヒールの騎士

「何度言えば分かるんだ!!」

 扉の向こうからベンジャミンの怒声が聞こえてきた。

 入りたくない、だけど、自分のわがままで他人を巻き込んでいるんだ。

 決意したエリオットは、空き部屋に入ることにした。


 目に飛び込んできたのは、大の字で寝転がるアリアナの姿だった。


「あー……調子は、どう?」

 見れば分かるでしょう、そう言わんばかりのベンジャミンの視線がエリオットを射抜く。

「……そんなに酷いの?」

 そのままベンジャミンに聞く気にはなれず、部屋の隅に居たモーリスに小声で聞く。

「踊れなくはないけど〜……優雅さが足りないのよね……」

 モーリスは「どうしたもんかなあ」と顎に手を当てながら、首をかしげた。


 アリアナは子爵家の出身だが、家庭で教育を受けたことがない。

 彼女にダンスを教えたのは従姉のエミリアだが、彼女は男爵家の令嬢だ。

 男性パートを「踊れる」が、高位貴族としての優雅さについては身につけていなかった。

 デビュタントであれば許されるかもしれないが、公式の記念式典、その舞踏会に皇子のパートナーとして出るのに「社交初心者」レベルでは許されない。

 これは一朝一夕で身につくものではない。

 生まれつき高位貴族として生きてきたベンジャミンやモーリスが厳しい教育によって身についてきたものを、彼女はこれから数日で身につける必要がある。

 十三歳までは「家庭の所有物」として、十三歳からは騎士として生きてきた彼女にとってこれまで無縁だった「優雅」とはなんぞやというところから考えなければいけないのだった。


 なにより、エリオットに合わせるために厚さ十五センチのシークレットシューズを履かなければいけない。

 ただ立つだけで足がガクガクと震える。いつもと重心の位置が大きく違い、安定しない。ただ立っているだけだというのに、ふらふらと危なっかしくて安定しない。

 生まれたての子鹿のようなアリアナを見て、ベンジャミンが地面に力なく崩れ落ちた。

 歩くことすらままならない。足を一歩踏み出すたびに足の裏が攣りそうになる。

 最終的にはどてっ、と転んでそのまま動かなくなった。

 その様子を見たモーリスは呼吸困難になるほど笑った。

 ……課題は山積みである。


 アリアナは天井を見上げながら言った。

「得意魔法、ヒールでもうまく歩ける、とかに変えようかな……」

「騎士団全員が泣くから辞めて差し上げろ」

“血の守護騎士”から”ハイヒールをうまく履きこなせる人”になったら国の損失だ。


 足の痛さに死んだ目をしながら床で大の字になっているアリアナを見て、つい助け舟を出したくなった。

「別に、あえて笑われる側にまわるってだけなんだし完璧にしなくていいんじゃない?」

「そうだそうだー」

 力なくアリアナが声をあげた。


 ベンジャミンはふんふんと鼻息荒くアリアナに近づき、猫の子を持ち上げるように彼女の首元を持った。

「いいか、よく聞け……ただでさえ殿下はみずから品位を貶める必要がある。お前のふるまいが原因で、殿下が「かかなくていい恥」を余計にかくことになる。それでいいのか?」

「……よくない」

「殿下が女性だったら――この国の第一皇女だ。お前はこの国で、最も尊いお方のエスコートをするんだぞ」


 皇后も、皇妃もいるから別に「最も尊い」わけではないんだけどなぁ、と思いつつ、話の腰を折る気は無いので黙っていることにした。


「そうだな……、お前の読んでる本で言うと――とある事情でお姫様は公衆の面前で恥をかかないといけない。お前はそれに同席する騎士だ。その騎士はへなちょこエスコートするか?お姫様に必要以上の恥をかかせようとするか?お姫様が『てきとうでいいよ。一回笑われようが百回笑われようが変わらないでしょ』って言ったとして、その騎士は努力を怠るのか?」

「しない。お姫様を守るし、必要以上の恥は絶対かかせない。そのために影で努力する」


 きっぱりと言いきったアリアナは、ベンジャミンの手を振り払うとシークレットシューズを脱いだ。


「……エミリアにアドバイスを貰ってきます」


 そう言って部屋から出ていく。その目は、死んではいなかった。

 騎士として任務を遂行する時の、あの目に戻っていた。

 彼女の従姉は甘いものと可愛いものとふわふわしたものでできていて、未だにお姫様に憧れている――とはアリアナ談だが、そんなわけなのできっと「エスコートされる側」の気持ちをよく教えてくれるだろう。


 ***


 ――二日目

 エミリアが先生役に加わった。

「アナが男性パート、エリオット皇子殿下が女性パートなんて――まるで騎士が姫君を守る童話みたい! 素敵よ、素敵すぎるわ!」と目をキラキラさせて引き受けてくれた。

「そうね……タイトルを付けるなら……――『恥をかくはずだった皇女殿下は、騎士の手に守られて溺れるほど愛される』かしら!」

 きゃー! と目を瞑ってアリアナの腕をバシバシと叩いた。

 一挙一動が夢見る乙女のような動作を見せるエミリアにモーリスが呆れた顔をする。

 そのまま無言でベンジャミンをみて、「こいつ、大丈夫なの?」という目を向けた。


 昨日まで一歩踏み出すこともままならなかったが、エミリアに手を貸してもらってようやく歩くことができた。

 ダンスをする時のように、両手を持ってもらって一歩ずつ踏み出す様子は、歩くのを覚えたての赤子に似ていた。

「ヒールを履く時のコツはね、”これを履いている私、世界で一番かわいいっ!”って思うことよ!」

「世界で一番、かわいい」

 アリアナはエミリアのアドバイスを噛みしめるように復唱する。もはや歩くのに必死で、ただ復唱しているだけだ。

「そう! アナの場合は“世界で一番かっこいい”ね! あ、すり足はかっこよくないわよ」

“アナ”というのはアリアナの愛称だった。

 夜会で騎士服姿のアリアナを引き連れて歩くのがエミリアのお気に入りらしく、「アリアナって名前、女の子っぽすぎるでしょ?」と、勝手にあだ名を付けられた。

「わかった」

「つま先から着地して――かかとを下ろす。順番を意識して――。”世界一かっこよく見える”自分を意識して――。あっ! ねえ、アナ――」

「なに?」

 エミリアが可愛らしく、首をこてんと傾けて小首をかしげる。

「やっぱりタイトルは――『婚約破棄された騎士は、偽りの舞踏会で皇女殿下をエスコートすることになりました』の方がいいかしら」

「まだその話してたの!? っていうか、私婚約すらしたことない――あっ……!」

 話に気を取られていたアリアナは、目測を誤って足首をひねった。

「う、っ……! いっ、たーい!」

 足を抱えて床を転がるアリアナを尻目に、エミリアは胸の前で祈るように手を組んで一回転しながらさらに続ける。

「それとも……『人前で踊るのは無理だと思っていた騎士は、秘密のハイヒールで皇女殿下を奪う』……っていうのも素敵じゃない?ねえ、どれがいいかしら!?」

 その横で様子を見ていたモーリスが、信じられないものを見るような目で二人を見た。

「――アナ、足首は猫ちゃんよ! 柔らかく使うのよ。でないとそうやって転んでしまうの」

「ネコチャン……」

 時々やたらとファンシーな物言いが入るが、普段からヒールを履き慣れている彼女のアドバイスは大変参考になった。

 彼女もアリアナに合わせて十五センチのヒールを履いてくれている。

 だというのに、蝶のように軽やかに動き回るのだ。

 転んだままのアリアナの傍らに膝をついて手を取り、アリアナに向かってウィンクした。

「あと騎士様はどんなに痛くとも耐え忍ぶの……! 痛い! とか大きな声は出さないのよ」

 今のアリアナは「立つ」と「なんとか歩く」の動作しかできない。彼女のように軽やかに動き回り、きれいな所作でしゃがむことの難しさが分かった今、認識を改めた。

 ただの『世間知らずで夢見がちな親戚』だと思っていたが、彼女は自分の世界観を守るために、幼い頃から努力を重ねていたのだろう。すべての動作が可愛らしく見えるように。


「もしかして、エミリア嬢って……」

「ああ、母親が春の国出身ですよ」

 アリアナがげんなりした様子で言う。

 ブレメア家に類する家系は、悪評が立ちすぎていて国内で同等貴族との結婚は難しい。

 そのため国外の貴族と結婚するか、または事情を知らないような下位貴族、平民と結婚していた。


『人を疑うことを知らず、夢見がち。自分の世界観に入ったら戻ってこない。だというのに冬の国の民から妙に好かれる。』

 春の国の国民性がよく出ていた。

 エリオットは、エミリアの姿に亡き母と姉を見た気がした。


 ――三日目

 二日もすればアリアナも慣れてきたのか、普通に歩くことができるようになった。

 ようやくダンスの練習が始まる。

 エリオットは公務で多忙で、ベンジャミンとモーリスは女パートを踊れない。ここでもエミリアが役立った。

 エリオットが女性役を務めるという前提のもと、リードするのはアリアナだ。

 戦場と同じくらいの熱量でベンジャミンの指導が入る。


「相手の顔を見るな! 視線は遠くを意識しろ」


 リードに無理がないか、どうしてもエミリアの表情を伺ってしまうアリアナにベンジャミンからの厳しい指導が入る。


「足を引きずるな足を!」

「リズムを聞いててそれか!?」


 失敗をすればベンジャミンに腰を教本で叩かれるというスパルタ練習方式により、ワルツも急激に様になってきた。


 ――四日目

「アナ! 三十二番目でもう一度誘って頂戴!」

「三十二ってどれよ……」


 エミリアが作った「一度でいいから言われたい! ダンスの誘い文句百選」を元に彼女に跪いてダンスを誘った。


「『可愛いお方、どうか私と踊っていただけませんか?』」

「重心が右にブレてるわ! やり直し!」


 どの角度から見ても「完璧な騎士」に見えるような監修付きで、「騎士っぽくない」ところがあったら十倍やり直しをさせられた。


(一生分、エミリアを口説いた)


 アリアナはそう思ってげんなりした。

 ハイヒール状態で相手の手をとりながら片膝をつき、ダンスを乞う――。

 これがまた難しかった。

 片膝を付く時にバランスを崩せば様にならない。優雅に見えるようにしつつ、遅すぎては格好悪い。角度も一度単位で調整された。


「これ、ランジっていうトレーニングの動きに似てるんだけど――」


 それを数時間延々とさせられているんだけど、超つらい。とアリアナは言おうとした。

「あら、トレーニングにもなって立派な騎士様の練習にもなるなんてとっても素敵! 私の騎士様が更にかっこよくなるのね!」

 一石二鳥だわ。と無邪気に笑って言うエミリアに何も言えなくなった。


 更に数時間後……

「こんなことをするくらいならとっととパヴェル殿下と周りを殺したほうがいいかな」とアリアナが物騒なことをぼやいた。

 物騒な言葉にベンジャミンもモーリスもぎょっとする。彼女なら本当にやりかねない。

 だが、エミリアの「私の世界で一番かっこいい騎士様はそんなこと言わないわ」という一言と唇を人差し指でちょん、と触られたことにより急激に毒気が抜けた。

「はい」

「ふふ、ちょっと休憩したら続きね!」

 本人が気づいていないだけで、相手を萎えさせる魔法とか使っている――そんな気すらして、アリアナは何も言えなかった。


 ――五日目

 練習と称してエミリアと夜会に行き、無事にシークレットシューズでのワルツを乗り切った。


 ――六日目

「最高だったわ」


 エミリアはいつも以上にうっとりと呟いた。


「私の騎士様はやっぱりかっこいいの!」


 アリアナの腕をぎゅう、と抱きしめて頬を擦り寄せた。

 そしてベンジャミンにいかに昨日のアリアナが紳士的で格好良かったかを延々と語った。

 普段のベンジャミンであれば「そんなくだらない話で俺の時間を取らせるな!」などと言っていたかもしれない。

 だが、「生まれたての子鹿」状態のアリアナを「立派な騎士」に見えるようにしたのはエミリアである。

 苦笑いを浮かべつつも「わあ」「そうなんですか」「すごいですねー」「それはかっこういいですね!」とオウムのように相槌を返し続けた。

「でもやっぱり誘い文句は三十二番より五十五番のほうがロマンチックね。今日は五十五番のセリフで練習しましょう!」

『一度でいいから言われたい! ダンスの誘い文句百選』を取り出し、アリアナに突き付けた。


 アリアナはため息を一つついて、五十五番のセリフに目を通し――

 片膝をつき、うやうやしくエミリアの手を取った。

 機械仕掛けであるように寸分もブレることは無い。


「『あなたの時間を、どうか、この右手にください。一緒に踊ってくださいませんか?』」


 低くてしっとりした、艶のある声が部屋に響く。

 憂いに満ちた表情でエミリアを見上げるその様は、誰もが夢見る”完璧な騎士様”だ。

 これは、いけるかもしれない。確かな手応えを感じつつあった。


「っていうか、殿下の方は大丈夫なのぉ?」

「女性パートはアリアナに合わせるだけだから、僕の練習は……まあ、そこそこ。でもね」

 エリオットは少しだけ笑った。


「ハイヒールの騎士の方が、よほど難しいから」


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