第31話【現在】社会科見学、あるいは陛下とデート
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後半に暴力的な描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
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「やだ! どうして行っちゃだめなんですか!」
「……人混みだ。危ない」
「お兄様たちはいつもそう! 私が何かしたいって言うと、すぐ『危ないからだめ』っていう!」
「アナ!」
ぷいっと背を向ける。涙がにじんだように見えるのは、演技だ。
「お兄様たちのばか!!! もうきらいです!!!!」
そう言い残して、私は部屋の扉をばたんと閉めた。
ふう、と一息つく。嘘泣きに全力を注ぎすぎて、涙を流しすぎた頬がひりひりする。
……そもそも、なんでこんな芝居をうつ羽目になったのか。
話は数十分前に遡る。
実は帝都に来た目的のひとつに、「アリアナ祭り」があるのだ。
毎年冬が明けてすぐに帝都のはずれで開催される。
それがかなり大きな祭りらしい。行きたい。ものすごく行きたい。
コルデー領では演劇を見に行くことでアリアナの死後について調べることができたが、帝都にきてから学校もあったし、演劇を見に行く余裕もなかった。
だから絶対に行きたかったのだが、お兄様たちに反対された。
曰く、「人が多いからお兄様たち同伴でないならだめ」だと。
ユリスお兄様は仕事、ウィル、リアムお兄様は学校の補修でついていけない。
だから来年にしなさい、というのが兄たちの言い分である。
普通のお嬢様だったらここで泣いて諦めるだろう。
だが、私の前世はアリアナ――変態貴族に売られる前日の夜中に家のカーテンを裂いて脱出し、雪の夜道を駆け抜けて騎士団入りを果たした人間だ。
今生でも同じことをしよう考えた。少なくとも命がけではない、バレてもお家に軟禁されるくらいだ。
それを考えると前世よりも気楽だった。
天気も少し肌寒いくらいで、前の時みたいに雪の中を裸足で逃げ出すわけじゃない。
祭りを堪能して、無事に戻ってこれたらお兄様たちだって文句はないだろうと。
麻のワンピースを来て上着を羽織れば町娘にしか見えない。普段の制服姿も似合うし、お嬢様らしいドレスも似合うし、こういうシンプルな格好も似合うっていうのは、アナスタシアという人間の生まれ持った素材の良さだ。可愛すぎてナンパされるかもしれない。顔を隠すために帽子を被った。
鏡を見るたびに思う、この子は愛されるために生まれてきた子だ。全身から愛らしさが滲んでる。
周りの侍女たちは私に同情的だ。
「泣きすぎて具合が悪いので私が出てくるまで声をかけないでください」
そう言えば、その通りにしてくれる。
音もなくタウンハウスから脱出し、まだ薄暗い道をかけて乗合馬車の集合場所まで走った。
乗合馬車に乗るのは前世ぶりでドキドキする。
案内人に乗車料を渡し中へ。数人がすでに席についている。
目立たないように端っこに座ろうと思って乗り込んだ時、近くに居た男に右腕をぎゅっと掴まれた。
右腕の痛みが、忘れかけていた何かを訴えかけてくる。
数日前の、あのときと同じ場所。あの手の圧と、あの声の予感。
「はぁい、元気?」
──そこには、笑顔の陛下がいた。
黒いコートを羽織って、しっかりとマフラーを付けて、変装用のメガネまでかけている。
「へい……!!」
「おっと、それ以上言うとベンジャミン特製のヌガーを口に放り込まないといけなくなるよ」
ベンジャミン特製のヌガーは物凄く甘くてやたらと固くて溶けない。一度口に放り込まれるとしばらく溶かすのに必死になって喋れなくなるやつだ。
陛下と呼べないならなんて呼ぼう、そう悩んでいると。
「今日は名前で呼んでくれていいよ。それか旦那さまとかでも――」
「……おじさま、どうしてここに?」
ぴきり、と空気が凍る気がした。
年齢差を考えても「おじさま」が一番違和感がないだろうと思ったチョイスだったんだけど、陛下はお気に召さなかったみたいだ。
「アリアナ祭りに行くんでしょ?」
そういえば位置情報魔法と盗聴魔法をかけられてたっけ。
家と学校の行き来くらいしかしないし、盗聴も「アリアナっぽい」ことを話さなければ良いかなと思ってあまり意識していなかった。
昨日の全力の嘘泣きが聞かれていると思うと恥ずかしい。十三歳がやるにしては、子供っぽすぎたかもしれない。
「他にもっと楽しいところ行こうよ」
陛下は私の右腕を掴んだまま、空いている方の手をコートの内ポケットにすべり込ませると、雑誌を何冊かを器用に引っ張り出した。
『女子必見!帝都デートの最前線』『彼女が喜ぶ夜景&甘味処MAP』『貴族学校美人保健医おすすめ♡学園祭よりアツいスポット四選』……。
一番最後のは正直気になる。読みたい。
「”おじさま”には関係ないですよね。ご自宅に帰られてはいかがですか?」
二度目の”おじさま”呼びに、掴まれたままの右腕に力を込められた。
めちゃめちゃ嫌だということらしい。大人げない!
「今ここに、ユリスを呼んでも良いんだよ?」
これ以上ない脅しである。ユリスお兄様はきっと連絡がきたら瞬間移動で飛んでくるに決まってる。
せっかく家からの脱出に成功したというのに、また連れ戻されては叶わない。
常設の展示と違ってアリアナ祭りは年に一度しか無いのだ。
「君が家から脱走してるよってユリスに言ったら今にも迎えに行きそうだったんだけど、上司命令で仕事をさせちゃった」
明日殺されるかな。なんてそんなことを思っていないような顔をして陛下がぼやく。
「みんな僕にあんまり城に居てほしくなさそうだからさ。君と一緒にいる間は城から離れてるし、安全確保もするよって言ったら涙を流して喜んでたんだ」
それは血の涙を流して悔しがっていた、の間違いでは……?
と言いかけたけど、なんとか我慢した。私は大人なのだ。
昨日お兄様に「陛下に誘われたらなるべく受けてほしい」って言われたし。
陛下が城にいなければお兄様や同僚の方が少しは気を抜いて仕事できるならそのほうが良いだろうし。
陛下は強い。たぶんこの国で一番。
皇子であった当時でさえ、「殿下」よりも強かったのは私とパヴェル殿下だけだった。
その二人が死んだ今、この国では陛下以上に強い人間はいないのだろう。
なにより、「血の粛清」をやってなお生きていられるのがその証明だ。
有力貴族のほとんどが第一、第二皇子派だったのだ。恨みを買っても返り討ちにできるだけの実力がある。
陛下の隣、というのはこの国で一番安全な場所なのかもしれない。だからこそユリスお兄様も自分が迎えに行くのではなく、陛下が行くことを許可したのだ。
「お家に帰る時、一緒にお兄様に謝ってくださいますか?」
「いいよ。君のお兄さんに謝るの得意だから」
なお、陛下は一度も謝ったことありません、みたいな顔をしている。
メリットがあるなら一緒に居ても良いかも。なんて可愛げないことを思ってしまった。
「じゃあ社会科見学しましょっか。……先生?」
陛下は呼べない、名前で呼ぶのもちょっと恐ろしい、おじ様は嫌がられたので、先生なら妥協案かなと思って呼びかけた。
「先生、……いい響きだね。」
恍惚としたような顔してる。どうやらお気に召したらしい。
これがだめだったら嫌がられても「おじさま」呼びをしていたので気に入ってもらえてよかった。
「生徒は僕の言うことをちゃんと聞くんだよ?」
はあい、と生徒らしく気の抜けた返事を返した。
***
わああ、と人々が声を上げている。
まだ冬が明けて間もなく肌寒いのに、人々の熱気を感じるほどだ。
道にはいっぱいに人が広がり、大通りでは出店が道の両側に出店されていた。
店主たちが一人でも多く呼び込もうと声を張り上げている。
「アリアナ焼き! ここでしか食べられないよー!」
「皇帝陛下公認、アリアナ・カラーを使ったネックレス残り3つでーす!」
「アリアナ様が愛した揚げドーナツ! 中身はチョコソースです!」
アリアナは揚げドーナツが特別好きだったわけじゃない。どちらかというとお肉のほうが好きだった。
だけど、こういうお祭りっていうのはお金が動いて経済が回るのが大事なのだ。文句は言うまい。
ただの丸い饅頭が「アリアナ饅頭」という名称で売られていたが、気にしないことにした。
アリアナ・カラーのアクセサリーや服、黒髪ポニーテールのかつらを被って仮装している人もいる。
この場に集まっている人、みんながアリアナの存在を当たり前のように知っていて、その死に対して何かを思っている。
そう思うと、胸の奥がじんと熱くなった。
見渡す限り人だらけで、危険だという家族の心配も来てみたら分かった。
私じゃ迷子になったら人混みに埋もれて、そのまま見つからなくなってしまう。
「手を離して撒こうとしたら強制的に帰還だよ」
「今更逃げませんよ」
どこから見ようかな、甘い香りとスパイシーな香料とお肉の匂い。どっちも捨てがたい。
「パレードがそろそろ来るって! 隣の通りだよ!」
「え、行かなきゃ!」
そんな話が聞こえてきた。
「パレード!」
思わず叫んでしまった。そんな一大イベントもあるのか。ぜったい見に行きたい。
陛下の手を引くが、その足は石のように重く、容易には引っ張られてくれない。
「……”先生”?パレードですって! 見に行きましょうよ!」
「あー……。先に、なにか食べてからにしない?ほら、串焼きとか美味しそうだよ」
そう言って露天を指差すが、その間にも周りの人達はパレードの方角へと向かっていく。
「騎馬隊の先頭が見え始めたよ!」
「えっ! 行かなきゃ!」
鼓笛隊の音が近づいてくる気配を感じる。
「”先生”が行かないなら私が一人でいってきます!!」
「……わかった」
渋々、といった様子で陛下は動き始めた。……お腹が空いてたのかな?
パレードの到来に人々は快哉の声を上げる。
みんなが口々にアリアナの名前を口にする。
「アリアナ様ー!」
「皇帝陛下万歳!」
耳が痛くなるほどの声だ。
パレードの中央の豪華な馬車。偉い人が座っているであろう玉座に、アリアナを模した像が座っている。
黒いポニーテールのウィッグをかぶり、アリアナ・カラーのリボンが頭の後ろでひらひらと揺れているのが見えた。
「遠くから見てるほうが楽しいよ」
陛下が止める声が聞こえたけれど、せっかく初めてなんだし前の方に行きたい。
そう思って人の流れに逆らわずに流されて行く。
交差点の中心で、パレードの馬車がゆっくりと止まった。
音楽が鳴り止み、あたりに一瞬、奇妙な静寂が広がる。
その沈黙を破るように、数人の男たちが人垣を押し分け、アリアナ像が乗っている馬車へと歩み出た。
彼らはためらうことなく駆け上がると、まるで儀式の開始合図でもあったかのように棒を振り上げ、アリアナ像に叩きつけた。
「アリアナ様! 死んでくれてありがとう!」
その叫びとともに木の棒で像の頭がフルスイングされる。頭が吹っ飛び、別の男の近くに落ちた。
赤いリボンがだらりと地面に横たわる。
ぐじゃ、めこ、べき。耳をふさぎたくなるような破壊音が鳴り響くが、誰も止めようとしない。
振るう角度、振るう順番まで、計算されきった演出のようで。
それどころか殴られるたびに歓声があがった。
頭と胴体、それぞれ別の男たちに粉々になるまで暴行を受ける。
「アリアナ様! 陛下のために死んでくれてありがとう!」
「アリアナ様! 国のために死んでくれてありがとう!」
「皇帝陛下万歳! 皇帝陛下万歳!」
「ヴィンター帝国に繁栄あれ!」
「ありがとう! ありがとう! 死んでくれてありがとう! アリアナ様!」
「様」づけで呼ばれているのに、その扱いは英雄に対するそれではない。
――生贄、といったほうがよっぽど近かった。
だれも、この狂気じみた行為を止めようとしない。
それどころか熱狂は増すばかりだ。
最後に、真っ赤な液体が粉々になった像にぶちまけられた。
動物の血だろう。腐敗しかけた血の臭いが、風に乗って鼻腔に直撃してくらくらした。
刺激的な光景にどっ! と一番の歓声があがる。
そばに居た私よりも小さい子が、お父さんの肩の上で声を張り上げて笑った。
「ありあなさま、しんでくれて、ありがと――!!!」
その場に崩れ落ちそうになる私を、陛下が支えてくれた。
おかしい、こんなの。なのに、なんでだれもおかしいって言わないの。
どうして、と呟いた声は群衆の叫びにかき消された。
途端に視界が塞がれ、抱き上げられる。血の匂いは消えて、品の良い甘い匂いがかわりに届いた。
耳元で「もういいでしょ、行こう」と低くて魅力的な声が聞こえた。
返事の代わりに陛下にぎゅう、としがみついた。
11月からは週4更新(火、木、土、日)です。




