第26話【現在】初恋、あるいは現在進行系
あのあと、陛下のことを避けた。徹底的に。
こちらをじぃっと見ている気配は感じたけれど、少しでも近づいてくる気配があれば女子トイレに逃げた。
そんな努力の結果もあり、無事に放課後にモーリスのいる保健室までこれた。
ちなみに友達は一人もできなかった。皇帝陛下に直接話しかけられる新入生なんて、遠巻きにされて当然だと思う。私も多分そうする。
いいもん。私にはモーリスがいるし……。
「あの男、アタシが見てない間にそんなことしてたの?」
モーリスは呆れ顔だ。
今日も甘いポーションを飲みながら、モーリスに魔力の流れを整えてもらっている。
夕方になるにつれ、昨日整えてもらって魔力の流れが乱れてきたのか徐々にしんどくなってきていたから、無事に治療してもらえて安心した。
温かい魔力が指先からじんわりと全身に回っていくのがわかる。
「宿題は出た?」
「レポートが一枚でました」
「ここで書いていきなさいよ。添削してあげるわ」
そう言って紙を渡してくれた。これで筆談しようというお誘いだと理解した。
これだったら手のひらに書くよりも情報量が多いし、手のひらに書いていた時みたいな簡単な言葉でやりとりをする必要がなくなる。
終わったら暖炉にくべてしまえば証拠隠滅も容易い。
「モーリス先生だけに言うんですが……私、陛下のこと初恋でした」
私がそういえば、モーリスは目を見開いたまま固まった。
かと思えば、その後何やらソワソワとしだす。
「え、恋バナ?恋バナしちゃう?」
モーリスの目が鑑定魔法を使ってないのにキラキラと輝き始める。
「初恋」が前世のことだと分かってくれたみたいだ。誰にも言ったことのない恋心を吐露するのは、正直恥ずかしい。
「これに気づいたのは最近の話です」
頬が燃えるように熱い。
モーリスが「もっと聞かせなさい!」と言わんばかりにお茶とお菓子を用意し始めた。
片手は私の治療で塞がっているから、残った片手で大変器用なことである。
「女の子の将来の夢と言ったらお姫様でしょう?この国には皇子殿下がいないから、必然的にその対象は皇帝陛下になるのはごく自然なことだと思います」
やたらと説明くさい口調になってしまったけれど、もちろんこれは建前だ。
陛下が盗聴魔法で聞いている可能性がある以上、どうしてもこういう言い方になる。
「で、実際話してどうだった?」
「ないな、と」
盗聴されているのに、あえてこんな話をしているのは陛下避けのためだ。
流石に自分のこと……しかも恋愛について話しているときに来るほど、無神経じゃないと信じたい。
むしろ、どこかで耳をそばだてて聞いていそうな気がする。
「私は、私のことを一番大事にしてくれる人を好きになります。でも、陛下の一番大事な人は私ではありません。だから無いです」
「そうよねえ、陛下はアリアナ様が亡くなってから、ずーっとアリアナ様一筋だったからねぇ」
モーリスがニヤニヤと笑っている。
「両思いだったんじゃん?」とでも言いたげだけど、残念ながらすれ違いの恋だと思う。
アリアナにとっては、陛下が初恋で最後の恋だった。でももし、陛下が私を想ってくれていたとしたら……
その恋は、私の死後から始まったんだと思う。
話している間にも手元では筆談が進む。
『昨日言ってた「覚悟を決めた男は笑う」ってどういうコト?』
『笑うしかないでしょ。あんなの。後戻りできない、絶対しないって、自分に言い聞かせるために』
モーリスの右手は治療のために私の左手に繋がれたままだ。
利き腕は右腕だから書きづらいらしい。モーリスにしては整っていない文字が、紙の上でいびつな間隔で置かれていく。
モーリスはペンを手に持ったままボリボリと頭を掻いた。
『でも、間ちがいなくアンタを殺すように命令したこと、それがきっかけで、でんかは「人」から「王」になった』
『いっぱい殺したって話は聞いた。血のシュクセイだっけ?』
『それもでんかが人のままだったら できなかっただろうね』
『私、殿下に嫌われてるのかと思った。笑って殺される程度の人間だったのかなって』
私が書いた文字を見て、モーリスが一瞬目を伏せて、ふーっと深く息を吐いた。
『でんかは アンタが死んだあと ずーっとアンタを探してたの』
『なんで? 私、もう死んでるじゃん』
高出力の魔力砲に焼かれて死んだのは殿下だって見てたはず。
『それでも探してたのよ。この世にいないって 分かってるのにね』
ペン先が踊る。何も思い浮かばずに、ただぐるぐるとした黒い渦巻きだけ書いた。
じわじわとインクが、白い紙に滲んでいく。
『死に際に笑われるくらいだし、陛下に嫌われていたのかな』
その答えは出た。
死んだあとに探されるくらいだ。嫌われてはいなかったのだろう。
それどころか大切に思われていた。
ただ、死んだあとに一人で私を探す殿下を想像してしまって、ひどく苦しい気持ちになった。
どうして、私はその隣りにいられなかったんだろう。
そこにいられるはずなんて、ないのに。
あのとき隣にいたかった、どうしてお前はそこにいないんだと、心のどこかが叫んでいた。
『アンタの死後のことが知りたいなら、アリアナ・ブレメア博物館に行くと良いわよ』
あー、つかれた、という表情でモーリスがペンを投げる。
利き腕じゃない手で文字を書き続けるのは、さぞ大変だったに違いない。
『博物館があるの!?』
しかもアリアナの名前がついてるの!?
びっくりして顔をあげたらモーリスがニヤニヤしていた。
モーリスが立ち上がって紙を暖炉にくべる。
二人の秘密の会話の記録は、あっという間に燃え上がって灰となった。
初恋「でした」にするには、もしかしたらまだ早いのかもしれない。
いや、でも今の陛下なんか変態っぽいしなぁ……。
私の悩みは尽きない。




