第21話【過去】第一皇子
※成人済みの男性たちが女の子に一方的に暴力を振るう描写があります!苦手な方はこの話は飛ばしてください。
アリアナは菓子を大事そうに抱きかかえながら騎士団本部の廊下を歩いていた。
(モーリスと食べよう。もし、殿下がいたら殿下と、あとベンジャミンにもあげよう)
そう思うと自然と廊下を歩く足取りが早くなる。
ちょっと嫌な思いをしたから、第三騎士団に戻って、あの優しい空間で癒やされたい。そう思った。
――途端に、アリアナの身体は地に沈んだ。
バタン! と激しい音とともに身体が地に吸い寄せられる。
(おかしの箱、潰れちゃう!!)
起き上がろうとしても起き上がれない。指先一つまともに動かせない。
肺が潰されてまともに呼吸ができない。パニック状態だ。視界の端に涙が浮かぶ。
「はっ、はっ、はっ」
荒い呼吸を繰り返す。なんとか地面から顎があがるが、すぐにまた地面に接することになった。
自分の体重が百倍になったみたいに、身体中が重くて動かない。
「随分と汚い雑巾が転がってるな」
頭の上に重い何かが乗って、そのまま押さえつけられた。
「へぶっ」
(殿下に似てる声、だけど違う)
アリアナの知ってる殿下の声はもっと優しくて、人を安心させる声。
だけどこの声は、聞く人を強制的に支配する声だ。
周りに複数人の気配がする。地に這いつくばったアリアナを見て、嘲笑っているのが分かった。
短く刈り込んだ黒髪に、冬の国の空と同じ、灰色の瞳――その瞳は見るもの全てを凍りつかせるような冷たさを孕んでいた。
エリオットよりも背が高く、筋肉質だ。騎士服を着ていても浮き出た筋肉の形がはっきりと分かる。肩の徽章は第一騎士団の団長であることを示していた。
途端に身体が軽くなった。だが、アリアナが動く前に首の後ろを掴まれてそのまま持ち上げられた。まるで、猫の子を持つように。
(この人が、殿下のお兄さん。パヴェル殿下――)
「第一皇子殿下にご挨拶――」
申し上げます、と続けようとしたところで頬を叩かれた。じんじんとした痛みが後から熱さとともにやってくる。
不愉快そうにパヴェルの双眸が細くなる。
「……誰が、お前に喋ることを赦した?」
対応を失敗したのか。
だが謝罪をしようにもまだ許可されていない。どうすれば……――。
考えている間に再び頬を叩かれる。左右の頬がひどく痛い。
ぱっ、と手が離されたアリアナの身体は、そのまま重力に従って落ちることとなった。
「すげーカッコ」
「ぶっさいくだなー」
カエルが潰れたようなポーズがおかしいのか、周りの男達はまた笑い始める。
逃げないと、そう思ったが、今度は身体が浮き始めた。ふわふわと水の中にいるようだが、水の中と違ってコントロールが効かない。藻掻いても思う通りには動けない。
「きゃあっ!」
逆さ吊りのような状態になり、アリアナの白い腹や、貧相な浮いた肋を見て男たちが揶揄する。
慌てて隠そうとするが、今度は天井に叩きつけられた。
ガチンっ!と歯同士が当たる音がする。危うく舌を噛むところでゾッとした。
魔法で逃げようにも、うまく発動しない。
(魔法が使えない、どうして!)
エリオットに見せたように、天井を粉々に破壊してこの場から逃げだそうとした。
右腕に魔力を集中させるが、ふわふわと霧散してしまう。
アリアナの抵抗の気配を感じ取って、再び床とキスするハメになった。
「その程度の魔力で俺の目に留まったことを、光栄に思え」
こんな痛くて苦しい、理不尽な暴力を受けて何が光栄に思えだ。涙の浮いた目で、めいっぱいパヴェルを睨んだ。
灰色の双眸と視線が交差する。
その灰色の瞳は、アリアナを値踏みしていた。ブレメア家の大人たちがそうしていたように――、見下して、軽蔑して、でも利用価値があるから手放さない、そんな目をしていた。
魔力で抵抗を試みるたびに、床と天井に叩きつけられる事を繰り返された。
そのたびに男たちは笑った。誰も、パヴェルの横暴を止めるものなんて居なかった。
十三歳の女の子が一方的に暴力を振るわれているのを、誰も止めない、誰もおかしいと指摘しない。それどころか興奮している。
「ほら、もっと根性見せてみろよ! 抵抗しろ抵抗ー」
「さすがパヴェル殿下! 当代一の魔法使い!」
誰もが「楽しい祭り」を見ているように、目を逸らさずに残虐な行為を楽しんでいる。
自分が狂っていることに誰も気づいていない。
視界がぐるぐると揺れ、世界が上下にひっくり返る。胃の底が裏返って、何もかもがこぼれ出た。
地面に叩きつけられた時に出た鼻血で鼻が塞がって呼吸がうまくできない。口から呼吸をしようと思っても、咳がでるだけだ。
それを見ても男たちは止めなかった。それどころか、パヴェルは笑いながらアリアナの頭に靴を置き、吐き出したものの上で踏み潰した。
アリアナの口元に靴を差し出す。
「……汚れたな」
頭上から降り注ぐ声には頷かなかった。ひたすら伏したまま無言を貫いていた。
「なーめーろ!」「なーめーろ!」と囃し立てる声が遠くから聞こえる。
「愚弟はお前に、靴を舐める作法を仕込まなかったのか?」
せせら笑う声とともに顔を蹴られた。自分がボールになった気分だった。
『……困ったり、悩んだりしたら兄上のところに付きなさい。自身に忠誠を示す部下には、一定の配慮をする人だから』
エリオットの言葉が頭によぎる。
彼はこれを予見していたのかもしれない。
『悩んだりしたら』というのは気持ちは第三騎士団にあるのに、こうやって暴力でねじ伏せられて心が折れそうだったら……ということだったのかもしれない。
自分の命を守るために、長兄に忠誠を誓っても責めたりしない。エリオットのそういうメッセージだったのだ。
(こうなった時、私が生き延びるための選択肢を与えてくれていたんだ)
きっとアリアナがパヴェルの靴を舐め、適当に賛美する言葉を発すれば満足して、アリアナを開放するのだろう。
その後は第一騎士団入団の手続きを進め、普通に上官の顔をするのかもしれない。エリオット曰く「一定の配慮をする」という言葉から、彼の周りにいれば案外優しくしてもらえるのかもしれない。
だからこそ、絶対にアリアナは頷くわけにはいかなかった。
パヴェルの隣でニコニコと笑いながら、背中には無数の傷がついている自分を想像してしまったのだ。
「俺に、忠誠を誓え」
(”のぞみ”なんて聞いてやらない!聞くまでもない!! 私はこの男の”のぞみ”なんて叶えたくない!!!)
アリアナは確信した。
この男が皇帝になったらこの国は不幸になる。
こうやって、弱い人間をいじめて、笑って、自分のまわりの人間にだけ優しくするんだ。
暴力を振るわれること、それを見ながら笑われるということ、アリアナはよく知っている。
思い出すのはアリアナが”捨てた”家族だ。
ブレメア家の人々は自分たちによく似た兄たちだけ可愛がり、祖母にそっくりだったアリアナを疎んだ。
アリアナを虐めることで、家族は団結していた。
「社交界の笑いもの」で爪弾きにされていた彼らは、まったく同じことをアリアナにやることでしか自尊心を守れなかった。
この男が皇帝になったら同じことが起こる。
誰か弱いものを虐げ、虐げられたものがさらに下を虐げる。
アリアナは自分に才能があり、幸運にも恵まれたからこそエリオットに拾ってもらえたのだと理解していた。
才能がなかったら誰にも拾われず、今頃どこかで死んでいたに違いない。
そういう事が、パヴェルが即位したら国中で起こる。
そのための手助けなんて絶対にしてやらない。
地に伏せて少しでも早く、この嵐のような暴力が収まることを願った。
(たすけて、殿下)
「何をしているのですか、兄上――!!」
その声が響いた瞬間、それまで重力によって地に張り付いていたアリアナの身体がふと軽くなった。
「お前の犬に躾けをしてやったまでだ」
「だからといって……――」
アリアナは自分が抱き寄せられる気配を感じた。
暖かくて、柔らかい。
安心できる場所に自分が居ることを理解して、そのまま意識を手放した。




