第19話【過去】皇太子争い
「兄上たちの話を聞いた後で決めてくれて構わない。その時に第三騎士団を選んでくれたら嬉しいと思うよ」
エリオットは一旦、ここで話を区切った。
まだ彼女に話さなければいけないことは山程あるのだ。
「選ぶ、にしても本人たちからの話以外にも判断材料はいくつあってもいいと思っている。ここからはこの国の皇位を巡る現状について説明していこう。知っていることもあるから説明は被るかもしれないけれど、おさらいだと思ってほしい」
アリアナは素直に頷いた。
――この国には、皇位を争う兄弟が三人いる。
第一皇子のパヴェルは軍人だ。冬の国の皇帝にふさわしく苛烈で強い人物。
皇妃、カティナの息子であり、彼女はこの国の侯爵家出身だ。
彼はこの国の皇帝になる、と信じてやまない。それ以外の選択肢はないと幼少から教育されている。それ故に苛烈で、傲慢な人物。
(生まれついての王、という言葉は彼のためにあるのかもしれない)
第二王子のアレクシスは文官だ。甘いマスクと彼の得意魔法により、平民や爵位の低い貴族からの人気が高い。
皇后、カサンドラの息子であり、彼女は元々この国の南側に位置する夏の国の貴族だった。
アレクシス自身は優秀ではないが、彼を支える仲間たちが優秀だ。
(僕自身もアレクシス派だ。パヴェル兄上が即位したら、真っ先にやるのは僕とアレクシス兄上の処刑だから、パヴェル兄上を推せない、というのが正しい)
第一皇子と第二皇子が激しく皇位争いをしている状況を、第三皇子は静観しつつも第二王子に肩入れしている。というのが状況的に正しい。
パヴェルが皇位を継ぎ、アレクシスが宰相に、エリオットが皇位継承権を放棄してどこか地方の領主にでもなる――というのがエリオットにとっての理想だが、現実はそうもいかない。
パヴェルは自分が世界で一番出来る人間だと思っている。自分に匹敵する人間が許せないのだ。
アレクシスはそんなパヴェルを見下しているし、それをけして隠そうとしない。アレクシス自身は周りの優秀な臣下によって支えられている。パヴェルとは正反対の人間だ。
エリオットにしてみれば、パヴェルは周りへの他者への敬意が致命的に足りていない。武力と脅しで全てうまく行くと思っている。
アレクシスは得意魔法に頼っていて本人の努力が足りておらず、そんな自分を認識できていない。部下もアレクシスの悪い面を指摘できない。
エリオットは表立って兄たちと戦う勇気がない。
三人で手を取り合って国を運営できたら、……それが理想なのに。
もう少しだけでも、お互いに対しての譲歩や思いやりがあれば、この国は違う未来を取れるのに。現状は内乱ルート一直線だ。
二人が遭遇するたびに殺し合いのような雰囲気になるので、それを毎度諌める立場のエリオットは辟易していた。
皇位継承権を持つ年上の兄たちは他にもっといたが、暗殺や事故に見せかけて殺された。エリオットの母である元皇后や、姉もそのうちの一人である。
あまりにも多くの血が流された。これ以上息子たちを失うことを耐えられなくなった皇帝はこう言った。
『次代が決まるまでに、これ以上私の息子が死んだら、皇位は聖王に移譲する』
聖王、というのはあだ名のようなものだ。この国の王は皇帝陛下しかいない。では聖王とは誰かというと、皇帝の親戚であり辺境の塔で国のために祈りを捧げている人物のことだ。
けして外界に関わろうとしない変わり者。殺そうにしても、そもそも塔から出ず、自給自足をしているため殺しようがない。
そんな人物に皇位を渡すくらいなら……と、激しい皇位争いは落ち着いている。――表面上は。
ただ、皇帝はそれ以降皇位争いについて何も言わない。水面下の争いについては徹底的に無視を決め込んでいる。
「皇位継承権の放棄」の拒否、という地味な手段をもってエリオットに皇位を継いでほしいと主張していることも合わせて考えると、皇帝陛下は「自分が生きている間は平和であればいい」というのが本音なのだろう。
本当に皇位をエリオットに継いで欲しいのであれば、徹底的に守る手段を講じてから「エリオットを皇太子にする」と言葉にして出せば良いのだ。
だが、どの皇子を推したところで、その代償は凄惨な死だ。皇子の死か、皇帝の死かは分からないけれど。きっと、皇帝陛下にとってはどちらも耐え難い程恐ろしいのだろう。
「これ以上息子を失いたくない」という優しい父としての気持ちも理解できるが、いっそ、反対派を粛清するだけの気概を持ち合わせて生まれてくればよかったのに。とどうしても思ってしまう。
臆病で、日和見主義な皇帝。誰にも言ったことはないが、エリオットは腹の中で父のことをそう思っている。
死後であれば叩かれたところで痛いことはなにもない。陛下は死んだ後の事については何も考えていないのだ。
後の世がどれほど乱れたとしても、彼にとっては眼の前では起こらないことだから、現実ではないと思っているのかもしれない。
――皇帝の死後、この国は荒れる。
第一皇子と第二皇子の皇位継承の争いが絶対に起こるからだ。
第一皇子派にはパヴェルのカリスマ性に惹かれた高位貴族が集まっている。
第二皇子派にはアレクシスの得意魔法に惹かれた低位貴族や平民が集まっている。
どちらを選んだとしても国を二分する内乱になるだろう。かと言ってエリオットが皇位争いに名乗り出る気はない。名乗り出たら第一・第二連合軍 vs エリオットになることが目に見えている。その後はまた分裂するのだろう。
この国は必ず内乱が起こる。兄たちのどちらかが折れない限り。内乱が終わっても、国力が弱ったところを他所の国から叩かれる。地獄の始まりだ。
内面ではそんな事を思いつつも、現状を――なるべく客観的に説明した。なるべくエリオットの偏見や感情が入らないように、淡々と。
アリアナは頭から煙が出そうな程考え込んでいる様子だった。彼女にはこれまで、こういう政治の話は入ってこなかったのだろう。ゆっくりと覚えていけば良い。
「貴族勢力だけで見たら、パヴェル兄上派が七、アレクシス兄上と僕派が三ってところかな。あくまでも僕の体感だけど。ただ、当然のことだけど貴族よりも平民の方が数が多い。単純な人数だけの比率で考えたら圧倒的にアレクシス派の方が多い」
エリオットの説明にベンジャミンが「アレクシス殿下は一割、殿下は二割くらいですから実質エリオット派では?」とでも言いたげな顔をしていたが、口に出さないことをわざわざ拾ってやる必要は無いので無視した。
「でも、そうしたら私がパヴェル殿下についたら殿下は殺されるのでは?」
「……それまでに兄上が変わっている事を祈るよ」
エリオットがそう言っても、アリアナはまだ不安そうな顔をしていた。
(「やだ」って顔をしている)
身近な人の”死”を怖がる情緒が彼女の中に育っていることに安心した。
みんな優しいのだ。モーリスも、ベンジャミンも、アリアナも。思ったことがすぐに顔に出る。
「君がもし、パヴェル兄上を選ぶことになったら僕達の命乞いをしておいてくれ」
代わりにそう茶化すことにした。
だが、アリアナは笑わなかった。
仮にアリアナがパヴェルを選んだら……今の安定した均衡が崩れる。
『国一番の魔力保有者』をカリスマ性によって自軍に引き入れたパヴェルの評価は大きく上がるはずだ。軍人のパヴェルにとって、戦力の確保というのは大きい。中立派や消極的第二皇子派の票をいっきに取り込むことが出来る。
皇帝陛下が崩御したらエリオットとアレクシスはまず間違いなく殺される。
というか、パヴェルはアリアナに指示をして殺させるだろう。
殺した後にアリアナの頬を叩き「俺の指示なしに先に殺しておけ」と叱責するのだ。
まるでそれが“忠誠を示したご褒美”とでも言うように。
アリアナがどんなに有能でも、どんなに必死の命乞いをしても、彼は一度殺すと決めたら絶対に殺す。
それを話したらきっとアリアナは「ならパヴェルにはつかない!」と言ってエリオットを選ぶだろう。
それではいけないのだ。
彼女にはちゃんとパヴェルと、アレクシスの人となりを自分の目で見てもらった上で、エリオットを選んでもらわないといけないのだから。
「国内の事情はそんな感じかな。皇子たちにはそれぞれ直属の騎士団が与えられている。第一皇子には第一騎士団、第二王子には第二騎士団……っていう感じでね。所属する騎士団をまとめる皇子が即位したら、その騎士団は皇帝直属の近衛騎士団に配属となる」
アリアナは真面目な顔でふんふんと聞いている。
「アリアナ、君の場合は第一から第三のどれかに入ることを勧める。というか、入ってほしい」
「どうしてですか?」
「君はブレメア家に降嫁された四代前の皇女様にそっくりなんだ。僕達が君と初めて会った時、貴族であることを疑わなかったのはそのこともあってなんだ。調べたんだけど、君の皇位継承順位は百二十八番目。君の前にいる人全員を殺したら君に皇位がまわってくるんだ」
そして、眼の前の少女はそれをできるだけの力を秘めている。
強力な魔力は先祖返りであり、アリアナこそが正当な皇位後継者である、などという妄想を抱いた人間が、アリアナを皇位継承レースへと借り出しかねない。
三竦みの今の皇位継承を争う図が、四竦みの対立になる可能性がある。今よりももっと複雑で、悲惨になる未来が。
「アリアナが皇位を取りたいならまあ……気持ちは応援するけど、そうじゃないでしょう?」
エリオットのその問いにアリアナは全力で首を振った。
全てをわかったうえで、それでも血濡れの王冠を手にしたいならエリオットも止めない。
だが、何も分からない、強力な力を持った少女を利用しようとする大人は絶対にいる。
今の政治体制の元では絶対に活躍できない、ブレメア家のような人間が。
「それだったらまだパヴェル兄上の元に居たほうが良い。今のところ最も皇位に近い人間だし、生き残れる可能性が一番高い。……困ったり、悩んだりしたら兄上のところに付きなさい。自身に忠誠を示す部下には、一定の配慮をする人だから」
(血みどろの争いに、君がわざわざ巻き込まれる必要はない)
「第三騎士団の魅力もアピールしておこうかな。僕達は辺境の警備が多いから、帝都にいる機会も少ないよ。家族と休日にうっかり……っていう可能性は少ないと思う」
皇帝陛下が巻いた種の尻拭いをする人間は、家族だけでいい。わざわざ巻き込まれる人間を増やす必要なんて、ないのだ。




