第18話【過去】「のぞみ」
『殿下、私はね、死にたいんですよ』
そんな衝撃的な告白にもかかわらず、エリオットは表情一つ崩さなかった。
むしろ「なるほど」とすら思い、”彼女の自殺願望にも似た何か”を利用できないかと考えられる程度には、冷静だった。
「理由を話してもらえるかな?」
「殿下、私の両親は私を売るつもりでした。白いドレスを着せて、首輪をはめて四つん這いで貴族たちの地下のパーティで引きずり回す。その中で一番高い値段をつけた人に売り飛ばす――本人の眼の前でそういう話を、笑いながらするような人たちです」
なんとも生々しく、グロテスクな話だ。悪辣さに反吐が出る。
彼女の年齢を考えると、今すぐに貴族籍を剥奪してやりたい気持ちになった。
「これを話したのは、あの人達はこれまで私をそういう扱いをしていたということです。だから、私はあの人達に復讐したい。できるだけ、まわりに「かわいそう」って思ってもらって死にたいんです。『死んでほしくなかった』『どうして死んだんだ』『家の奴らがもうちょっとまともだったらこんな未来は起こらなかったんじゃないか』――って周りから非難されてほしい」
そこで彼女は勇敢にも笑ってみせた。口元をあげただけの、不器用な笑みだった。
「自殺をしたら地獄に落ちるんですよね。……地獄はとても怖い所。だから自殺はできない。でも、傭兵になったら死と隣り合わせの生活になる。いつ死んでもおかしくない。だから傭兵になろうと思ったんです」
モーリスは思わず立ち上がりかけて、寸前で自分の『本来の性別』を思い出した。彼女を抱き寄せる代わりに、手元のコップがきしむほど強く握りしめた。
「否定」と「利用」しかない、文字通りの地獄で生きてきた彼女を抱きしめたい気持ちを持っていたのはモーリスだけではない。
そんな周りの気持ちに気づかないアリアナはそのまま淡々と続けた。
「騎士団に入っても、時間稼ぎにしかならないでしょう。あの人達はどんな手段を使ってでも、最終的には私を売り飛ばすつもりです。だってそれがあの人達にとって大金が稼げる効率的な方法ですから。逃げられないなら、いっそ最大限ダメージを与えてから死にたいなと」
数日間、教育をうけて彼女は「子供らしさ」を取り戻したかに思った。
あの家庭で育ったにしては素直で、毒がない。
彼女の幼少期から続くトラウマは、もっと根深いところで人格そのものを歪めてしまっていたのだ。
彼女の願いは、歪んでいる。
本当は「復讐したい」ではない。「家族から愛されたい」だ。
「自分が死んだことで家族が非難されてほしい」その裏にあるのは、「アリアナを失って初めて、アリアナへの愛に気づいてほしい」という願い。
(この場合、家族を作っちゃうのが良いんだけど……。絶対に浮気しない、アリアナだけを愛してくれて、優しくしてくれて、いつでも君が必要だよって言ってくれて、顔が良くて、アリアナを困窮させない程度に資産があって、爵位もある。そんな男と)
家族から受けた心的外傷は、家族から愛されることで癒やされる。
だが、そんな男が居ないからこそ問題なのだ。
いや、むしろ十三歳にそんな事する男が居たらそれはそれで問題だ。十三歳を愛するような結婚適齢期の男なんて、袋叩きにされて城の窓から吊るされるべきだ。
なぜか考えていてイライラしてきた。
なお、これら言葉は約十一年後に彼の頭にぶっ刺さることになるが、若きエリオットがその事を知るよしはない。
「状況は理解した。君が言う通りの「早く死にたい」を実現するなら――第一騎士団、パヴェル兄上の騎士団に所属するのが良い」
「殿下!」
ベンジャミンが非難めいた声をあげたが、エリオットは気にせず続けた。
「きっと君の代償を……無駄遣いしてくれる。早ければ死ぬまでに2、3年くらいかな」
ここからはなるべく彼女が「こちら」を選んでくれるように魅力的に聞こえるように話さないといけない。
「この国には、名誉騎士爵位、という制度がある。一代限りの爵位を国から与えられる制度だ」
「存じ上げています。優秀な活躍をした人間に与えられる爵位だとか」
アリアナの返事にエリオットはニッコリと笑った。
「話が早いね。僕は、君が死ぬよりも名誉騎士爵位の叙爵を目指す方が良いと思っている。爵位があれば君は家とは独立した個人として尊重される。君に害をなそうとしたら、ブレメア家を誘拐で捕まえることが出来るからね。君は死ななくてすむし、『爵位を叙爵されるくらい優秀な娘を売り飛ばそうとしてたなんて馬鹿だな』と誰もが思うだろう」
どう?これなら君の望みは叶えられるんじゃないの?という問い掛けに、アリアナは困ったように眉根を寄せた。
「殿下。そういうのは、元から貰う人が決まっているのでは?偉い人の周囲にいる人がもらうよう、裏で調整されていると思います。……何より、その制度が女性に適用されたことは一度もないはずです」
「兄上たちのところではそうだろうね。でも、僕のところでは今のところ名誉騎士爵位を欲しい人はいないんだ。それに、女性初めての名誉騎士なんて最高にかっこいいと思うけれど」
「第三騎士団の手柄を殿下の兄上たちが奪うことは?」
「仮に、叙爵されるくらい大きな手柄を第三騎士団が上げたとする。兄上たちは――絶対に奪い合う。始まったとしたらいつ終わるかもわからない消耗戦になる。その時に、僕が「この手柄は第三騎士団のものです」と主張したら通る。相手に渡すよりも僕のほうがまだ「マシ」だからね」
「絶対に奪い合うのに、結局最初に手柄を上げた人に戻るんですか?」
「そうなる。少なくとも、僕はそう確信している。……このあたりの国内のパワーバランスは、このあと説明するよ」
「以上のことから僕は、君が一人で生きていくには貴族籍得るのが良いと判断する。もし、君が第三騎士団を選んでくれるなら最大限協力しよう」
その言葉に、アリアナは驚いたように目を見開いた。
「殿下たちが選ぶのではなく、私が選ぶのですか?」
「うん。双方の合意の上って言ったでしょう。君が嫌だと言ったらそこに所属することはないよ。兄上たちは、君を欲しがると思うから、君が選ぶことになる」
一瞬の空白。彼女の視線は、どこか不安げに揺らめいていた。
「殿下、私が第三騎士団に入ったとして、殿下の”のぞみ”はなんですか?……私に、何をのぞみますか?」
エリオットは机の上に肘をついて、指を組んだ。口元を隠すためだ。
そうでもしなければ嬉しさのあまり漏れ出た笑みが隠しきれなかったに違いない。
『君の、のぞみはなんだい?』
先にそう聞いたのはエリオットだ。
――アリアナは最初に出会った時、『家から逃げたい』という自分の要望を通すためにエリオットたちに自分の力を見せつけ、脅した。
あれは、彼女が家族からそういう扱いをされていたからだろう。
自分の要望を通すのに「脅す」以外のやり方を知らなかったのだ。
「やり方を無意識に真似てしまう」のはとても人間らしい反応だ。
同時に、真似をする、というのは信頼の証でもある。
好意を持った相手でないと真似しようとは思わない。この数日間で、エリオットたちは彼女に随分信用されたようだった。
彼女が何も知らない”モノ”から”人間”に変わる瞬間をみて嬉しく思った。
(子育てってこんな気持ちなのかもしれない)
二歳しか離れていないのにそんな事を思った。
自分よりも年下の少女の成長を目の当たりにした感動は、親心にも近い何かをエリオットに残した。
きっと、彼女はこの質問を他の兄二人にも聞くのだろう。
「――生き延びること。君の魔力はただ死なすには惜しい。君が生きれば、部隊の生存率は上がる。人員は有限だからね。戦力を失わないってのは大事なんだ」
兄二人のうち、彼女が選ぶとしたら長兄のほうだ。パヴェルのカリスマ性に惹かれた場合は、エリオットを選ぶことはない。
パヴェルだったら……何も迷わず「俺のために死ぬことだ」と答えるだろう。
エリオットには自分にパヴェルほどのカリスマ性は無いと思っているので、同じ舞台で勝負するつもりはない。
だから、反対のことを言うことにした。反対ではあるが、エリオットの気持ちではある。
「生きてる限り、私には価値があるということ?」
「うん」
その問いに対して、エリオットは肯定で返した。
彼女は誰にも愛されてこなかった。
それ故に自己肯定感が低く、「生きている価値がない」と思い込んでいる。だから「死ぬことで価値を見出したい」のだ。
本当は生きたい、愛されたいと思っているのに。
彼女は、誰かに生きていてほしいと願われたことがない。
だから「生きてほしい」と言葉にした。
「第三騎士団では自殺志願者を飼うつもりはないよ」
はっきりと告げた。
彼女が「惜しまれつつ死んだ」ところで何も変わらない。
ブレメア家は変わらない。一定期間は大人しくなるかもしれないが、時が経てばまた卑怯なコウモリとして、「社交界の笑いもの」として周りに笑われながら生きていくのだろう。娘が居たことなんて忘れて。
それだったら彼女は生きて叙爵されて、家族を見返したほうが効果的だ。彼女が生きている限り、その効果は続くのだから。彼女にとっても、国にとっても、……エリオットにとっても。
「……死んでほしいときは『悪いけどここで死んで』って言う。その時はちゃんと周りに『アリアナに死んでほしくなかった』って思ってもらえるように演出することを約束する。だからそれまでは全力で生きてほしい」
エリオットは初めてアリアナに嘘をついた。
最初からアリアナを死なせることなんて考えていない。
だが、彼女は「もしも」を想定しているのだ、『自分に価値がなくなった時』を。
ここで『君には死んでほしくない!だから最初から価値がなくなったときなんて考えない!』なんて言ったところで嘘くささが滲む。
「君に死んでほしくない」といくら言葉を尽くして伝えたところで、彼女はきっと、「私じゃなくて、魔力のことですよね」と皮肉を込めて笑うだろう。笑ってさえくれないかもしれない。何も言わず、心のなかでそう思うだけで、見えない血を一人で流し続けるかもしれない。
今分かってもらう必要はない。今後一緒に仕事をする中でゆっくり理解してもらえれば良い。
だから代わりに、彼女の望む「自らの死を、演劇のように美しく演出してほしい」という――彼女の世界観に合わせた約束をした。




