第17話【現在】作戦会議、あるいは衝撃の一言
陛下は満足したのか、無言で書類を持って出ていった。
がらがらと、ドアの閉まる音が虚しく響き、完全に陛下がこの場から離れたのを確認して大きく息を吐いた。
「こ、こわかった……」
笑顔の殿下だけじゃなくて、真顔の陛下もトラウマになりそう。
私を笑いながら殺すように指示した時、陛下は遠くに居た。辛うじて笑った、ということが判別出来るくらいの距離。
今は至近距離で”くらって”しまった。インパクトは今のほうが大きいかもしれない……。あれ、もしかしてこれってショック療法?
美人の圧は怖い。
心臓がバクバクと大きな音を立てている。
「そうよねー!! 怖かったよね!! 後で言ってあげるから大丈夫よ!!何考えてんのかしらあの男!」
そう言ってモーリスが頭をよしよしとしてくれた。
「モーリス先生、私の腕、鑑定魔法で見ていただけませんか?」
そう言って先ほど陛下に掴まれた腕を指差す。まだじんじんと痛い。あざになっていると思う。
モーリスのすみれ色の瞳がキラキラと輝く。鑑定魔法を発動させてくれたのだ。
「あ……!!」
途端にモーリスの顔が怒りに歪んだ。
「あ?」
「あンの変態……!! 位置情報魔法をかけていきやがった……!!」
モーリスのこんなに怒った低い声、初めて聞いたかもしれない。
感情的なこの声は、普段隠している『地の声』だ。
やだなー、もう一個お願いしたいんだけど、言ったらさらに怒りそう。
位置情報魔法、か。
「何か」かけられたかな、とは思っていたけれど、予想以上に面倒なものをかけられていた。
腕を強く掴んだのは、魔法をかけられていることによる違和感を誤魔化すためだろう。
今の私は、魔力のコントロールが上手く出来ていない状態だし、普通の十三歳だったら気づいていなかった。
「モーリス先生、落ち着いてください。……陛下、書類を一枚置いていきましたね。あとで渡してください」
私はそう言って、床に落ちた書類を一枚渡すために近づいた。
口元に人差し指をあてて、静かにしてね、とジェスチャーをした。
モーリスは表情を固まらせ、片眉を上げて頷くことで「了解」の意を示してくれた。
怒り狂っていたとしても、すぐにノーマルに切り替えられる。
こういうところに、モーリスの変わらないプロ意識を感じて嬉しくなった。
「きっと……大事な書類でしょうから――」
口は話しながらも、指でモーリスの生身の方の腕に文字を書いた。『まだ かくしてる もういっかい みて』と。
意図を理解してモーリスは口では喋り、指先は私の手のひらに文字を書くという器用なことをしてくれた。
「ええ、……そうね。……渡すわ。……必ず、ね」
怒りのあまり、モーリスが震えだしたのがわかった。
『とうちょう されてる』
手のひらに文字を書かれるのはこそばゆい。
でも笑ったら陛下に伝わってしまうから、精一杯我慢した。
『やっぱり』
私の知っている「殿下」は用意周到な人だ。一つがだめになったときのために、事前に複数のプランを用意する。
普通の十三歳だったら見抜けなかっただろうけれど、前世で腹心の部下だったのだ。それくらい分かる。
「陛下」になってもそういうところは変わっていないらしい。
「怖い怖い怖い怖いまじで意味が分からないキモい!キモすぎる!!十三歳の女の子に無断で位置情報魔法かけるって何考えてんの?ほんっとーにキモい!マジで無理!! 転職したい!!」
モーリスは私の腕に向かってぎゃー! と叫んだ。陛下に聞こえるようにわざとだと思う。
私も「そうだよなあ」と思いつつ、流石に同じことをやる勇気はなかった。一応この国にも不敬罪というやつはあるのだ。
陛下は、位置情報魔法を隠すつもりなんてなかった。
むしろ「見つけさせるため」にかけたようなものだ。
人って、一つ見つけると油断する。「他にも何かあるかも」という考えがその時点で消える。本命の方を見えづらくして隠したら、わざわざ探そうとはしない。
そういう人間の心理を、あの人はよく知ってる。でも十三歳相手にやることじゃないと思う。正直怖い。
盗聴魔法は隠蔽魔法によって巧妙に隠してあった。
だから私は、あえて声に出して圧をかけた。
『位置情報魔法はバレてるぞ』という圧。
陛下はきっと、『盗聴の方はまだバレてない』って思って、油断する。
いや、油断してほしい。油断、するかなぁ……。
自分で言ってて自信がなくなってきた。
無断で魔法をかけたなら、こっちだってひとつぐらい騙しても怒られることはないはずだ。
それにしても、『逃げないでね』と言葉で圧をかけて注意力散漫にし、わざと見つけやすい位置情報魔法を仕込んで、その裏では隠蔽魔法と盗聴魔法をかける。
安心安全の三段構えだ。さすが殿下、いや、陛下。
しかも腕を掴んでいるあの短時間で三つも魔法をかけたのだ。魔力量と魔法の習熟度、両方が備わっていなければできない。
正直、どうして今日初めて会っただけのアナスタシアにそこまでするのか分からない。
理由がわからないものは、とても怖い。
アリアナだったら「ふんっ!」って腕を振るだけで盗聴魔法も位置情報魔法も粉砕できたけれど、今の私では大人しく付けられていることしかできない。
早く大人になって強い魔法使いになりたい。
位置情報も盗聴魔法も気持ち悪いけど我慢だ。
そもそも、どうして盗聴魔法をかけられているんだろう。
スパイと疑われてるとか?
コルデー家を探りたい?でもそれならユリスお兄様を懐柔した方が手っ取り早い。
もしかして、アリアナだと疑われているとか?
私が位置情報と盗聴魔法を相手に仕掛けるならどんな相手に仕掛けるだろう。
――だめだ、これから殺す相手にかけるくらいしか思い浮かばない。
前世で笑って殺された経験が再び頭をよぎる。
帰りの馬車で、モーリスといっしょに口では他愛もない話をしながら、手では密やかに語る。
スパイみたいなやり取りにドキドキした。
周りに目が無いからこそできることだけど、周りに目があって、かつ陛下に聞かれたくない会話をする場合の方法も考えたほうが良いかもしれない。
どうしても距離が近くなるし、モーリスが「十三歳の手のひらに触れる変態」とか言われてたりしたらかわいそうだ。
元凶となった陛下が言われるならともかく。
「冷静に考えて、十三歳に位置情報魔法をかけていく皇帝陛下って、この国大丈夫ですか?」
「奇遇ね、アタシもそう思ってるところよ。一緒に亡命しちゃう?」
「陛下がついてきそうなのでやめておきます」
『なんで へいか こんなこと したんだろう』
『ありあなを かんじたから?』
モーリスはそう言いつつ、「でも分かる要素ないよなあ」という顔をしていた。
『なら ごうもんでも すればよかったのでは』
『だいじな ありあなに そんなこと できるわけないでしょ』
書いた後に、その文字を消す手つきはとても優しかった。
『でも でんか わたしをころしたとき――』
指が、一瞬だけ止まる。
私は深呼吸して、誰にも吐き出したことのないトラウマを指先でえがいた。
『わらったよ』
私は、もっと早くにこれを聞くべきだったのかもしれない。
馬車はもうすぐタウンハウスに着く。こうやって会話できるのも、もう終わってしまう。
転生した時からずっと胸の中につっかえて、取れない棘。その一端をはじめて他人に見せた。
モーリスはとても驚いたような、傷ついたような顔をしていた。
頭を振って、何かを考え込むようにして……それからこう書いた。
一本一本、力強く。
『これだけは おぼえといて
かくごをキメたおとこは わらうのよ』
どうしてだろう、何故か胸がちり、と傷んだ気がした。




