第16話【現在】死、あるいは成長
――何か、柔らかいものの上に頭が乗ってる。
……いや、思ったより硬いかもしれない。
薄っすらと目を開けた。
「陛下! 若い子の魔力を無理やり開通させるなんて、何考えてんのよ!」
「だって、才能がありそうだなって思っちゃって」
「だってじゃないわよ!! この子が亡くなりでもしたらアタシは一生恨むわよ」
「モーリス……先生、……私、死ぬの?」
つい呼びすてにしそうになったけれど、慌てて最後に「先生」を付け足した。会話的に、陛下が近くにいる。
モーリスは私が起きたことに気づいて話しかけてきた。
「目が覚めたのね。体調は?」
「目がぐるぐるする、起き上がれない、すっごいひどい風邪を引いたときみたい」
全身が燃えるように熱いし、痛い。声を出すのも億劫だ。頭が痛くて起き上がろうとするとくらくらする。視界がずっとぐるぐるとまわっていて目を開けていると気持ち悪さに吐きそうだ。身体中じっとりと汗ばんでる。
柔らかいような、硬いような感覚はモーリスに膝枕をされていたからだった。
「死にたくない……」
目に涙がじんわりと滲む。
かつての私は、国のために、殿下のために死ぬことを恐れなかった。
いつ死んでもいいとすら思っていたし、実際にそうなった。
そのことに悔いはない。
前世の私は、「生」に繋ぎ止めるものなんて騎士団の義務感――私が死んだらみんなの死亡率が上がる。じゃあ生きるか――くらいで、“死”は常に隣にあるものだと、疑いもなく受け入れていた。
だけど今は違う。
私が死んだら、家族は悲しむ。
再会できたモーリスも、きっと泣く。
モーリスに、まだたくさん聞きたいことがある。
陛下にだって、聞きたいことがある。
(私を殺した時、何を思っていたのか、とか。)
本来であれば得られぬ二度目の生。
今の私は、“生きてやりたいこと”が、あまりにも多すぎる。
欲が、出てきてしまったのだ。
「死なせないわよ!」
モーリスに肩を支えてもらってなんとか上半身を起き上がらせ、そのままモーリスの肩にもたれかかった。
モーリスは、私の涙まみれの顔面をタオルで拭きながら言った。口調は荒いけれど、その手は優しかった。
「アンタの身体ね、……陛下の無茶な魔力流し込みでダムがぶっ壊れたような状態なの。せき止められていた魔力が身体中を濁流となって駆け巡ってる」
「陛下が」のところでモーリスは陛下を睨んだ。
陛下は居心地の悪そうな顔をしている。じっくりと顔を見たい、けど、体調の悪さでそれどころじゃない。
今の私は陛下が黒い塊にしか見えない。
「本来なら、訓練を重ねて少しずつ魔力を巡らせていくものなのよ。岩だらけで曲がりくねった川が、水流によって時間をかけて削られて、整えられていくようにね。……でもアンタの場合、陛下がいきなり全部ぶち抜いてコントロールを失った」
モーリスに触れられてるところから温かい魔力が身体の中を巡るのが分かった。
殿下の苛烈で強烈な激流とは違う。穏やかな日だまりのような優しい魔力。
「身体の中で魔力の“濃度”がめちゃくちゃになってる。濃くなったり、急に薄くなったり。そのたびに、身体が『枯渇だ!』『過剰だ!』って勘違いして、勝手に魔力を生み出したり、排出したりしてるのよ」
表情豊かに説明してくれるモーリスに、私は理解を示すためにも頷いて返した。
「この状態、昔は神頼みするしかなかったの。神頼みって言ってるけど、本人が魔力のコントロールができるようになるまで、体力が持つことと、病をもらわないように祈るだけ。でも今は違う。ポーションで魔力を補充して、魔力の流れを整えてれば治るわ」
治療にはモーリスのように魔力の流れを見られる「目」と、大量のポーションが必要となる。
対応を間違えたら死ぬ病、というのは変わってはいないが、昔ほど絶望の病ではなくなったらしい。
「ポーションは飲めそう?」
「たぶん、飲めると思う……」
「ああ、なら――」
耳元できゅぽんっと音がした。
「ちょっと待って! 口移しとかしないよね!? するなら――」
「するわけないでしょ!! っていうかいい加減陛下出ていきなさいよ!」
陛下の本気なんだか冗談なんだか分からない言葉に、モーリスが激しいツッコミを返した。
口にビンが突っ込まれた。ポーションだ。炭酸の入った砂糖水をそのまま飲んでいるみたいな味。
コスト型の場合、ポーションを使っても魔力を回復することがなかったから飲んだことは無かった。
初めて飲んだけれどそんなに頻繁に飲みたいとは思えない、なんともいえない味。思わず目をぎゅっと瞑ってしまった。
「あめぇ……」
甘さは冷えると感じにくくなる。キンキンに冷えたポーションにも関わらず、喉を焼くような甘さだ。
きっと夏の国だったら喜んで飲む人がいるだろう。一年中寒い冬の国とは相性が悪い。
強烈な甘さのポーションをちびちび飲みながら考える。
――もしかしたら、アナスタシアもこの病だったのかも。
私は、この症状に覚えがあった。
アリアナからアナスタシアへ“入った”直後も、こんな体調だった気がする。
コルデー家の人たちは、アナスタシアを魔法の才能がないと思っていたけれど実際は違う。彼女は生まれつき才能に恵まれていた。
生まれつきなんの障壁もなく魔力がスムーズに流せる体質だったのだろう。彼女にとっての不運は、魔力を大量に生成する才能に優れていたことだ。
彼女の身体は、「才能」により絶え間ない魔力の奔流に蝕まれ続けていた。――生まれたときからずっと。だからちょっとした風邪で死にかけたし、ベッドから動けないくらい、いつも疲弊していた。
「あの日」も、彼女の身体が魔力の濃度に振り回されてる時に、たちの悪い病が彼女を襲ったのだ。そして、そのまま彼女は帰らぬ人となった。
彼女が死んで”私が入って”魔力基幹が再生成されたことにより、普通の魔力持ちになったんだろう。
このあたりは想像だけど、あながち間違っていないと思う。
「才能」は時に「呪い」と紙一重だ。
命を削る代償として、他者を圧倒する魔力の持ち主だったアリアナ。
魔力のコントロールさえできれば、才能溢れる魔法使いになったであろうアナスタシア。
才能に殺された二人は、違うようでとても良く似ている。
ぐにゃぐにゃとした視界がポーションのお陰でだいぶ改善されたので、視線をあげると陛下がこちらを見ていた。
陛下、そう、陛下じゃん! この人この国で一番えらい人だった。
慌てて挨拶をしようと立ち上がろうとしたが、モーリスの――それはそれは力強い生身の腕――に阻まれて出来なかった。
「立つな! 動くな! 休んでなさい!」
「でも、皇帝陛下の御前で――」
「保健室に居る限り陛下は加害者、アンタは被害者よ」
ビシリと切り捨てられた。
「体調悪い子に丁寧な挨拶をさせる程、僕はひどい皇帝ではないよ。――体調は大丈夫?」
「はい、大丈夫です。ご心配をおかけしました」
改めて陛下を見た。
艶やかな黒髪に、青い瞳は氷のように冷たく、それでいて凛々しく整った顔立ちは作り物のように美しい。見る人を圧倒するほど美しい顔には申し訳無さが浮かんでいた。
完全な黒ではなく、青みがかった黒。冬の夜空とよく似た色のコートを身にまとい、裾や袖口は金糸で細かい幾何学模様の刺繍が施されている。
そこに立つだけで空気が張り詰めるような、圧倒的な存在感。なるほど、これは「魔王」と恐れられるのも無理はない。
(ふわぁ〜!!まつ毛長い!!まつ毛も眉毛も黒い!!でも、目は変わってないんだ)
薬剤で染めたわけじゃない、本物の黒髪。
かつて陛下の髪は、太陽の光のような金色だった。
それを自ら捨ててまで得た黒色には、陛下の覚悟が滲んでいるように思えた。
……かつてのアリアナもそうだったから分かるのだ。
(……前より、髪、伸びたんだ)
本人の手でざっくりと後ろに束ねられたであろう黒髪は、整っているようでどこか無造作だ。だけど、どうしてかその無造作な感じがやけに色っぽく思えた。
黒髪の陛下は、美しくて、怖かった。でも、その裏に何があったかを想ってしまって、胸がずきりと痛んだ。
黒髪の陛下を一目見る、っていう目標が早速叶っちゃった。
「才能ある子だなって思ったから、つい手助けしたくなっちゃって」
「総帥になったんですから、軽率な行動はしないでください」
元から皇帝陛下なんだから軽率な行動をするべきではないのでは?
と言いたくなったが、舌先まで出かけた言葉をなんとか押し戻した。
皇帝陛下と学園の職員であるモーリスに気軽にツッコミを入れられるのは、それはもう普通の十三歳ではなくなってしまう。
「モーリス、魔力を流すの、別に僕でも良いんじゃない?」
手を握ってるの、ずるくない?と陛下が付け加えた。
そう言われて自分の左手を見た、モーリスの右手とつながってる部分――底を見て、言葉を失った。モーリスの右腕は義手だ。白衣と手袋を脱いでいるモーリスは、銀色のアグリムがむき出しだった。アグリムの内部が開いていて内部コアが脈動している。コアから銀色の触手が伸びていて、私の左手に絡みついていた。
じんわりとした温かい魔力は、義肢部分から供給されているものだ。
“拡張された手足”という名だけあって、ただの手足の代替品ではないだろうとは思っていたけれど、魔力の操作もできるとは……想像以上にかっこいい。
腕でこれってことは、足にもギミックがあるのかな。空飛んじゃったりして?
「こちらの領分に入ってこないでください。陛下は『ちょっとおまけしちゃお〜』とか言って魔力の流れを規定より早くしたりするでしょ。それもこっそりと」
「……まあ、しないとは言い切れないかも」
「絶対やらせないわよ!」
モーリスが私の手を握る力がぎゅう、と強くなる。
感情的に話しながらも魔力のコントロールはブレることはない。
そういえば今まで感じられなかった魔力のブレとか、身体中を流れる魔力というものが繊細に感じられるようになってる。
陛下のやったことは荒療治ではあったけれど、魔法の成長という点では効果的ではあった。
「ね、君、コルデー家の子だよね?ユリスはこんなにかわいい子を隠してたなんて隅に置けないな。好きな食べ物は何?このあと帝城にくる?」
圧が強い。ぐいぐい来る。
ユリスというのはコルデー家の次男で、今は近衛騎士をやっているはずだ。
「陛下! ステイ! ステイ!!」
怒ったモーリスが陛下の口の中に何かを突っ込んだ。
途端に陛下はもごもごと口にある「それ」を噛み締めて喋れなくなる。「それ」とは、ベンジャミンお手製のヌガーだ。
強烈な甘さと粘着性で、一度口にいれると完全に溶けるまではしばらく喋れなくなるのだ。
前世で私をしばらく黙らせたい時にベンジャミンがよくくれたから覚えている。
私の知っている「殿下」はこんな人じゃなかったはず。
「絵本の中から出てきた王子様」がガラガラと音を立てて崩れていく。
「今、この子に必要なのは十分な休息! お城になんて行かせるわけ無いでしょ!」
モーリスはヌガーによって陛下の反論を許さなかった。
「アンタ家は?寮?一人暮らし?」
「タウンハウスがあって、兄たちと一緒に住んでいます」
「送るわ」
「いいえ、兄たちに迎えに来てもらって、一緒に帰ります」
陛下が喋れない間に今後を決めることにした。
「アンタの状況を説明しないといけないでしょ」
では、お願いします。とお言葉に甘えることにした。帰りの馬車の中でモーリスともっと喋りたい気持ちもあったし。
「――ぷは、僕も一緒に――」
「陛下は仕事! 皇帝陛下の仕事も総帥の仕事も山積みでしょ!」
どうやらそれは本当らしい。よく見れば陛下の横には書類の山が積まれていた。
私が気絶中にも仕事をしていたようだ。本当に多忙なんだ。
陛下が立ち上がった瞬間、空気が凍った。
「分かった、今日のところは引くよ――」
でも、と陛下は言葉を続け、私の右腕を掴み前に引いた。
強引な行動に思わず身体が前のめりになる。
「逃げないで、ね」
冷たいような無表情な顔はどこまでも美しかった。
ぎゅうう、と掴まれた腕は鈍い痛みを訴えている。
陛下の目は暗く深い色に沈んでいて、その眼差しには抗えない威圧感があった。
鋭く研がれた氷の刃を喉元に突きつけられているようだった。
苛烈で冷酷。紛れもなく、冬の国の王に相応しい存在。
恐怖のあまり声もでず、何度もこくこくと頷くことしかできなかった。




