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深夜のコインランドリー

作者: 一条あかり



佐藤健太、28歳。

コインランドリー「ランドリーパーク24」の夜勤管理スタッフとして働き始めて一週間が経った。


午後11時から翌朝7時までの勤務。

住宅街の角にある小さな店舗で、洗濯機12台、乾燥機8台を管理する。

深夜は客足が途絶え、一人きりの時間が長い。


前職のコンビニより給与は良く、人間関係のストレスもない。

機械の故障対応やちょっとした修理なら、工業高校出身の佐藤にとって苦にならなかった。


「ここ、前の人たちが長続きしなかったんですよ」


面接の時、店長がそう言っていた。


「夜勤は向き不向きがありますからね。佐藤さんは大丈夫そうですが」


確かに過去2年で3人の夜勤スタッフが辞めている。

理由は「体調不良」「精神的不調」「家庭の事情」とさまざまだった。


しかし、佐藤にとって夜勤は都合が良かった。

昼間は静かに過ごしたいタイプで、少ない客相手なら接客も苦にならない。


最初の一週間は順調だった。


深夜1時頃に洗濯を始める若い女性。終電で帰宅したサラリーマン。

早朝5時に乾燥だけ利用する高齢者。

客層は決まっていて、トラブルもほとんどない。


佐藤は掃除や機械のメンテナンスをしながら、静かな時間を過ごしていた。


最初に異変を感じたのは、8日目の深夜だった。


午前2時頃、客が誰もいない店内で、洗濯機の稼働音が聞こえた。

3番の洗濯機が回っている。しかし、佐藤は誰も料金を投入するのを見ていない。


メーターを確認すると、2時以降にお金が投入された記録はない。


佐藤は洗濯機に近づいた。確かに稼働している。

中を覗こうとしたが、窓が曇っていて内部がよく見えない。


「故障かな」


佐藤は洗濯機を停止させた。

蓋を開けると、中は空だった。

洗濯物も水も入っていない。


電気系統の故障だろうか。

佐藤は点検記録にメモを残し、翌日の修理依頼を準備した。


しかし、翌夜も同じことが起こった。


今度は5番の洗濯機だった。

午前2時15分、誰もいない店内で勝手に稼働を始めた。


佐藤は慌てて料金記録を確認したが、やはり使用履歴はない。


洗濯機を停止させて中を確認すると、また空だった。


「おかしいな」


佐藤は修理業者に連絡を取ることにした。


翌日の夕方ごろ、業者が点検に来た。


「特に異常は見当たりませんね」


業者は首をかしげた。


「コンピューターに異常はなく、正常です。

料金投入なしに稼働することは、構造上ありえないんですが」


「でも、実際に動いていたんです」


「うーん、念のため全台の点検をしましょう」


技師は全ての洗濯機を調べたが、異常は見つからなかった。


「もしまた同じことがあったら、すぐに連絡してください」


その夜、佐藤は緊張して洗濯機を見守った。


午前2時になった。

静かな店内に、洗濯機の音はない。


佐藤は安堵した。昼の修理で直ったのだろう。


しかし、午前2時30分。

今度は3台の洗濯機が同時に稼働を始めた。


2番、5番、8番。三台が一斉に回り始める。

佐藤は驚いて料金のメーターを確認した。やはり使用された履歴はない。


洗濯機に近づくと、中で水が激しく回っているのが分かった。

しかし、窓が曇っていて詳細は見えない。


佐藤は一台ずつ停止させた。

どの洗濯機も中は空だった。


「一体何が...」


佐藤は困惑した。修理業者が異常なしと言っていたのに。


翌日、佐藤は店長に報告した。


「また洗濯機が勝手に動きました」


店長は困った表情を浮かべた。


「実は、前のスタッフからも同じような報告があったんです」


「前のスタッフも?」


「田中さんという方でしたが、『夜中に洗濯機が勝手に動く』と言っていました。でも、昼間に確認しても異常はなくて」


佐藤は興味を引かれた。


「その田中さんはどうして辞めたんですか?」


「体調を崩されて。最後の方は『水の中に誰かいる』とか、よく分からないことを言っていました」


佐藤は背筋に寒いものを感じた。


「その前のスタッフの方はどうでしたか?」


「山田さんという方でしたが、やはり夜中の異常を報告していました。

辞める前に『絶対に洗濯機を覗くな』という妙なメモを残していました」


店長は引き出しからメモを取り出した。

ボールペンで殴り書きされた文字があった。


『洗濯機の中を見てはいけない。特に夜中は絶対に覗くな。見たら最後だ』


佐藤は震えた。


「そのメモ、置いていたんですね」


「処分しようと思っていたんですが、忘れていました。どういった意味があるんですかね。」


しかし、前任者たちも同じ現象を体験していたことは確実だった。



その夜から、異常は更にエスカレートした。


午前2時になると、必ず複数の洗濯機が稼働を始める。


台数も増えていた。

最初は1台、次に3台、そして5台。


佐藤は恐る恐る近づいた。

洗濯機の窓は水滴で曇っているが、中で何かが激しく回っているのが分かる。


水の音、モーターの音、そして時々聞こえる何の音か不明な音。


佐藤は洗剤投入口を確認した。

誰も洗剤を入れていないはずなのに、曇った窓から少しだけ見える洗濯機の中では、泡が溢れ出ている。


「一体何を洗っているんだ?」


佐藤は疑問を抱いた。中は空のはずなのに、明らかに何かを洗っているような動作をしている。


ある夜、佐藤は防犯カメラの録画を確認してみた。


午前2時前後の映像を巻き戻して見る。


画面には佐藤以外、誰も映っていない。

しかし、洗濯機は確実に稼働している。


カメラの角度では洗濯機の内部は見えないが、外側の動作は記録されている。


佐藤は不気味さを感じた。

誰もいないのに動く洗濯機。

空なのに何かを洗っているような動作。


そして、前任者たちの警告。


『絶対に覗くな』


なぜ覗いてはいけないのか。中には何があるのか。

佐藤の好奇心は日に日に強くなっていた。


二週間目のある夜、佐藤の好奇心は限界に達した。


午前2時、いつものように洗濯機が稼働を始めた。

今夜は5台が同時に動いている。


佐藤は一番近くの3番洗濯機に近づいた。


窓は曇っているが、中で水が激しく回転しているのが分かる。

時々、泡が窓に当たって弾ける。


『絶対に覗くな』


山田さんのメモが頭をよぎった。

しかし、佐藤は抑えきれなかった。


「少しだけなら...」


佐藤は洗濯機の窓に顔を近づけた。

曇ったガラス越しに、中の様子を観察しようとした。


最初は水の渦しか見えなかった。

しかし、じっと見つめていると、水の中に何かが浮かんでいるのが見えた。


白いものが、水と一緒に回転している。


佐藤は目を凝らした。


それは布のようだった。シャツか、それとも別の何かか。

しかし、よく見ると、それは布ではなかった。


人の顔だった。


水の中で、人の顔が回っている。

目を閉じて、口を少し開けた男性の顔。


しかし、それは一つではなかった。


水の中には複数の顔が浮かんでいる。


男性、女性、年齢もさまざま。

皆、目を閉じて、水と一緒に静かに回転している。


佐藤は恐怖で動けなくなった。


その時、顔の一つが目を開いた。

佐藤と目が合った。


その顔は微笑んだ。


そして、口を動かした。

音は聞こえないが、何かを言っているようだった。


『一緒に』


佐藤はなんとなくそう読み取った。


『一緒に洗われよう』


佐藤は慌てて洗濯機から離れた。


心臓が激しく鼓動している。

他の洗濯機も覗いてみたい衝動があったが、佐藤は我慢した。


異常に気付くのは一台で十分だった。



それから数日間、佐藤は謎に動く洗濯機を避けるようになった。

夜中に稼働を始めても、近づかない。見ない。


しかし、その頃から奇妙な変化が起こり始めた。


佐藤は日中、異常に眠くなるようになった。

夜勤明けで疲れているはずなのに、眠りが浅い。


そしてようやく見れた夢の中で、いつも水の中にいる。

回転する水の中で、他の顔たちと一緒に浮かんでいる。


とても心地よい感覚だった。


起きている時も、時々水音が聞こえる。

洗濯機の音ではない、もっと静かで穏やかな水音。


佐藤は鏡を見る度に、自分の顔が青白く見えるようになった。

まるで冷たい水に漬かっている死体のような色合い。


食欲もなくなった。水だけで十分な気がする。

佐藤は自分の変化に気づいていたが、それを直そうとはできなかった。


そして、一週間後。


佐藤は出勤しなかった。

店長が電話をかけても、応答がない。


アパートを訪ねても、誰も出てこない。

佐藤は消えた。


一か月後、新しい夜勤スタッフが雇われた。


田中拓也、25歳。


「前のスタッフの方はどうして辞めたんですか?」


田中は面接で尋ねた。


「家庭の事情で急に退職されました」


店長は曖昧に答えた。

さすがに佐藤が行方不明になったことは言わなかった。


田中が勤務する初日の夜。


午前2時、洗濯機が稼働を始めた。


8台が同時に動いている。

田中は驚いた。


「誰も使っていないのに?」


田中はメーターを確認したが、使用履歴はない。


「故障かな」


田中は洗濯機に近づいた。

窓は曇っているが、中で何かが回っているのが分かる。


田中は好奇心を抱いた。

中には何があるのだろう。


田中は洗濯機の窓に顔を近づけた。

曇ったガラス越しに、水の渦が見える。


そして、水の中に浮かぶ複数の顔。


その中の一つは、佐藤の顔だった。


目を閉じて、静かに回転している。


佐藤の顔が目を開いた。

田中と目が合った。


佐藤のような顔は微笑んで、口を動かした。


『一緒に』


『一緒に洗われよう』


田中は震えた。


しかし、不思議と恐怖よりもなぜか安らぎを感じた。

水の中は暖かそうで、とても心地良さそうだった。


田中は洗濯機の窓に手を当てた。


冷たいガラスの向こうで、佐藤が待っている。


『おいで』


佐藤が言っているようだった。


田中は頷いた。

数日後、田中も出勤しなくなった。



「また辞めちゃいましたね」


店長は困っていた。


「今度で4人目ですよ。なぜ夜勤スタッフが続かないんでしょう」


新しい求人広告を出すことになった。


『夜勤スタッフ募集。時給1400円。深夜手当あり。未経験者歓迎』


応募者はすぐに見つかるだろう。


そして、新しいスタッフが来る。

洗濯機は今夜も稼働する。


水の中では、佐藤と田中が新しい仲間を待っている。

静かで暖かい水の中で、永遠に洗われながら。


次の人が来るまで。


店長は知らない。

深夜のコインランドリーで、何が起こっているのかを。


洗濯機の中で、何が洗われているのかを。


そして、夜勤スタッフたちがどこへ消えていくのかを。


『ランドリーパーク24』の看板は、今夜も静かに光っている。


24時間営業、年中無休。


いつでも、新しい人を待っている。


【完】

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― 新着の感想 ―
深夜、コインランドリー、この二つのワードでホラーを書かれる腕は相当なものです 私自身コインランドリーを定期的に使用しているので、物語を読んでいる時そのコインランドリーを思い浮かべてしまいました
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