第8話「裏切りの影」
竜也組の勢いは、もはや領内を覆い尽くしていた。
村外れでは朝から晩まで丸太を叩き割る音が響き、若者や農民までが拳を振るって汗を流す。
「竜也殿! 見てくれ、血豆が潰れてもまだ拳を振れるぞ!」
「オレももっと強くなりてぇ!」
拳を交えるごとに笑顔が広がり、竜也は鼻で笑いながら拳を掲げた。
「へっ、いいザマだ。泣き言言ったら置いてくぞ!」
だがその熱狂の裏で、別の火種が燻っていた。
従来の武士団からすれば、兵士や若者を奪われる形になっていたからだ。
「……領内の兵が、竜也なる若造に夢中になりおる」
「槍働きより拳遊び。これでは軍が瓦解する」
不満の声は次第に大きくなり、やがて「竜也組を排すべし」という声すら聞こえ始めた。
◆
その渦中に、一人の足軽がいた。
名は伊助。竜也に憧れ、最初期から稽古に参加していた若者だった。
だが彼の胸中には焦燥が渦巻いていた。
「……オレなんかが竜也殿みてぇに強くなれるわけがねぇ。結局、使い潰されるだけじゃねぇか」
そんな折、敵勢の間者が近づいた。
「伊助……そなたの不満、聞いているぞ。情報さえ渡せば褒美は約束しよう」
伊助は震える拳を握りしめ、やがて頷いてしまった。
◆
数日後の夜。
竜也組の稽古場が突如、敵勢に襲われた。
「火を放てぇっ!」
闇に炎が上がり、悲鳴が響き渡る。
「な、なんで敵がここに……!?」
「う、裏切りか……!」
竜也は燃え盛る丸太小屋の中から飛び出し、怒声を轟かせた。
「テメェら下がってろ! 仲間はオレが守る!」
敵兵が押し寄せる中、竜也は真っ直ぐ敵将のもとへ突進した。
「頭潰しゃ終わりだ! タイマンだコラァ!」
◆
敵将は鉄の兜をかぶった巨漢で、大槍を構えていた。
「愚か者め! 拳で戦場を渡れると思うか!」
竜也は構えを低く取り、唇を吊り上げた。
「思うもクソも――やってみせりゃ済む話だろ」
槍の突きが雷のように迫る。
だが竜也は紙一重で身を滑らせ、槍柄を掴んでへし折った。
「オラァッ!」拳が敵将の胸甲にめり込み、鈍い衝撃音が響く。
敵将はよろめきつつも反撃に出た。
「小癪な……!」鉄拳が竜也の頬を打ち据える。
口の端から血が流れたが、竜也は笑っていた。
「……仲間に手ェ出す奴は、ブッ倒す。それがオレのタイマンだ」
その言葉に、逃げ腰だった竜也組の若者たちが立ち上がった。
「竜也殿が……仲間を守るために戦ってる!」
「オレらも、逃げてらんねぇ!」
再び火の粉の中に声が響き、彼らは敵兵へ飛び込んでいった。
◆
竜也は最後の力を振り絞り、頭突きを敵将の顔面に叩き込んだ。
「ガァン!」と鉄兜が歪み、巨体が崩れ落ちる。
敵兵たちは動揺し、蜘蛛の子を散らすように退いた。
炎の中に立ち尽くす竜也は、血と煤にまみれながら吠えた。
「見たか……これがオレのタイマンだ! 群れだろうが何だろうが、仲間を守るためにやるんだよ!」
若者たちは拳を握りしめ、涙を滲ませながら頷いた。
「……竜也殿。俺たち、最後までついて行きます!」
――だが、裏切りの影は消えたわけではなかった。
伊助は炎の向こうで立ち尽くし、唇を噛み締めていた。
「オレは……間違えたのか……?」
燃え盛る火の粉が、戦国の夜を赤く照らし続けていた。