第7話「美濃の試練」
尾張の一角に突如現れた“素手で戦う若者”の噂は、隣国・美濃にも届いていた。
「群れを嫌い、拳ひとつで武将と渡り合う無頼者がいる」――その奇怪な話に、斎藤家は眉をひそめる。
ある日、清洲に斎藤家からの使者が現れた。
「尾張に野犬がおると聞いた。ならば我が美濃の猛将と一騎打ち、力を試すがよかろう」
挑発的な言葉は明らかに竜也を狙ったものだった。
「戯言だ」景秀は苛立ちを隠さず答えた。「戦は遊びではない。竜也、おぬしは出るでないぞ」
だが、竜也は笑い飛ばした。
「タイマン挑まれて逃げられるかよ。喧嘩売られてシカトするのは一番ダセェんだ」
景秀は頭を抱える。だが、竜也の目の奥に宿る闘志は消えない。
こうして竜也は、美濃へ向かうことを決意した。
◆
美濃・稲葉城下。広場に即席の土俵が築かれ、町人や兵士が押し寄せていた。
噂の「拳の無頼者」を一目見ようと、群衆は熱気に包まれている。
「おい、あれが竜也とかいう若造か」
「武器も持たずに戦場で暴れるとか正気じゃねぇ」
「だが信長公とも拳を交えたって噂だぞ」
ざわめきの中、現れたのは稲葉良通――美濃の猛将として知られる武人である。
長身に鎧を纏い、鋭い眼光を放つその姿は、群衆を黙らせるほどの迫力があった。
「竜也とか申したな。所詮は戯れ噂と見たが……貴様の眼、ただの阿呆ではなさそうだ」
良通は腰の刀を抜かず、拳を握りしめた。
「本気の一騎打ち、受けて立とう」
「へっ、話がわかるじゃねぇか。タイマンは拳でやるもんだ」
竜也は構えを取る。肩を落とし、顎を引き、路上喧嘩仕込みの重心の低い姿勢。
合図もなく、二人はぶつかり合った。
良通の拳は剛槍の如く重く、鎧の重量を活かした突きが竜也の顎を狙う。
「おおっ!」群衆がどよめいた。
だが竜也は一歩踏み込み、懐へ潜り込むと、腰を入れたタックルで良通の体を浮かせる。
「ぬうっ!」
巨体が揺らぎ、土俵が軋む。
良通も負けじと肘で竜也の背を打ち、反動で立て直す。
互いに拳を打ち込み合い、血しぶきが飛ぶ。
「すげぇ……素手で武将様と渡り合ってるぞ!」
「馬鹿だが、目が離せねぇ!」
民衆の歓声が渦を巻いた。
◆
戦いは長引いた。
良通の拳は岩を砕くかのように重く、竜也の頬は腫れ、血が滲む。
だが、竜也の目はぎらぎらと燃え続けていた。
「……やっぱ面白れぇな。テメェ、ただの武将じゃねぇ。拳で語れる奴だ」
竜也は大きく息を吸い込み、膝を深く曲げた。
次の瞬間、跳ね上がるように繰り出したのは、路地裏で培った膝蹴り。
「がはっ――!」
良通の顔面に直撃し、巨体がぐらりと揺れる。
さらに竜也は間髪入れず、張り手を叩き込む。
「オラァッ!」
乾いた音と共に、良通の体が土俵に沈んだ。
沈黙。
次いで、地鳴りのような歓声が広場を包む。
「やった……! 拳で稲葉様を倒したぞ!」
「本当に素手で勝ちやがった!」
竜也は血まみれの顔で笑った。
「へへっ……やっぱタイマン最高だな」
良通はゆっくりと起き上がり、笑みを浮かべる。
「見事だ、竜也。貴様こそ真の武士よ。いや――喧嘩師か」
その言葉に群衆が再び沸き立った。
◆
その夜、美濃の若者たちの間で噂が広がった。
「拳ひとつで将を倒した男がいる」
「竜也殿に稽古を受けたい」
竜也は酒を煽りながら、仲間に笑いかけた。
「タイマン挑まれて逃げねぇ。それだけで十分だろ」
――こうして、竜也の“タイマン流”は、美濃の地にまで浸透し始めたのであった。