第44話「敵は残らず」
甲斐の虎が沈んだ翌日、戦場には静寂が訪れていた。
昨日まで轟いていた軍馬の嘶きも、鬨の声も消え失せ、残されたのは血と土の匂いだけだ。
武田軍の残党は次々と武具を投げ捨て、竜也のもとへ膝を折った。
「もはや戦えぬ……!」
「虎を討った拳に抗える者など、誰一人おらぬ!」
その声は恐怖でもあり、同時に敬意でもあった。
竜也は血に染まった拳を見下ろし、ゆっくりと振り払った。
「……拳一本で乱世をぶっ壊す。そう豪語したが、まさかここまで広がるとはな」
新次郎が笑みを浮かべて言う。
「竜也殿、噂はもう広まってます。『竜也の拳に挑めば骨が砕け、魂まで折られる』と!」
大助も鼻を鳴らす。
「へっ、俺らの拳だって負けちゃいねぇけどな。けど、虎を沈めたのは間違いなく親分だ」
◆
織田信長は甲斐の制圧を進めながらも、豪快に笑い続けていた。
「はっはっは! 竜也、お前は戦の在り方そのものを変えちまったぞ! 槍も刀も鉄砲も、結局は拳の前に意味をなさねぇ!」
その評判は東西南北へと駆け抜けた。
越後の龍・上杉謙信は耳にするや、静かに刀を収めた。
「……拳で虎を討ったか。義を重んじる我とて、あの拳に刃向かう道理はあるまい」
西国の雄・毛利元就は笑みを浮かべ、家臣に告げる。
「兵法三矢も拳の前では無力よ。竜也に敵対すれば、一矢すら折れる前に拳で粉砕されよう」
南の島津義久に至っては、兄弟を前に豪快に笑った。
「九州男児とて拳には覚えがあるが……あの竜也と殴り合うのはごめんじゃ!」
こうして竜也の名は諸国を駆け巡り、ついには「戦わずして勝つ」状態を生み出した。
◆
竜也組の面々は、噂の広がりを実感する場面に何度も出くわす。
ある時、喧嘩自慢の農夫が拳を振り上げかけたが、名を聞いた瞬間、膝をついた。
「……すんません、あんた竜也組の方でしたか……。もうケンカごっこはやめます」
またある時、忍びの一団が暗殺に迫るが、竜也が拳を握っただけで闇に消えた。
「竜也と敵対するは、死を選ぶに等しい……」と。
新次郎は腕を組み、誇らしげに呟く。
「戦わずして勝つ……竜也殿の拳は、もう武そのものを超えちまったな」
だが竜也は肩をすくめる。
「俺はただ、拳でタイマンしてきただけだ。けどよ……民が血を流さずに済むなら、それでいい」
その言葉に大助が豪快に笑う。
「竜也殿はやっぱり親分だ! 俺らももっと拳を磨いて、戦わずして勝てる拳を目指そうぜ!」
◆
甲斐を平定した織田・徳川連合軍は、そのまま東国を席巻した。武田残党は次々と降伏し、抵抗する間もなく旗を差し出した。
そして竜也の拳の噂はさらに大きく膨れ上がり、やがては天下に轟く。
「竜也組に挑める奴はいない」
「虎を沈めた拳こそ、乱世を終わらせる力だ」
そうして、天下は次第に竜也の拳を中心に回り始めるのだった。




