第36話「武田の四天王」
甲斐・躑躅ヶ崎館。
戦勝の余韻に浸る織田方とは対照的に、武田信玄の本陣は嵐を孕んだ静けさに包まれていた。床几に腰を掛けた信玄は、扇で口元を隠しながら、四天王と呼ばれる重臣たちを見渡す。
山県昌景――赤備えを率いる猛将。
馬場信春――「不死身」と呼ばれる老練の大将。
高坂昌信――冷徹に戦場を読む知将。
内藤昌豊――槍働きで知られる剛勇の士。
四人は信玄の左右に並び、次なる戦の行方を占うように黙していた。
「……織田勢に、“拳一つで戦場を荒らす男”が現れたそうにございます」
沈黙を破ったのは昌信だった。冷静な声でありながら、どこか嘲りを含んでいる。
「槍をへし折り、甲冑ごと叩き伏せるなど、荒唐無稽にございましょう」
「はっ、だが敵が恐れておるのも事実よ」内藤が笑う。
「名を竜也とか。織田の信長が直々に連れて歩く拳の化け物だと」
信玄は黙って聞いていたが、やがて扇を閉じた。
「面白い。拳で戦を制す者など、乱世に一人はいてもよい。ならば我らが試してやろうではないか。竜也とやら、我が軍馬に踏み潰されず耐えられるか……見物よ」
四天王は一斉に頭を垂れた。猛虎の牙が、織田に向けられた瞬間だった。
◆
一方、美濃の竜也組。
「……武田四天王、か」竜也は焚火の前で腕を組んだ。
「ただでさえ騎馬が化け物じみてんのに、怪物みてぇな将まで揃ってやがる」
隣で拳を握る新次郎が吠える。
「だがよ、竜也殿! 俺らはもう槍も刀も砕いてきたんだ。馬だろうが四天王だろうが、拳でぶち破るまでよ!」
大助も頷き、ぶ厚い掌を火にかざす。
「……竜也。俺たちはもう引けねぇ。浅井長政の拳を越えたお前がいる。なら次は武田だ。俺たち三人で乱世をぶっ壊すんだ」
竜也は一瞬黙り込み、やがて笑った。
「……そうだな。義を貫いた長政の拳を抱えて進む。次は信玄だ……拳と拳で、乱世を決めようじゃねぇか!」
焚火の火の粉が舞い、三人の拳が重なった。
◆
翌日、甲斐からの密偵が織田陣に入る。
「武田は動く。信玄自らが出陣し、四天王も揃っていると……」
報告を受け、竜也は拳を打ち鳴らした。
「上等だ! 信玄だろうが四天王だろうが、全部まとめて拳で迎え撃つ!」
その声に、新次郎と大助が力強く応じる。
「おう!」
「やってやるぜ!」
戦の火蓋は切って落とされようとしていた。
◆
その夜。
甲斐の陣営では、赤備えの山県昌景が馬に跨り、甲冑の軋む音を響かせていた。
「信玄公、まずはこの昌景が奴の拳を試して参りましょう」
信玄は目を細め、重々しく頷く。
「良かろう。赤備えの突撃が止められるならば、乱世は竜也の拳のものとなろう。だが止められぬなら……風林火山の前に散るが定めよ」
夜空に吹く甲斐の風は、まるで獣の唸り声のようだった。
◆
――乱世の猛虎と、義を抱いた拳。
その激突は、もう避けられぬ運命となっていた。




