第16話「嵐の中の奇襲」
六月の空は、重く垂れ込めていた。
竜也は甲冑を着込んだまま拳を握りしめ、進軍する織田軍の列に立っていた。
前を行く信長の背中は、どこか獣めいた気配を纏っている。
「……義元の首は、俺が取る」
昨夜そう言い放った主君の言葉を、竜也は胸の奥で反芻する。
ならば自分の役目は決まっている。――拳で道を切り拓く。それだけだ。
進軍を続けるうち、空模様が急変した。
稲光が尾張の大地を走り、やがて激しい雨が叩きつけてきた。
兵たちは慌てて兜を被り直し、馬を抑える。湿った土の匂いと、雷鳴が轟く。
竜也は顔を上げ、雨粒をそのまま浴びて笑った。
「天が味方してるぜ! こんな土砂降りじゃ、奴らも目が利かねぇ!」
信長は馬上から振り返り、鋭く頷いた。
「この嵐の中でなら、義元の大軍もただの烏合の衆よ。行くぞ!」
その声に合わせ、織田軍は一斉に鬨の声を上げた。
◆
山道を抜けると、前方に今川方の斥候が現れた。
雨をしのごうと木陰に潜んでいた彼らは、不意に竜也組の姿を認め、慌てて槍を構える。
「かかれっ!」
号令と同時に、十数本の槍が一斉に突き出された。
竜也は鼻を鳴らし、拳を構えた。
「槍なんざ折っちまえ!」
次の瞬間、彼は豪雨を蹴って飛び込み、右腕で槍を叩き折った。
乾いた木が裂ける音が雷鳴と混ざる。
竜也組の仲間たちも続き、拳や蹴りで斥候を次々と地に転がしていった。
「ひ、ひとりで槍を……!」
恐怖に駆られた敵兵が叫び、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
竜也は息を吐き、割れた槍の柄を投げ捨てた。
「数で囲んでくるくせに、この程度かよ。――次、行くぞ!」
◆
進軍は続く。
だが雨はさらに激しさを増し、前もよく見えない。
ぬかるんだ道に馬が足を取られ、兵たちの列は乱れかけた。
その中で、竜也だけが歩を緩めなかった。
泥に足を取られようが、頭から滝のように雨を浴びようが、拳を振るうたびに敵兵を薙ぎ倒す。
まるで嵐そのものが人の形を取ったかのようだった。
「ぐはっ!」
今川方の別働隊が襲いかかるが、竜也は片腕で二人まとめて突き飛ばし、
「どけェッ!」と雷鳴のような声を轟かせる。
仲間の若者たちも、その背中に導かれるように突き進んだ。
「竜也殿に続け!」「拳で押し通せ!」
敵の槍が次々に折れ、雨水に濡れた大地へ転がる。
◆
高台からその光景を見ていた信長は、口の端を吊り上げた。
「……竜也。まるで嵐そのものだな」
雨脚の向こうで暴れ回る不良の拳。
その姿は、戦場の常識を超えた異形の力であり、同時に織田軍の士気を一気に高める炎だった。
「面白ぇ……あの拳で義元本陣を突き崩す。そうすりゃ、乱世は俺のものよ!」
信長の笑い声は、雷鳴と混ざり合い、戦場に轟き渡った。
◆
その夜、竜也組は濡れ鼠のまま野営地に戻った。
誰もが疲労困憊だったが、目には確かな輝きがあった。
竜也は焚き火の前で拳を握りしめた。
「見ただろ、雨ん中でも俺らは折れねぇ。明日は本陣まで一直線だ。頭を潰しゃ、全部散る」
仲間の一人が笑った。
「竜也殿、あんた本当に嵐みてぇだ」
竜也は照れくさそうに鼻を鳴らした。
だが、誰もがその言葉に深く頷いていた。
――桶狭間の戦いは、いよいよ本番を迎える。




