2016年11月29日23時11分
2016年11月29日23時11分。
「……ようやく行ったか……」
高橋とリチャードが五階の渡り廊下へと去っていく。その背中を見送りながら、全員が覆面――いや、パンツを外す。
「ああ、助かった……」
「まじで寿命縮んだわ……」
向居と川場はどこか疲れきった様子だが、妙に達観した顔をしていた。
「にしてもよ、松田、似合ってたぞ」
「なんじゃい、須賀よ」
「パンツ仮面姿が」
「ああ……。お主もそう思うか? やっぱ元がいいと、変態仮面になろうとイケメンはイケメンだな」
松田がしみじみと語ったので、生理的嫌悪感から、他三人は無視をした。
「......でも、やっぱ、海パン自体も気持ち悪いな」
須賀が、半笑いで顔をしかめる。
「ああ、だってこれ……昼間、自分が履いた海パンだしな……」
川場が思い出したように苦笑する。
「おい、川場よ、それ以上言うな、生々しい……!」
「えへへ。けどさ、ちょっとしょっぱくて……なんか塩分補給できた気がするわ」
「おい、やめろって!!」
須賀が思わず止めに入るが、川場はしたり顔でぺろっと舌を出す。
「でも、あのサイコマシーンからよく助かったわ、本当に……って、あれ?」
須賀が、急に動きを止めた。
「どうした、須賀?」
松田が顔を覗き込む。
いや、なんだ、この違和感は。川場の持ってるパンツ……いや、全員ゴーヤ柄なのは間違いない。けど……なんか……。
「川場よ……」
「なんだ?」
「……お前のパンツ、なんか……サイズでかくね?」
その瞬間、場の空気がピシッと張り詰めた。
そう、思い返せば、昼間、あの海パンを脱いだあと、全員分を適当に部屋に並べて干していた。それを中田の命令で慌てて向居のバッグに詰め込み、そのまま持ち出した……。
川場だけ体格が違うのは知っていたが、それにしても……。
全員の視線が、川場の手元に集中する。
川場が、おそるおそるパンツを広げる。
…………。
全員が、顔面蒼白になり――
「「「「オエエエエエエ!!!!」」」」
廊下に、異様なハーモニーが響き渡った。
「うえええええ」
「おろろろろ」
「ぐはあああああ」
「げろげろげろ」
まるでカエルの合唱が深夜のリゾートで大合唱しているかのようだ。
咄嗟に松田の顔を見た。松田のパンツは一回り小さい……つまり、川場のを被っていたということだ。
そして……その瞬間、須賀と向居の視線がぶつかる。
向居はなぜか頬を赤らめ、でもちょっとだけ嬉しそうにモジモジしている。
(え、いやいや、そういうの絶対に目覚めないから!)
須賀の脳内で突っ込みが連打されるが、声にならない。
その瞬間、向居と再び同時に盛大に吐いた。
「うえええええ! 向居このやろう!」
「おろろろろ! どうすんだ松田だぁあ!」
「ぐはあああああ! しねよ! 川場、どうにかしろぉぉ!」
「げろげろげろ! 向居、占いでなんとかしろ!」
おぞましいを通り越して、魂の奥までえぐられる絶望感。
「友人の海パンを被る」――その破壊力は、失恋や赤点の比ではない。
……待てよ。
須賀の脳内に、あの天パの男の顔がフラッシュバックする。
「君たち、これ君の海パン? ふ〜ん。柄が同じ何だね」
くるくると天パをいじりながら、謎の微笑みを浮かべる中田。
あれは……すべて仕組まれていたのか!?
思い出しただけで、須賀の中に巨大な殺意がむくむくと湧き上がる。
「中田ああああああああ!!!!!」
須賀の叫びが廊下に轟いた。
「ぐはあああああ。須賀、どうする?」
「うえええええ。なんだ松田?」
「ぐはあああああ。このままじゃ……ゲロ小説になるぞ……! 読者が飯食ってたらどうすんだ……?」
「うえええええ。こんなクソ小説をおかずに飯食う奴いねえよ!」
「げろげろげろ。でもさあ……このままじゃマジで精神崩壊しそうだ……どうにかしろよ……」
その瞬間、須賀の目に狂気の光が宿った。いや、人はどんな時でも狂気になれる。それは一種の覚悟が必要だ。
須賀はこの旅で何度もその境地に入り、自分自身を成長させてきた(気がしている)。今回もその直感としかいえない何かが、須賀の脳内にカミナリのように降り注いだ。
「ぐはあああああ。須賀、どうした?」
「うえええええ……思いついたんだ……。理性を捨てりゃ、気持ち悪さなんか消えるんじゃね?」
「……は?」
三人の嗚咽がピタリと止まる。須賀はうっすら笑いを浮かべると、ニヤァと口角を上げた。
「つまり、無心だ……」
「おい、須賀よ、何を言ってる?!」
「松田、おかしいか?」
「ああ。俺たちは煩悩の塊だぞ! 『中本さん……中本さん……』って連呼している奴が二名もいる」
須賀は微笑みながら、ゆっくりと口を開ける。
「……大丈夫、できる」
すると川場が、謎に力士の四股ポーズを取りながらラリアットの動きを加えた。
「……つまり、意識を合法的に吹っ飛ばして、吐き気を抑えるってことか?」
須賀は、より神秘的な(と自分で思っている)笑みを浮かべた。
「……ZEN(禅)だ」
「禅……?!」
「禅の精神で、無心になるんだ……!」
また風が吹く。なぜかBGMが流れている気がする。いや、むしろ幻聴だ。須賀は両手を天に掲げ、空を仰ぎ、魂を解放した。
「YO YO YO! 南無妙法蓮華経ッ!!」
「おい、須賀……!?」
「ビートに乗せろォ!! 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、ぶっ生き返す南無阿弥陀仏!!」
「完全にイッちまった……!」
松田は涙目で向居を見る。
「向居、これ禅なのか!?」
「いや普通に違うだろ。俺の占いキャラ関係無しで、これは違うと言える」
「さあ、みんなも一緒に! ビート刻め! 禅ビートを感じろ! 南無妙法蓮華経ッ!!」
しょうがないので三人も顔を合わせ、渋々ビートを刻み始める。
「YO YO YO! オレ須賀のハートは吹部の橘さんにメロメロ、トランペットより甘いその声、俺の鼓膜に直撃KOーー!!」
向居がターンテーブルを鬼の形相で回すフリをする。
「HEY YO! 須賀ァ!! その告白、まじでBPMぶちアゲやんけーー!!」
川場がY字バランスを崩しつつシャウトする。
「俺は中本さん一択ーー! 放送室からのあの透き通る声、耳にハチミツ、心にメロンパン!!」
松田が拳を突き上げ、さらに被せる。
「中本さんの『放送部終わります』の一言で俺のハートは終了ーー! 放課後までチューーーンIN!!」
須賀がターンを決めながら絶叫する。
「禅! 禅! 禅!! 全ては無心! 無我夢中で愛を叫べーー!! 南無妙法蓮華経ーーー!!」
三人もラップに巻き込まれ、完全に無心のフロウ状態。
「「「南無妙法蓮華経、韻を踏む、パンツを被る、でも愛は本物ーー!!」」」
松田がマイクを投げるフリをして飛び跳ねる。
「俺はパンツの上でも中本愛を叫ぶ!! 俺の周波数はお前に合わせるぜーーー!!」
川場がヘッドスピンを失敗し、壁に激突する。
「ぐはあああああ!! でも中本さんの『お大事に』って声が脳内リピート!!」
向居はターンテーブルのフリを続けながら汗だくで首を振る。
「占いより確か! 禅ビートが心を救う! 南無妙法蓮華経ーーーーー!!」
須賀は鼻息荒く叫ぶ。
「オレのフロウは橘さん専用! クレッシェンドよりでけぇ愛をドロップするぜぇぇぇ!!」
空気は最早、煩悩と熱気のカオス鍋。
廊下には、男子高校生の脳みそがすべてトロけて煩悩のみで動いている地獄のような熱狂が響き渡った。
「「「南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経ーーー!!!! YEEEEEEEAH!!」」」
*
「おい……行くのか?」
「ああ……山田、行こうぜ」
一組の山田と田中。ザ・モブキャラの二人は、伝統にのっとり、408号室から四階渡り廊下のルートで、七階の北館にある女子部屋へと向かおうとしていた。
「でもさ……ホントに大丈夫かな……」
山田が小声でつぶやき、落ち着かない様子でシャツの袖をぎゅっと握る。
「お前、まだビビってんのかよ。先生たちも確かに怖いけど……夜のリゾートホテルって、なんか変に静かで、逆に怖いよな……」
田中も思わず声を潜め、廊下の奥を気にする。
山田は下を向き、靴先を見つめる。
「山田……でもさ。好きなんだろ?」
「……え?」
「橘さんのことさ。好きなんだろ?」
「……そ、そりゃあ好きだけどさ……綺麗で、でも部活も一生懸命でさ……全力で吹いてる姿が、なんか……かっこいいんだよな……」
山田は、思わず顔を真っ赤にして口ごもる。
「へえ。いいじゃん。確かに橘さんって、完璧って感じだもんな。めちゃくちゃモテるし……」
「お前は……どうなんだよ?」
「お、俺か……? 俺は……山見さんが好きだ」
「橘さんの親友じゃん!」
「そう……吹部で一緒だし、二人で笑ってるの見てるとさ、なんかもう、見てるだけで元気出るんだよな。山見さんは誰にでも優しくて、男女関係なく気さくで……そういうところが、すごく……好きなんだよ……」
田中も思わず耳まで赤くして、肩をすぼめる。
「……うちら、もし付き合えたらさ、ダブルデートとかできるかもな……!」
「え、えへへ……それ、めちゃくちゃ楽しみじゃん……!」
「ああ……絶対叶えようぜ、今回のチャンスで告白して……!」
「だ、だな……!」
二人はお互いを見て、こくんと頷く。
まだあどけなさの残る顔には、淡い期待と高揚感、そしてちょっとした恐怖心が同時に浮かんでいる。
そんな二人の小さな決意を乗せて、渡り廊下の角を曲がろうとした──。
「……ん?」
「どうした山田?」
「……なんか……お経みたいな声、聞こえないか?」
「え? マジかよ……」
「まさか幽霊じゃ!」
「ば、ばか、この時代に幽霊なんていねえだろ。いても、月刊ムーと夏の心霊番組の世界だけだぞ」
「でも、ほら、聞こえるぞ、やっぱ!」
二人の背筋をつたう、冷たい汗。
ホテルの廊下には、謎の声が渦巻いていた。
「「「「南無妙法蓮華経ッ YO YO! 理性ぶっ飛ばせぇぇ!!」」」」
「このフリップ・オブ・地獄でぇぇ!!」
フリップをぶん回す男が一人、
「いやいや! ラップで脳ミソ焼き切れッ!!」
枕片手に暴走する男が一人、
「オラァァ!! 煩悩トーキック!!」
脚を振り上げて突進してくる男が一人、
「ボイパでビート刻むぜぇぇ!!」
頭でビートを刻むも途中でバランス崩し、盛大にゲロる男が一人。
「オエエエエエ!!」
「おろろろろ!!」
「ぶっ生き返す吐き気ぇぇ!!」
「ナムナム浄土ぉぉ!!」
全員、リズムに合わせて交互に吐きまくりながら、お経ラップで理性を物理的に殴り合っている。
「YO YO! 理性なんざぶっ飛ばしてナンボやろぉぉ!!」
「煩悩ビンタ! 悟れ悟れぇぇ!!」
「フリップで殴れば浄化ァァ!!」
「おろろろろろ!! 南無阿弥陀仏!!」
山田と田中は、そのカオスすぎる地獄絵図を、壁の陰から真っ青になって見つめるしかなかった。
「……な、なんだあれ……」
「これ……幽霊じゃねぇ……もっとヤベェやつらだ……!!」
「……田中……オレもう、橘さんに告白できなくてもいい……とにかく逃げよう……!!」
「オレもだ……! 山見さんより命が大事だああ!!」
だが──
「……ん?」
急に、一人の男がピタリと動きを止めた。
その視線が、じわりとこちらへ向く。
「……おい、今、誰か見てたよなぁ〜?」
「「「見たな〜?」」」
ニヤリ、と笑う全員の口から同時に涎が垂れ、そして──
「おいおいおいおいッ!! 見たヤツは理性もろとも吹っ飛ばすぅぅぅ!!!」
「待てぇぇぇぇッ!!」
「オラァァ!! 南無妙法蓮華経ビンタァァ!!」
「吐き気ブレスアタック! うええええ!!」
狂ったように四人は、ドタドタとこちらへ走り出す!!
「ぎゃああああ!!!」
「生きて帰りてぇぇぇ!!!」
山田と田中は悲鳴をあげ、涙と鼻水を撒き散らしながら、全力で逃げ出した!!
――果たして、彼らが無事に橘さんと山見さんに告白できる日は来るのか……!?
いや、筆者から断言させてもらう。
お前らの恋愛ルート? そんなもん、このページで強制終了じゃい!!
南無三!!!